log 2007. April.

フェムトセカンド

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下に降りるほど古くなります。

■2007/4/30 土曜日

メモ

読んだ本***
4/21 「プレーンソング」保坂和志
4/16 「浅草博徒一代」佐賀純一
4/15 「エモーショナル・ブレイン」ジョセフ・ルドゥー
4/ 3 「行動経済学」友野典男

観た映画***
なし

■2007/4/30 月曜日

グリーンバーキャンプ

今年初のキャンプに行った。ボーイスカウトのグリーンバー訓練キャンプ。実家から車で10分の場所で、一泊。グリーンバーとは班長次長という意味で、それになるのにふさわしくなるための訓練キャンプ。オレは訓練をする方ではなく、訓練させる方。オラオラおめーら、ちゃんとやんねーと立派なグリーンバーになれねーぞと怒号を飛ばす役。晴天に恵まれ、だいぶ日焼けした。

教えるのは難しい。いちいち口を出していたら子どもから考える余裕を奪うし、パニックになって腐る。水をやりすぎた植物のように。かといって、ほっておくと作業が進まない。最終的には融通無解の境地に達してほしいが、そうなるためにはきちんとした強度の訓練がいる。だが強度を強くすると脱落する恐れがある。さまざまなジレンマに直面しながら、最善と思われる方法で子どもたちに接する。

構造の再編が起きている。あるものはつながって、あるものは切り離される。新しい景色が広がる。

■2007/4/28 土曜日

時が満ちない

明日はボーイスカウトのキャンプがあるので、実家に来ている。ゴールデンウィークの前半はそれで潰れる。

学会のアブストラクト提出が再び迫っている。今度はSfNという学会である。アブストラクト提出の前に会員登録をしなくてはいけなくて、それは5/4までと締め切りが目前に迫っている。急がなきゃいけないのはわかっているが、なかなか腰があがらない。自分の中で時が満ちた感じがしないのである。

PCをゆっくり広げる時間がなく、携帯からこの日記を更新する日が続いている。

■2007/4/27 金曜日

何かが涌く前に

もう何週間も、部屋を掃除しなければ部屋を掃除しなければと思っていた。まだ肌寒い日が続くが本格的に暖かくなったら、何かがわいてでてもおかしくない惨状だった。それで、なんとか今日、掃除することができた。床が見えるまでがひと苦労だった。一年前に比べてものが増えた。掃除機をかけ、台所も一通り拭いて、ユニットバスも掃除した。きれいな部屋は気持ちよい。

昨日は、すずかけ台で授業のあと、ゼミ。移動の途中で神保町の天ぷらや「いもや」で昼食をとった。ゼミではシータ波の時を狙いうちして、学習させると年老いた場合でも若いときと同じぐらい効果があるというウサギを使った実験の論文が面白かった。でも学習っていうけど、それは古典的条件付けのことで(パブロフの犬のようなもの)、それって「学習」と言われたときにイメージするものと懸け離れていると思った。

もうひとつ、海馬から皮質に記憶が移行される際に、そのとき文脈情報も一緒に移行されるのかそれとも文脈は削ぎ落とされるのか、というそんなのわっかるわけないじゃん的なことを、マウスを使った実験で議論している論文が紹介された。苦しい議論をしているけど、最近はこういう議論に共感を覚える。

■2007/4/26 木曜日

すずかけと長津田の間

昨日の午前は大岡山で英語の授業のあと図書館ですごした。カンデルを読むのがはかどった。

すずかけに移動して、カンデルの輪講。石川の担当で18章。感覚系の神経が視床までいきそれが皮質を通って運動系の投射がはじまり、脊髄を降りていくというもの。手を叩きたくなるほどよくわかった。視床の構造がわかったのと、錐体路との対照で錐体外路に関して腑に落ちた。

帰り道、すずかけ台の駅まで来て、切符を買う段になると急に120円の出費が惜しくなった。それでひとつ歩いてみるかという気になった。すずかけ台、つくし野、長津田、と二駅。今までにない初の試み。道にはほとんど迷うことなく行けた。まったく見たことのない景色が広がるので歩いていて、楽しかった。それに登り下りが多く、ちょっとした冒険気分だった。

■2007/4/25 水曜日

雨、一限、カンデル

雨だし、眠いし、カンデルが重い。朝の通勤ラッシュもつらいっす。

昨日は本郷で授業の後、月一の建築講義だった。どっちの授業もいい授業だった。本郷の方は空間把握の話で、海馬における場所細胞の記憶と関する話ではなくて、頭頂連合野のwhereということに関するもので、agencyと絡めた議論ができるのではないかと思った。

建築の方は、日本の数寄建築の源流という話だった。真・行・草という言葉を知った。日本の歴史をどこかで割るとしたら安土桃山の本能寺の変で割ると先生は言った。法隆寺などができた当時はのこぎりがなくて、すべてノミで削っていたという。庭の池に月の光を反射させて、それを家の中に導き入れるという話など、その造りこみと「粋」なところに感嘆した。

少しプログラミングをやった。オブジェクトの配列を作るときはまず配列をnewして、それからその配列のひとつひとつに対してまたnewしてやらなければならないのを忘れて苦戦した。

しばらくやる気がでないでいたが、五月が目前に迫り、いよいよ始末をつけなければならないことが山積してきた。「To Doリスト」を作って、優先順位をつけてひとつずつ確実やっていかなくちゃ。

■2007/4/24 火曜日

モディリアーニ

昨日は、妹が暇だ暇だというので、一緒に渋谷に行ってBunkamuraでモディリアーニ展をみた。なぜモディリアーニは目をちゃんと描かなかったか。

アートのことはよくわからない。でも世間にはあれはいいこれは悪いという言説が溢れている。そういうのを読んでもわからない。自分の知らない良さを他の人が知っているとくやしい。だけどそういう二次的な情報に接したあとで、よさがわかるようになってしまうのもくやしい。アートはもっと純粋なものであってほしい。それを描かれた時代的背景とかそれを描く技法的な困難さとか、それを描いた人の動機とか、そういうものとは無関係であってほしい。作品を見たときの良さはそんなこととは関係なくわかるものであってほしい。

そんなわけで、アートはつべこべいわずに見る、という態度で見ている。これがいいとか悪いとか自分で決めつけたりせずに、またそれが有名かどうかということとも無関係に、ともかくひとつひとつ丁寧に見るということにしている。そうして、自分の心の中に自然に響いた疑問や印象を大切にすることにしている。そのうちわかるようになるだろうか。

これから本郷で授業。この頃、電車賃が馬鹿にならん。

■2007/4/22 日曜日

It's difficult to recall emotinal state consciously.

昨日の日記には「またあとで」と書いてあるが、またあとで何を書きたかったのか覚えてない。今までの経験から、「書きたいことがあるんだけど、時間がなくて書けない!時間が出来たときに書こう!」と思って先延ばしにしたことは99%ぐらいの割合でもう二度と書けない。書きたかった内容は思い出せる場合もあるが、その場合でも書きたいと思う気持ちを思い出すのはほとんどできないからだ。

それはつまり、情動状態を意図的に再現することが出来ないということだと思う。エピソードとしての記憶は思い出せても、当時の自分がそのエピソードに接したときにどういう情動状態(emotional state)を起こしたのかは思い出すことはできない。例えば、一時期ある歌手に熱狂していたけどしばらくしたら冷めてしまった、というのが似ている状態かもしれない。熱狂していたという記憶はあっても、熱狂していた頃の高揚した気分は思い出せない。だって、その高揚した気分になれたらまだその歌手に対して熱狂しているということになるんだから。

書きたい内容がその人に書こうとさせるのではなく、書きたい!という欲求(あるいは情動、emotional state)がその人を突き動かすのだ。

また選挙のために実家に帰ってきている。選挙はものの5分で終わるので、ゆるーく過ごす日曜日になってしまった。両親とユニクロに行って、スーパーで買い物するのに付き合って、テレビを2時間ぐらいみて、久しぶりに家族団欒でごはんを食べて、お風呂に入って、妹とデジカメをいじって、とかそんな他愛のないことをして、何一つ何か意味のありそうなことをやらなかった。なかなかエンジンがかからん。

これはつまり、何か自発的に仕事をするというのも、やることがあるからするのではなくて、焦りとかやりたいという衝動とかそういう情動状態があってはじめて行動を開始できるのであり、そういう情動状態を意図的に生起するのは難しいことなんだろうと思う。

米国に臨床医学留学したいわけではないが、ためになるのでメモ的にリンクを張っておく。
http://blog.livedoor.jp/med_nyc/archives/50366367.html

とんかつが食べたい。

■2007/4/21 土曜日

脳の部位の名前を覚えましょう

あと5分もしたら家をでる。(8:28AM)津田沼に行く予定。このところ時間がない。忙しいとは思わないが、家にいる時間が減った。

昨日はすずかけ台でM1のために勉強会なるものを開いた。「脳の部位の名前を覚えましょう」というのが今回の意図。自分が、脳科学に取り組み始めた頃に、とにかくやたらめったらいろんな部位の名前が出てきて混乱した。英語で読むから日本語に訳すが、訳してみたところでわからない。Globus Pallidusというのが出てきて、何のこっちゃと思って辞書を引くと「淡蒼球」と書いてあって、それってどこだよと思って首をひねる。そんなにねばり強く調べている時間もないのでそのままなあなあで過ぎていくのだけど、同じようなことが少なくとも100回ぐらいあって、それでようやく脳の構造を把握できるようになってくる。そんな感じだったので、始めに一旦は体系的に脳の構造と名前を勉強した方が効率がいいんじゃないかと思っていた。

ああ、もう行かなきゃ。またあとで。

そうそう、保坂和志のプレーンソングを読み終わった。かなり面白かった。

■2007/4/19 木曜日

ぼんやりしたい

眠い。のでちょっとだけ。

今日はすずかけで授業。「ブレインサイエンス」。漠然とした名前の授業だが、内容は精神疾患に関するもので、いまの自分にはピッタリの授業。今日は不安障害がテーマで、セロトニン周辺の話が勉強になった。臨床もやっている人なので、病気の症状の説明などがリアルでとても参考になる。授業後、先生に質問にいって、それから自分が今考えていることについて話してみたらおもしろいおもしろいといって聞いてくれて、1時間も話し込んでしまった。

そうして先生と話したらなんだか気が抜けてしまって、午後は腑抜けた感じになってしまった。ダラダラとカンデルを読んで、中村研の先輩や、茂木研のM1と話したりしてる内にあっという間に夜になってしまった。本当はもっと優先度が高い仕事があるのだけど、実はそっちはあまりやる気が起こらず、他の優先度の高くないことをやって先延ばしをしてしまっているのだと思う。

こないだ受けたオートマトンの試験(プレイスメントテスト)の結果がわかって、満点だった。手応えは十分にあったし、あれだけ勉強したんだし、そもそも試験の内容がちゃんと勉強した人なら確実に解ける類のものだったので、至極当然といえばそうなのだけど、やはり嬉しくて、気が抜けた気分に拍車がかかった。

すこしぼんやりしていたいのだと思う。だけど、気付けばもう4月も19日で、いよいよ下旬に突入である。まだ4月になったばかりだという気がしていたのでなんだか焦ってしまう。でも、やはりぼんやりしたい気持ちも抗しがたいのである。

■2007/4/18 水曜日

英語、カンデル、麻婆茄子もどき

午前、大岡山で英語の授業。Academic Presentation。この授業はAcademicなPresentationのBrush Upが目的のはずだが、初回ということで留学生の人が出身国ヴェトナムのこと、それから修士の女の人が地元・愛媛のことを発表した。この授業は気楽な感じでよい。15分ぐらいの発表を聞いて、それに対してひとつふたつ質問をすればいいんだから。

それからすずかけ台に移動。今年度初のカンデル輪講。17章:The Anatomical Organization of the Central Nervous System。初めて読む章だが、図はいままでどこかしらで見たことあるものばかり。それでも、ちゃんと読むといろいろ発見があって勉強になった。

単数形 - 複数形
stimulus - stimuli
nucleus - nuclei
gyrus - gyri
sulcus - sulci
このような形の語形変化する名詞が多いことに今更ながら気付いた。のでメモ。輪講の時はもっと思い付いたはずなのにもう忘れてしまった。無念。

夜、麻婆茄子もどきをつくった。キュウリに味噌つけて食うのはお手軽だが、あんまりだということでこんどは茄子を買ってきた。昔、山中湖でキャンプをしたとき、バーベキューで茄子に塩をふってただ焼くだけで食べたことがあった。それが感動的においしくて、焼くだけでこんなに上手いのか!と驚いた。あれがあそこまでおいしかったのは、おそらく茄子が地元で採れたての新鮮な食材だったからだが、まあでも普通の茄子でもそこそこいけるだろうと思って茄子を買ったのだった。安かったし。とりあえず、すでに一回ただ焼いて食べてみたがわりとおいしかった。しかし、立て続けに2回も食べたい気はしなかったので今度は麻婆茄子風に味付けしてみることにした。

もちろんはなから麻婆茄子を作る気はなくて、あの「あましょっぱい」味の茄子が食べてみたかったのだ。どういう調味料を混ぜたら麻婆茄子らしい味付けができるか知らなかった。でも、「味噌に砂糖を混ぜればそれっぽい味になるんじゃないか?」というかなり乱暴な発想でやってみた。茄子を焼いたら、その上に、味噌と砂糖を水で溶いたものをかけるだけ。やってみると、全然麻婆茄子っぽいとろみがない。片栗粉を使ってないのだから当たり前だ。しかも、全然色が違う。麻婆茄子は赤っぽくて焦げた感じの茶色のはずだが、白味噌のみそ汁の色でしかない。まあきっと色々足りないのでしょう。少しでもとろみを出し、色を濃くするために水を沸騰させて少し煮詰めてみた。

で、ただそれだけで完成。麻婆茄子もどき。もどきというのも気がひける。9割ぐらいの確率でこれはマズイだろうと決めてかかって食べたが、その予想ははずれて結構おいしかった。おお、これってもうすこし丁寧につくれば普通においしい料理になるじゃん。と思ったほど。

茄子は油をよく吸う。油をたっぷり吸わせて焼いた茄子は独特の甘さがあって、そこに味噌の塩辛さと砂糖の甘さがうまーく絡んでいた。なかなか上品な味になる。茄子あなどれん。

■2007/4/17 火曜日

マルチキャンパス

大岡山、本郷、上野と移動した。あっちこっちに出向いていくというのは自分の性に合っていて、楽しい。場所を移動して時間を失うことは、いささか非効率ではあるが、飽きっぽい自分にはちょうどいい。

カバンから本を取り出そうとして、手すりの上にカバンを乗っけてゴソゴソして、本を取り出してパラパラめくってるうちに、カバンがバランスを崩して階段の向こう側に落ちた。階段の向こう側には何にもなくて、そのままストーンと気持ちいいぐらい素直にカバンは自由落下をした。そして当たり前のように物理の法則になんら抵触することなくまるまる一階分下の高さ移動した後、床と激突した。あまりにあっけなく事が起こって、終わったので全然慌てなかった。が、しっかりとこれは大変なことになってるかもしれないとヒンヤリとした感触はあった。なにせパソコンが入っているのだ。液晶が割れていたり、ハードディスクがクラッシュしていることもあるかもしれないと覚悟したけど、いまのところ動作に支障はないみたい。でも側面がすこし凹んだ。

今日は、面白い話、身の程を知る話、両方聞けて、どっさりとお土産を背負って帰ってきた。これからなんとかしてこのお土産を消化しなくちゃいけない。

■2007/4/16 月曜日

茂木研のウェブサイト、浅草博徒一代

さあ今日から研究だ!とかいっていた割に何もせず。茂木研のウェブサイトを更新していたら日が暮れてしまった。HTMLやCSSをいじってウェブページをデザインするという作業は大好きで、没頭するとあっという間に何時間も経ってしまう。

関根さんが書いたわけのわからない生き物の落書きをデジカメにとってパソコンに取り込み、それをイラスト化(イラストレーターでベクトルデータ化)した。それが右の画像。そうしたら、それを是非ともウェブサイトに載せたくなって、そこからデザインの改訂作業がはじまってしまった。でも、いい感じでしょ? メンバー紹介のページ にはこないだ竹むらの前で撮った集合写真をトリミングして載せてみた。これもいい感じだ、と自画自賛。

今日はこの浅草博徒一代という本を読み終わった。この本は読み終わるのが惜しいぐらい面白い本だった。こないだの紀州各駅停車旅行の時に行動経済学の本と平行して読んでいて、ほとんど読み終わっていたが、エモーショナル・ブレインを読み終わるまでとお預けにしていた。
解説から一部引用する 。
・・・本書は1906年に宇都宮に生まれ、明治末期、大正、昭和にわたって生きたある一人のやくざが語ったはなしをまとめたもの。伊地知栄治が語ったエピソードをテープに記録し、のちに巧みな構成の元に詳細にいたるまで忠実に書き起こした筆者佐賀純一の努力に敬服するしかない。じつにおもしろい。
伊地知栄治は十五歳で悪縁に染まり、中学四年の頃、叔父が営む東京深川の石炭屋に預けられる。上京した栄治は、やがてバクチの世界でいきるようになった。木場、浅草といったいわゆる東京の下町を中心とする界隈で暮らした伊地知栄治の人生は、まっとうな世間に生きるわれわれの想像をはるかに超えている。十九歳で初めて巣鴨の刑務所に、さらに殺人の罪で前橋、網走などでも獄中生活を送った伊地知だが、なぜか憎めない人物に感じてしまう。ある部分、共感できることさえある。それぞれの世界で自信たっぷりに生きる男と女たちがいた大正、戦前の昭和という時代にあこがれを抱く人もいるだろう。なお、伊地知栄治は1979年に他界した。・・・(p.424)

この本のあらましをうまく書けそうになかったので引用させてもらった。オレは池波正太郎の書くものが好きなんだけれど、何が好きかというと、古い時代の日本(江戸末期、あるいは明治・大正・昭和前中期)ありありと思い描かせるようなリアリティに溢れた文体だ。登場人物達の話し方が実に小気味よくて、粋だと思う。男は男らしく、女は女らしい色気が言葉の端々に匂い立つ。そして、そういう言葉遣いを成り立たしめる、背後にある濃密な文化・習俗。それがまた実にゆかしくて、どうして今の日本でそういうものが失われてしまったんだろうと思う。
この本は池波正太郎のそれよりもさらに色濃くその色香が漂っている。何せその時代を生きた人の肉声に基いた話なのだ。ハンパない現実味と迫力を備えた文章になっている。本文中から少しだけ引用する。
・・・光公は癪にさわるから、清正を探して、「おい、清さんよ、いくら酔っぱらってるったって、あんなことをされたら兄貴の評判に傷がつくじゃねえか」と文句を言った。普通の居候ならここで素直にあやまって、ひとまず収まるというのが筋でしょう。
ところが清正は、そうではなかった。注意されてカッとなって、言うことにこと欠いて、「てめえら、女中とぐるになって、俺を四六時中見張ってやがるのか」と怒鳴ったんです。
それで光公はカンカンに怒ってね、「この野郎、とんでもねえ馬鹿野郎だ。年上だと思って下手にでりゃ、いい気になりゃがって、その口の利き方はなんだ。手前みたいな野郎は、畜生にも劣るてえ奴だ」と、大声で言い返した。・・・(p.227-228)

ぞくぞくする「やくざの告白」を是非。

■2007/4/15 日曜日

エモーショナル・ブレイン読了!

去年の12月から、あるいはもっと前から読んでいたジョセフ・ルドゥー(Joseph LeDoux)のエモーショナル・ブレイン(Emotional Brain)を読み終わった!バンザイ!かなり読むのに苦闘したので、読み終われてとてもうれしい。サワヤカソーカイな気分であります。心理学・認知科学・神経科学などのことなった分野の言説を丹念に整理し、ここまで精緻で厳密な議論を書き記した功績は大きいと思う。あいまいで漠然としている意識のイメージを、具体的な脳の領野に落として議論している。記憶、条件付け学習、ワーキングメモリー、などとにかく今考えられる限りの知見を総動員して意識の問題を解こうとする姿勢は偉いなあと思った。自分の中の漠然であいまいとした意識のイメージに操作可能な概念を提供してもらったように思う。これからもっと脳科学は面白くなる。

クオリア日記 2004年1-2月
検索で茂木さんの昔のクオリア日記がひっかかってしばらく読んでしまった。リンクをクリックするとおそらく文字化けした画面が表示されるので「Shift JIS」というテキストエンコーディングをしないと読めない。このころのクオリア日記は今のクオリア日記にはないおもしろさがある。茂木さんの肉声がじかに聞こえてきそうで、今にも茂木さんのあのもじゃもじゃの頭髪や、しわだらけのジャケットの質感が感じられそうな気配がある。ゼミ後の「あさり」で酒を飲んで勝手なことをみんなでゲラゲラ笑いながら話しているような、突き抜けて解放された感じと高揚感。毎朝読むのが楽しみになるような、そんな日記を書きたいと思っているが、なかなかそのようなことが書けるようにはならないなり。

エモーショナル・ブレインを読み終わった後の高揚感のまま、スーパーに買い物に行った。夜の8時。ほんとに気分がよくて、ビニール袋を断るとポイントが余分にもらえるから、何か袋をもっていかなくちゃ、という気分になった。主婦みたい。ここのところ毎日スーパーに来ているが、いつも1000円分ぐらいしか買わない。その日の分しか買わないからだ。だけど今日はあれもこれもと3000円分ぐらい買い物してみた。

また自炊に精を出すようにしている。菊名は外食する場所が少なくて、もう飽きていて、コンビニの弁当も飽きていて、スーパーの総菜にも飽きているからだ。といっても手の込んだものは全然つくらない。パンを焼く。ごはんを炊く。レトルトを暖める。ハムを手づかみで食べる。オリーブをつまようじで食べる。カップラーメンを食べる。

最近新たな料理を覚えた。野菜スティック。キュウリを棒状に切って、味噌をつけて食べる。それからハムを棒状のキュウリに巻いて食べるということも覚えた。あと、キュウリを小さめに切って、それとシーチキンを和えて塩とか味噌で味付けをするという料理を開発した。

最近は料理を作りながら食べるというスタイルが定着した。パンを焼きつつ、ハムやオリーブをつまむ。コーヒーのお湯を沸かしながらキュウリを切る。座らないで、焼く、切る、冷蔵庫から取り出す、食べる、作る、片付けるが同時並行で行われる。作業スペースが限られているので、全部出来てから食べ始めると冷めてしまうし、そもそも机の上はものが散らかっているので食べる場所を作るのが面倒。それに、何より腹が減っている。腹が減るまで食事の準備をはじめないので、しょうがない。飽きるまでこんな感じでやっていこうと思う。もしかしたらそのうちもっと手の込んだものを作り出すかもしれない。

ごはんを食べたあと、何気なく保坂和志の小説を手に取った。石川に借りたもので、タイトルは「プレーンソング」。2ページ読んで、これは面白いと確信した。石川の他に茂木さんも柳川さんも保坂和志はイイ!と言っていて、だけどそれを聞いてオレは「ほんとかなあ?」と懐疑的な態度を抱いていた。そんな風にどちらかというとネガティブな印象を持っていたにもかかわらず、コロっとおもしろさにとりつかれてしまった。そのぐらい、保坂和志は面白いと思う。一息で3分の1ぐらい読んだ。

気付けば読みかけの本が15冊ぐらいある。次から次へと読みたい本が割り込んでくるのできりがない。どこかで精算しなくてはと思いつつ、精算する暇なんてなかったりする。

体の方はだいぶよくなった感じ。明日には全快していることと思う。やったるでー

■2007/4/14 土曜日

未だ治癒せず、学習と創造

昨日よりも病態は回復したものの、まだだるさ、鼻水、咳、目眩など残っており、全快には遠い。明日のボーイスカウトの参加もやめさせてもらうことにした。関係各位申し訳ない。今回は登山だったので行きたかったな。

おとといの竹むらゼミでは「creation」という単語が飛び交っていた。創造という意味の単語だが、茂木さんは学習と創造を同じ枠組みで扱える視点が必要だといっていて、オレもそれに激しく同意する。学習と創造はほぼ同じものだと思う。ある概念とかを学習するとき、実はその概念がすでに頭の中にないと学習出来ないのではないかと思う。すでに頭の中にあるということはすでに学習が終わっているということではないかと言われるかもしれないがそうではない。(と思う。)頭の中で創造作業が行われていて、それが新しい概念を生み出され続けているがしかしそれはアクセスされるまで認識されず、存在することにはならない。学習する段になってアクセスされて初めて認識されてその概念が「獲得」されたことになる。学習するというのは頭の中を検索してすでに創造されているが未アクセスの概念との照合を行い、マッチしたらそれに参照済みのフラグを付けて獲得した概念の集合にコピーすること。長期記憶に移すことなのかもしれない。そうやってすでに創造された概念を検索するのと平行して、新たな概念の創造も行っているのだと思う。学習が早い人というのは、即時的に新たな概念を次々に生成して素早くマッチする概念を生成するのが早いひとのことだろう。大概の場合はすでにある概念がマッチすることはなくて、学習を試みた後にその概念が生成されてマッチするのだと思う。一方、何事にもカンのいい人、飲み込みの早いひとというのはいて、そういう人はすでにたくさんの未アクセスの概念を持っているのだと思う。ただし、運動などの学習はまた別で、そっちの場合は延々とフィードバックと補正によるものなのだろうと思う。

わりと昔からそういうことを考えているのだが、これは短時間で説明するのは無理だろうし、時間があっても理解を得るのは難しいよなあと思っているので黙っていた。それに別のことが気になっていたというのもある。

というのは、クリエーションという単語が飛び交う中、「creation」てそんな音の単語だったっけ?と自分の中で音のゲシュタルト崩壊が起こっていて、不思議な感じだったのだ。創造という意味とクリエーションという音がどうしても結びつかなかった。クリエーションと聞くとレクリエーションという単語が即座に連想されてしまって、本格的な活動の前のお遊びの時間というぬるーい印象が想起されてしまう。創造というのは自分の中でそういうぬるーい時間の流れとは相容れないものなので、概念同士がコンフリクトを起こして、クリエーションという単語の意味を想起させるのを妨げさせていたのだと思う。

ごはんを食べるたびに病状が回復してゆくように思う。なんで風邪をひいてしまったのか原因がわからなかったのだけど、もしかして、ごはんを十分に食べていなかったから免疫力が落ちて、風邪をひいてしまったのだろうか?そういえば心当たりがあって、ここのところごはんを食べたはずなのにお腹が減ることがままあって、だけどすでにごはんは食べたからという理由でその空腹シグナルを無視していた。あの時にちゃんと体の欲求に忠実にしていればこの風邪は防げていたのかもしれない。家に閉じこもってばかりいた一ヶ月前とは違って、ここのところ外出が多かったので、それまでと同じ量の食事では足りなかった可能性はある。

というか、風邪をひくときってこのパターンが多い。太ってきたからすこしごはんの量を控えなきゃと思って空腹を我慢したりするとコロっと風邪をひいたりする。どうも飢餓に対して耐性が弱いようだ。

■2007/4/13 金曜日

風邪ひいた

風邪をひいた模様。昨日帰ってきてからすぐ寝たが、今日の朝起きたら完全に風邪の症状になっていた。鼻と目の充血と微熱。竹内薫さんの症状に近いような気がする。でも花粉症っぽくはないのでやはり風邪だろう。

一日安静にしていた。というか安静にせざるを得なかった。生産的なことがまるでできないのがすごく苦痛だ。やっとASSCの提出が一段落して、それから試験が一段落して、やっと研究に戻れる!と思っていたのにこんな風に足止めをくらうとつらい。

明日とあさってはボーイスカウト関係の活動だったのだが、とても参加できる感じではないので、とりあえず明日は不参加にさせてもらうことにした。日曜日には回復していたらいいな。ボーイスカウトの活動に参加できなくなってもうしばらく経つ。たしか1月から行ってないはずだ。他のリーダー方に迷惑をかけてしまって申し訳ないなと思う。でもいまは研究のことで頭がいっぱいで、時間的にもだけど、精神的にもそっちのことに考えをめぐらしている余裕がない。ボーイスカウトの活動は課題が山積みでひとつひとつ解決していきたいのだが、なかなかそれについて考える時間や考えたことを実行する時間がない。

今、脳科学は1920年代の量子力学の黎明期のような様相を呈しているのではないかと思う。古典物理では解決できない事象が生じて、それにたいする様々な仮説が乱立し、やがてそれらが綜合されて、美しい理論になっていく。1920年代だったらオレは間違いなく理論物理の徒になっていたと思う。

脳科学はいまそういう時期なのではないかと思う。主に分子生物学とfMRIなどによる画像化手法によって得られつつある膨大な知見と認知科学や心理学、経済学、医学などの分野からの流入により、脳科学はいまだかつてない大きさの科学になっている。さまざまなフィールドでそれぞれ独自の理論展開がなされてきたが、それらがとりあえず一旦は綜合される時期にあると思う。

各分野の専門用語や概念を大々的に整理する必要があると思う。違った呼び名で読んでいるが、それらは実は同じ事の違う側面を別々に読んでいるだけだということがたくさんあるように思う。そういうのを整理するだけでもずいぶんいろいろな発見があるのではないかと思う。とても似ている概念だけどすこし違い概念同士だと、その違いをきちんと明確にするだけでも新しい知見は得られそうだ。

意識の問題の解決はまだ先だと思うが、早晩、機能マッピングから脳内機能モジュールのインタラクションを詳細に記述できるようになるのではないかと思う。それが解明されることで波及する効果は大きいと思う。精神疾患や行動経済学などがそうだ。

ともかく早く元気になって、いろいろと考えたい。

■2007/4/12 木曜日

竹むらゼミ

今日もなぜだか知らないが難なく朝起きられる。こうやって起きられるのが普通なのだとすると、やはり普段の起きられなさは異常な気がする。

オートマトンの試験を受けに行く。試験は問題なく解けた。簡単な決定性有限オートマトンが010011という文字列を受理するか?このオートマトンが受理する言語はどんなものか?という問題。ある文法をChomsky標準形に変換する問題。ある正規文法と文字列が与えられて、それを最左導出および構文木を書く問題。その文法が生成する言語を答える問題。それが問題の全てで、ここ二、三日で勉強した内容で十分だった。

午後は神田淡路町の甘味処「竹むら」でゼミ。ゼミは通常金曜日だが、茂木さんが明日は出張で今日になって、今日は部屋が開いていないので竹むらになった。ゼミを甘味処でやるっていう研究室はそうないだろう。

各自が持ち時間10分ほどで今どんなことを考えているかを話した。短時間で全員がしゃべったので、じっくりとした議論はできなかったが、こういう形式のゼミもいいなと思った。みんな独立した研究テーマをやっているように見えて、実は密接にリンクしている問題を扱っているというのがわかった。時間をかけてじっくり話し合うよりも、ピンポイントに重要なことだけ話す方が、本質的なことが見えやすくなる気がした。

調子がよかったはずだが、どうも具合が悪くなってきている。朝起きたとき喉と鼻の調子が悪かったが、気のせいかと思って過ごしていたらゼミの途中で顔がほてってきて熱があるような気がしてきた。試験も一段落したし、今日は早く眠ってすこし休息をとろう。

■2007/4/11 水曜日

明日は試験

今日はとても調子がよかった。こんな体も心も快調なのは一年の中で3日あるかないかぐらいだ。ここのところ10時前には絶対起きられなかったのに7時半に起きて9時からの授業に間に合った。自分でも何が何だかわからないが、ともかく朝から調子がよかった。

1限の語学の授業に出た。Academic Presentationという授業。学期中に学生が各自2〜3回発表をするというもの。最初の授業なので授業の簡単な紹介のみ。先生は外国の人でシェイクスピアとかを研究している人らしかった。彼は私はコトワザがすきだと言ってこう書いた。
「Practice makes perfect.」(練習が完璧をつくる)
「No pain, no gain.」(苦労なくして得るものなし)

学問はわかりやすいものではありません。だけどとても魅力的なものです。苦労して獲得することに意味があるのです、というようなことをおっしゃって、こういうひとは信頼できるなあと思った。

昨今のテレビ番組の捏造事件のことなどを思わずにはいられない。わかりやすさばかりが優先される。そして科学が「わかりやすく」説明される。わからないことに耐えて考えることに価値があるのに、それじゃあまったく台無しである。

授業後、しばし大岡山キャンパスの図書館で過ごす。朝早く授業があるせいか、案外快適だった。明日の試験勉強をする。離散システム論という授業のオートマトンという単元。頭が冴えていて、はかどった。一段落したところで昼食を食べて五反田のCSLに移動。

1時前だったが学生スペースには誰もいなかった。早稲田にいた頃のオレは、遅く来ることで有名だったけれど、茂木研だと早く来る部類にはいるのかもしれない。もっとも、早稲田時代はコアタイムという決まりがあって、それは会社でいう勤務時間みたいなものだ。(厳密に守られているかは別にして)朝10時から夕方18時までは研究室にいること、というものだが、茂木研にはそんな規則なんかない。来たって来なくたって構わない。何時に来るかもご随意に。ただし、朝六時とか夜10時とかにくるのはダメよ。そんな感じ。

CSLに来てからも試験勉強を続けた。適度に休憩をいれつつ、18時ぐらいまでやった。やはりはかどって、予定していた量を消化できた。明日の試験はなんとかなるかもしれない。でも、そう上手くいくようにもやはり思えない。でもここらへんで手を打つのが頃合いかなと思った。

気付けば三日連続でCSLに来ている。まだやはり気後れは感じるものの、幾分慣れた。ゼミ以外で来るとどうしても場違いな気がして、作業に集中できなかったりしたのだが、今日は来たときに誰もいなかったこともあって、あまり疎外感は感じなかった。定期を買って、通うようにしてみようかな・・・。やはり、机があると作業がはかどる。菊名の自宅だと、机はあるもののちゃぶ台で、床に座っていると腰が痛くなる。本や論文を読むときは半分横たわった状態になるので、たまにはそういう姿勢でものを読むのもいいのだが、いつもいつもとなると集中力が落ちる。作業効率が上がるのなら、疎外感を感じつつもCSLに行く価値はあるだろう。

ここのところ、ともかく毎日日記を書くようにしている。目指すのは「忙しいから」とか「書くことがないから」という理由で中断することなく定常的に文章を書き続けること。茂木さんはまさにそれだ。あんなに忙しいのにそれに無頓着にあの質と量の文章を書き続けている。茂木さんが書かない日はおそらく物理的制約があって書き込み作業ができないときだけだ。文章を書き始めるとき「何を書こう?どんな風に書こう?」とあらかじめ考えることなく、書いているときも「どんな表現をしたら適切か?書き残していることはないか?あるいは余分なことを書いていないか?」ということを考えることなく、心の中に漂っているその日の”感触”を蛇口をひねって水が流れるように書けないかという試みである。今の気持ちはこういう言葉で表現できるか?それともこうか?と悩むことなく、自動筆記みたいな感じで書けるようにならないかと思っている。茂木さんのように抽象的なことや哲学的なことやユーモアの利いたものは全然書けないけど、ともかくそのような方針で書いています。

明日からもこの体と心の快調さで過ごせたらいいな。きっと反動が来ると思うけど。明日は試験の後、ゼミがある。普段のゼミの部屋がとれなかったので神田の「竹むら」というあんみつ屋でやるという。神田に行くんだったら昼は久々に「松栄亭」で食べようかなと思っている。

■2007/4/10 火曜日

SfNのSponserのメール

東大へ授業をもぐりに行った。(こんな堂々と書いていいのかはさておき。)なかなかいい授業だった。自分が考えていることが的はずれなことではないんだというのが確認できた。

ここのところ上野・本郷・お茶の水の当たりはよく来る。高校三年・浪人・大学1年のころはこの界隈は自分の庭だった。あのころを懐かしく思う。本郷は新しいお店が出来たり別の店になったりでだいぶ変わった。

授業の後CSLにゆく。本郷から五反田は地下鉄が上手い具合に通ってなくて、都営三田線春日駅に乗って、三田まで行って、そこで都営浅草線に乗り換えるということをする。だけど三田で乗り換えるのはわずらわしい気がしたので、都営三田線にそのまま乗って、白金台で降りて歩いてみた。石川と適当に歩いたら難なく着いたが、やはり素直に乗り換えていた方が早く着いたみたい。

CSLまであとほんの10メートルというところで茂木さんとすれ違った。
オレ「あ、茂木さん!」
茂木さん「ようお前ら!じゃあな!」
オレ「あっと、、、えー、じゃあ!」
茂木さんはいつもこんな感じだ。こちらに有無を言わせぬ「超多忙」のオーラを立ち上らせていて、一瞬で「少し話したい件があるんだけど、今は忙しそうだから仕方ない・・・」という気にさせられる。それでもう声を掛けるのは諦めようとひるんだが、もう一踏ん張りしてみた。
オレ「あ、SfNのSponserのメールよろしくお願いします!」
茂木さん「あああれいつまでだっけ?」
オレ「えっと、たしか5月16日とかです」
茂木さん「そう!じゃあね!今日は珍しくCSLにみんないるよ!」
そんな感じだった。ただこれだけの会話で別れた。茂木さんは5月16日と聞いて首をひねっていた。おそらくまだ締切まで時間あるじゃんと思ったのだろう。そしたら石川に「あんなこといったらまたギリギリまでやってもらえなくなるじゃないかー」と言われてしまった。いやはや。

実験の話や、ASSCのFinancial Supportの話、次のゼミの話などしたかったのだが、まあ、いつものことだ。CSLにはドクターの先輩がたくさんいた。石川は小俣さんと実験についてかなり長い時間議論していた。オレはその横でオートマトンの試験勉強をした。

■2007/4/9 月曜日

届かないシラバス

明日から授業がはじまるというのにシラバスが届かない。シラバスというのは何時からどこそこでなんという授業があるという情報が一冊の冊子になっているもの。学費の納付に関する連絡も来ないし、シラバスも届かないし、大丈夫なのか東工大。学務課やら専攻の事務やらに電話をした。今日、配布中だと言われ、お隣の研究室に預けておくと言われ、すずかけ台に行ったら、M1のKさんが駅まで届けてくれた。そうして一緒にCSLまで行った。そもそも大岡山で発送されたのが5日だという。それ自体がそもそも遅すぎるだろう。こういう苦情はどこに言ったらいいのだろうか?

早稲田にいたころだったらそんなことは絶対なくて、事務はかなり抜け目なく動いていた。ただし、事務の対応は東工大より早稲田のほうがより露骨に無愛想で感じが悪かった。むかつくほどに早稲田は抜け目なく情報の発信はしていて、ある書類に申請できなかったのは発信された情報をきちんとキャッチできなかった自分が悪いということになった。東工大の場合、情報の発信すら覚束ない場合が多いように思う。早稲田にいた頃は履修申請の類はほぼすべてWeb上で処理できた。あまりユーザーにとって使いやすいインターフェイスではなくてかなりストレスがたまった。東工大に来て、ほぼ全てが紙ベースで行われるのは新鮮だった。が、やはり不便だと思う。去年はそういう違いに戸惑ったものだった。今年は去年よりはもう少し上手くやれるでしょう。

明日は、火曜日。以下の授業に出ようか迷っている。
火曜日 1-2認知科学(基礎編)
火曜日 3-4心理・教育測定法(基礎編)
それからこっちの東大の講義をもぐりにいこうかと。
火曜日 神経科学入門
14:40-16:10, 医学部教育研究棟, 13階, 第6セミナー室

水曜日は何か語学の単位をとろうと思っている。昨年度の後期、出席率50%ぐらいだったけど英語の単位がとれた。68点。うれしくない。けど、2単位でも貴重である。卒業までにもう2単位はまだとらねばならない。現在取得済みが21単位。ゼミの単位が今年一年で4単位取れる予定。それで25単位。去年落とした必修の単位を取って28単位。卒業に必要な単位はあと2単位。それも専攻外でとらねばならない。

研究をやりながら授業の単位をとるというのは自分にとってなかなか難しいことであるというのが去年の後期でわかった。塗り絵の作業と独自の絵を描く作業は両立が難しい。それに学会や突発的に入る講演会・シンポジウムなどで定期的に授業に参加するのも難しくなる。

去年はシラバスを食い入るように読んではどんな授業をとろうか考えていたが、今年はもうそんなことをする気にはならない。なぜだかわからないが、現実的に定期的に授業に出席するのが無理なのがよくわかったし、授業に参加する労力と得られる知識のバランスが悪いからだと思う。自分がどの分野の知識が不足しているのかは自覚できているつもりだが、それをきちんと埋めてくれるような授業なんてきっとない。過剰だったり、的はずれだったりするのだと思う。果たしてこの授業は自分のニーズにあっているか?と精査し吟味するのは時間の無駄だし、実際に受けてみるまではわからないので効率が悪いように思う。

些事にとらわれてなかなか12日の試験勉強に集中できないでゐる。

■2007/4/7 土曜日

コンタクト、浅井健一Exhibition

疲れが溜まっている。珍しく早起きしたと思ったら、朝ご飯を食べた後にまた眠ってしまった。

横浜にコンタクトレンズを買いに行った。視力の悪化はどうしたら防げるのかな。原宿へ行き、「浅井健一 Exhibition」にゆく。30回くらいクスリと笑えた。そして実家へ来た。明日は埼玉県の県会議員選挙の日で投票に備えて。

今読んでいる本がなかなか読み終わらない。翻訳が悪いせいだと思うが、すっごく読みづらい日本語になっている。さっさと読み終わらせて次にゆきたいのに。

■2007/4/6 金曜日

塗り絵ではなく、線を引いて絵を描きたい

CSLにてEEG実験の被験者をやる。その後、駒場へ移動。バロン=コーエンという自閉症・心の理論の分野で超有名な人の講演を聴きに行く。彼の主張するEmpathizingとSystemaizingという認知能力を軸にした理論展開はとてもわかりやすいと思う。いろいろな示唆を受ける。

その後、ある人の誘いで別の講演会に参加。誰がどんな講演をするのかすら知らずにただ誘われるまま行ったのだけど、これまた楽しく為になる話だった。その後の懇親会にも参加。心理学・認知科学分野の方たちで、知らない話をいろいろ聞く。

いつから自分がこんなにずうずうしくなったのかわからない。もともとずうずうしかったのかもしれないが、それをシャイな性格が隠蔽していたのかも知れない。オレはもともと「何かおもしろそうなことがある」「何か勉強になりそうなことがある」ということに対して嗅覚が鋭いように思う。そこに知識を獲得すること・知らないことを知ることに対する貪欲さが拍車がかけて、自分の知らない集団のなかでもずかずかと入っていく性質が形成されたのだと思う。

小学校・中学・高校・大学までの勉強はぜんぶ「塗り絵」だ。あらかじめ線が引いてあって、そこにいかにキレイに色を塗るか。そういう世界だったのだと思う。それなりの手先の器用さとそれなりの色彩感覚があればいい成績がとれる。白黒の線図がカラフルなイラストになれば誰だって嬉しいし、そこにいかに上手く正確に素早く塗るかというような競走の要素が入ってくる。そうして成績の優劣が決まっていく。

でももうそんなことをしていても仕方がないのだ。オレは色を塗るんではなくて、絵を描きたい。誰も描いたことのない絵を。美しい絵を。壮大な絵を。

■2007/4/5 木曜日

もみの木

今日は入学式だった。といってもオレは関係ないのだけど、石川の呼びかけで、新M1と茂木研の有志で大岡山でランチを食べた。行ったのは「東工大専門 もみの木」というお店。前も書いたかも知れないけれど、ボリュームがすごいお店。写真をみてくれればわかるでしょう。100円増しの大盛りを頼むとこうなる。一口チキンカツのはずなのに3口ぐらいのチキンカツでそれが7個とか8個とかごろごろ転がっている。ご飯も日本昔話に出てくるどんぶりに山盛りのご飯がとんがり山ならこれはオーストラリアのエアーズロック。規模が違う。石川はなんと完食したが、オレは食いきれなんかった。でも、ビニール袋にいれてもらってお持ち帰りさせてくれる親切なお店。夜ご飯はこの残りで十分だった。ちなみに写真は今日撮ったやつではなくて、一年前の2006/4/12に石川に連れられて、初めてこのお店に来たときに撮った写真。あの時はこんなにボリュームがあるなんて知らずに、大盛りを注文して石川にハメられた!と思った懐かしい記憶がある。(石川はこのボリュームの事には一切触れずにさりげなくいかにも親切そうに大盛りを勧めてきた)

去年の入学式の時も大岡山でご飯を食べたことを思い出す。当然のように入学式にはでなかったけど終わった頃に学校には来て(書類をもらうため)、それで石川と一緒にご飯を食べた。その時は学校のすぐ目の前にある四川という中華料理屋で食べたのだった。このお店は担々麺が有名で、普通、中辛、大辛、スペシャルという風に辛さを選べる。その時オレは調子に乗ってスペシャルを頼んで、目を白黒させながら食べたのを覚えている。スープどころか麺を口に入れるだけでもむせるほどの辛さなのである。結局麺を食べるのが精一杯でスープは残してしまった。石川はこれをスープまで完食した経験があるらしく、「情けないぞのざわくーん」といわれ口惜しかったという懐かしい思い出がある。

去年はそんな風にふたりでメシを食ったのだけど、今年は新M1の3人の他に関根さん、須藤さん、ヘライさん、石川とオレがいて大所帯だった。食べた後はみんなでちょっとしたお花見をした。大岡山キャンパスの中にある桜並木。その傍のベンチに座って、コンビニで買ったコーヒーを片手に、のんびりした時間が流れた。きっと入学式で偉い人の話を聞いてそそくさと帰るよりは、こうしてみんなでごはんを食べてお花見をして談笑して過ごすほうが、断然いい思い出になるだろう。そう思ったら今年のM1のみんなは幸せ者だなあと思った。彼女たちがよりよくM1を過ごせるように、去年得たノウハウをいろいろ伝えられたらなあと思う。

でも自分の事もしっかりしないとね。去年落とした単位をなんとしてもとらなければ。来週のオートマトンの試験に向けて勉強だ。石川がたくさん資料や本を貸してくれた。それに報いないと。

■2007/4/4 水曜日

一日すずかけ、新年度

朝早くにすずかけに行く。オレは研究構想発表会を1月にやったけれど、お隣の研究室の同期は今日だった。お隣さんは何する人ぞ?と思って見に行った。発表者は全部で5人しかいなかった。

同時に博士の中間発表があって、そのうちの2件に茂木さんも来るはずなので待っていたが来なかった。電話すると、「今日あるのは知っていたけど一件目の方は連絡が来ていない!」とのこと。茂木さんは二つめの発表には間に合った。合間に、ほんの少しだけど研究の話ができた。見てもらいたい書類があるので終わるまで待っていたら、終わった途端に博士の方とお話ししながらすぐに帰っていってしまう。「じゃ!」と言われて、思わず「じゃ!」と返してしまった。見てもらいたい書類があったんだけどまたでいいか・・・と、そのあまりのあっけなさにしばらく呆然として踵を返したのだが、やっぱりダメだ!と思って走りだした。結局、学校から駅まで走って捕まえた。

駅前のベンチでノートPCを広げ英文の書類を見てもらいながら、「これはちょっとやそっとじゃ直らないな」と言われたが、すぐに出さなきゃいけない旨を伝えると、「じゃあ本当に必要最低限だけ。こういう素朴な文章もいいかもしれんし(笑)」とでちょこちょこと修正された。どうも、まだまだらしい。

今日の午後は大掃除大会だった。オレと同期の石川は「M部屋」から「D部屋」にお引っ越しをした。「M部屋」は茂木研と中村研の修士1年が使う部屋だ。一人に一個、机が割り当てられる。その机から私物を撤去した。さらば右奥のマイテーブル。「D部屋」は修士1年以外の茂木研の学生が使う部屋だ。個人の机というものはなくて、いつもは大テーブルに思い思いに座る。かなり大々的な掃除をやって、D部屋の机の配置換えをやはり大胆にやった。結構な重労働だった。

その後、専攻の懇親会。専攻の学生全体が集まりパーティのような感じで、立食で食べて飲む。何故かこういうパーティでは良くつるむようになったK研のMと冗談を言いあい、JAVAの授業をしてくださった先生に「僕は先生のお陰でプログラミング全般ができるようになりました!」とお話をした。

そして、今度は研究室に戻ってきて中村研・茂木研のメンバーで歓迎会。茂木研には新一年生が3人入ってくるのは前から知っていたが、驚いたことに中村研にも新一年生が3人入ってきた。人がグンと増えて、これから俄然盛り上がるような予感がする。

新しく入ってきた彼らを見ると、去年の今頃から夏までの記憶が蘇ってくる。あれは、掛け値なしに頑張ったと言える数ヶ月だった。当時は息も絶え絶えで走っていたが、今思うと気持ちのいい疾走感で全力疾走していた。毎日授業と課題に追われて、目の回るような忙しさ。慣れないプログラミングとの格闘。次第に強くなってくる日差し。慣れてくる環境、親しくなる友達。強烈な体験だった。彼らをそれとはなしに眺めながら、君らもその中に入っていくのだと、密やかにほくそ笑んだ。

オレはオレで彼らに追い抜かれないようにまた突っ走らなければならない。楽しみである。

■2007/4/3 火曜日

友野典男「行動経済学」

先月から読んでいる本を読み終わった。茂木さんが良く話題にする神経経済学についての入門書を探しているときに、池田信夫さんのブログでこの本をたまたま取り上げられているのを見て、即買った。行動経済学だから神経経済学のこととは違うかな?と思ったが、Kahnemanのプロスペクト理論のことなどがでてくるし、いいかと思った。行動経済学がどんなものかということも知りたかったし。とりあえず、神経経済学が「行動経済学+主にfMRIを使った脳活動計測」的な枠組みであるということが確認できた。行動経済学というのは、読んでいると認知心理学とあまり変わらないように思える。 時間割引における双曲割引と指数割引、逆転する選考の話なども出ていて、これもこの分野の話として扱われていたのかと驚いた。

ひとつの発見だったのは、ノーベル経済学賞受賞者のKahnemanが実はがちがちの心理学者だということ。

Daniel Kahneman in Wikipedia
このページにはこうある。
he is the winner of the 2002 Nobel Prize in Economics for his work in prospect theory despite being a research psychologist and not an economist. In fact, Kahneman claims to have never taken a single economics cours
彼は2002年にプロスペクト理論に関する仕事でノーベル経済学賞を受賞したが、それは彼が心理学者としての仕事したものであって経済学者としての仕事ではなかった。事実、カーネマンはこれまでにひとつだっって経済学の授業を受けたことはないと言っている。

このカーネマンはなかなか面白い経歴の持ち主で、このWIkipediaのページによると、
Kahneman spent his childhood years in Paris, France and moved to Israel in 1946. He received his B.Sc. in mathematics and psychology from the Hebrew University in Jerusalem in 1954, after which he served in the Israeli Defense Forces, principally in its psychology department. In 1958 he went to the United States and earned his Ph.D. in Psychology from the University of California, Berkeley in 1961.
子供時代をパリで過ごして、イスラエルに移住。そんでヘブライ大学で数学と心理学の学士号を取得。それからイスラエル軍(!)の心理学部門に従事していたらしい。(友野さんの本にもカーネマンが軍隊に所属していたということが書いてある)その後、カリフォルニア大学で心理学のPh.Dを取得したとのこと。この人、会って話したら相当面白いんじゃないか?と思った。

行動経済学というのは心理学と経済学が”復縁”してできた分野だらしい。この本の副題にもなっているが「経済は感情で動いている」のであって、従来の経済学はその点を全く扱えていなかった。それをなんとか扱おうとしたのが行動経済学であると。

オレは大学院の入試の面接の時に「僕は感情に興味があります」と言って入ったのだけど、感情を扱うためのこういうアプローチの仕方もあったのかとちょっとした発見だった。「感情と理性のダンス」という言い回しが出てきて、カッコイイ!と思った。出典はFinucane et alによるJudgment and Decision Making: The Dance of Affect and Reasonという論文らしい。その入試の面接の時に、「理性が感情を支配するという古来からの考え方をぶっ壊したいんじゃー、ぼけー!(多少脚色あり)」ということを言ったのだが、やはりそう考えている人はすでにいて、がんばってそれを成し遂げようとしているんだということがこの本を読んでいてわかった。理性にできるのは「最適化」だけだと思う。ゴールを決めること、そしてそこに向かって走る駆動力は感情によってしか生み出されないと思っている。そうしてオレは感情→Motivation(欲求)→自発性という感じでいまの研究に向かったのだった。

この本はReferenceもしっかりしておりいい本です。心理学・経済学のあいの子である行動経済学が俯瞰的に過不足なく、そしてとても整理されて述べられており、最後の章が神経経済学に当てられている(ちょっとあやしい記述もあるが)。この本を読むだけでもだいぶ視野が広がったように思います。おすすめします。

■2007/4/2 月曜日

The Abstract Submission has been completed!

ASSCの要旨の投稿が完了した。ふうー。ヨカッタヨカッタ。要旨の投稿というのが何を意味するかというと、これはつまり、「わたしは今回の学会でこういう内容の発表をしようと思っています。」と主催者側に知らせることを意味する。そして、主催者は送られてきた要旨を読んで「よし、これは学会で発表してもらう価値があるぞ」と判断してもらえたらOK。価値なしと思われたら拒否されるのである。OKされますように。

200 単語の英文を書いて茂木さんに送り、茂木さんが校正をして送り返してくれるという感じで要旨はできた。オレが書いた英文のほとんどが書きかえられていて、仕方ないとは思いながらもやはりしょっく。早く一人前になりたいぜ!

これでなんとか多忙な時期は切り抜けた感じだろうか。いま振り返ると3月はかなり盛りだくさんな月だったな。2月の終わりに理研のSummer Programの申し込みをしてた頃から途切れなく目の前の仕事に追われている感じがしていた。

そうそう、しんいちは修士2年になりました。

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