log 2007. February.

フェムトセカンド

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下に降りるほど古くなります。

■2007/2/28 水曜日

メモ

読んだ本***
2/14 「軽症うつ病」笠原 嘉
2/17 「青空感傷ツアー」柴崎友香
2/17 「日本沈没 上巻」小松左京
2/18 「失敗の本質」

観た映画***
2/12 Trainspotting
2/14 Mr. & Mrs. Smith
2/18 スターウォーズ Episode4

■2007/2/28 水曜日

新聞再開、3月の予定

二月の晦(つごもり)。だいぶ寝坊してしまった。そして特に何もしていない。どて焼きの缶詰とサバの水煮の缶詰を開けた。サンマの蒲焼きばかりで甘辛い味付けに飽きていたところに、サバの水煮はほどよい塩味でよい。が、そもそも缶詰に飽きている。どて焼きは缶を開けてそのまま食べたらおいしくなくて、フライパンにあけて暖めたらおいしくなった。

また新聞屋さんがきて、何故かまた新聞をとることになってしまった。「町内会の130周年記念でみなさんにとってもらってるんですよ」という説明を聞いて、なんだかとらないと町内会に悪いような気がして、「ああ、はい・・・」と言ってしまった。もっと普通に「とってくださいよおー、頼みますよおー」って感じだったら突っぱねられたのに、町内会という単語が出てきたらどうしていいかわからなくなってしまった。修行が足りない。ううっ。またこれから3ヶ月、溜まっていく新聞と格闘しなければいけないのか。しくじったなあ。

明日から3月であるが、3月は遠出の予定がふたつ入っている。
3/8〜3/11 システム神経生物学スプリングスクール@大阪
3/17〜3/18 茂木研の合宿(伊豆?)

大阪では高校の時の友達に会えるので楽しみだし、茂木研の合宿も楽しみだ。3月は他にもどっか行きたいなー。トルコとかプラハとかアフリカとか中央・西アジアとか。

■2007/2/27 火曜日

港北郵便局、大倉山駅、九段下

一旦は書き上げたサマープログラムの志望理由書を、先輩にメールを介して見てもらって手直しした。換骨奪胎とまでは言わないが、それでももとのものよりも違う雰囲気のする英語になった。

これとCurriculum Vitae(履歴書)と推薦状2通を入れて封筒を閉じる。宛名は自分でも笑ってしまうほどへったくそ。(今気付いたんだが「様」と「御中」は両方書いていいのか?)Curriculum Vitaeも志望理由書もどちらも書くのが大変だったけれど、とてもいい経験になったし、得るものは大きかったように思う。

家から少し離れたところにある港北郵便局に出しに行った。マンションを出ると、となりの家の庭にある梅の木が咲き誇っていた。梅は枝の上にちょこんちょこんと花がのっているに過ぎないが、ひとつひとつの花はこぼれそうな勢いで咲いていた。満開だった。そして、その花に見とれるのを阻止しようとするかのように何とも言えない感触の風が頬を撫でた。風は官能的なほど暖かかった。その二つの刺激で、思わず「春が来た!春が来た!」と叫んで往来を駆けていきたい気分になった。もはやこの空気は春としか呼べない。まだ2月だが、春としか呼べない。

郵便局で「翌朝10時便」というので出す。これで28日の締め切りは守られることでしょう。陽気に誘われて、さらに郵便局から離れる方向に歩いた。散歩の時、いつも引き返してしまう太い道路も歩道橋を渡って先に進んだ。散歩が心地よい。少し歩くと何やら賑やかな街並みが見えてきたので近づいたら菊名駅の隣の駅、大倉山駅だった。菊名よりもはるかにお店が多く、活気があった。こんな近くにこんな場所があったのか!と発見に喜んだ。

よさげな感じの喫茶店を見つけてそこに入った。お店は男の人がひとりでやっているようだった。この男の人はものすごく体がガッシリしていて、腕も腰も足も全体的のオレの1.5倍ぐらいの厚みがあるのに、なぜか女性的な雰囲気のある不思議な人だった。ビーフカレーを注文した。お店はほどよくすいていて、カレーもおいしく、気に入った。

喫茶店を出た後、帰ろうかと迷ったが、さらにでかけることにした。電車に乗って九段下まで行った。九段下にある印刷屋さんに用があったのだ。聞きたいことがあって行ったのだが、その目的は十分に果たせた。たまに応対してくれる人が悪いとこちらの知りたいことがわからないまま終わってしまうことがある。印刷屋さんに寄った理由は、いずれ明らかになるでしょう。

印刷屋さんのあと、前に寄ったことのある定食屋さんを探したが見つからなかった。通りを10往復ぐらいしたのだが、みつけられなかった。はて。潰れてしまったのだろうか。お刺身が新鮮でおいしくて安かったのに。定食屋さんはあきらめて、すぐ近くのそば屋さんに入った。一度来たことあるお店だ。九段下から連雀町のまつやはそれほど遠くないのだが、今日はそっちではなくこっちの気分だった。

店は小綺麗で新しく、居心地が良かった。冷や酒を頼んだら「今日はあったかいでしょ。冷酒をたくさん用意しといて正解だったわ」とおばあさんがにこやかに行ってくれた。そうか、今日ぐらいの陽気だとみんな冷酒が飲みたくなるんだなあと思った。オレは池波正太郎のファンなので蕎麦屋は蕎麦を食う場所ではなく、酒を飲む場所だと思ってる。それがわかっているかのようにその蕎麦屋には安くて手頃な肴が多かった。そんなわけで、サマープログラムの志望理由書を書き上げたことを祝って、ひとり祝杯をあげた。サマープログラムは、選考が厳しいらしくなかなか参加することができないらしい。だから、応募はしたもののきっと受からないだろうなという気がしている。オレみたいなペーペーが受かるはずはない。そう思っているはずなのに、気付くと夏の暑いさなかに和光で必死に勉強している自分を想像していたりする。

まあ合否はともかく、さっきも書いたけど、この応募をしたこと自体がいい経験になった。英語の履歴書の書き方がわかったし、英語が上達した。いま英語の文章を読むと、いままでとは全く感覚が違う。曇りガラスを通して見ていたものが、窓が開いて手で掴めるようになったような違いがある。これは結構な進歩じゃないか。

それに、英語だけではなく「自発性」について今自分が考えていることをまとめる機会にもなり、自分の立ち位置や方向性がより明確にわかるようになった。「なんだ、少しは前に進んでいたんじゃないか」と思えた。

梅は見れたし、酒は飲めたし、今日は幸せな一日でした。蕎麦は食べずに蕎麦屋を後にした。

■2007/2/26 月曜日

500 words

やっとサマープログラムの志望動機書みたいなものを書き終わった。正確には
3. Reason why you wish to attend the Summer Program
Please write a brief statement of approximately 500 words summarizing your research background (if any to date, including specific fields, experimental work, laboratories, etc.) and how you plan to incorporate what you learn into your current and future research work.

であって、自分の持っている背景知識と、サマープログラムで得たものをどう生かすかを書くもの。英語で500単語の文章を書くのは初めてだった。どの程度の分量なのかはじめは見当がつかなかったが、Microsoft Wordのデフォルトの書式設定でA4で2ページ弱だった。苦しかった。

これが書き終わるか終わらないかの瀬戸際だったので、これ以外のことが全然手につかなかった。とにかく、これを書き終えて身軽になったので、これから動くぞー!とりあえず郵送の準備をしなければ。

■2007/2/22 木曜日

配達、MacのCM、ポンコツくん


アップルのサイトを見ていたらCMの動画を見つけてなんとなくみてしまった。上品で控えめな感じがいい感じだと思う。出演はラーメンズというコメディアンで、いい味出している。昔、友達の家でラーメンズのDVDを見たことがあって、あれは本当に傑作だった。お笑いのはずなのに何故か泣けたりして。また見たいな。

このCMの中ではパソコン(すなわちWindows)はウィルスから身を守るためにガチガチに身を固めている。対してMacはいたってラフ。これはオレがちょうど一年前にWinからMacにSwitchしてからの感覚と一致している。Winを使っていた頃はNortonのAntiVirusやSystemWorksというソフトをインストールしていて、それが動作を鈍くさせていたり、LANをつなぐときにうまくいかなかったりしたし、1年ごとにお金を払ってUpdateをしなければならなかった。面倒なことだったけど、それでもパソコンにウィルスがかかるのは怖いからそうしていた。それがMacになってからそんな心配は全然しなくて良くなった。このCMをみて改めてそのことを思った。オレはパソコンの専門家でもなんでもないんだから、ウィルスのことなんか考えたくはないわけで、そんなことを考える時間はもっと他のことをする時間にあてたい。LANにつなぐためにウィルスソフトをOnにしたりOffにしたり、作業の途中で「ウィルス定義が古いので更新してください」というポップアップメッセージにイライラしたり、パソコンの調子が悪くてウィルスにかかったのだろうか?とウィルススキャンをかけてその間に他の作業ができなかったり、そういう時間にやりたいことを邪魔されるのは御免なのである。

Macの他のCMはここで見られます。

こっちはUSのCM。MacとWinの違いは、後からあらわれるふたりの姿がとても明快に示しているように思う。

今日は実家に戻ってきて、会社に行って、ボンベを積んで錦糸町のとある倉庫に配達に行った。映画を作っている人からうちの会社に連絡があり、撮影でボンベを使いたいから貸してくれとのことだった。久々にマニュアル車に乗った。普段乗る車よりも一回り大きいし、久々だったこともあり、運転の腕が落ちたと思った。あらゆる方向に注意を振り分けるのとか、車間距離の取り方とか、道幅と車幅の比較能力とか、いろいろな勘が鈍っていた。遠くを見つつ、近くを見るとか逆に近くを見つつ遠くを見るということがうまくできなくて、何度かヒヤッとした。

ちなみに普段運転する車はこっち。実家に帰ってくるとたいてい車を運転するが、その時はほとんどこの写真の軽のバンに乗る。この車が本当にポンコツで、だけどこのボロさが気に入っている。オートマ車だからギアチェンジは自動なはずなのだけど、もはやスムーズに行かなくない。一速から二速への移行が特にダメで、かなり強めにアクセルを踏んでおかないと二速に移行してくれない。エアコンをつけると3倍ぐらい燃費が悪くなるし、ライトをつけるだけでもエンジンの出力は落ちるし、一ヶ月ほっておくとエンジンのかかりがわるくなるし、あちこち凹んでるし社名書いてあるしほこりっぽいしダサダサだけど、そのダサさ具合が自分にはぴったりなきがして愛着がある。後部座席のシートを倒して広いスペースを作ればボンベを10本ぐらいまでなら積めるし、小さいから小回りがきいて、どこにでもスイスイ配達できるのがこいつのいいところだ。でも次の車検で廃車にしてしまおうかと親父と話している。

■2007/2/22 木曜日

Minor Update

記事追加用Perlスクリプトとその周辺ファイルを少し修正した。修正点は以下。

記念に記しておく。

■2007/2/21 水曜日

はかどらない日

いろいろとやることがあるのだがはかどらない。頭のなかでは気忙しく(きぜわしく)することリストがリミットサイクルを回っている。うまく優先順位を決められず、かといって手をつけだしてもすぐに気が散ってしまって、リストの項目はほとんど減らなかった。やったことはメールを2通書いたぐらいだろうか。あと英語で履歴書(Curriculum Vitae)を書くのだがまったくもって難しい。しっかりしろ、自分。

明日は実家に戻ってボンベの配達をする予定。

この人のブログが面白い。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo

■2007/2/20 火曜日

事務的な作業、失敗の本質、スターウォーズEP4

今日は、郵便局に行ったり、封筒の宛名書きをしたり、メールを書いたりと事務作業のようなことをやっていた。やらなきゃやらなきゃと思っていることはいくつもある。だけどなかなかやる気が起きなかった。少し片付いた。明日もこの勢いでいろいろと事務的な作業をこなせればいいな。人格障害の本を買った。焼き鳥たべた。ここ数日、会う人に実験の被験者をお願いしていて、ちょっとずつデータが溜まっている。

(2月19日)

修士2年のポスター発表会&専攻の卒業パーティ。久々に、同じ専攻の同級生と会って話して楽しかった。また、茂木研のメンバーがわいわいガヤガヤとD部屋で作業する時間もあって、それもいい時間の流れ方だなと思った。

(2月18日)

「失敗の本質」を読み終わった。確か、まだ早稲田にいた頃から読んでいた記憶があるから、読了に1年以上かかった模様。この本は、大東亜戦争における日本軍の戦史を議論したもので、「なぜ日本軍は戦争に負けたのか?」という問いを客観的に冷静に分析し、多大な熱意を持って考察がされている。出版は1984年。とても面白かった。

よく「日本はバカだからあんな戦争をしたんだ」という人がいるけど、それは全くナンセンスだしナイーブすぎる。日本はあのとき、極限まで追いつめられていたのだ。欧米列強に、かなり挑発されていて、戦争か服従か、そういうのっぴきならない二者択一を迫られていた。そういう止むに止まれぬ文脈を全く無視て「バカだから」という理由で片付けようとするのはナンセンスだ。そこら辺のことは、以前「戦争の近現代史」という講談社の新書で読んだ。失敗の本質では、どのような戦闘が行われ、どの程度力が拮抗していたかということを学んだ。開戦時に全体的な戦力としてかなりの程度日本が劣勢だったということは印象としてあったが、本を読んでいると、「もしかして勝てたんじゃないか?」と思いたくなる節がいくつもあった。読む前は100万分の1ぐらいしかなかったろうと思っていたが、数パーセントぐらいは勝つ見込みがあったのではないかと思うようになった。本の前半はいくつかの主要な決戦の分析と考察からなっている。ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄。 個々の戦闘の描写は戦争映画を見ているかのように想像力をかき立てられた。そういう読み物としても面白かった。

本の中で「コンティンジェンシープラン」という言葉が出てきた。コンティンジェンシー、contingency。茂木さんがよく使う言葉だ。読んでいたときはこの言葉の意味がよくわからず、「こん・・・こん・・・こんじぇしー?」と音にすることさえ難しかったころだった。(だって「コン、ティン、ジェン、シー」と四つも文節に分かれる単語って滅多にないし、その音の並び方も今まで知っていたどの単語とも違かったから)でも、この本に出てきてくれたお陰で意味がわかりやすくなった。「コンティンジェンシープラン」というのは「不測の事態が起こったときにそれに対応するためのプラン」のこと。それまで、contingencyという単語はqualiaと同じぐらいマイナーな単語だと思っていたんだけど、こういう文脈で使われることがあるのか!ということがわかって、親和性が増した。(そういえば、Qualiaという単語も以前に比べればずいぶん知られるようになりましたね。)

文庫版のあとがきでこう書かれている。(これだけ書くと失敗の原因として陳腐な感じはするけど)
“われわれにとっての日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。”
これと同様のことだけど、オレが感じたのは、日本軍は分散が極度に小さい組織になっていたから環境変化に適応できなかったということで、前回日記に書いたことに通じる。日本軍の適応ぶりは驚嘆に値するものがある。いってみれば、軍人全員が仕事歴ウン十年の職人のような技術を持っていて、「月月火水木金金」という訓練につぐ訓練をによるものだ。物量共に劣る日本軍が開戦後の緒戦において、なんとか米軍と伍して戦えたのはその賜だった。そういう戦略に頼っていたからこそ、長期戦になっていった結果、物資不足はもとより人材不足も起こり、軍の機能が瓦解していった。

結局、長期戦になったら勝てないことは明白であり、開戦前から軍司令部も認識していたことだった。こう書くとさっきいったことと矛盾するように見えるが、だからこそ、短期で決着をつけるようなシナリオを書いていたし、それも成功の見込みの全然ない絵に描いたもちのようなプランではなくて現実に根ざした実現の可能性のあるものだった。

歴史についてはもっと知りたいと思う。

夜に、「スターウォーズ Episode4新たなる希望」を見た。やっとこの年になって初めてスターウォーズをみたよ。公開順に見ようと思って、Episode4から借りた。牧歌的なSFだなと思ったけど、そのディテールの作り込みはすごい。物語から豊かさが溢れている。物語の冒頭の「R2-D2, where are you?」という台詞がいい!と思った。C-3POとR2-D2のコンビもすごくいい。黒沢明の「隠し砦の三悪人」という映画の登場人物がモデルになっているそうだ。それから、ハリソン・フォードが若い。オレが見たの映像はずいぶんキレイで、これは後になって修正されたものらしい。公開当時の物がみられるらしい ので、そっちもみてみたい。

■2007/2/17 土曜日

本二冊、澤さんの発表、分散を維持するシステム

鶏肉が安くて、買ってきてただ焼いて食べた。

ゼミに向かう電車の中で柴崎友香の「青空感傷ツアー」を読み終わった。話の三分の二あたりから加速度的に話が面白くなった気がする。小説の世界に慣れたからかもしれないが。そこからラストまではノンストップで読み進めて、ラストがとても良かった。解説は五反田からCSLまで道を二宮金次郎しながら読んだ。(歩きながら読んだ)解説が読後の高揚感を更に鼓舞するような内容で、読んで良かったと思った。

ゼミは、中村研の澤さんが博士論文の発表を、CSLに出張してきてやってくださった。正確には茂木さんによる予備審査。隣の研究室だけど、輪読や合宿を一緒にやり、前期の授業では課題にヒーヒー言っていたときに助け船を出してくださり、とても尊敬していて頼りにさせていただいている先輩の一人である。発表の前もJavaに関する疑問をいくつもさせていただき、快く答えてくださった。

澤さんの発表後の議論で「カマキリみたいにE(M)が低い生き物は種を維持するためにリスキーな行動をとらざるを得ない」という話がでて、その話の真偽はともかく、あるひとつの確信めいたものが生まれた。ある生き物の種の中で生存することが厳しく、種内での能力スペクトラムの中で限られた範囲の個体しか生存できない場合、生き残った個体の次の世代は、その傾向をさらに強化する方向にはたらくだろうか?ということを考えた。その方がその後の個体数は増えていくだろうが、何かを得ることは何かを失うことであり、種内の個体がみんなしてある能力に特化し、能力の分散が極端に小さくなってしまうと、環境がガラッと変化したときに対応できなくて、絶滅してしまうということはあるように思う。環境の変化は長いスパンで見れば必ず起こるから、世代交代で能力スペクトラムの分散を小さくしていく方向に変化し種内の全個体が高度に最適化しようとする種は必ず絶滅することになる。ということは、分散を維持しつつ適応していくシステムというのが進化の本質なんではないだろうか。そして、その分散を維持することにかけては、遺伝子のシステムはうってつけなんではないか。遺伝子の相同組換え、つまり父方と母方両方の遺伝子を受け取り、部分的にどっちを使うかを変化させることで、多様性が生み出され、分散の維持に強力に寄与しているのではないか。わざと前の世代とは違う組み合わせになるように作っているんだから、そこには強い作為性を感じる。そんな考えが浮かび、かなり確信している。

進化で生き残る種というのは、適応度が高いものと言われているが、もう一歩突っ込んで表現すると、種の能力の分散を高く維持できるシステムを獲得した種のことではないだろうか?そこには、品揃えをよくすることと、仕入れを一括してコストを下げるというトレードオフの関係の間で、スーパーマーケットの店長が陥るせめぎあいと似たものがあるのではないだろうか?分散を広げるということは余剰なコストがかかることであり、戦略(能力)の分散を狭めて環境に最適化した方がコストはかからない。その一方で、環境の変化に適応するために分散を広げておかないといけない。そういうジレンマ。

ゼミ後はあさりで宴。どっさり料理を注文し、楽しい宴であった。3月を過ぎたら、澤さんとも、卒業してしまう茂木研の先輩方とも簡単にはこういう時間が過ごせなくなるということが、なんだか嘘みたいだが、でもやってくる。そういう事が頭をよぎるので、最近は飲み会の席でふと切なくなってしまうことが多い。今という時間が精一杯に輝きますようにと願う。

帰ってきてから、読みかけだった小松左京の「日本沈没」上巻を読み、ついさっき読み終えた。田所博士が延々と自分の仮説を語る場面が続き、しかも小笠原海溝とフィリピン海溝がどうの、それでなんとか海溝がどうのと、平易ではあるがものすごくくどく書いてあるのでそこで読むのに飽いてしまった。今回はそこを何とか切り抜けることができた。その後に、第二次関東大震災の凄まじい震災風景を描写が続くのであるが、その描写が圧巻で、物語に引き込まれテンポ良く読めた。本当にあったんじゃないのか、と思いたくなるようなディテールに富んだ描写で、作者の想像力に舌を巻いた。

読みかけの本がまだ4,5冊あるので、早く片付けてしまいたい。思えば、二、三年寝かせているのもある。

■2007/2/15 木曜日

Spontaneous Tapping Task

タスクのプログラミングが、一応完成した。名付けて「Spontaneous Tapping Task(自発的ボタン押し課題)」。startボタンを押すとインジケーターが動き出し、インジケーターが止まるまでの20秒間のうちの好きなタイミングでNowボタンを押してもらうというもの。ただそれだけ。とりあえず20回をひとセットとして、全部で100回(5セット)やってもらおうかと思う。一回20秒で1セット400秒。5セットで2000秒=33.33...分。けっこうかかる。

タスクのプログラムだけだと片手落ちで、データ解析用のスクリプトも簡単なやつをJavaで作ってっみた。生のデータをもとにヒストグラムのデータを作成するスクリプトでそれをgnuplotというグラフ描画ソフトに食べさせてグラフを描く。赤い縁取りの棒グラフがそれ。まだ20回分のデータしかないが、面白そうな分布がでてきそうにはないグラフである。いずれ、前回の時間との差を計算したデータや、リターンプロットみたいなものも作る予定。

前期の授業でやったJavaとやはり前期の授業の課題のために覚えたgnuplotがここにきてこんなにも役に立つとは思わなかった。どちらもやっておいて良かった。
gnuplot tips

今日は博士最終試験の日で、恩蔵さん、小俣さん、柳川さんがすずかけで発表をした。行っても試験の様子は公開されないので、あまり意味はないのだが、なんとなく出向いてみた。試験の教室の近くに待機していた。1時間ごと部屋から先輩が出てきて、別の先輩が入っていく。博士号をとることがどういうことなのかぴんと来ないが、それでも、その近くにいて、雰囲気を感じられたのは良かったと思う。終了後、茂木さんは仕事で帰ってしまったがオレと石川と博士の先輩方で、てんてんにて祝杯を挙げた。

今日は寒く、風が強い日だったが、空は申し分なく晴れ渡っていた。

■2007/2/14 水曜日

しょっぱい夕飯

ゼミで紹介する論文を読む。わりと簡単に読めた。こないだ発表したカンデルの基底核の章を読んだことが効いている。基底核の構造がすらすらとでてくる。線条体、淡蒼球、黒質・・・。ドーパミンのD1、D2レセプター。体部位保存的な並列回路。

「軽症うつ病」という本を読み終わった。もう少し早く読んでおけば良かったなと思う。新書はよい入門書になる。次は統合失調症に関する新書を探してみようか。自分は、精神医学の方面に強い関心があるのだと自覚した。うつ病の上位概念として気分障害があることや、内因性、心因性、という区分があること。内因性というのの特徴は朝はかなり気分が悪く、昼、夜となるごとに具合がよくなっていくこと。apathyというavolitionに似た単語。その他いろいろ、脳科学の勉強になった。

夜遅くにスーパーに行ったらあさりがなんと90円で売っていた。ので、二パック買ってあさりのみそ汁を作った。ダシをとる材料がないので、ダシはなしで作ったが、やはり味噌だけでは味はしょっぱいだけ。苦し紛れにめんつゆを入れてみたらしょっぱくなったものの、すこしは広がりのある味になった。半額になっていたマグロの刺身も買ってきて、醤油とめんつゆのタレにつけて焼いた。これもしょっぱくしすぎた。

Mr. & Mrs. Smithという映画をみた。2005年12月に公開されたものだが、当時から結構みたいなと思っていた。構えることなく楽しめそうだったので、勉強の息抜きに借りてみた。これがすごくいい映画だった。雰囲気がとてもいいものを作れている。どこかしら、日本のマンガにあるようなトーンがでていて、そんなトーンを出せる映画は初めて見た。日本の映画でも日本のマンガのようなトーンはでない。意図したことではないのかもしれないけど、映画でもあのようなトーンを生むことができるのかと思った。

■2007/2/13 火曜日

ルイス・カーン、ネタとシャリ

今日は建築に関する講義を聴きに行った。月1講義の2回目。

2月13日(火)齋藤裕連続講義第2回「ルイス・カーンの建築」

建築に関してはまったくの門外漢でよくわからないが、この講義をやられている齋藤裕さんというのはとてもえらい先生らしい。この授業は僕の友達がこの先生に直接掛けあって授業をして欲しいと頼んで実現したとのこと。その友達は「建築集団A+」というあつまり(サークル?)の一員なのだけど、A+の広報活動や、齋藤裕さんの集客力と相まって、今回も前回もかなり人が集まっていた。ああやって、たくさんの人を巻き込んで何かイベントを開催するエネルギーってすごいなと思う。自分にはないそういう力がまぶしい。

ルイス・カーンの建築は前回のルイス・バラガン建築のような溢れる光や色彩の華やかさはないが、闇の中の佇まいには目を見張る物があった。

あんなにすばらしい家に住みたいなと思う反面、でもどうせ生活しているうちに生活感が滲み出た空間になってしまうんだろうなとも思う。だけど、齋藤先生はそんな意見を一掃する。「それはそういう家に住んだことがないからそういうのだ」見せられる写真はすべて齋藤先生自らからが撮影したものだ。そして、その写真はみな一様に美しい。写真を撮るとき、先生はそこを掃除したりはしないという。わざわざそんなことをしなくても、その家の人たちはこれだけ美しいままで暮らしているのだという証左になっている。

でもそれはわかる気がする。そんな美しい家に住んだことはないけれども、美しく暮らすことをアフォードする建築はあるように思う。生活に一定の張りを緊張感を、審美眼を維持することを要求するような、要求というよりはそれを自然にさせるようなスパイスのような役割をもつ建築はあり得るように思う。そういうものは、建築だけではなくて例えば文房具とか、服とか花瓶とか、椅子や机とか、道や公衆トイレとか、あらゆるものがそういう存在になる可能性を秘めているのだと思う。

帰りに、新宿で回転寿司を喰らった。半年ぐらい前はその品質に満足したものだが、どうも質が落ちてしまったようだ。北千住の駅の中にある回転寿司屋も、行くたびに質が落ちていくのを本当に残念に思う。「回ってる寿司だから仕方ないか」と諦めるしかないのだろうか。

寿司というのは“握る”ものだろう。なのに、でてくるのは「刺身のっけ酢飯」になっている。箸でつまんで醤油をつけようとする動作で簡単にネタとシャリが分離してしまう。本当の寿司だったらそんなことは絶対にあり得ない。寿司というのは横に転がしてもネタとシャリが剥がれることはない。ネタとシャリが簡単に分離してしまうので醤油をつけるのにも難儀する。そもそもネタが大きすぎるのにも問題がある。シャリにマントをかぶせたようにだぶだぶにネタが余っているのばかりでうんざりする。そんなにでかくちゃ醤油がつけきらないし、口にも入りきらない、おまけにあんまり大きな刺身はいくら新鮮でも生臭さでウッとなる。だからネタは適度な厚さと大きさでなければいけないのに、世の中には「ネタはでかい方がよい」という信仰のようなものがあって、シャリの3倍ぐらいの大きさのネタがのった寿司がテレビでとりあげられたりする。そういうのには閉口してしまうよ。あとどーにも鼻持ちならないのが盛りつけ方。ものによっては刻んだネギやおろした生姜がのっているが、そののせ方が本当にぞんざい。いかにもやっつけ仕事、のっけときゃいいんでしょ?ていう態度が見え見えで、見た目もおいしそうに盛りつけるという美意識をまったく感じられない。軍艦巻きとか平気でのりが崩れたものを出してくるし。なんでこうなってしまったんだろう。日本酒にしても寿司にしても、本来の姿がうち捨てられてしまっていて、形骸化してしまっているように思う。本末転倒というか、はっきりいって台無しだ。先ほどの店の唯一の救いは、ネタが新鮮でうまかったことだ。だがオレは刺身が食いたかったわけではない。

ポストに実家からの郵便物が届いていた。普通の封筒がぶくぶく膨れている。なんだろうと重いながら開けてみるとチョコレートが入っていた。それで、明日がバレンタインなのを思い出した。妹よ、どうもありがとう。コーヒーと一緒においしくいただかせていただきます。

昨日、Trainspottingという映画を見た。それから、もうじき「軽症うつ病」という本を読み終わる。

■2007/2/13 火曜日

NSProgressIndicator(Java)、アナログ映像端子

体調悪し。寒さがひとつ増したように思う。が、おそらくこれが今年の冬の断末魔なのだろう。

連休中はプログラムと格闘していた。目鼻が付いてきた感じ。Cocoa-Javeという枠組みでプログラムしている。Mac標準のCocoaというGUIライブラリを使いつつ、中身はJavaで書くという枠組み。はじめはGUIもJavaでやっていたが、それがなかなか大変だった。本を読んでいるうちにXcodeのInterface Builderを使ってみる気が起こってきて、やってみた。Interface Builderは偉いと思う。本当はObjective-Cでやった方がいいのだろうけど、さすがにそれはきつすぎる。

それまでやっていた枠組みとは全然違う枠組みだったのではじめは何をどうしたらいいかまったくわからなかった。いたずらに時間ばかり過ぎていく感じですごいストレスを感じた。でも、苦闘しているうちになんとか扱い方がわかってきて、気付いたらそれらしいものができていた。それにしても、この枠組みでやるのが少数派のせいか、リファレンスの類が日本語で読めないのがつらい。

Progress Indicator
NSProgressIndicator(Java)
プログレスバーを進める方法は「incrementBy(double delta)」というメソッドを使うしかないらしい。indeterminant とdeterminantの違いがよくわからなかったが、バーが100%に向かっていくのがdeterminantでそうじゃなくてくるくる回ってるだけとか床屋の看板を横にしたような感じでアニメーションが起こるのがindeterminantらしい。だからindeterminantじゃないとanimateメソッドは使えない。

NSButton
NSControl
ボタンを押せなくする状態に変更する方法を探していたら、NSButtonクラスではなく、その上のNSControlに記述があった。setEnabled(boolean flag)てな感じ。

implements Runnableとextends Threadの違いがイマイチわからないが、とりあえずThreadを使うのも抵抗なくなってきた。あとは、毎トライアルごとにデータを外部ファイルに書き込む処理を付け加えれば実験には使える。

ふとHDDレコーダーのことが気になったのでググってみた。参考になったページ。
CPRM
映像端子の出力
HD対応機器の端子
CPRMでコピー防止機能がついていても、アナログで出力したやつを録画すれば問題ないじゃない、ということを思い付いたのでした。

■2007/2/11 日曜日

ビールのカロリー

タスクのためのプログラミングをやる。なかなかできない。見た目はできたっぽいが、中身は全然できていない。

ビールはどのぐらい太るのだろうと、ふと思った。350mlの缶には165kcalと書いてある。ネットでコーラのカロリーを調べると137kcalらしい。なんと、コーラよりもカロリーが高いのだ。それは太るだろうな。糖質で比べるとビールは15.8gに対し、コーラは40g程度だった。コーラほどでないにしろ、割と糖分入ってるんだなと思った。カロリーの違いと糖質の違いはなんなんだろうか?そもそも、ビールのカロリーってどうやって算出してるんだろうか?エタノールってカロリーあるのか?でも、エタノールはアセトアルデヒドを経て水と二酸化炭素に分解されるはずだけど、その反応はむしろエネルギーを使用して行われるのではないか?だとしたらエタノール自体のカロリーはマイナスと言ってもいいだろう。では、糖質以外にカロリー増加に寄与している物質はなんなのだろう?
ビール 165kcal, 15.8g
コーラ 137kcal, 40g

料理をする気が全然起こらなくてスーパーでお惣菜を買ってきて食べてしまう。きっと健康にはよろしくないのだろうと思う。味噌が余っているので、これがそう簡単に腐らないのはわかっているが、でも使ってしまわないとなと思う。

■2007/2/10 土曜日

ミツバチの遺伝子、ジストニア

以前、先輩に「これ面白いよ」といって渡された新聞記事を読んだ。ミツバチの習性に関するもの。ミツバチの驚くべき認知機能に関するものだったが、興味を引いたのはおまけ的に記載されていたハチの性質だった。

「働きバチはすべてメスで、持っている遺伝子は女王バチと全く一緒」というもの。そうか、そういう生の形態もあったのかと感心した。我々人間を含む多細胞生物は、文字通りたくさんの細胞からなっている。そして、各細胞が持っている遺伝子は全く同じなのだが、すべての細胞が同じように振る舞うわけではない。それでは能がないのである。細胞ごとに遺伝子発現パターンが違うので異なる機能・性質を持った細胞になる。こうして、単細胞レベルでは実現できなかった高機能が実現されるのである。

ミツバチの場合は、単細胞から多細胞への拡張がさらに単個体から多個体へと適用されたと見ることができるんじゃないか。それが、オレが感心し、面白いと思ったところである。同じ遺伝子を持っているのに、個体としての遺伝子発現パターンが違う。つまり、一匹の女王バチと無数の働きバチを合わせた群体が一個体であると捉える見方ができるんではないだろうか?と思った。

機能分化の結果、手や足や耳や目や、各種内臓、脳の領野などができていったわけだが、そんなものでは手ぬるい!とばかりに、個体レベルでの機能分化を成し遂げ、子供を産む個体とミツを集めてくる個体という風に分けてしまったんじゃないか。

なんとなくオブジェクト指向言語の”インスタンス化”に似ているな、と思った。そう思ったところで、ハッっとしたのが、そもそもJAVAにはポリモーフィズム(遺伝子多型)という特徴があるのだということを思い出した。そうか、JAVAを作る人がそういうのを念頭に置いてつくったんだから、似ていると思うのも当たり前だ。

個体としての遺伝子発現パターンを変化させるのは何かという疑問が当然湧くと思うのだが、それに直接言及することは記事には書いていなかった。ただ、働きバチにローヤルゼリーを食べさせ続けると女王バチになると書いてあったから、たぶんそういうことなのだろう。

昨日は有楽町で「神経の発生・変性・再生-疾患研究の最前線-」というシンポジウムの市民公開講座を聴きに行った。大隅典子さんの脳ができあがる仕組みという話を聞いてみたかったのだ。以前から脳の発生に興味があった。回路の性質によって機能が実現される以上、発生を理解することで回路の性質をより詳しく理解できると思っている。大隅さんのお話は、かなり一般向けに配慮した造りになっていて、とてもわかりやすかった。一応専門家の部類に入る自分としては物足りなさはあるものの、発生分子生物学は射程外であるわけで(ややこしい表現だな)得るものはあった。

Pax6という遺伝子の役割がわかってよかった。この遺伝子がその下流にあるたくさんの遺伝子の調節をしている”親分”として働いていて、それは中脳を除く脳のほぼすべての領域で発現しているらしい。「あれ、Pax6って言語と関係してなかったっけ?」って思ったがそれはFOXP2という遺伝子で全然違かったというのは内緒だ。

大隅さんの話を聞いたら帰ろうと思っていたが、休憩をとらず講演が続いたので退席しづらくそのまま聞き続けた。その後にインフルエンザ脳症とジストニアの話が続いた。インフルエンザの話はすこしためになった。ジストニアの話が予想外に興味を引いた。ジストニアの話の前半はボツリヌス毒素を筋肉に注射することでジストニアを緩和するというもの。ボツリヌス毒素はアセチルコリンレセプターに関与するということで、しばらく前にカンデルで読んだ、筋肉と神経が接続するEndplateのことを思い出した。あれを読んだからこの話わかるぜ!と、うれしかった。後半は、ジストニアの患者に電極を差し込んで治療するという話。電極は淡蒼球内節に刺すという。淡蒼球内節!それこそ、オレがこの間カンデルで読んだ基底核の話でもろにかぶる話だった。そうか!淡蒼球内節か!そこを刺激することで視床への抑制が強まり、視床への興奮性出力が抑制されて不随意運動が抑制されるということですな!ふんっ(鼻息)と得意げな気持ちになった。

ジストニアの患者さんの写真や動画を豊富に見ることができた。その姿は痛ましい。腕を伸ばしてグーパーしてください、といわれても勝手に首が動いてしまう。まぶたが勝手に閉じてしまう。体をまっすぐに維持することができない。勝手に腕が後ろに引っ張られてしまう。明らかな異常さが漂う。だけど、そういう姿をみることで、単語だけでしか知らなかった症状や病気がリアルに実感できる。ピンと来なかったものが腑に落ちるようになる。直視するには感受性が邪魔をする。こういう時に、Detachmentは必要なのである。

■2007/2/8 木曜日

M2修論発表会、力が湧く感触

昨日はM2の先輩の修論発表会だった。修士論文の発表をする会である。事前に修士論文は提出してあり、その内容を審査をする3人〜5人の先生の前で発表する。発表は15分で、その後の質疑応答が博士課程進学者は15分、卒業する人は9分ある。この発表会で審査する先生方が全員OKを出せば修士号取得となる。

発表は午後からで、午前中は他研究室の先輩の発表を一件聞くのみ。それが終わった後は一旦茂木研のすずかけの部屋で”D部屋”とよばれている部屋でくつろぐ。(D部屋というのはドクター学生が使う部屋という意味。実際はドクターとM2の学生が使うけど。)くつろぐといっても、茂木さんとM2の三名は発表用スライドのデバッグ作業が続く。(デバッグというのは手直しとか修正とかいう意味)

お昼はすずかけ台における茂木研御用達(たぶん他の研究室も)の天ぷら屋さん、「てんてん」に行く。茂木研のほとんどのメンバーが集まったので、お座敷のテーブルを4つ全部独占してしまった。お店の人が優しくて、最初は二つの机でぎゅうぎゅうに座っていたのに、どうぞ使ってくださいと勧めてくださってご厚意に甘えさせていただいた。お座敷で料理が出てくるのを待つ間も発表者のデバッグ作業は続いて、茂木さんを含めて3人ぐらいがノートPCを開いていた。お座敷で3台のノートPCが開かれている光景が、なんだかシュールで可笑しかった。茂木さんごちそうさまでした。
クオリア日 2007.02.08(写真とられた)

予行練習の甲斐あって、3人の先輩方の発表はぐっとわかりやすくなっていました。でも、審査の先生方の突っ込みが、思った以上に厳しくて、修士号の学位をとることの厳しさを体感した。来年は自分があそこに立つはずだ。自信を持って発表できるようがんばろう。

発表の後はD部屋でささやかな打ち上げ。お酒とお菓子をコンビニで買い込んできて、みんなで乾杯。茂木研のメンバーはほとんどすずかけに来なくて、五反田のCSLにいるので、これだけのメンバーが同時にすずかけに集まるというのは滅多にないことで、その光景が見れてうれしかった。

M2の発表が終わって、なんだか一段落した気分がする。ゼミでの論文紹介担当、構想発表、カンデルの担当と立て込んでいた。今日は疲れと酒のせいでぐっすり眠れて、力がめらめら湧いてくるような感じがした。体調が良いというのはすばらしい。体調が良くなって初めて、しばらく体調が悪かった状態が続いていたんだということに気付いた。体も頭もスッキリしていてよく動く。それまであったおっくうさやだるさを感じない。というか、あれはおっくうでだるい状態だったんだと今になって認識できた。

今月中にはプログラミングを終わらせて実験がはじめられるような状態を目指します。3月には合宿が控えている。

■2007/2/6 火曜日

基底核の発表、予行ゼミ

昨日早めに寝たお陰でよく寝れて、それで朝から調子がよかった。そういう状態で発表に臨めてよかった。発表は、たぶん、うまくできていたと思う。皮質からの投射は直接経路と関節経路が拮抗するように働くのに対して、緻密部からのドーパミンの投射は直接経路を促進する方に働く、という先生のコメントが印象的だった。

ゼミ後、石川とCSLに移動。明日のM2修論発表のための予行があった。またかなり長時間の議論となった。明日はM2の先輩方の修論発表会である。また朝早い。

プログラミングがなかなか前進できない。ActionListenerの使い方がわからない!

■2007/2/5 月曜日

町田、棚、ホットミルク

今日は日記を書いた後寝ようとしたが寝られず、少しゴロゴロしたのちに起き出した。とにかくゴミ溜めのように汚い部屋の中の散乱物を整理し、天気が良かったので毛布を干した。収納スペースに限界を感じて、もうひとつ棚を購入することにした。すでに棚は二つあるがその二つの棚の間にまだスペースがあるので、そこにもう一つ棚を入れることにした。

そんなわけで町田におもむく。やはり寝ていないせいかふらつく。人混みを縫って歩くのにまごつく。一回目に棚を買ったときも町田のドンキホーテで、今回もそこに向かう。町田は横浜より栄えていると思う。横浜は建物と建物の間の隙間が大きくて、すかすかして見える。町田はぎちぎちに建物が並んでいるので賑わっているように見える。個人的には町田の光景は渋谷の光景と似ている。109あるし。

棚を買う前に丸井みたいなビルの7階にある三省堂による。人がいなくて、少しひなびた感じがいい。ワーズワースの対訳詩集と田島正樹氏の哲学事典という新書と、図説心理学入門という本を買った。最近、Amazonで買ってばかりだけど、本屋で右往左往した後、本を買うのは楽しいと思った。

それからサクッと棚を買って(4000yen)、すずかけに行く。棚が重い。M1部屋に起きっぱなしだったスキャナを家に持って帰ることにしたのだ。棚を設置することで、スキャナを置くスペースができると思ったのだ。そんなわけで、棚とスキャナを担いで家まで帰る。重いものを持って歩くと汗ばむ。と思ったら、それだけじゃなくて今日はだいぶ暖かいらしい。思ったほど疲れてなかったのでそのまま棚を作る。一回作ったことがあるし、そもそも簡単な造りなのであっさり棚は完成する。プリンタ、スキャナを起き、その下の段に床に散乱していたものをとりあえず突っ込むだけでわりと片づいた感じがする。

その後、洗濯機をまわしてシャワーを浴び、少し横になる。どっぷりしただるさにつつまれて軽く眠る。1時間ほど寝てから頑張って起きて英語をやる。明日やる発表を英語で話してみた。思ったより英語がでてきてうれしかった。ま、そもそも英語で読んでるからね。

東急で総菜を買って、久々に米とみそ汁(インスタント)と一緒に、しかも座って飯を食った。(普段は調理と食べるのが同時進行で、冷蔵庫を机代わりにして立ったまま食べます)

明日に備えて少し復習して、早起きできるよう早めに寝よう。ぐっすり休めるようにホットミルクを飲む。

■2007/2/4 日曜日

スライド完成、コンパイラ、寒くない冬、見上げてない夜空

カンデル43章の発表用スライドが完成した。(現在 2/5 5:20AM)かなり力作ができたつもりだ。とにかくこれから少し休む。

全訳を作る作業がコーディング(プログラムのソースを書くこと)だとしたら、スライドを作ることはコンパイルすることだなと思った。つまり、ひとつのまとまりとして完結するように外部へのリンクは適切に処理し、内部の構造が最も効率よく動くようにものとものの関係を整理して繋ぎ変えるという行為。全訳してわかった気になっていたことも、スライドを作り始めてまた悩んだ。ひとつの太いストーリーをつくり、その中で出てくる登場人物や小道具を整備し、適切な順序やタイミングで絶妙に配置していく。この小道具はどうやって登場させればいい?この人物を登場させる必然性は?この人の振る舞いはこれで自然か?喩えればそんな感じだろうか。一気呵成に仕上げるつもりが、かなりのそりのそりとしたペースになってしまった。はやくインタープリタ言語になりたい。(コンパイルせずにソースをそのまま実行できる言語のこと)

なんとか終わってよかった。ここ一週間はそのプレッシャーがあって、家事のたぐいをする気が起きず、部屋はカオスと化している。ご飯をつくることも完全に放棄してしまっていて、外食か、コンビニ弁当かお菓子かしか食べていない。コーヒーを淹れるのも時間が惜しくわずらわしくなってしまって、パックのを買ってきて飲んでいた。食費がかさんでしょうがない。五日前ぐらいに使った食器が洗いもせずに放置してあって、いい加減まずいんじゃないかと思う。

そんな生活を続けていて、気付いたのは、オレは気がかりなことがあると、それ以外のことに対してかなり強めに抑制がかかってしまう質なのだということ。気がかりなことが終わらなかったらどうしよう、と思って、他のことをやって時間が過ぎてしまうことを極度に恐れすぎる。食器を洗ったり、もう少しましな食生活にしたり、いくらなんでももうすこしなんとかできたはずだ。凝った料理は無理でもご飯を炊いて納豆をかけて食べる、ぐらいのことはできたはずだ。それぐらいやってもやはりスライドは完成していたと思う。どうも、頭の切り替えが苦手なようだ。

明日からは早速プログラミングを再開しよう。もう2月になってしまった。今月中には完成させて、すこし実験をしてこの方向性でいいのかどうか値踏みできるような段階まで行きたい。

駅前のカレー屋が潰れたところに今度は海鮮丼屋さんができるらしい。やった。これで少しだけ食生活が向上する。

もう三寒四温の時期に入っている気がする。今日はわりと寒かったけど、時々暖かくなったりする。春が見え隠れしている。

今年はあまり寒さを感じなかった。暖冬のせいはもちろんあるだろう。だけど、もっと根本的な事に気付いた。外にいた時間が極端にいままでより短いのだ。それに気付いたのは今年の冬はほとんど夜空の星を見ていないこと。

冬は、星の季節だ。少なくとも自分にとって。空気が澄んで、空の星が鮮烈によく見える。実家にいた頃は家から駅までは自転車で10分ぐらいだったから、夜、帰り道は空を見上げながら自転車をこいだものだった。

真冬に自転車をこぐのはかなり辛い。だから、「もうこんな寒いのは嫌だ!冬なんて嫌だ!」と最も強く思うのはその時で、何年も何年もそうしてきたから冬の寒さの記憶はその記憶の積み重ねでできている。だけど、今年はそれがまったくなかった。だから今年は寒さを感じない冬になったのだろう。寒くて辛い思いをしないのは良かったけど、だけど「寒い」おもいをしないと、春を待ちわびる気持ちが湧いてこない。凍えてこわばる体が暖かくなってきて次第に緩んできて、力が漲ってくるような感覚が得られない。得るものがあったかわりに失うものもあったのだなと思う。

くどいようだが、冬の夜空は本当にキレイなのだ。寒さで凍えてうんざりしながら自転車をこぐときも、その夜空は不快感をぬぐい取ってくれる。ああ、今年はまだオリオン座に見とれていないよ。

■2007/2/3 土曜日

全訳終、理解の精度、売れ残りすぎの太巻き

カンデルの全訳が終わった。次はスライド作りだが、やや難航している。明日、一気呵成に仕上げようと思う。かなりいいのができそうだ。

カンデル43章:基底核 PDF, 1.5M
Eric R. Kandel: Principles of Neural Science, Chap.43: The Basal Ganglia, translated in japanese.

昨日だかおとといだか、「カンデルばかり読んでいたのは意味なかったかな」と書いたけど、意味なかったのは読んで理解した精度が低かったせいもあるなと思った。よく「学校で習った事なんて何にも役に立たなかったぜ」「三角関数や微分積分を知っていて、どんな役に立つっていうんだ」という人がいるけど、それは半分あたっていて、半分あたっていないと思う。オレが思うに、役に立たないのは、役に立つ程度までに理解できていないからだと思う。つまり、知識を何かの役に立てるにしても、それにはそれなりの精度と深さがいると思うのだ。表面的に知っているだけではダメで、本質的なことを”わかって”いないとダメなのだ。

オレがいままでカンデルで学んだこともそうなのかなと思った。役に立たせる程度までに精度良く理解できていないのだと思う。カンデルのある章を読んでみんなの前で発表するという経験は、すでに10回ぐらいはしていると思うが、回を重ねるごとに一章読むのがラクになり一章を読んだ後の理解度も深まっていると思う。今回読み終えた基底核の章の理解度は今までに比べて特に高いように思う。そうなった今思うのは、今まで読んでいた章はわかったうちにはいんないなということで、それなら役に立たないのも当然だよなと思った。

夜遅くにスーパーに行ったら、太巻きがとても大量に売れ残っていて、すべてに半額シールがはってあった。作る数量を1桁間違えたんじゃないか(例えば100個つくるところを1000個作っちゃったんじゃないか)という勢いでたくさん残っていた。節分の日に太巻き(恵方巻き)を食べるという習慣が何故か数年前から発生した。きっとだいぶ昔にはあって、それが人々にとってリアルな習慣だったのだろうけど、現代においては完全に廃れていたはずだ。なのになんでいまさらとってつけたように復活させたのだろう。突発的に売り上げを伸ばそう、というコンビニの下心がみえみえだと思う。おそらくは、誰しもそう思うからああやって大量の太巻きが売れ残るのであろう。いみじくなりてわろし。

■2007/2/2 金曜日

ゼミ長丁場、韓国料理

今日は体の調子がとても良く、充実した一日だった。朝からフルに活動したぞーという実感と鈍く頭の上に被さる疲労が心地よく体を満たしている。今日はよく寝れそうである。

午前中は英語をやった。このところ上達度合いはともかく、いいペースで英語ができている。普段よりも長めにやることができた。その後、横浜で唐揚げ定食を食べ、五反田CSLに移動。唐揚げの盛りが良すぎて食傷気味になった。

今日のゼミは来週のM2の先輩方の修論発表会のための予行である。茂木さんがCSLに滞在できる1時間半ぐらいで3人がなんとかできたてほやほやの発表をした。茂木さんが去って、残りのメンバーでもう一回発表を聞いて磨きをかける。この茂木さんが去った後の議論がいつになく白熱して、その後3時間以上にもわたった。ともかくたくさんの突っ込みが入り、問題点が洗い出されていく。あまりにもみんなが一斉に喋るので、今日はおとなしくしていた。ほとんど自分がいいたいことは他の人が言ってくれるので、出番がなかったのだ。こんなに長くて濃密な議論はひさしぶりで、楽しかった。毎回これぐらいの長さと密度でやったら疲れるだろうけど、脳にはいいかもしれない。

その後、メンバーのほとんどで韓国料理の「チェゴヤ」へ行き、晩ご飯をたべた。ユッケジャンスープを食べる。そういえば韓国料理を食べるのって久しぶりだ。以前はバイト終わった後の飲み会でしょっちゅう食べていたし、早稲田にいた頃も、すぐ近くにコリアンタウンの新大久保があるのでそこでよく韓国料理を食べたものだ。そもそもオレは韓国にも行ったことがあるので、わりと韓国料理に詳しかったりする。最近記憶が消失しつつあるが、ハングルを音にすることもできた時期もあった(意味はわからない)。韓国は遠くなりにけり。

マッコルリ、ペクセシュ、チャミスル、豆腐チゲ、キムチチゲ、海鮮チヂミ、ナムル、石焼きビビンパ、コムタン、サムゲタン、テジカルビ、プルコギ、春雨炒め、トッポッキ、レンニョン、カルククス。。。韓国に行ったときは本当に食い倒れそうなほど食べた。一歩歩くだけで辛い状態だった。韓国料理で嬉しいのが食堂に入ると、とりあえずキムチとナムルとジャガイモの炒めたやつと白菜以外のキムチと卵焼きみたいなのとかが小さな皿でばーっとでてくるところ。店によって何がでてくるかは微妙に違うが、とにかくどこの店に行ってもとりあえずそういう小皿料理が4、5種類出てきて、しかもおかわり自由なのである!それと自分で注文した料理もでてくるのでかなりの量と種類を食べることができる。なんていい国なんだと思った。それが韓国の文化らしい。日本の韓国料理屋さんでは、かろうじてその名残があって、キムチぐらいはただで食べさせてくれる。ただしおかわりはできない。日本でそういう風に商売するのはきっと難しいのであろう。

みんなで話していたら「根無し草」がどうのこうのという話がでた。それで金城一紀の小説「GO」を思い出した。この小説は在日韓国人の少年の話。「在日」という重いテーマを含みつつもポップで、切ないけど笑えて、そして青春の物語。その中で、「"No soy coreano, ni soy japone's, yo soy desarraigado"(ノッソイコリアーノ、ニッソイハポネス、ヨッソイデサライガード)」という台詞がでてくる。スペイン語なのだが「オレは韓国人でも日本人でもない!ただの根無し草だ!」という意味。その台詞がでてくるシチュエーションが笑えるけどかっこいいのだ。面白いのでおすすめです。

カンデルの全訳はあと半ページという所まで来た。今日はゼミと英語であまり時間が割けなかったが、そのわりに進んだと思う。火曜日には気合いの入った発表ができそうである。

■2007/2/1 木曜日

本と活字、若いうちに旅、論文探索トライアンドエラー

1/31の日記を追記して、1月に読んだ本を書き出してみたけどたった3冊しかなかった。うごー、情けな。過去の読書記録。目標は年間100冊なのだが、依然として達成できていない。最高は50冊(2004年)。それ以降はきちんと記録をとっていないけど大幅に下回っているのは確か。理由ははっきりしていて、4年になって研究生活がはじまって、論文や教科書を読む時間が圧倒的に増えたからだ。だから、活字を読む量自体は変わっていないような気がする。むしろ活字を読む量は増えていると思う。映画も週に一本はみるぐらいのペースでいきたいと思っている。

最近、立て続けに違う三人の人から、「若いうちに、時間があるときに旅行に行った方がいいよ!」と進められた。それはそうだと思っているんだけど、なんとなく実行に移せないでいる。やはり先立つものがないからそう簡単に行動を起こせない。「ここにいって、これがどうしてもみたい!」というのがないのも問題だと思う。でも、こう何人ものしかも全くそれぞれがつながりがない人に立て続けに言われると、もっと積極的になったほうがいいんじゃないかという気がしてくる。春休みに、どっかいこうかしら。

その話とは別に、「かわいい子には旅をさせろ」という諺があるけれど、これは決して、「子供がかわいかったら旅をさせて楽しませてやれ」という意味ではない。昔は旅というのは寝るところにも食べるものにもひどく不自由する生活で、とても大変なことだった。だけど、若いうちにそういう苦労をすることで成熟した大人に成長することができる。だから、子供がかわいくて、苦労をさせたくないという親心はよくわからるが、苦労をさせて成長させるのが本当にはその子のためになるから旅をさせよ。そういう意味だ。「若いときの苦労は買ってでもしろ」と同じ意味。

イタリア、フランス、ドイツ、スペインなどヨーロッパはもちろん興味あるが、チェコのような東欧、トルコのような西アジア、キューバ、アフリカにも興味がある

今日も英語をやったあと、喫茶店でカンデルを訳す。ずーっと家の中でやっていたので、逆に喫茶店とかの方が集中できたりする。インターネットというディストラクタ(気を散らせるもの)からも遠ざかることができるし。やはり訳す速度がはやくなった。そうはいっても、単純に、訳すテクニックが身に付いただけのような感じもするし、基底核の知識がある程度ついたのでそれによって支えられている速度アップでもあると思うが、昨日も書いたように英語メモリの増加はやはりしたように思う。

最近思うのは、この修士1年の間、特に後半、カンデルばかり読んでいた気がする。いままでこんな風に思ったことはないのだけど、カンデルばかり読まずにもっと論文を読むべきだったと思うようになった。確かに、脳科学の分子生物学的、解剖学的、病理学的な知識はついたのだがでもそれが今の時点で実質的な意味ではほとんど役に立たない。研究を進めるにあたってはほとんど無力と言っていい。こんなんでは研究がすすまない。構想発表会のすこし前あたりからそんなことを思うようになった。結局、もっと具体的に研究のことを考えなければいけなかったのだと思う。論文を読んで、まさに今、どんな研究がどんな文脈で行われていてその中でどんなやり方があって、そしてどんな問題点があるのか?その問題点を打開するには?その文脈に対して新しい風となるような視点や実験パラダイムを提供できないか?まさにそんな風に考えて論文を探しては読み、探しては読みするべきだったと思っている。

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野澤真一