log 2007. January.

フェムトセカンド

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下に降りるほど古くなります。

■2007/1/31 水曜日

2007年1月のメモ

読んだ本***
12/31 国家の品格 藤原正彦
1/1 若き数学者のアメリカ 藤原正彦
1/3 きょうのできごと 柴崎友香
1/26 異邦人 アルベール・カミュ

見た映画***
11/25 真夜中のジャズ
12/29 ファイトクラブ
1/4 MATRIX reloaded
1/4 MATRIX revolutions
1/11 ブレードランナー
1/13 ダーウィンの悪夢

■2007/1/31 水曜日

大岡山最後の授業、英語用メモリ

大岡山での英語の授業は今日が最後だったようだ。聞くところによると、試験もレポートもないが単位はとにかくもらえるらしい。単位をどうこういうのは自分の趣味ではないが、とりあえずほっとした。あと1個専攻外の授業をとれば単位は揃う。

今日やっとわかったことだが、この英語の授業はゆるーい感じでいいのだ。そんなに身構えなくても大丈夫だったんだ、と今更ながら感じた。まわりの人はオレより圧倒的に英語ができる。発音がびっくりするほど滑らかで、先生の言うこともちゃんと理解している。すっごく悔しい。先生が言っていることが時々さっぱりわからなくなる瞬間があって、呆然としてしまうときがある。ああいうのが聞けるようになったら学会とかももっと豊作なのだろうな。

カンデルの担当章を訳している。前よりは訳すのが苦ではない。一段落訳すごとに「ぶはっ」と息が切れたものだが、そんなでもない。しばらく訳すことに没頭していられるようになったのは進歩だと思う。この感じは水泳の息継ぎに似ている。腕を一回まわす時間さえ息を止めているのが苦しかった状態がすこし緩和されて、2,3回まわすまで耐えられるようになった感じ。

没頭できるというのはいいことだなと思う。没頭しているときは、時間がどれくらい経ったかとか、いまどれぐらい作業が完了したかとか、あとどれぐらい作業が残っていて逆算するとどれぐらいかかるかとか、今やっている作業に飽きて他のことがしたくなるとか、そういうことがない。そういう時はストレスを感じないものだ。以前は、1文訳すたびに、「やっと1行終わった」「もうやめたい」「あとどれぐらいあるのか」と常にストレスの連続で、苦しかった。

そうなった要因として、「英語メモリ」が増えたような感じがする。1文が5,6行にまたがる文はざらだが、そういう長い文は読んでるうちに文の前半の方を忘れたり、忘れたから前半に戻って読み直すと今度は後半を忘れたりして文の構造を掴むために何度も何度も何度も何度も往復しなければならなかったりする。だけど、英語の文を一時的に覚えている脳の領域が増えて、往復する回数が減った気がする。とすると、英語用のワーキングメモリが増設されたのだろうか、前頭葉あたりに?(とか雑なことをいってみる)往復する回数が減ると、文と文の間の関係を気遣う余裕もでてきて、結果として文意が掴みやすくなる。そうすると一文を理解するのも容易になる。そうしていい循環が起こる。うむ。

メモリといえばPowerBookのメモリ、増設しました。あまり性能アップした気はしません。無念。

そういえば、ハハに「お誕生日おめでとう」というのを忘れていた。遅ればせながら、おめでとうございます。

■2007/1/31 水曜日

大失態、大岡山

昨日は大失態をおかしてしまった。カンデルの授業に少し遅刻していったら、みんながオレを待っていた。先に始めててくれてよかったのにと思ったが、なんとなく様子がおかしい。見るとプロジェクターに誰のPCもつながっていない。すでに全員揃っていたので、それはすなわちプロジェクターにつなぐのはオレであることをほのめかしている。

そこで、いやな予感がにわかに湧いて、すぐさまそれがどうも逃れられない事実のような気がしてきた。「もしかして、今日の担当は僕ですか?」みんなはやっぱりかーという顔をして苦笑いした。

どうもオレは勘違いをしてしまったようだった。てっきり担当は来週だとばかり思っていた。結局、その日の授業はなしになった。ああ、なんて失態をおかしてしまったんだ。

今日は久々に大岡山で授業を受ける。体調を崩したり予定が入ったり学会があったりで半分ぐらいしか主席できてない。果たして単位はとれるだろうか?半ば諦めている。

大岡山キャンパスにくると「よその大学にきた」という感じがする。太陽がまぶしすぎる。まるで外に追いやろうとしているみたい。

■2007/1/29 月曜日

できれば・・・。それと精密ドライバー

最近、運動をしていない。そのことが重大なことのように思われる。生活で使う最小限の筋力を残して体がすっかり退化してしまったような感じがする。こんなだと平時はよくても有事の時にきっと困ったことになるでしょう。

昨日から首が痛い。寝違えたような痛み。一晩経ってもあまり痛みが変わらない。寝るときに首に大きな負担がかかっているのかも知れない。

来週のカンデルの準備をする。しばらく前につくった途中までの訳を読み返したら、それがかなりいい訳のように思われて我ながら感心した。訳した文章は往々にして意味がわかりにくくなりがちだが、それを見越して日本語として自然で、かつ論理的に読めば理解できるように苦心して訳した甲斐があった。しかし、いかんせん途中までしか訳ができていない。もし全訳を作るとしたら間に合うだろうか?

できればこの日記には誰からも理解できることを書きたいと思っているが、脳科学やその他勉強のことはきっとわからない人は多いだろう。できれば日常のありふれたことを山も谷もなく書きたくはないのだが、そうしなければ空白ができてしまうのでやむなく書いている。できれば明るいことを書きたいが、いつもいつも明るく振る舞えるほど明るくはなく、また日々自分の力量不足ゆえに悩み苦しむことがしばしばなのでやはりむずかしい。できれば世界に何か新しいことを付け加えるようなことを書きたいが、それは甚だ難しく、年に何個か書ければいいほうだ。

最近、ファーストフードの食事が多い。以前、「スーパーサイズミー」という映画を見たときに、「もう二度とマクドナルドで食事をするのはやめよう」と心に誓ったはずなのだが、いつの間にかまた食べるようになっている。やはりあの手軽さと安さは憎らしいほど魅力的なのである。栄養バランスのとれた食生活はほど遠い。

今日も英語をやった。めずらしくちょっと上達したような実感を得た。横浜の100円ショップで精密ドライバーセットを買った。100円ショップでこんなものが買えることに驚きである。PowerBookの追加メモリを購入したのだがそれを付けるためにはフタを開けねばならない。そのフタを開けるのに精密ドライバーが必要だった。明日、時間のやるときにメモリ追加作業をしよう。

■2007/1/28 日曜日

初みかん、オブジェクトとメソッド、

今年の冬はまだひとつもみかんを食べてないということにふと気付いた。そういうのはあまりにも寂しい人生なのではないかと思った。そんなことを考えながらスーパーに入ったら、バラ売りで1個98円で売っていた。しめたと思って1個買い求めた。おいしくいただきました。

Javaの本やXcode(Macのプログラム開発統合ソフト)の本を読んだりしている。ひとつひらめいたことがあった。Javaにおけるオブジェクトとメソッドというのは、変数と関数の関係が拡張されたものととらえられるのではないか?数学においてもC言語のような非オブジェクト指向言語においても変数と関数というのはある。数学における変数と関数の関係がプログラミング言語の変数と関数の関係に拡張され、さらにそれが拡張されたのがオブジェクトとメソッドではないだろうか。変数を関数につっこむと何かでてくる、というイメージとオブジェクトをメソッドにつっこむと何かでてくるというのはとても似たようなイメージがする。

オムレツに牛乳を少したらしたら表面が滑らかでふっくらした仕上がりになった。理想のオムレツにだいぶ近づいたがまだ遠い。人に聞いたらどうもオムレツに牛乳を入れるのは当たり前らしい。

最近だめ出しが多く、悩む。

■2007/1/27 土曜日

recruitmentのニュアンス

昨日、石川がゼミで読んだ論文を読み直した。recruitmentのニュアンスがイマイチわからず全体的に言いたいことがよくわからない。default networkがmind-wanderingの時にどうなると言いたいのか?それが崩れるのか、それともそれと近い形になるのか?mental time travelの話をフォローしたかったが、そこまでいかず。referenceにあったクリストフコッホの論文を取り寄せ申請した。

発作的に英語をやった。だいぶ滞りがちで、そろそろ気合いを入れて消化していかないとこまることになる。

昨日の「とにかくなんか実験しろ」という諫言に従って、プログラミングを書いている。JAVAで書いているのだが、かなりキレイさっぱり忘れている。

■2007/1/26 金曜日

硬質な文体、familiar vs. novel、雨

カミュの「異邦人」を読み終わった。硬質で緻密な文体が読んでいて心地よかった。理不尽の文学と言われるが、主人公は自分自信に極めて忠実で、共感できた。

茂木研のゼミ。Jounal:ScienceとKeyword:spontaneousという探し方をして、見つけた論文を紹介した。2歳児の時にinhibited(人見知り)タイプとuninhibited(物怖じしない)タイプに分けられた人たちが、20歳ぐらいになってから再び被験者になって、fMRIを測定した実験。familiar(見慣れた)写真とnovel(新規な)写真を見せられたときのamygdalar(扁桃体)という場所のBOLD信号の変化を測定するだけの実験。2歳児の時、人見知りタイプと言われた人たちは新規な写真を見せられたときのBOLD信号変化が見慣れた人の写真を見せられたときより有意に大きかった。一方、二歳児の時に物怖じしないタイプに分けられた人たちは見せられた写真が新規か見慣れているかと言うことはBOLD信号の変化には影響なかった。

紹介した論文からオレが読み取れたのは本当にこれだけだった。寄せられる質問には極力誠意を持ってお答えしたが、果たして自分の紹介したこの論文から多くのことを得たと思ってもらえるかということはほとほと自信がない。

今日は見学者の方がいらしていて、ゼミ後、有志であさり飲みが開かれた。自分よりも二つも学年が下の人が脳科学を志す様をみると、やにわに不安になる。あのころの自分と、今の自分の差分は果たして胸を張れるものであろうか。

遅れて飲み屋にやってきた先輩からいわれたことは、「とにかく実験をやれ」ということで、それに対して何も言えなかった。

帰ってきたらせっかく干した洗濯物が雨で濡れていた。家の中に干すべきだった。

■2007/1/26 金曜日

論文、読売

昨日は一日中論文を読んでいた。面白くないしよくわからないなあと思いながら頑張ってある論文を読んでいた。どうも込み入った文脈があり容易にその文脈を解きほぐせない。また、やはり読んでいて面白くない。夜になり、時間がなくなってきて結局「これは発表するのは無理だ」と判断し、他の論文を探した。論文誌をNatureかScienceに絞り、過去五年以内でspontaneousという単語を含むものという検索の仕方をして、Scienceの2003年の論文に落ち着いた。2ページだし、ロジックが簡単なので読みやすい。

昨日と今日で読んでいなかった新聞を10日分ぐらい読んだ。あと5日分ぐらい残っている。押しに負けて購読してしまった新聞も今月で終わりである。昨日新聞屋さんが3ヶ月分を集金に来た。記事はほとんど読まなず、見出しだけ見てすっとばしてしまう。それでもせっかくお金を払ったのだからとめくりもせずに捨てることはできず、10日分溜めては5日分消化、みたいな繰り返し。毎日連載されている沢木耕太郎氏の「声を訪ねて、君に」はいつしか毎日読むようになってしまった。ニューヨークの回想の少し前あたりから読んでいる。購読をやめたら読めなくなってしまうのが惜しい。もう連載は終わっているが、昨年末までやっていたドナルド・キーン氏の「20世紀クロニクル」という週一の連載もわりと楽しみだった。あと決まって読んだのは書評欄で茂木さんが書いている書評ぐらい。

今日はこれからゼミ。

■2007/1/24 水曜日

すずかけで一日過ごした

昨日の酒がなかなか抜けず、輪講に遅刻。金曜日のゼミで論文紹介するのでその論文を探すがなかなか見つからない。石川の実験の被験者をやった。オレはまだ実験をするまでに至っていない。

■2007/1/23 火曜日

駒場特別講義

茂木さんの駒場特別講義。大学院生向けの講義だったので、茂木さんは飛ばしていた。特に、1日目の前半は心脳問題のかなり深い話をえぐっていた。後半は何故かポスドクは如何に生きるべきかという話になった。二日目の前半は以前、上野芸大でもお話しされたことのある渡辺真也さんが見えて、いまキュレイション("curate" means "select, organize, and look after the items in (a collection or exhibition)" )している九条に関する展示についてお話しされた。後半は怒りを表明するというフリーディスカッションの時間に。茂木さんのブログでMP3が公開されていると思うので、気になる人はそっちを聞いてください。

1日目の飲み会の時に塩谷さんとだいぶ話し込んだ。塩谷さんは話しているとどんどんどんどん抽象的な世界に話が引き込まれていって、意味不明になるときが多いが、それでも「感覚的に」了解できる部分があって、ついつい話に聞き惚れてしまったりする。塩谷さんと話すと面白いということがわかった。こっちが愚劣な反応をしても「お前全然わかってないなー、出直してこい」ということを言わずにそれを引き受けて論を展開してくれるので安心して話し込むことができた。

その授業では思いがけない再会があって、同じ高校で同じ部活のM町とM本に会うことができた。授業中、ふと振り返るとM町がいて、「あれお前、なんでここにいんの?」「お前こそー」と笑える再会をした。どうも彼はこの専攻のM1らしく、たまたまこの授業をとっていたということだった。

1日目の後半に茂木さんがした話は「アカデミックなromanticismをどうやって持続するか」という事だったとオレは了解している。そういう問題意識を茂木さんが持っているということがひとつの驚きだった。オレは高校時代に学問というものに幻滅した。単なる形骸化した無意味な権威でしかないと思っていた。だけど、自分が意図しなかったにもかかわらず通うことになった塾で、図らずも学問の、特に数学の真の価値に気付いて学問を志すことにした。これは自分の人生史上もっとも大きなセレンディピティだったと思っている。大学に入ってからは「これから学問をやるとしたら何をしよう?」とずーっと考えていた。だけど、セクシーだと思えることが全然みつからなかった。大学3年の6月ににやっと見つけたのが茂木さんであり、心脳問題だった。応用とか予算がどうのとかそういう自分にとっては価値がなくて生臭い問題から逃れたくてこっちに来たのに、やはりそういう悪夢からは逃れることができないのだろうか。

下條さんのセミナーと茂木さんの講義でインプットが過剰気味なので、しばらくそれらを咀嚼するために時間を過ごさなければならないだろう。

X'mas SPの賞品であるiPod videoを今日から使い始めた。カラーで動画が見られる!こんな風に動画が見られるモバイルツールを持つのは初めてで電車の中で動画を見るという行為は新鮮だった。YouTubeで見つけた昔のテレビの一部のシーンをiPodに落としてみた。軟式グローブ最高!

グーグルは今のままでは日本人の人生を変えることはできない
こないだNHKでグーグル特集をやっていたけど、それに対する反応として書かれている。グーグルに抱いていたイメージが必ずしも日本の場合は当てはまらないと言うことがちょっと驚きだった。例えば、AdSenseの広告収入で暮らしていくのは日本では難しいこととか、グーグルよりヤフーの方がクリック数が多いとか。

■2007/1/21 日曜日

罪悪感なく休むこと

昨日からのくしゃみと鼻水が止まらず、体調がおもわしくなかったのでボーイスカウトに行くのを諦めてしまった。関係各位、ごめんなさい。昨日の車の中で、暖房を控えめにしすぎたのと、寝る部屋が寒すぎたせいだと思う。

そんなわけで、非生産的な一日だった。もっとも最近は週に一度は休むことが大事だとわかってきた。自分の理想は土曜日曜関係なく、毎日全力疾走していたいんだけど、それは自分の場合はsustainableでないことが経験からわかってきた。無理に休まずやっていても、だんだんと性能が落ちてきて、いずれ破綻するということを何度となく経験してきた。週に一回は休むことにしている。

休むときに大事なのは「休んでしまっていいんだろうか」という罪悪感を感じないようにすることだ。そうすると休んだ気がしない。きちんと休むと「休んだのだからがんばろう」という危機感に似た感情の張りが生まれるので休んだ後はよりがんばれるようになる。そうして一週間がんばると、「今週はがんばったから、存分に休もう」という気になって罪悪感なく休むことができ、正のスパイラルが起こる。逆に負のスパイラルも簡単に起きて、「今週あまりがんばんなかったから休むのは気が引ける」となり、その中途半端な休み方が休み明けの生産性を減じ、さらに次の休みの質を落とすということになる。

明日は午前、すずかけで輪講の後、午後はまた駒場に行く。今度は茂木さんの授業である。

■2007/1/20 土曜日

寒い日、最後のボンベ回収

寒さのせいでくしゃみとはなみずがとまらない。ぐじゅぐじゅぐじゅ。はくそんはくそんはくそん。

車で早稲田に行った。車に乗るのも母校に行くのも久しぶり。うちの会社が納めたボンベを回収に行った。これでここにはうちが納めたボンベはなくなる。なんだか寂しい。T研のひとたちとは久しく消息を絶っていたので、きっと忘れられているだろうと思った。だからひっそり帰ろうと思ったけど、ちょうど帰り際の同期3人とか廊下で立ち話していた上司だった助手の人とか、グループディスカッションに行く直前の先生とかに会って話しができた。誰からも冷たくあしらわれずに済んでほっとした。

帰りは混んでいた。車の中でどんな実験をやろうか考えていた。Libetの実験に類することをやろうかと思っているが、果たしてそれにどのぐらい意味があるだろうか?そもそも自分がEEGを使うという状況をイメージできない。EEGを使えるようになるにはどうすればいいだろうか?EEGと同期したプログラミングにはどのくらい時間がかかるだろうか?被験者はどうすればいいだろうか?一番大事なのはタスクだが、うまくいくかどうかわからないからとりあえずやってみたいのに、そうは問屋が卸しそうもない。うまくいかなかったと仮定してその先を考えようとしてもそこから先はアイディアがでなかったりして思考の堂々巡りが始まる。

■2007/1/19 金曜日

下條セミナー3、avolition

下條さんのセミナー三日目、最終日。自由意志は真性のイリュージョンであるというのはその通りだと思う。錯視はそれが錯覚として見えてしまうという知識があっても知覚はどうにもならない。そのような知覚が知識とは関係なくどうしようもなくそう見えてしまう側面とのアナロジーで、自由意志を持っていると思うことをイリュージョンだと言ったのだと思うのだけど、その喩え方は新鮮だった。

オレはそれに対してすこし違う見方を持っている。それはカプグラ妄想の人とのアナロジーで考えている。カプグラ妄想の人は、ごく親しい人、例えば父親や母親に対して「この人は私の父親にものすごくよく似ているが、この人は私の父親ではなくて、誰か他の人が私の父親を演じているのだ」と思ってしまう。実際に、それは本当の父親なのにもかかわらず、また、父親とそっくりだということも認めつつ、それを父親だと思えないのである。このことから、「何かを何かだと思う(信じる)」回路があるのではないかとと思っている。つまり、色や形を同定して、記憶の中の誰かとマッチングする回路とは別に、それがその人である、と下から支える回路があるのだと思う。

自由意志の場合も同じで、自由意志がある、と思わせる回路があるのだと思う。なんというか「底を支える」回路があると思うのだ。これだけの記述で読んだ人が納得してくれるとは思えないし、なかなかうまく表現することができないがそうなんだと思う。何かを「信じる」ことができるのも同じような回路によって為されるのではないかと考えている。この「信じること」を生成するメカニズムについてはいつかやってみたいと思っている。

下條セミナーは今日で終わりだが、参加してよかったと思う。オレの「意識の問題に踏み込むのは不可能に近いぐらい難しい」という認識を変えてくれた。いろいろケチをつける人もいると思うけど、そういう人は自分の穴ぐらに帰ってもらうしかない。大事なことはとにかく手を伸ばすことだと思う。下條さんの示してくれた膨大な実験データには頭が下がったし、そこから考察したこともとてもエキサイティングだった。

ぐだぐだ考える前に実験する。徹底的に実験する。そして、そのデータを徹底的に考え抜く。その反復で恐ろしく強靱なロジックができあがる。抽象的な思考だけでは埒があかないのである。抽象的思考ももちろん大事だが、いつもそれが具体的に何に対応するのかを忘れないで考え続けなければならない。

ともかく、オレももたもたしていないで何か実験をしようと思った。何かしなければ。何かしなければ。

実家に帰ってきた。親父が買った、茂木さんがフィーチャーされているBRUTUSをざっと読んだ。驚いたことに、茂木さんと自分のツーショットの写真がとても小さくだが載っていた。おおう。表紙の茂木さんのイラストはかわいくていいと思うし、「脳科学者ならこう言うね!」というキャッチはかっこいいと思う。写真も豊富で、大きな写真はどれもすごくいい。クオリア日記の一部がいくつも抜粋されていて、読んでいるとはっとするほど鋭い言葉やカッコイイ台詞が並んでいる。この「茂木語録」の何パーセントかはきっと後世まで残る直感した。実際そうなるかどうかわからないけど、前後の文脈が消されることで逆に言葉の過激さや色気が際だってより胸に残る言葉になっているものがある。そういう言葉は残るんじゃないか。ここに載っているだけじゃなくて、茂木さんは膨大な量のテクストを書籍やブログに残しているから、その可能性は高いと思う。

深夜、「avolition」というキーワードで文献を探索して、一通り終わった。あまり大した量はなかった。残念なようなほっとしたような。東工大はとれる論文誌の数が少なくて腹が立つ。やはり総合大学のほうがいいよなと思う。3本、文献複写依頼を出した。

■2007/1/18 木曜日

下條セミナー2

再び駒場東大へ。下條セミナー2日目。前半では自発性の議論をしていた。LibetやHaggardの話が盛んに取り上げられていた。EEGをやろううかな?という気になってきた。

セミナー後のレスプションにも参加することができた。茂木研の人以外とほとんど何も話せなかったのが悔やまれる。明日は下條セミナー最終日。

■2007/1/17 水曜日

構想発表会、ふて寝

構想発表会でした。はっきり言って完全になめてかかったんだけど、ぎゃふんと言わされました。

そもそも、発表するに値する内容があると自分で思えなかった。無理矢理期限を設定して自分にプレッシャーをかければ何か生まれるかもしれない、という期待をもって構想発表会を1月にすることにしたわけだけど、その期待通りにはいかなかった模様。具体的な展望がないので、スライドや話す内容をロジカルに、密度高く作り込んでいくということができない。明確な目標があれば、その目標を設定する必然性やそれを達成するのに必要なアイディア、既往の研究との位置づけとか隙なく構成する自信はある。

無理矢理作り込むことはやってできないことではないだろうけど、そうやって作ったものを発表するときの”でっちあげ感”を自分で感じるのが嫌で放棄した。できれば、自分が考えていることをありのままに表現して、痛いところをついてもらって、さらにそこから何か生まれないかなということを考えていた。無理に曖昧なところや破綻していることを隠蔽してしまうよりも弱みも全部晒すことで発展的な何かを期待していたのだ。でも、「作り込まないのはは聞いてくれる人に対して失礼だ」と言われてしまった。

10分だけ我慢すればいい、と思っていたが苦々しさはしばらく尾を引きそうである。

■2007/1/16 火曜日

すずかけ台、駒場、和光

今日はなかなかタフな一日だった。朝9時からすずかけ台で授業。宮下先生のシステム神経科学。随意運動の章。ちょっとだけ自発性に関わる部分があって、あとで読み直さなければと思う。来週に予定されていた自分の担当回が、先生の会議の関係で再来週に延期になったのはひどくありがたい。

M1部屋に戻って何通かメールを出して移動。今度は渋谷経由で駒場東大へ。下條さんの特別セミナーの初日を聞きに行く。主観性に関する連続講義で、かなりエキサイティングだ。主観性という題材を大真面目に科学者が扱う場ってあまりない。だから全身を耳にしてとにかく集中して聞いた。いろいろな錯覚を利用した心理物理実験を通して主観性という題材に迫っていく。それを見ていてすごいなと思った。普通だったら、「こういう錯覚があるんだ。へー。」で済ませちゃうような実験も巧みに解釈することで何とか主観性という雲がかかって見えないほどの高みに向かっていく。クオリアや意識の問題には全然歯が立たないと思っているが恥ずかしくなる思いだった。歯が立たないのは自分の思考力や想像力が足りないからだと思った。ともかく、できることは地道に実験と推論を繰り返していくことなのだ。

参考文献は極力メモするよう努めた。何でかというと、自分でもそれらをきちんと押さえることの必要性を痛感したからだ。これまでは、面白そうだとか利用できそうだと思ったことでも「たしかどこかでこんんな感じの話を聞いたな」程度にしか記憶してなくて、果たしてそれが本当なのか、正確なのかわからなくなることがよくあった。で、気になっていざ探してみても見つからなかったりする。適当にキーワードを入れて検索するには限界がある。そういうのを最近痛感するようになり、気になることは出典を控えて自分でたぐれるようにすることにした。今日、明日は時間がないけど、きっと原典に当たってみようと思う。

駒場東大の次は和光の理研。理研脳研究所が主催するチュートリアル。今日は「精神疾患」というテーマだった。統合失調症や鬱病に興味がある自分としては聞き逃したくないテーマだったので、遅刻したが行った。統合失調症や鬱病に関して、すこしは持っている知識がクリアになり、すこしだが体系的な理解も生まれた。SfNで聞いたDNAメチル転移酵素が統合失調症に関わってる話がでて、やっぱり自分の理解は間違いではなかったと思えた。また、統合失調症の陰性症状のひとつとして「avolition(自発性欠如)」というのがあって、ここら辺はもっと調べる余地がありそうだと思った。

明日は構想発表会である。貧弱だったスライドにLibetの論文のことを載せることにした。これで少しは時間が稼げそうだが、やはり具体的なタスクを考えつけていないので甚だ心許ない。

■2007/1/16 火曜日

second messenger、メモリ1G

昨日は今年初の読書部カンデル輪講だった。13章でセカンドメッセンジャーに関する章だった。なかなかよい発表で、質問したり補足したりする必要が全然なかった。神経伝達物質を受容したというレセプタからの制御が直接イオンチャンネルに行くのではなくて、途中、様々なタンパク質のリン酸化や酵素反応を介在させてイオンチャンネルを調整する。ずっとセカンドメッセンジャーというのはmRNAの一種じゃないかとぼんやり考えていたが、そうではなくてタンパク質が主だったメッセンジャー(届け人)だった。

PowerBookのメモリを注文した。今はdefaultの256+512=768Mだが256+1G=1.25Gになる予定。

午後は珍しくM1部屋に石川と二人で夕方までいた。ふたりで「あの論文てどこにあるんだろう?」とあれこれ探していたら日が暮れた。AHAと動機発火の論文は見つからなかった。

家に帰ってきてから、こないだのゼミのmp3ファイルを聞きながらあれこれ考える。聞き返しているとかなりのことを聞き逃していたのがわかる。ともかく具体的な実験系を考えなけりゃ!という茂木さんの言葉が頭から離れなくなる。Libetの論文を読んでからEEGを使って何かするのも悪くないような気がしてきた。が、その場合はよっぽど斬新なタスクをかんんがえなけりゃならないだろう。50分のうち15分ぐらいまで聞いたら眠くなって寝てしまった。

来週いっぱい、恐ろしいほど余裕がない。明日は構想発表会だし、16,18,19日と駒場でセミナーがあるし 、週末はボーイスカウトだし、来週の火曜日は輪講の担当だし、来週の金曜日はおそらくゼミの担当だし。乗り切れないような気がす・・・。

■2007/1/14 日曜日

英語、お惣菜

久々に英語をやった。履歴を見ると、最後にやったのが12/5だった。だいぶさぼっていた。

最近はお惣菜を買って手抜きをするようにしている。11月は頑張って自炊をするようにして、食費が3万とちょっとで済んだ。だけど、次の月は頑張りすぎた反動で外食ばかりになってしまった。そんなわけで無理のない程度に頑張ることにした。お惣菜を買っても、外食ばかりよりは安くつく。と思う。自炊だとどうしても米に頼りがちになってしまう。おかずがないからとにかく米でハラを膨らまそうとする。そうすると炭水化物過剰になってしまうので好ましくない。低カロリー高タンパクの食事を目指しています。

バスタブが湯垢でかなり汚くなったので一念発起してきれいにした。風呂掃除は去年の8月以来。トイレも掃除した。それなりにキレイになった。できればシャワーカーテンのカビを何とかしたい。

読みかけの茂木さんの「脳とクオリア」をふと手に取ると自由意志に関する章があった。自由意志に対する態度はおなじだった。

■2007/1/13 土曜日

無制限質疑応答、Spontaneity、Darwin's Nightmare

昨日は2007年初のゼミだった。来週の水曜日に控えたM1構想発表会のためにM1が発表。Anthony A. Graceの側坐核が海馬と前頭葉と扁桃体からの入力によって行動のgatingをしているという仮説をアブストラクトにねじこんで、目鼻がついた気になったのがその日の朝で、ゼミ開始ギリギリまで発表用のスライドを作る。結局、スライドは4枚つくるのがやっとだった。発表時間は5分なので、一枚につき1分ぐらい話せばなんとかなるはず。即興で喋った。途中、何度もつっかえ、どもり、言い直し、耳障りの悪い発表になってしまった。そうやってスムーズに喋れなかったお陰で発表時間は5分ぴったりだった。嬉しくない。

予想されていたことではあったが、その後の無制限質疑応答は矢が降り注ぐようだった。次々に痛いところを指摘されて内心悶絶しつつ、なんとか箸にも棒にもかからないような言葉を紡ぐのが精一杯だった。無作為をどうやって定義するのか?無意識・意識軸と刺激あり・刺激なしというコンビネーションで一体どこのことなのか?Haggardは?Libetは知ってる?刺激が内部からのものなのか外部からのものなのか分けられると思う?tappingとか右手をあげるみたいな研究でこういうのはずいぶんやられていると思うけどどうやって差異化するの?赤ちゃんのGeneral Movementとの関連についてはどう?voluntaryとspontaneousの違いを説明できる?自由意志はあると思ってるのないと思ってるの?量子力学はどっちなの?計算可能性と予測不可能性は同じじゃないってわかってるよね?お前のいう無作為が作為に変わる瞬間てどんななの?で、一体どんな実験やりたいの?喧々囂々侃々諤々。茂木さんのブログには「熱弁ふるう」なんて書いてあるが、ほんとうのところ熱弁をふるわれてたわけです。

こんなことをいうと負け惜しみにしかならないが、飛んでくる質問はいままでに頭をよぎったことがあるものが多かった。だけど、頭によぎって考えてみてもやはりわからないので放置したままだったから結局あたふたすることになる。わからなくても、考えたことを書き留めたりして記録しておいて、わからないなりに考えたことを何か言えればよかったと思うのだけど、思い出せないことが多かった。でも、決定的にまずかったのは何をやるのかと言うことが全然具体的ではなかったことだった。「とにかく叩き台になる実験系を考えて来なきゃダメだよ」と言われた。実験系を考えるために、作為とは?無作為とは?自発性とは?自由意志とは?入力と出力、そこに絡む回路の変形発達のメカニズムは?とかどんどんわけがわからない方向にいってしまった。船出しようと思ったが、船とは何かわからなくなって船を分解しだして水に浮くことすらできなくなってしまった、みたいな感じ。

そんな感じのゼミでした。その後は、新年会ということで五反田最後の我らのオアシス、あさりへ移動。弱ったなー弱ったなー構想発表会どうしたもんかなーと少々しょげつつ酒を飲んだ。その後カラオケ。カラオケについた頃にはかなり陽気になっていた。

今日は、そんなわけで朝早く起きてHaggardやLibetの論文を探したりした。Jounal of Consciousness studyという論文誌に載っている論文が欲しかったのだが東工大の図書館にはない。東大にあるかなと思って調べてみるとあった。なんとか手に入れられないものかと思って、東大図書館のページを見ていると大学院生は学生証を見せれば閲覧可能と書いてあったので駒場まで出向いた。手に入った。わーい。もっとはやくSpontaneityというキーワードで調べるべきだった。MotivationというテーマからSpontaneityというテーマに変わりつつある。

せっかく渋谷にでたからと思って、シネマライズで「ダーウィンの悪夢」という映画をみた。見終わった後、悪夢だ、と思った。ここのところ映画館で見る映画は意図してないのにドキュメンタリーばかり。 ドキュメンタリー映画と普通の映画はどうちがうのだろうか?と考えた。ドキュメンタリーの場合は映画というメディアが情報のメディアとしての性格が強いのに対し、普通の映画は仮想の世界を構築するためのメディアとしての性格が強いのじゃないか、と思った。絵画においても光というメディアと絵の具というメディアがあるんじゃないだろうか。とか思ったり。


■2007/1/11 木曜日

ルイス・バラガン、ブレードランナー

本郷東大に斉藤裕さんの講義を聞きに行った。建築に関する講義で、月に一回一人の建築家に焦点をあてて話をするというもの。建築学科の友人に誘われたのだ。今回が一回目で、今日は「ルイス・バラガン」というメキシコの建築家だった。オレは建築に関しては完全な門外漢だが、やはり一級の仕事というのは門外漢だとか専門家だとかそういのうは関係ない。心の奥に直接響く、その美しさと深い哲学。

「孤独とはよき友のことです」というのがバラガンの言葉だが、彼の自邸はそれがよくわかる造りになっている。美とは何か。そういうことをやはり真剣に何十年も考えている人はいるのだ、と嬉しくなった。

映し出される写真に圧倒された。光が空間を染める。色は表面に描かれるものだという概念を覆された。空間をも色を付けることができるのだ。ものすごく考えられた色と壁と光と空間の関係。これだけ書くと、家の中が華美なイメージになってしまうけど、それでいてなおかつ居心地のよい空間になっているのである。居心地がいいという表現では物足りない。そこに住むことで生活が圧倒的に豊かになりそうだった。

美意識というのは伝わらないものだと思う。相手にそれがないとどんなに言葉を尽くしても伝わらないし、相手にそれがあれば何も言わなくても共感することができる。ある一つの作品にそれに対してどう反応するかでそれはわかってしまう。美意識というのは伝わらない。「これのここがこうなってて、・・・いいじゃない」と何とか指し示すことはできるかも知れないけど、そういった瞬間にもう抜け落ちてしまっている。ディテールとディテールが響き合うことで単一のディテールだけでは決して出てこない質感がでてくるからである。

パソコンでもMacが体現する美意識があるけども、それはわからない人には伝わらない。Macのよさがわかってしまった人はMacを使うし、使ってもわからないという人はいる。そういう人にはどうがんばっても説明することはできない。オレは最初はWinを使っていて、Macの話が出ると、使ったこともないのにいかにMacよりWinの方がいいかということを話す人間だった。それがMacを使う環境に入って、実際に噂に聞くMacなるものを触って使うようになって完全にそっちにスイッチしてしまった。そして、昔の、MacよりWinの方がいいと適当なことを言っていた自分の浅ましさがよくわかった。いかにWinのほうがよい理由をならべて、それが的を射ていたとしても関係ないのだ。そんなことを言われてもMacの方がいいものはいいのである。Macの良さはわかるひとにはわかるし、どんなに言葉を尽くしても伝わらないひとはいるのである。

昨日はブレードランナーを見た。ブレードランナーにはいろいろな版があってオレが見たのは最終版らしい。おそらく監督の意図がもっとも正確に表現されたものだと思う。オレが生まれた1982年ぐらいの作品。当時の近未来が今見ても色褪せていない。いい作品だった。アンドロイドに感情が芽生えたという話は、やはり今の時代でもさまざまな議論を巻き起こすソースたり得る。

■2007/1/10 水曜日

ラプラスの魔神経科学版

今年初授業。カンデル。小脳。石川が発表。いままで小脳の話はほぼノータッチだったので、今日の講義はひとつの足がかりになると思う。昼めしを食べながら、入力の全履歴と神経回路のつなぎ変わりの仕組みがわかれば、ある人の次の瞬間の行動は完全に予測できるという話をしたら石川に「そうかな?そうかな?」とかなり突っ込まれた。オレは神経科学版のラプラスの魔の話をしたつもりだったんだが、間違ってるのだろうか?と不安になる。自分にとって自明な気がしていたんだけど、やはりバックグラウンドが違うと自明なことも自明じゃなくなるものだ。だから、異分野の人と関わるのは大事だ。自明だと思って深く考えずにいることを反省するいい機会になる。

夜、再び和光市の理研BSIチュートリアルに行った。今回は「emotion」というテーマで情動の研究がしたい自分としては見逃せないレクチャーだ。30分遅れで到着した。話の内容は今読んでいるエモーショナル・ブレインや同じ筆者のSynaptic Selfなどが下敷きになっていてわかりやすかった。途中から、自分がまさに考えているあたりの話が出てきて、ドーパミン作動性ニューロンのアクションポテンシャルが出まくりだった。つまり、「面白い!面白い!まさにこのことだ!まさにこのことだ!」という歓喜のシグナルが頭の中を駆けめぐっていた。久々に話を聞きながら興奮した。

何かactionを起こすときにそれを起こすかどうかを計算するモデルのようなものを考えていて、玄関でチャイムがなる、みたいなあからさまな刺激に対して反応するような場合はいいんだけど、そういうあからさまな刺激じゃ説明できない行動というものがあると思う。で、そういう行動を起こさせるのはどういう機構か?というのが構想発表会でやろうと思っている。アブストラクト(発表の要旨)を8割ぐらい書いたんだけど、何の既往研究も提示することができず、内容としてまったく重みがないものになっているのを心許なく思っていた。何か自分の考えを裏付けるようなものがあればいいのだけどと思っていた矢先だった。ちょうど、側坐核(Nucleus Accumbens)が行動のGatingをしていてそこにprefrontalやhippocampusなどが入力していて、側坐核のゲートが開くとprefrontalやhippocampasの入力が扁桃体に流れ込み行動が起こるというモデルが紹介されて、これだ!と思った。やっぱり同じようなことを考える人はいたんだ!と思って狂喜した。

それ以外にも昨日のチュートリアルの講義はとても意義深いもので、情動研究がアツイことや、情動研究でも自分が考えているような行動を引き起こすメカニズムあたりが今一番おもしろいところであるというのを確認して(というか勝手にそう解釈しただけだけど)自分は間違ってないんだ!と思うことができた。

講義の後、理研内のコーヒーショップに移動してラマチャンドランのビデオを見た。ラマチャンドランは脳科学の有名タレントであるが、この人が話すのを初めて見た。話し方はとてつもなく自信に溢れていて、アフロアメリカンが話す英語のようだと感じた。幻肢、blind sight、半側空間無視、カプグラ妄想、SeizureによるSchizophreniaのような幻惑。どれも本や授業で聞いたことがある話だったが、映像でみるとやはり新鮮だった。特に、blind sightとカプグラ妄想の人を映像で見ることができたのは良かった。

今日は珍しく早起きした。ゴミをだせた。洗濯した。お昼は駅の反対側のAmeya食堂というところで食べた。ここはいつも行こうと思うと閉まっていて中に入ったのは今日がはじめてだった。鶏肉のマスタード焼をたべた。おいしかった。かなり丁寧に料理されていて、味付けもかなりセンス良く、気に入った。例えば、最初に出てきたサラダのドレッシングにほんのり生姜が混じっていて、レタスの上に乗っている豚肉の細切りと絶妙に合う。おいしかった。

これから大岡山で英語の授業だが気乗りしない。

■2007/1/8 月曜日

人形町BROZERS、有楽町やきとり

石川とM1会議を開催した。来るべき17日の構想発表会にむけて、「どうする?!」会議。人形町で待ち合わせた。BROZER'S。雑誌で見た大きくて生唾もののハンバーガーを食べに行く。オレはアボカドバーガーを頼んだ。おいしかったです。

石川の問題意識について議論。強化学習のTD法のようなものと、Temporal Discountの未来の意志決定の話。それらは数学的におなじなのかどうか。そして、hidden figureが見えたときのようなOne-shot learningは強化学習で語ることができるのか。オレはできなさそうだと思ったのだが、石川の説によるとどうもできそう。そして、強化学習におけるOne-shot learningのようなものがTemporal Discountのような未来の意志決定に関してあるだろうか?という話。オレは懐疑的な立場で、議論は座礁気味になった。

店をでてぶらぶら歩きながらまだ話す。何となく銀座のほうに歩き、有楽町まできてしまった。波動関数の収縮とhidden figureが何かわからなくて悩んでわかったときは似ているじゃないか。いや、違う。自由意志はあるのか。方程式で書けることと未来が記述できることは違うとか同じとか。カオスが未来を決定できないのは初期値が決められないからだ。月を見ていないときは月は存在しない。実存主義だっけ?云々。歩いてると体が冷えてしまったので、暖めるために一杯ひっかけようとやきとり屋に入った。

未来になるほど価値が下がるものの反対で未来になると価値が上がるものはないか?という石川の問いに二人とも沈黙してしまった。オレはそもそもそういう問い方が変だと言ってあまり話がふくらまなかった。自発性とはなにか。結局、無作為な状態から作為に遷移するときの具体例を挙げないと話にならない。具体例、具体例、・・・。そんな感じで話が前に進まず、二人とも黙り気味になってしまった。

家に帰ってみると、高校浪人時代の塾の恩師の一人が結婚するとの報を受ける。オレの友達も二人ぐらい結婚する人がいるし、もう結婚して子供がいる人もいるし、自分もそういう年になったんだなと思った。いつの間にかそんな年齢になってしまったことだよ。

昔の友達に連絡をとったりして、自分のいる文脈とは全然違う文脈にいる人が大勢いるんだということを思い出した。オレの今の人生は数ある選択肢の一つでしかなくて、他のものになる可能性も捨てるほどあって、そして、実際今の人生以外は捨てたのだと思ったら、なんだか不安になった。オレは東工大の大学院で脳科学をやっています。だから何だ?オレは何者でどこに向かっているんだ?わからない。何者でもない。この先どうなるか、プランはないし、ビジョンも大してない。

■2007/1/7 日曜日

アブスト、自由が丘

すこし、構想発表会用のアブストを書く。A4一枚という分量は大した量ではないが、果たして、価値のあるものが書けるだろうか。

東横線沿いに済む二人のボーイスカウトの先輩たちと飲み会をした。@自由が丘。年単位で久しくあっていない先輩方だった。ローバー隊の登録費を回収させていただいた。普段友人と話さない話題ばかりで盛りあがった。この先輩方と一緒にスカウト活動をした頃は遠くなりにけり。

■2007/1/6 土曜日

名簿決算予算、炭水化物ダイエット

オレはこれでもボーイスカウト越谷一団ローバースカウト隊の隊長である。であるからして、年度末の活動報告・計画、決算・予算書類作成と新たな隊員名簿作成の任務がある。うちの団は年度の切り替わりが12月と1月の間だから、本当は昨年の12月の時点でほとんどできていなくてはならないのだがいかんせんほとんど手つかずで、今日はその作業をずっとやっていた。丸一日やっても終わらない。慣れないことだからだと思う。

予算と決算というものに全く馴染みがなくて、よくわからない。去年の資料を参考にするとたかだか10行ぐらいの表を書けばよいのわわかるのだが、いざ書こうとすると「うーん」と唸ってしまう。項目は同じにしても金額は真似するわけにはいかないわけで。うーんうーんとまだ悩んでる。

名簿作りも難航した。名簿作りは年が明ける前に着手したのだが、なかなか連絡がつかないひとが多く、一度頓挫した。今日はなんとかあと一人のところまでこぎつけることができた。今年度はもっと連絡が取りやすいような体制をつくろう。

活動報告は報告することがない。ローバー隊として何か活動したことはないから。ぐあー。今年は、何か、やろう。何かひとつでも。そう思いつつ昨年度は終わっていったのだが・・・。

炭水化物ダイエット中です。醜すぎる贅肉をなんとかしたい。炭水化物である米やパンはあまりとらないように心掛けている。オレはそもそも米が大好きなのと、食費を節約するために米ばかり食べていたせいで、炭水化物は摂りすぎだったと思う。炭水化物(つまり糖)は細胞にとって何よりのエネルギー源であるが、一方で余剰だと脂肪に変わってしまう。オレのこのお腹の脂肪はきっとこの余剰な炭水化物でできたのだろうと思うのだ。生化学をやってから糖分をとらないことには抵抗があった。糖分がない状態は細胞にとって大変危機的な状態なのである。細胞は糖分がないと仕方なく糖新生という脂肪から糖をつくりだす反応をする。これがものすごく効率の悪い反応なのだが、背に腹は代えられない。しかし、脳の細胞はこの糖新生反応ができないので脳という臓器にとって糖分の欠乏は致命的なピンチなのである。そういうのを知ってしまうと糖分を控えるのは怖くなってしまう。が、まあ気が変わったのだ。

電気代、水道代、電話代の領収書をみてちょっとたじろいだ。電気代が跳ね上がってる。12月に入って一番少なかった時期の1.5倍以上になってる。やはりエアコンと電気カーペットの両方を使っているのが響いたのだろう。電気カーペットはそんなに電気代かからないと思っていたのだけど、わりとかかるんだな。部屋にいる時間が長くなったのも電気代が上昇した理由のひとつだろう。なるべく節約せねば。それにしても、今年の冬は暖かいですね。まだ例年の11月下旬ぐらいの寒さな気がする。

広告をグーグルからアマゾンに変えてみた。表示が遅いけどこっちの方がでてくるものが面白い。またマウンテンバイクに乗りたい。


■2007/1/5 金曜日

メキシカンハット構造、豚旨辛焼き

「MATRIX revolutions」はデジャビュを感じまくりの3時間だった。いろいろ思うところはあるけど、こういうところ(all Cinema online)に書いてある感想でほぼ網羅されていると思うので敢えて書かない。ただ一つだけ、日常の風景がむしろ不気味な違和感の漂う非日常の世界に見せる手腕はすごいと思った。

これを作った人たちはよく頑張ったと思う。ただやはり、世界に新しい何かを付け加えたか?という意味では第一作以外はダメだったように思う。そういう意味では第一作は類い希な作品だったと改めて思う。もう一度見たくなった。

今日は博士論文公聴会。柳川さん、恩蔵さん、小俣さんの晴れの発表会である。これが博士号をとる上での最後の関門である。一人発表30分、質疑応答30分のたっぷりとした時間のなかで行われる。その様子は茂木さんのブログに書かれると思うのでそちらを参照してください。

今回、柳川さんの発表を聞いて、やっとこの人がどんな研究をやっているのかわかった。すごく面白そうなことをやっていたんだ!と思った。single-state hypothesisとatractor-state hypothesisのどちらが自発発火を説明するか?up state, down stateはどうして遷移するのか?メキシカンハット構造の仮定とsynaptic depressionの条件を入れることでパッチ状のニューロン群の発火が動き続ける様を再現。スモールワールドネットワークと同期性。なかなかに見物だったように思う。特に、スモールワールドネットワーク性をかなり踏み込んで議論していたように思えて感心した。

終了後、博士号取得のために必要な書類にサインをしてもらっている三人の図。この光景がまさしく幸せそのもののような気がして思わず写真を撮ってしまった。まだ冬だけれど部屋は暖かくて、長い苦学の末にいよいよ外に巣立っていくの図。その雰囲気の暖かさや多幸感、穏やかさがたまらなく幸せそのものという感じがした。一人で馬鹿みたいに、感動的である事よ、とジーンとしてた。

みんなですずかけの憩いの場「てんてん」に移動して天ぷらを食す。ビールで乾杯し、日本酒に移行した。昼なのに。頼んでいいよといわれたので平目のお刺身を頼んでみた。おいしかった。てんてんはおいしいお店です。

夜は豚旨辛焼定食を食べた。(渋谷の)TSUTAYAでブレードランナーを借りた。


■2007/1/4 木曜日

reloaded

実家から菊名に戻ってきた。電車の中でずーっとエモーショナルブレインを読んでいたが、一章は進まず。今は記憶と情動の話。declarative memory。情動の記憶、情動経験の記憶。側頭葉切除。海馬と扁桃体。複数の記憶システム。

何かまた映像が見たくて、軽く映像中毒になってる。映像には中毒性があると思う。近所のTSUTAYAをうろうろして、「MATRIX reloaded」を借りた。第一作は映画館で見た。第二作、第三作は見てないままだったし、今日の気分にちょうどよかったので借りた。第二作をさっき見終わった感想は、楽しめたけど苦笑する部分が多かった。やはり途中で終わられると続きが気になるもので、第三作「MATRIX revolutions」を更に借りにいってしまった。これから見ます。

そういえば、オレはスターウォーズを見たことがない。どれ一つとして。そんなことを茂木さんに言ったらものすごく驚かれた。茂木さん以外の人も同じように驚愕していた。で、見よう見ようとは思っているのだが、ビデオ屋に行くたびに「今日はそういう気分じゃないな」と思って借りずにいる。次は借りられるだろうか。

最近、英語の勉強をする意欲が全然わかない。どうしたものか。明日は朝早くから(といっても9時だけど)学校に行かねばならない。大丈夫だろうか・・・。

■2007/1/3 水曜日

6章、テレビ三昧

ルドゥーのエモーショナル・ブレイン、一日でたった一章読み進んだのみ。今日一日何もしてないのに。一日中テレビがついているのでそっちに何度も気を取られてはかどらない。次からやっと7,8,9章。いよいよ情動のおいしいところに入るのだと思う。

以下、メモ。報酬系と古典的条件付けは同じ学習機構(強化学習)なのではないか?結果の符号の向きはともかくその強度に応じてシナプス結合を強化させている?視床、皮質、海馬から扁桃体へのconvergenceな入力。例えば、扁桃体中心核のシナプスをレセプターの種類ごとに染めわけるとどうなるか?(まさにFISHみたいなことをすればいい?)

今日はこの三が日の中で一番テレビを見ていた時間が長かった気がする。もやもやさまぁ〜ずという番組をなんとなくみてしまった。ぬるい感じがみてて心地よかった。ハハの好きな古代エジプトのテレビ。番組中で流れるBBCのドラマがかなり秀逸。深夜に茂木さんがテレビに出ていた。内村ノーベル。そのあとシャーロックホームズ。これもBBCだった。BBCは本当にいい仕事をすると思った。日本のテレビなんてファックだ。チャラタレみたいな知性のかけらもない輩に金がいってしまって、質のいい番組を作るために金がまわらないんだろうなと思う。金の問題だけじゃなくて、そもそもそういう”良質”なものを作る力がないのかもしれない。ま、たまには良質なものもあるのだけれど。

昨日は寝る前に石川から借りた柴崎友香の「きょうのできごと」をすごい勢いで読んでしまった。かなり秀逸な作品であることは間違いない。いろいろ書きたいがもう寝る。

■2007/1/2 火曜日

エモーショナル・ブレイン、土星人

ジョセフ・ルドゥーの「エモーショナル・ブレイン」を読んでいる。

確か、去年の6月頃買って、真剣に読み出したのは12月で、今やっと5章まで読み終わった。9章まであるので、まだ半分である。以前、ガザ二ガの「Cognitive Neuroscience」のemotionの章を読んだときの理解がいくらか補強された。情動を方向と大きさというようにとらえる考え方とか、基本的情動という考え方、辺縁系仮説、逃げるから怖いのか、怖いから逃げるのかという大論争、キャノン、バード、ペイペッツ・・・。やはりこれからは情動研究の時代ですよ、と思う。

家に細木数子の本が転がっていた。ハハが買ったようだ。生年月日から計算するとオレは土星人らしい。しかも各なんとか星人にはプラスとマイナスという属性があるらしく、プラスだった。そして、土星人のプラスで戌年だと霊合星人というらしい。なんのこっちゃ。なんかここまで知るとオレの運気とか運命とかそーいうのはどうなんだ!と気になってくるのだが、転がっていた本は「天王星人の運命」らしく、どうもハハは天王星人らしい。天王星人の本では土星人の性質はわからない。

というわけで、「細木数子 土星人」でググってみた。
土星人の運気霊合星人

土星人は「孤独な世界に住む理想主義者」らしい。あったってるような気がすると、でもなんかそんな救いようがないほど孤高でもないと思うのだが。また、霊合星人についてのを読むと、何やら複雑らしい。結局オレはどーすればいいいのだ。

人生には気をつけねばならないことが山ほどあるわけで、その全てに対処しようとしても中々大変でリソースの無駄でもある。そんなときに、占いは「今日はこれを気をつければいいんだ」っていうのがあれば、大量のエネルギーを注意に向ける必要もなく、また、何に限りあるエネルギーを振り分けるかという悩みにエネルギーを浪費するのも回避することができるわけで、そういう風に占いと付き合うのがいいのではないか、と思っている。

しかし、あのオバサンの占いは大袈裟だね。ダイサッカイがどーとかなんだか物騒だね。今年は運気がこうで、相手はなんとか星人でとそれに対して気を遣うだけで一日終わってしまいそうである。こんな胡散臭いもの気にしないもん、とか思っても、やはりなんかうしろめたく気になってしまうのが人のサガである。きっと、何かしらの真実はあるのだろうとは思う。最後には忘れてしまうんだけどね。

■2007/1/1 月曜日

二度目の掃除、若き数学者のアメリカ

年が明けた。年賀状が一通も来なかった。オレは孤独な晩年を迎えるのだろうか。一通だけ来たんだけど、それは、卒業した高校から毎年届くやつでカウントしない。

アンドレ・マルローの「芸術とはアンチデスタンである」という言葉が気になっている。何年か前、授業で聞いた言葉なんだけど、これがどういう文脈で言われたのか、気になっている。

また実家の自分の部屋を掃除した。これでほぼ捨てるべきものは捨てたと思う。次は本の整理をしよう。ねずみはまだ出る模様。親父と掃除中、壁に穴が開いているのを発見し、セメントで埋めた。

実家は暖かくて、飯がたんとあって、ぬくぬくしていられる。もらいもののワインをほぼ一人で開けてしまった。山梨産の白ワインなのだけど、舌触りがばしゃばしゃで味が薄い。こりゃダメだと思ったが、味が薄いぶん飽きが来なくて、本を読みながら飲んでいたら空にしてしまった。

昨日は国家の品格を読んだわけだが、今日は「若き数学者のアメリカ」を読んでしまった。これで藤原正彦さんの本は4冊目ということになる。別にファンというわけではないつもりだったが、やはりファンになったかも知れない。藤原さんがアメリカに2年間留学していたときのエッセイである。出版された年代をみると初版は昭和52年でオレの生まれる5年前だった。これは文庫だからもともとの出版はもっと前だろう。

格別薄い本というわけではないが、読みやすくて面白く、つい一気に読んでしまった。さして時間もかからなかった。読みながら「これは映画にするにはちょうどいい」と思った。この人の文章には正統的な日本の文体が残っている、と思った。どんな出来事に接し、それに対してどう反応し、そしてそれを日本語でどう表現するか。それを今、文体と呼んでいるんだけど、いわゆる日本の古典といわれる様な作品を読んだときに感じる”匂い”と同質のものを感じた。きっと藤原さんはきちんとした「日本式の」教育・躾けをうけ、日本の作品を文学を良く読んだのだなと思う。

読みやすかったのは藤原さんがこれを書いた頃の年齢と今の自分の年齢が近いからだろうと思う。感受性や直面する悩みなどに対する反応が似ているのだと思う。同じく海外に留学した時のエッセイ「遙かなるケンブリッジ」よりはるかに読みやすかったのは、オレが未熟なせいなのかも知れない。

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