log 2007. May.

フェムトセカンド

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下に降りるほど古くなります。

■2007/5/30 水曜日

メモ

読んだ本***
5/28 「図説心理学入門」斉藤 勇

観た映画***
5/29 「ボラット 栄光なるカザフスタンのためのアメリカ文化学習」
5/28 「COMANDANTE」

■2007/5/30 水曜日

HP経由メール

会社のウェブサイトを見てメールを送ってきてくれるということが、立て続けに3件あった。親父の話によるとウェブサイト経由での注文・問い合わせは月に5件ぐらいあるらしいが、そのほとんどが電話で来るらしく、メールでは1件ぐらいしか来ない。電話できた注文についてはオレは感知できない。なので、あまりウェブサイトが売り上げに貢献しているという実感はわかないのだが、こうして立て続けにメールで注文がくるとそれが実感できて嬉しい。

でも、なぜ急に増えたのか?検索エンジンにより高く評価されたのだろうか?と思ったのだが、アクセス解析を見てみても、これまでとあまり変わらないアクセス数だった。ということはたまたまということか。おそらくメールが来る頻度はポアソン過程に近いと思うのだが、たまたま確率の低い短時間に何度も事象が起こる場合にあたったのかも知れない。

電話で注文・問い合わせが来ても担当者が不在だったりして即答できないことが多いので、ウェブサイトにはできるだけメールで問い合わせてもらうよう書いてあるのだが、なかなかその誘導には乗ってくれないようだ。いちおう、メールを送りやすいような仕掛けにはしてあるつもりなのだが、うまくいっていないのだろうか。

■2007/5/29 火曜日

ボラットを観た

本郷で授業。心理物理学の話。これを聞いてやはり脳科学は面白いのだと思ったが、問題は自分のやっていることがその面白い部分に接続できていないということなのだと気付いた。

授業後、上野に行く。丸井でズボンを一本買った。高かった。いままで買ったズボンの中で一番高かったと思う。年に数回しか服は買わない。それも大抵は持っている服が擦り切れて穴が開いたりして、どうしようもなくなったときばかりだ。だけど、服一着当たりの単価はわりかし高くて、だから年間の服飾費は人とあまり変わらないかもしれない。あまり安い服は着る気がしない。贅沢からそう言っているのではなくて、安い服だとディテールが満足いかないからだ。ディテールが満足いかないと着心地が悪くて嫌になってくる。あるいはそういうことを言うことが贅沢なのだろうか。

その後、渋谷でまた映画を観る。二日連続。

「ボラット 栄光なるカザフスタンのためのアメリカ文化学習」

いやあ、笑った。

ニューヨークの地下鉄で、カバンを持ち上げたらフタが開いてしまって鶏が飛び出すとか(なんで旅行カバンに鶏はいってんだよ!)、道行く人誰彼構わず(自称)カザフスタン式挨拶(両頬にキスする、男限定)をしようとして本気でいやがられたりとか、ホテルのエレベーターに案内されると「小さいけどいい部屋だ」と言って荷解きを始めたり、便器の水で顔を洗い出したり、そういう「普通」のギャグセンスはかなりよい。

だけどボラット演じるサシャ・バロン=コーエンはそんなギャグ映画を作りたかったわけではないわけで、こっちが観ていて「ヒー」と肝が冷えるほど恐ろしいことをやってのけたりする。アメリカ南部の愛国主義者ばかりのロデオ大会会場でアメリカ国歌のメロディーに乗せてカザフスタン国歌を歌うシーンは大ブーイングの嵐で、観てるこっちが恐ろしかった。後日談によると、激怒したロデオの出場者たちうが馬に乗って撮影隊のバンを取り囲み、リンチを要求するという出来事が起こったとか。

すっごく笑えるんだけど、終わった後は何やら後味が悪いのはそういう理由。

ちなみに、ボラット演じるサシャ・バロン=コーエンは自閉症の研究で世界的に名高いサイモン・バロン=コーエンのいとこにあたる。

そろそろ髪を切りたい。

■2007/5/28 月曜日

渋谷ぶらり

斉藤 勇、図説心理学入門を読み終わった。脳科学の勉強をはじめてからずっと心理学のことが奥歯にひっかかった食べ物の残りカスみたいにずっとひっかかっていた。一冊読み終わってそれがやっととれた。特に目新しいことはなかったのだが、心理学の得体の知れなさは晴れた。

渋谷をぶらぶらした。映画が見たくて、シネマライズとユーロスペースに両方行って、ユーロスペースでやっていた「COMANDANTE」を見た。

以下、ウェブサイトからの転載。
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=83
http://www.alcine-terran.com/comandante/
アメリカが上映を拒絶した問題作

アメリカ社会の権力構造とメディアの暴力に取り組んできたハリウッド屈指の“社会派監督”オリバー・ストーンが自らインタビュアーをつとめ、アメリカと国交を持たぬ隣国、キューバの最高指導者であり、20世紀最後の革命家フィデル・カストロに真っ向から挑む、1対1の真剣勝負。同志チェ・ゲバラとの悲しい別離や、一触即発の緊張が全世界に拡がったキューバ危機の真相、そして謎につつまれた私生活に及ぶまで、穏やかだが時には批判的で容赦ない質問を投げかけるオリバーと、ナイキやハリウッド映画『タイタニック』が大好きなどお茶目な一面を見せつつ、ある時は真摯に答え、またある時はうまくかわすカストロとの会話の攻防。この長時間にわたる密着取材は2人の間に確実な親近感を作り出し、半世紀にわたる政治の変動と戦いつづけてきた「ちいさな強国」の指導者の素顔が今はじめて世界に向けて映し出される―

世界各国の映画祭で上映されたにも関わらず、アメリカ本国での公開が禁止された。それは、アメリカ政府にとって「不快」であり「批判的」であるという理由であった。

スペインのTV局がオリバー・ストーン監督へ、フィデル・カストロのインタビューを打診したことから、このプロジェクトがスタートした。カストロは「いつでも撮影をやめることが出来るなら」という条件の下、このインタビューに同意した。製作チームは30時間以上にも亘りインタビューをおさめたが、カストロはただの一度もカメラを止める要請はしなかった。2003年1月のサンダンス映画祭にてプレミア上映され、その後もベルリン国際映画祭をはじめ数々の映画祭にて上映されたにもかかわらず、アメリカ政府の「検閲」によってアメリカでの上映は禁止された。 2006年7月、フィデル・カストロは病に倒れ、現在政治的権限を暫定的に弟のラウル・カストロ第一副議長他に引き渡している。

オリバーストーンとキューバの議長フィデル・カストロの一対一の対話。 カストロがかっこよすぎる。 この人が頭だったら、ついていっちゃうかもしれない。 オリバーストーンはとても良いインタビュアーで 鋭い質問をバシバシ。 畳み込むような、挑発するような、誘導尋問のような質問を敢えてする。 それにカストロは一切はぐらかすことなく、フルスイングで打ち返してゆく。 そこにはごまかしがない。 そして、インタビュアーも予想しないような豊穣さで答えが返ってきたりする。カストロの言葉はいちいち誠実で正確で明晰だった。 宝石のような言葉がいくつもこぼれ落ちていた。

映画を観た後、再びぶらぶら。鼻炎の薬を買った。渋谷のその店で以前買ったことがあって、それが自分の体に合っていた。他の薬局ではその薬が売っていなくて、それに似ていそうな薬を自分の独断で買っていたのだが、はずればかりだった。そんな経緯をその店のおばさんに話すと、いろいろ教えてくれた。普通の鼻炎薬、この鼻炎薬、オレが適当に選んで買っていた鼻炎薬、3つは違うものだった。それにしてもそういう違いをよくわかったわね、と感心された。最後に、暖かいものを食べなさいと言われた。

さて次はどこにむかったものだろうか。

■2007/5/27 日曜日

色眼鏡だって構わない、今は

土日と実家に帰った。居間でインターネットができるようになって、家族の在り方が少し変わった。コミュニケーションが増えて、みんな明るくなったのではないか。

ブログは手紙である、というのがオレの持論で、家族の間や何人かの友達の間ではまさしくそのような役割をしている。ブログはコストがゼロで時間的な遅れがなく、同時に空間的な制約もない。さらに書く相手や内容が手紙のように決まってないから曖昧で、より自由度が高い。物理的制約からかなり解放されているのだ。その人が元気でいるか、がんばっているか、悩んでいるか、苦しんでいるか、伝わってくる。どこにいたって、すぐそばにいるのと変わらない。それぞれがそれぞれの場所で、その力を発揮して前へ進めばいい。

昔のひとは、今より全然頻繁に手紙を書いていた。今の人が他者に対して冷たくなったなんてことがありえるだろうか?並大抵のことじゃなきゃ、人の営みは変わらないはずさ。

実験データをいじる。自己相関の図を作った。結果は結果であり、それをどう解釈するかは自明ではない。解釈を行う枠組みはどうしても必要で、それに関してはオレはまったく無考えだ。ちなみに枠組みは色眼鏡の別名。

夜は新横浜でイタリアンを食べた。タコとセロリのサラダ、揚げ物盛り合わせ、マルゲリータピッツァ。食後にカプチーノの飲んで、完璧な晩餐となりけり。

いま読んでいる本を今月中に読み終りたい。

■2007/5/25 金曜日

没った

オープンハウスのポスターは見事に没にされてしまった。口惜しい気持ちが半分、ああやっぱりなという気持ちが半分。前回のオープンハウスってどんな感じだったんだろうと思って、メーリングリストの過去ログを探ると、2005年の前回はM2の学生はいなくて、その前の2003年の回はちゃんとポスターを作って発表していた。なんなんだろうこの差はと思わずにはいられない。

「君が一番よくわかってるはずだよ」「世の中なめちゃいけないよ」そういわれて笑っちゃうほどその通りだと思った。

■2007/5/25 金曜日

似顔絵

両親のリクエストにお答えして、関根さん作、野澤真一の似顔絵。

■2007/5/24 木曜日

A0ポスター

2年に一度開催されるソニーCSLのオープンハウスが来月あたまに迫っていて、そこで茂木研の学生も発表をする。それで今日はそのポスター作り。午前中は授業で、午後からすずかけの茂木研D部屋で作業するはずが、部屋にあるソファーでごろごろダラダラしてしまった。

ある程度イメージは頭の中にあるのだけど、ぜんぜんぼやけていて、illustratorの画面にただ「自発性」と書いたきりまったく進まなかった。二度居眠りしてしまった。居眠りの合間に専攻の事務の方と少しお話をして、それからM1の加藤さんともぐだぐだしゃべって、やはり進まなかった。結局、二度目の居眠りからさめたらもう真っ暗で、それで諦めてすずかけを後にする。夜八時。

帰りは新横浜駅で途中下車して、ビックカメラによってプリンターのインクを買って、そこから歩いて菊名まで戻る。このまま帰ってしまってはまずい!と思って菊名駅前のジョナサンに入って作業を再開。そしたら、思いの外はかどった。どうしようかなーと悩む一方でやりたくねーという感情もあったのだが、やりだしたら興に乗ってきて楽しくなった。

こう書くと、昼間のダラダラしていた時間からもっと身を入れて作業していればもっと早く終わったはずだと思われるかも知れないけど、そうは思わない。やはり、あのダラダラの時間があったからジョナサンに入ってからはかどったのだと思う。端から見たらきっと何もしていないように見えるのだと思うけど、そうではないのだ。頭の中では何かがじわりじわりと進行していたのだ。

■2007/5/24 木曜日

ヒットエンドランのように

久々に頭が十全に働いた。ヒットエンドランのように、ある思考が次の思考を生み、スコンスコンスコンと物事が進んだ。これが本来の自分なのだ。この明晰さがあれば、どんな難問題だってしつこく考え続けて解決してみせるのに。そう思える。

昨日の日記に書いた履修申請し忘れの科目と文献取り寄せサービスの件はどちらも片付けた。必要な書類を耳をそろえて出してきた。

申請し忘れた科目の追加登録の書類をN先生に持って行ってサインをしてもらうように頼んだらこう言われた。「こういうことをしてるとね、社会的信用を失うんだよ。笑い事じゃなくて。」思わず片膝をついて傷口を押さえたくなった。突然ビンタをくらったみたいだった。

それでも落ち込むまい、この人を憎むまいと思った。そういう感情を生じさせてそれに身をゆだねてしまうのは、おそらく合理的な反応ではない。それでもしばらく立っているのが精一杯、みたいな気分だった。

午後、最後のカンデル輪講。オーガナイザーの須藤さん、お疲れ様でした。須藤さんには花束ぐらいあげてもよかったんじゃないか。みんなで祝杯をあげてもよかったんじゃないか。それぐらい須藤さんはとてもよくやってくれたと思う。輪講の運営の仕方で何度も意見は衝突させたけど、それでもあの輪講を仕切ってくれたことに対してはとても感謝しているし、敬意を感じる。これから博士号取得に向けて大いにがんばってほしい。オーガナイザーという大荷物を降ろしたのだから、きっと立派な仕事ができると信じています。

自分が自発性にこんなにこだわっているのは、それが自分が小さい頃からいやだなあと思っていたことだからだ。小学生の夏休みは毎日ゴロゴロしてテレビばかり見ていて、親父によく怒られていた。小さい頃の夏休みの記憶は、そんな風に親父に「寝てばかりいるんじゃねえ!」と怒られている記憶ばかりな気がする。そんな風に寝てばかりいる自分は嫌だったけど、でも何をしたらいいかわからなくて、何も出来ない自分が嫌だった。ずーっとそういう思いをひきずっていたのだと思う。

だからなんとか自分で動きだそう、自分の考えで動こう、自分から何かをしようと必死で自分で自分の尻を叩いている。昔の自分だったら理研のサマープログラムやガクシンに応募するという行動は起こせなかった。きっと、「出した方がいいのかなあ、でもめんどくさそうだなあ、どうせ受からないよなあ」という風にぐだぐだ悩んで、結局出すか出さないかの決断すらしないうちに期限が過ぎていったと思う。学部生の頃はそれに似たような思いをすることが多かったし、もっと何もわかってなかったし、そして幼稚だった。

自分で動いてわかるのは、動きに対する抵抗力が二種類ある。ひとつはあからさまに人の足をひっぱる場合。それは意見が対立してたり、嫌がらせされたりという場合で、そういう風に抵抗力を受けることはあまり多くない。よくあるのはむしろ何もされない場合だったりする。何もされないというか自分のアクションに対して何の反応もない場合。何の反応も無いことがなぜ抵抗になるのかと思われるかもしれないけど、無反応だとすごくやりずらいのだ。それがわかるようになった。周りに対して気を遣う人ほどその抵抗力は大きいのだろうなと思う。一人で勝手にやってる人ほどそういう抵抗は小さい。それで最近は一人で勝手にやるようになってしまった。

そういう風に思うようになって、誰かがアクションを起こしたときは、ともかく何かしらのリアクションをしてあげるよう心がけるようになった。もっとはやくからそうしなかったことが悔やまれる。自分の無反応さが過去にどれぐらい人を傷つけていただろうか。

今オーストラリアに行っている恩蔵さんが最後のゼミで話してくれたことのひとつも「自分からアクションを起こそう」ということだった。その話を聞いたとき、「恩蔵さんも必死で考えて行動して、傷つきながらも前進して、そんで今ここまで来たんだなあ」と思ったら、すこし泣けた。

いまオレの目はきっとギラギラしてる。理由はわかっていて、苛立つことが多いからだ。気にくわないことが多い。せいぜいその苛立ちをエネルギーに変えて一人で勝手に突っ走ろうと思う。どこかで痛い目に遭うならそれはそれで構わない。

家に帰ってきて、買ったばかりの「Biological Psychology」という本をぺらぺらめくった。ガクシンを出し終えて、久々にそういうことをする余裕ができた。これは英語で書かれた教科書だ。とりあえず絵だけ眺めながら全ページに目を通した。この教科書、かなり良い。こういう風に表現した図が見たかったんだよ!という図がいくつかあった。カンデルで神経系の解剖学と細胞生物学を割とやったわけだが、ここのところ生理学の知識が足りないのじゃないかという思いが頭をかすめていた。アクションポテンシャルや神経伝達物質や興奮性か抑制性かということだけじゃなくて、もっと脳に限らない内分泌系やホルモンの働きなどもおさえなくちゃダメなんじゃないかという気がしていて、この本は生理学的な記述がけっこうきっちりしている。これはいい本を買ったかも知れないと思った。

■2007/5/22 火曜日

ガクシンが終わった。すぐ次にかかれ!

ガクシン提出期限の最終日、午後3時ごろ、なんとか提出できた。提出期限に余裕があるなら書類に不備があってもあとから知らせてもらえるが、もうあとがないので、完璧にできたことを祈るばかり。ぞくぞくするほど面白い研究テーマのような気もするが、妄言を振りかざしている気もして、勝算がどれぐらいあるかなんて読めない。これだけ苦しんだんだから少しは何か報酬があって欲しいものだが、そんなものはなくて、1か0か。結果は11月頃わかるらしい。それまでキレイさっぱり忘れていようと思う。

こんなにも時間がかかったのが悔やまれる。ASSCに行くための宿と航空券を確保する作業をする余裕が無くて、今日他のメンバーがやっているのに便乗させてもらう形になってしまった。情けない。オープンハウスで発表するためのポスターの作成もまったくできていなくて、今日が期限だったのだが間に合わなかった。仕方なく二日後に再度期限を設けてもらった。頑張らねば。

授業の科目登録に不備があったのでそれを修正するための追加書類を書かねばならない。文献申請サービスの利用期限が切れているので再申請しなければならない。特に前者は死活問題で、これをミスるとM3までいることが確定してしまう。理研に返送する書類の期限も迫っている。ASSCも迫っている。

体調さえもっとまともならと悔やまれてならない。治ったと思ってもゆりもどしが来たりしてなかなかコンスタントにがんばれない。体調の善し悪しでこんなにも生産性が左右されるなんて、考えてみれば当たり前だけど、忘れていた。こんなのろのろペースは自分じゃない。走れ走れ。

■2007/5/20 日曜日

Javaと文体の精度

タイトルに特に意味はありません。

後輩が課題で困ってて、一緒になってプログラミングをやった。それは後輩の書いたプログラムを修正していくという作業だったんだけど、それをしていたら自分でもプログラムを書きたくなってしまった。それで菊名から実家に帰ってくる電車の中で夢中になってやって、越谷に着く頃にできてしまった。その成果がこの図。

いちおうどんなプログラムか説明を書いておく。自発発火する5個のニューロンがあって、それがそれぞれ独立に確率0.006で発火する。その5個のニューロンの発火はひとつのニューロンに投射していて、そのニューロンの活動電位をシミュレーションするというプログラム。発火している入力細胞の個数に応じて出力細胞のコンダクタンスは変化し、発火している細胞が多いほどその出力細胞の電位上昇は頻繁に起こり、電位が閾値を超えると発火する。グラフ中のピーンと細長く高く伸びているのが発火した時で、その直前のギザギザした部分が入力細胞からの入力を表している。電位変化はホジキン・ハクスレー方程式を離散化したもので計算する。

この課題はオレも去年やった課題だ。そんな過去の経験はあったものの、それにしてもこのコーディングにかかった時間の短さはなんだ!とびっくりしたし、うれしかった。後輩がJavaと格闘してヒーって言ってるのを見て、その苦しみが手に取るようにわかる。まだインスタンス化を理解してないとことか、関数に引数を渡すことを知らなかったりとか。でも去年の自分よりは飲み込みははやいみたいで、今回の課題をJavaで書いているのがすごい。去年の自分はJavaでは書けないからCで書いたのだから。Javaをそれなりに書けるようになるまでにかなり苦心惨憺した経験があるからそれで学んだことを伝えられたらなあと思う。

学振の書類やそのほかいろいろ待ったなしな感じになってきた。がんばるぞー

■2007/5/20 日曜日

ぷろじぇくた

親父はこれがほしいらしい。でも、財布の紐を握ってる人(お母さん)がうんというかわからないからとぼやいている。

■2007/5/15 火曜日

深井さん

金曜日に急に体調を崩した。金曜日のゼミはそれで休んでしまった。 それをぐずぐずと今も引きずっている。

日曜日は「ケーブルテレビが実家に導入されて、それでインターネットもそこからひっぱることにしたから、その設定をやりに帰ってきてくれ」という求めに応じて、午前中に実家に行った。設定らしい設定はほとんど必要なくて、LANケーブルをモデムにつなぐだけで済んでしまった。そんであっけなく実家を去った。せっかくの母の日だったのに何もできず。体調が悪いせいでずっとぶっきらぼうな感じでしかいられなかったので、よくなかったなあと思っている。

体調は良くなったような気がするが、クスリが効いているだけのようにも思えて油断がならない。

今日はまた東大本郷に授業を受けに行った。今日はComputational Neuroscienceをやっている深井さんで、また面白い話を聞けた。授業後もしばらく別室でほかの学生も交えて議論させてもらった。stochasticな分布の話と、bistableの話が個人的にビビっときた。側坐核でgatingをしている細胞の挙動を説明するのに援用できないだろうか?強化学習のTemporal Difference法とActor-Criticモデルの話もでてきて、それはかなり簡単化した話だったが、去年の今頃中村先生の授業で聞いたときの記憶を思い出して、すこし理解が深まった。強化学習は一度もっときちんと勉強したい。Theoretical Neuroscienceをほぼ一通り読んだという学生さん(かどうかはわからないが)がいて、すげえと思った。CSLにあるのをパラパラとめくったことがあるが、読めそうな気がしなかった。

今日の授業は質問がそれまれより多く出たが、深井さんの話はメインの受講者(のはずである医学部)の学生にはあまりぴんと来ていないような雰囲気があった。生もの系の実験をやる人にとってはそうなのかも知れないなと思った。よく文系と理系にはとても大きな隔たりがあると言われるが、物理系と生命系にもやはり隔たりがある。物理系の人は生命系のことをうさんくさく思っているし、生命系の人は物理系を机上の空論を振りかざしているように思っている。というのは言い過ぎなのかもしれないけれど、やはり少しはそういう傾向はあるように思う。物理系の面白さ・価値感・美意識にどっぷり浸かってしまうと、生命系のそれはわからなくなってしまうし、逆もまた真なり。でもそうやっていがみあっている時代は終わりで、少なくとも脳科学においては両方を解するようにならないといけない。

授業後、昼ご飯を食べてなくてへろへろで、もうどこでもいいやと思って、赤門の向かいの「バンビ」にはいった。バンビとはいかにも学生向けの洋食屋のこと。そんでごはんを食べてもまだ重たい体をひきずってさっさと帰宅。

SfNのアブストラクトを書かねばならない。全然書く気が起きない。ASSCで書いた内容と大差ないことしか書けないし、求められる字数は2300字なのに、ASSCで書いたアブストは1140字とかだった。あれを倍の分量にしなければならないのかと思うとすごく萎える。実験データの解析は以前より進んだが、その結果わかったことは二つの実験条件の間に違いがみられそうもないということ。もはや発表する価値のあることを発表できる気がしない。SfNはともかく来月のASSCではなんて発表すればいいのか。

■2007/5/10 木曜日

本郷、kandel 19、枝豆

何日か更新が滞った。過去に遡って書く。

8日(火)
東大で「神経科学入門」の授業。川人さんの授業。小脳の計算論的モデル。小脳は内部モデルを生成し、フィードバック制御とそのモデルに基づいた予想的誤差制御の両方を使って、運動を学習しているという話。モデルだけでなく、きちんとEmpiricalな議論もあって、すごいモデルだなと思った。Neuronスパイクの細胞記録だけではなく、細胞内の遺伝子発現制御、さまざまなタンパク質の作用機序やカルシウム濃度の関係までも視野に入れた研究をしていて、唸った。とか書くと「またそんなnai¨veな反応してー」みたいなことを言われてしまうかも知れないけど。でも、果たしてどっちがnai¨veなのかはわかんないよ。

川人さんの話を聞いて、システム神経科学、計算論的神経科学がどんなものかかなり具体的にわかった。計算論的神経科学の最終目標はなんだと問われたら、「いつか全ての神経細胞の活動が計測できるようになったとして、その全ての神経細胞の活動を予測することだ」と川人さんはおっしゃっていた。たぶん、自分がやりたいことはこういうことなんだなと思った。少し前からひとつの諦めが自分の中に出来ていてて、それは意識の問題はきっとオレの脳みそじゃ解くのは無理だなという予測。やはりその問題は絶対的に難しいというのがわかって、しかも自分のおつむの出来もそれに立ち向かえるほどの性能はないなというのもわかって、そうしたら、意識以外の脳の問題を全部明らかにしてしまえ!という気になった。後は意識の問題しか考えることないじゃん!となるほど身も蓋もないほどに脳に関するeasy problemを解いてしまえ!という風な気分になっている。そうしたら、もうすこし意識の問題に関して一歩前にすすめるかもしれないじゃないか。

この東大の講義はオムニバス形式になっていて、毎回講義する先生が違う。それぞれの先生にとってはその一回の講義がすべてなので、研究のおいしいところを惜しげもなくみせてくれる。毎回、スイカの中心部分だけ食べさせてもらっている感じだ。しかも、日本語でその話を聞けるのがうれしい。研究を知るためには学会で発表を聞いたり、論文を読むしか普通は手段がないわけだが、それらは概して英語でなされる。日本語で聞くとすらすらと話が頭の中に入ってくる。英語よりも学習効率は何倍も良い。はっきり言って、この授業は毎回当たりばかりだ。この授業を受けられることに感謝しよう。

東大からの帰り、湯島の方へ歩いた。本郷、湯島、上野、御徒町、秋葉原、お茶の水のあたりは高校三年、浪人、大学一年の3年ぐらいの活動の拠点になっていた場所なので、この道は何度歩いたかわからない。だけど、久々に歩いてみると、今までなかったお店がいくつか出来ていて、開拓したくなった。本郷から御徒町の方に抜ける下り坂の途中に「一片雲」という中華料理屋さんがあって、そのお店は気に入っている。「四川風ピリ辛とりそば」を食べた。ブロッコリーとかほうれん草とか鳥肉とかがゴロゴロと麺の上に乗っていて、味もしょうゆ、みそ、しおのどれでもなくて、ベースはみそだけど日本のラーメンにはない味付けになっている。幸せ。

食べた後、秋葉原まで歩いて、よさげな喫茶店があったのでそこでしばらく作業をして、それからまた歩いた。カンデル19章の全訳が終わって、気分が良かったので秋葉原から銀座まで歩いてしまった。

9日(水)
カンデルの輪講。「19章:感覚と運動機能の統合」をみんなの前で説明する。全訳およびスライドはここ。全訳を作ったわりに説明はしどろもどろになってしまった。まだ頭の中で内容がきちんと整理されていなかったのだと思う。訳したけど意味がきちんと掴めてない場所もないとは言えないし。でも、特にM1がすごく真剣に話を聞いてくれてそれはうれしかった。あんな風に熱心に話を聞いてもらえると、やりがいがあるし、もっと他のことも説明してあげたい!と思ってしまう。

次の回で須藤さんがオーガナイズする輪講は最後になるというアナウンスが正式になされた。まだ終わってないけれど、輪講を運営してくれた須藤さんの功績は大きい。だけど負担がかかりすぎているような気がして申し訳ないと思っていた。

これから輪講はどうなっていくのだろうか?なくなってしまうのだろうか?誰かが何か言い出すだろうか?オレはこれからも輪講のような営みは続けていきたいが、全体をひっぱるような仕事はしたくないし、そういう人がいないと成立しない形式ではやりたくない。輪講というのはもっと自主的な営みであって欲しい。誰かが「これを読みたい!ここを勉強したい!」と叫ぶと「ああ!オレもやりたい!」と他の人が呼応して「じゃあオレはここ!」「わたしはこっち!」という風に堰を切ったようにことが運ぶようなものであってほしい。今は輪講が惰性で動いているようなところがある気がする。一旦終了することで、より自覚的になる機会になれればいいなと思う。

10日(木)、今日
午前、すずかけ台で授業。今日は統合失調症の話。統合失調症に関わる、遺伝子、薬理学的知見、統合失調症を説明するドーパミン仮説、グルタミン仮説、セロトニン仮説、そして新しく出てきた発達過程仮説。ああやって体系的にやってもらえると、学習効率はとても良い。勉強になった。授業後、また先生と長々とお話させていただいた。いろいろ細かい点を聞くととても誠実に答えてくださるので助かる。

お昼はちょっと贅沢して、てんてんで食べた。カウンターに座ったのだが、茂木研のメンバーと来たり、ひとりでもときどきくるので板前さんが顔を覚えてくれたらしく、愛想良く迎えてくれた。(初めてののお客さんに愛想が悪いわけじゃないけど。)てんてんの天丼 990円なり。夜の仕込みか板前さんは枝に付いたままの枝豆をひとつひとつ枝から切りとる作業をしていた。その枝豆は冴えるような色つやの良さで、思わずかぶりつきたくなる衝動が込み上げた。あと二ヶ月経って、夏の暑い盛りに、あの新鮮そうな枝豆をつまみながらよく冷えたビールを飲む様を想像したらたまらなく気持ちが良さそうだった。onzoさんはもうじきオーストラリアに行ってしまって、だけど7月8日に帰ってくるって。その頃にはきっと枝豆とビールが文句なくうまい暑さになっているだろう。だから冬の南半球から7月の日本に帰ってきて、その暑さにうたれたら、まず最初にしたいことはきっと枝豆にビールだろうなと、なんの脈絡もなくそういうことが浮かんだ。枝豆とビールが待っているから、安心してオーストラリアに行ってきてね!

明日はゼミで論文紹介。統合失調症・パーキンソン病・ハンチントン病のそれぞれの患者にWisconsin Card Sorting Testをやってもらったときの成績の違いを皮質ー基底核ー視床ループの計算論的モデルをつくってシミュレーションにより再現したという2000年の論文を読む。

■2007/5/7 月曜日

輪講の存続

カンデルを読む。あと少しーっていうにはまだ早いが、でもまあ、わりと読んだ。昔の自分に比べたら格段に読むスピードが上がった。昔は一行読むたびにため息をついたりして、一行一行が砂を噛むような感じだった。全訳を作ったりしているのだが、完璧な全訳はちょっと無理かなと思う。図のキャプションや囲み記事の部分は飛ばしてしまおうと思う。本気になれば間に合うと思うけど、そこまでやる情熱はわかない。

オレがやる回と次の回が終わると、カンデルは63章あってそのうちの48章は輪講で読んだことになる。 (そのうち2回ぐらいは輪講を休んだけど。)63章から「発生」に関する章を除くと63-7=56章。残っている8章(56-48)が、睡眠、自律神経系、本能、言語、気分障害、学習の分子機構、脳と行動、遺伝子と行動。これらの章は去年の夏の合宿でそれに相当するものを別の本で読んだり、別の機会で講義を受けたりして触れたことがある。そう考えると、カンデルの内容は一通り読んだということになるのだろうか?それってなかなかすごいことじゃないか!

カンデル輪講はオレがやる回を含めてあと2回で一応区切りがつく。その区切りがついた後に、輪講がどうなるかは決まっていない。区切りがついた後、どうしたらいいだろうか?

一年前の自分は、とにかくひたすらカンデルを読んで勉強するんだ!と思っていたが、一年経ってみると、こればっかり読んでいたんではダメだというのがよくわかった。もう少し、カンデルを読んでいた時間を論文を読んで研究のことを考える時間にできなかったのか?という反省がある。

輪講はM1に基礎的なことを教えるという大切な役割があるが、果たして基礎的なこととは何なのかという疑問がある。脳科学において、シナプスやイオンチャンネルの分子生物学的な挙動は基礎的なことであるが、一方であまりにも茂木研の研究からかけ離れすぎている。脳科学をやるのなら、いちおう押さえておいてしかるべきところではあるのだが、それだけ押さえてたって仕方がない。優先順位はかなり低い方なのである。

それに、自分があらかた読んでしまったから今更読みたくないっていう心情もある。とはいえ、昔読んだ章のことはだいぶ怪しい。読んでいた当時、理解できていないところが多かったし、理解できているいないに関わらず忘れてしまっていることが多い。そう考えると再び読むことは無駄ではないのかなとは思うが。

結局、何を読むのがいいのかよくわからない。ひとりひとり興味の対象が違うので、ある人が読みたいところは、別の人は読みたくなかったり、あるところばかりに偏ってばかりだと教育的によろしくないってことも起こる。もう一度輪講の目的をはっきりさせるのがいいかと思う。教育としてやるのか、探求としてやるのか。

芸大の授業だった。芸大で、ゲストを呼ばずに茂木さんが授業をするのを聞くのは初めてだったかも知れない。千利休がやったことは、豊臣秀吉に対する批評だった、という話が印象に残っている。

■2007/5/6 日曜日

雨が洗い流す

起きたら雨だったけど、暗い気分にはならなかった。ザアザアと降るその雨音がむしろ気持よいと思った。まるで汚れを洗い流して一掃するかのような潔さと均質さがあった。

家にいると作業がはかどらないと思ったので、用はなかったがすずかけ台に行った。雨は大して苦にならなかった。

何通かメールを出して、アマゾンで本を五冊ぐらい注文して、論文を二本と学振の書類を印刷した。大したことはしていないのに、合間にネットサーフィンしたり、youTubeで動画を見たりしていたらたくさん時間が経ってしまっていた。アマゾンで注文した本はBiologicalPsychology、喪失と獲得、ベイトソンの精神と自然、アフォーダンスの本、齋藤裕さんの建築のエッセンス。全部読めるか不安だが、買わないことには始まらない。

いまは図説心理学入門と心を生み出す遺伝子を読んでいる。

明日からゴールデンウィークが終わって新しい週が始まる。この週は水曜日にカンデル輪講で担当をして、さらに金曜日にはゼミで論文紹介の担当なので、あまり暇はなさそうだ。

今日の雨は何かを洗い流しただろうか。この雨は何か象徴的な意味を持っている気がしてならない。

■2007/5/4 金曜日

レジスト完了

やっと、SfNのメンバー登録が完了した。改めてテクノロジーの偉大さを知る。パソコンに携帯電話をつなぐことでインターネットに接続して、外出先から登録操作をした。ネットワーク環境がこんなに整備されていることに感謝するばかりである。

今日は天気がよく後楽園日和だった。鎌倉を一日中見て回ってきた。長谷寺、大仏、江ノ島の裏側。ゴールデンウィークで、想像以上に人でごった返していたが、行く先々でいろいろな発見があり、印象深い景色を見ることができた。

帰ってきて、自分が写っている写真をみると、想像以上に自分の肥えている姿が写っていて、ショックをうける。そういえばゴールデンウィークで急激に肥えた感じがする。いよいよ赤信号ゾーンに突入の予感がする。これは研究どころではない!ダイエットに励まねば!という気分はさらさらない。食生活を変える気もない。やはり運動を!と思っているが、そう思いはじめて何ヶ月経つかわからない。どーしたもんか。というかこのまま行くとどーなるのか。

■2007/5/2 水曜日

締切たくさん

茂木さんの過去のクオリア日記を探したら、オレがまだ学部生だったときに茂木研のゼミに行った日の記事がでてきた。思い返せば思い返すほどその日のことがいろいろと思い出されていく。その日が初めてCSLに行った日であったこと。前日が大学院の入試の面接だったこと。道に迷って一時間ぐらい汗だくで五反田を走りまわったこと。そのときは、Journal ClubでもProgress ReportでもなくGuest's Talkであり、田中さんという方がQURIOと幼児のインタラクションについて話してくださったということ。飲み会ではじめてあさりに行ったこと。あさりで初めて石川にあったこと。Piet Hutさんに「初都 飛人」(ハット ピートというルビ付き)と書かれた名刺をもらったこと。茂木研のメンバーとはまだ全然仲良くなくて、仲良くなろうと奮闘していたはず。でも誰の隣に座ったか、何を話したかは全然思い出せない。
クオリア日記: 2005/08/03 Piet Hut再び
ちなみにPiet HutさんのWebPage: Piet Hut

CSLに行って田谷さんと話す。遅々として進んでいなかったデータ解析を猛烈にやる。いままでコーディングが遅すぎた。手動のファイル操作とPerlの簡単なスクリプトを駆使して、いくらかすすんだ。そしてあらたな新事実が発覚。ASSCでまともな発表ができるかどうか。

今の、「ボタンを押す」というタスクは、ダメすぎる感じがするのであらかた解析をやったら手を引きたいと思っている。問の立て方がよろしくないと思う。それにいまは精神疾患のモデル作りのほうがやりたい。SfNのアブストラクトはそっちで書きたいと思っているけれど、締切まで2週間もない。

学術振興会の特別研究員に応募してみようかと思う。特別研究員として採用されると研究奨励金として月額20万、研究費として毎年度最高150万もらえて、それが3年つづく。それだけにハードルは高い。何倍もある競争率の中からその資格を勝ち取らなければならない。ざっと見積もってみたら7〜8倍という倍率だった。まだろくすっぽ研究はしていないし、将来の見込みもどうなるのかわからないので、十中八九落とされるだろうが、まぐれでも選ばれればものすごい恵まれた環境になるはず。かなり大変そうだけれども、やる価値はあると思う。

そんなわけで今月は締切が目白押し。
5/ 4 SfNレジスト
5/15 SfNアブスト
5/22 学振書類締切
5/31 理研に書類返送の締切

グーグルカレンダー

ひさしぶりにパソコンから日記を書いた。

■2007/5/1 火曜日

2年ぶりのピートハット

日記を書こうとしたら、今日がもう五月であることを知ってびっくりした。

オレがはじめて茂木研のゼミに参加した日はピート・ハットさんがゲストに来た日だった気がするが、今日のゼミにもピート・ハットさんが来てくれた。

ピート・ハットさんは3Dグラフィックスによる同じインターフェイスをネットワークを介して複数の人間で共有するというソフトのデモンストレーションをしてくれた。仮想的に作った部屋の中に様々な「絵」がかかっていて、それを共有して複数の人間が同時に作業できる。例えばウェブブラウザが壁にかかっていて、そこにいる仮想的な身体をもった誰もがそのブラウザを操作できる。誰かがGoogleで検索をして、表示された結果のなかからどこかのリンクをクリックするさまがリアルタイムに見られるし、自分でそのブラウザを操作することができる。

それと同時平行でスカイプのような音声通話も可能で、既存のネットワークを介したコミュニケーションよりも遥かにリッチな情報を含んだコミュニケーションができる。

talkの後、あさりで飲み会。ピート・ハットさんが孤立したり、特定のひとばかりがピートさんと話すことになったりはしないかと気を揉んだが、思いの外いろんなひとが彼にたくさん話しかけていてくれたし、それだけじゃなくM1の旺盛な笑い声も聞こえて場は盛り上がったようなのでホッとした。

こういう時つくづく思うのが、コミュニケーション能力と英語の能力の違いで、両者は同一のものではないし、どちらかがどちらかを完全に包含するわけでもないのだ。コミュニケーション能力が高ければ、英語の能力が高くなくても笑いながら酒を飲むことができる。つたない英語を話して恥ずかしい思いをすることに堪え、何か聞き出そう、何とか話をしようとする言ってみれば神経が図太いというか覚悟ができているひとは話せたりする。いつまでも「自分は英語が苦手だから」と言って恥をかくのを嫌う人は成長しない。周りには何にでも興味をもつことができるひとばかりで、刺激になる。

少しだけ、実験データの解析が進んだ。解析するプログラムを組んで全自動でやろう思っていたのだが、なかなかそのプログラムがはかどらず、ついに手動でやることにした。もしかしたらほんのちょっと面白い結果がでるかもしれない。

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