log 2007. September.

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フェムトセカンド

下に降りるほど古くなります。

■2007/9/30 日曜日

メモ

読んだ本***
9/8 「生きにくい子どもたち」岩宮恵子fs
9/21 「アフォーダンスー新しい認知の理論」佐々木正人fs
9/25  「迷惑な進化」シャロン・モアレムfs
9/27 「環境問題のウソ」池田清彦fs

観た映画***
9/5 「SiCKO」マイケル・ムーア@渋谷mixi
9/7 「華氏911」マイケル・ムーア(DVD)
9/10 「17歳のカルテ」(DVD) fs
9/14 「 小さな恋のメロディー」(DVD)mixi
9/15 「エヴァンゲリオンテレビ版 24話, 25話」(DVD)
9/21 「TAXI DRIVER」(DVD)

行った美術展***
9/9 キュレーターズチョイス07「対話する美術館」@東京都写真美術館 *
9/9 ル・コルビジエ展@森美術館 *
9/23-24 地中美術館、ベネッセミュージアム、直島・家プロジェクト「内藤礼:このことを(きんざ)」fs、護王神社@直島mixi
9/24 丸亀猪熊弦一郎美術館 常設展、エルネスト・ネト(Ernesto Neto)展[fs]
9/25 東山魁夷せとうち美術館(休館だった)

■2007/9/29 土曜日

アマゾンのリンク

アマゾンのリンクをこうやって作るのがにわかに楽しくなってきた。いままで「個別商品リンク」といってオレが指定した商品だけを決めうちで表示するリンクしか作ってこなかったが、下のは「ライブラリリンク」といって指定したキーワードに基づいてアマゾンが勝手に商品リストを作ってくれるというもの。キーワードをいろいろ試すのが楽しい。よさそうな本ばかり表示させるのは結構難しい。

キーワード:浅井健一


キーワード:茂木健一郎


誰かが上のリンクを介して本を買うと、その本の代金の3%がオレにAmazonから支払われる。が、そうやって誰かが本を買ってくれたことは皆無に等しい。よってそれで得られる報酬もすずめの涙が蒸発して地面に出来た染みほどにしかならない。そういうわけでこのリンクを貼っても全然利益は得られないのだが、大した手間もかけず、ページをにぎやかにしてくれるので使っている。あんまりベタベタ貼りすぎるとゴテゴテしてしまうので気をつけないと。

今日は地元では有名な「OB」という喫茶店でしばし作業に励む。花瓶のようなデカさの容器に入れて食べ物・飲み物を出すお店。写真はアイスカフェオレで550円。ゆうに1リットルはありそう。作業ははかどらず。octaveをいじっていたのだが思うようにできない。自分でスクリプトを書いた方がやっぱり早いかも知れない。

■2007/9/28 金曜日

メモ

今読んでる本のメモ(私に還る処方箋)

鉄欠乏
ヘモグロビンの女性の基準値 11.3-15.2 g/dl
女性の場合、貧血が多いので10.3でも軽い貧血というだけで治療の対象にならないことが多い
鉄の指標はヘモグロビンだけではない。血清鉄、フェリチン。特にフェリチンは貯蔵鉄の指標。日本の女性は食生活の習慣のせいで統計的に得られた鉄の基準値はあまり参考にならない。
造血機能の観点から考えると80を下回らないほうがいい。
しかし、通常の血液検査ではフェリチンの測定は行われない。
貧血がないからと言って鉄が欠乏していないとは言えない。

タンパク欠乏
総タンパクだけ見てもダメ。γ-GTPと尿酸窒素も同時に見なければいけない。
総タンパクが基準値内でもγ-GTPと尿酸窒素が10を下回る場合はタンパク質・アミノ酸の欠乏を疑う。
総タンパクが7.8で基準値ないでもγ-GTPと尿酸窒素が9と8なら明白なタンパク不足。
現在の日本人の食習慣ではタンパク質は不足気味。

ビタミンB欠乏
GOTとGPTは健常ならともに25±1という驚異的な狭い範囲に精巧に調整されている。
GOT>GPTとなったらビタミンB6欠乏。(ビタミンB6の欠乏でGOT, GPTともに減少するがGPTの方が減少の速度が速い。)
ビタミンB群はタンパク質、脂質、炭水化物の全ての代謝に関わっている。

亜鉛欠乏
亜鉛の欠乏は単独でうつ症状(!)を呈す。
亜鉛をはじめとするミネラルは血液中の濃度が頑強に管理されていて、欠乏していても血中濃度にはあらわれずらい。
ALS(アルカリフォスファターゼ)という項目が亜鉛欠乏の指標になる。100 IU/Lを下回ると明らかな亜鉛欠乏。
亜鉛は皮膚や粘膜に必須のミネラルであり、湿疹や口内炎、脱毛、味覚低下などが欠乏で起こるし、アトピー性皮膚炎を増悪させる。
亜鉛は体内の200種類以上の酵素の活性に関与する。
インスリンの形成を助け、インスリンの構成要素でもある。

■2007/9/28 金曜日

メモリ再増設

アマゾンで
I-O DATA
SDD333-1G
PC2700 DDR SDRAM S.O.DIMM
という容量1Gのメモリを購入。早速、PowerBookのメモリを付け替える。(*1) オレのPowerBookの型はこれ。
12inch, Super Drive, CPU: PowerPC G4 1.5 GHz, memory: 512 MByte
*1 = 日記:2007/09/20

というわけで無事認識された。このメモリーはMacintoshに対応していることを明記していない。その分安くて11300円。対応している奴はバルクで16000円ぐらいするので、こっちはお得なのだが、いかんせん対応を保証していないので使えるか心配だった。それでどきどきしながら注文して、どきどきしながら差し替えて、ドキドキしながら起動した。そしたら使えたのでよかった。

■2007/9/28 金曜日

朝10時からのゼミ

昨日はゼミだった。本当なら半月かそれ以上前に自分の番だったのだけど、なんやかんやと予定が入ってゼミに出られず、昨日になった。いままで論文紹介では自分の研究にとって関係のありそうな論文を紹介していたが、今回はそれはやめて、他の人にとって有用で面白いと思ってもらえそうな論文を選んだ。紹介した論文は以下。

Serotonin Transporter Genetic Variation and the Response of the Human Amygdala (Science, 2002) abstract

Beyond affect: A role for genetic variation of the serotonin transporter in neural activation during a cognitive attention task (PNAS, 2005) abstract

この二つの論文は同じテーマの論文で、セロトニン輸送体のalleleの遺伝子多型によって情動的な刺激を見たときの扁桃体の活動(fMRI)が違うというもの。遺伝子多型と脳活動が関連するというのが面白いと思った。ひとつめの論文がそれで、ふたつめはその扁桃体活動差が情動的刺激に対する活動上昇なのか、中性的刺激に対する活動減少なのかを調べた論文。この論文によると答えは後者だった。これら二つの論文の他にも同じテーマの論文を何本か読んだ。

Amygdala-prefrontal coupling depends on a genetic variation of the serotonin transporter (Nature neuroscience, 2004) abstract

Additive Effects of Serotonin Transporter and Tryptophan Hydroxylase-2 Gene Variation on Emotional Processing (Cerebral Cortex, 2007) abstract

5-HTTLPR polymorphism impacts human cingulate-amygdala interactions: a genetic susceptibility mechanism for depression (Nature neuroscience, 2005) abstract

同じテーマだと論文を読みやすい。セロトニン輸送体の遺伝子多型の他に、トリプトファン水酸化酵素の遺伝子多型でも同様の扁桃体活動差が生じる。トリプトファンはセロトニンの原料。

ゼミで発表すると毎回うまくできなかったと途方に暮れるのだが、今回はそうでもなく、わりかしうまくいったんではないかと思った。あまり論文の細かいところ(タスクの詳細やデータの解析の仕方)には言及せず、「つまりどういうことか」ということの説明を重視した。

お昼はあさりでみんなで昼食を食べて、午後は進捗報告。が、ゼミの連絡が急すぎて誰も指名されていなかったので、オレが思っていることを喋ることにした。次にやりたいことはあのボタン押し課題の結果を乱数生成機として評価してみようということ。あと、EEG。ボタンを押す前の数秒前あたりの脳活動はどうなっているのか?皮質間のシグナル伝達の順序・経路がどうなっているのかが個人的にはとても興味がある。自分でも話していて苦しいなーと思うのだが、他に名案が思い付かん。最終的には「野澤くんが知りたいことはなんなのか?」ということがどんな実験をするか、解析をするかを決定する重要なファクターになるわけだが、いかんせん自分でもまだはっきりしない。自発性といったときに、その言葉の中に様々な”自発性と呼ばれるもの”が含意されていることは前々からわかっていて、それらをうまく切り分けることができないでいる。最近はそういうのを考えるのに倦んできたので、「とりあえず、なんか結果がでることをやりたいなー」という科学的に不誠実かつ邪(よこしま)なことを思っている。自分はこれが知りたいなーと思っても、それを知るための手法を思い付かないのでじゃあできることをやろうとすると知りたいこととちょっと違うなとなる。そうやってどっちつかずで動けないでいるよりは行きたい方向とは違くても動いてしまいたいと思う質(たち)なので、そのようなちゃらんぽらんな考えが生まれる。

■2007/9/27 木曜日

環境問題のウソ

9/27 「環境問題のウソ」池田清彦

この本を読み終わった。この本を作った編集者の方にいただいた。読み始めたのはだいぶ前だがほとんど読み進めておらず、昨日半分ぐらい読んで、今日電車の中で全部読み切った。中学生、高校生を対象にしているちくまプリマー新書だけあって、さくっと読めた。現在声高に叫ばれている環境問題がいかにお粗末なモノであるかよくわかった。プラスチック燃やしても大してダイオキシン出ないという話は軽く眼から鱗だった。例えば今のビニール袋とかペットボトルとかは塩素を含まない高分子なので、燃やしたってダイオキシンでないじゃんとひとりで思っていたが、そもそも反応速度の律速があるので何を燃やしても一定以上のダイオキシンは生成しないらしい。生ゴミとプラスチックをわける理由はない。ほんと、ばからしい。
面白かったのが地球温暖化で海面が上昇するのはほとんどありえないということ。温暖化で北極の氷が溶ける→海面が上昇するというのはウソで、氷が溶けたところで海面は変わらない。数℃の温暖化でむしろ海面は下がる。何故なら、海水はより蒸発しやすくなり、それが雪となって南極につもるからだ。南極は浮いているのではなく大陸なので沈み込むこともなく海の水が南極につもるのでその分海水は減り、海面は下がる。なんでそのことに自分は気付かなかったのか。
以前アメリカに行ったとき思ったのは「この国にはゴミの分別という概念がない」ということで、なんでもかんでもいっしょくたにゴミ箱に入れてた。(もしかしたら掃除夫がそれらをあとで分別していたかも知れないが)その光景をみてその大ざっぱっぷりに軽く閉口したものだが、今にして思えばそれでいいんじゃないか。分別するコストとダイオキシンを減らすコスト、その合理的均衡点をよくわきまえているということなのではないか。京都議定書に関しても米国は大国にもかかわらず離反して、そのエゴっぷりに辟易したモノだが、今にして思うとそれも合理的な判断なのかもしれない。京都議定書はどう考えてもかかる費用とそれで得られる利益がつりあわない。京都議定書にあることを実現するにはめちゃくちゃなコストがかかるが、それを実現できても温暖化を数年遅らせられるに過ぎない。
そもそも二酸化炭素の増加が温暖化の原因じゃなかったらどうするんだろう。例えば太陽の活動が活発になってその結果温度が上昇しているんだとしたら、どうするのだ?太陽の活動なんかどんなにお金をかけても制御できない。オレにはできそうなのは二酸化炭素削減ぐらいだから、本当はあまり意味ないんだけどこれで手を打とう、という考えで二酸化炭素温暖化原因説を受け入れているように見えてならない。
アマゾンの書評で結構酷評が書いてある。が、的を射てないものが多い。相変わらずアマゾンの書評は質が低い。

■2007/9/26 水曜日

内藤礼、このことを

直島・高松旅行から帰ってきた。地中美術館、ベネッセミュージアム、家プロジェクト・きんざ・護王神社、丸亀猪熊弦一郎美術館、エルンスト・ネト展、アート三昧の二泊三日であった。とくに最初の二日間は出来すぎなほど充実した時間を過ごせた。その反動のように三日目は空振った。東山魁夷せとうち美術館は休館日で、ヘッドライトつけっぱなしでレンタカーのバッテリーがあがりエンジンがかからなくなるという失態をしでかした(バッテリーあがりは人生3度目)。日本のアートシーンが今、劇的に面白くなっているということを肌で感じられた。もっとアートを!見れば見るほどそう感じた。

内藤礼さんの作品、「きんざ」。2005年の4月にギャラリー小柳でその作品に触れて以来、オレは内藤礼というひとにひどく惹かれており、ずっとこの「きんざ」を見たいと思っていた。それが今回やっと叶った。

2005年4月の日記から抜粋。
2005/4/24 窒息している情報
内藤礼展−地上はどんなところだったか
2005年5月14日(土)まで
ギャラリー小柳
(銀座線銀座一丁目駅7番出口
銀座1-7-5小柳ビル8F。ビルの裏手へ回る)
11:00-19:00 日月祝休
TEL.03-3561-1896
http://www.tokyoartbeat.com/event/2005/3DE2.ja

もしもあんたがたまたま銀座や有楽町に行く機会があるなら、 絶対に行った方がいい。 そんな機会はなくても少しでも時間があるなら行った方がいい。 来週、芸大の美術解剖学という授業に内藤礼さんが来るそうだ。 オレは絶対にもぐりに行こうと思う。
「内藤礼」でググってみた。 その個展のウェブサイトがあると思ったから。 だけどそういうものはなかった。 それが軽くショックだった。 あんなにいいものをやっていながら、 主体的な宣伝活動をやってないのだ。 それらしいビラを配っているわけでもなさそうだし、 きっと告知のポスタ−なんかもないのだろう。 「ぴあ」みたいな雑誌には他の個展と同様に紹介されているが、 何も知らない人がそれだけで見に行こうと思うようには思えない。 オレは人づてに聞いて行ってみようと思ったわけだけど、 「内藤礼」を知っていて、 なおかつそのためにアンテナを張っていないと 見つけだすことはできないだろう。 そういう事実に震撼した。
テレビ、ラジオ、新聞、ネット、雑誌・・・ 様々なメディアを通して情報が溢れている。 その中で窒息している情報がある。 自分にとって大事な情報はむしろその窒息してるほうだったりする。 畢竟、大事な情報は垂れ流されているもののなかではなく、 自分で見つけたものの中にある。 テレビをまともに観なくなって久しいが それでいいのだと思う。

2005/4/24 地上はどんなところだったか・感想
銀座を歩きギャラリー小柳を探す。 あった。 だけどエレベーターがない。 貼り紙があって、  「ギャラリー小柳にいくにはビルの裏手に回って下さい」 とのこと。 テクテク歩く。 何の変哲もないビルのエントランスに入り、エレベーターで8階に行く。
エレベーターが開いた瞬間から展示場ははじまっていた。 悪く言えば殺風景な何もない空間である。 どの作品もとても小さい。 手のひらサイズ。 そういう作品が20点ぐらいあった。
はじめはそのささやかな作品群たちがなんなのか 意味がわからなかった。 でも会場をだいたい一周しおわる頃、わかった。 その展示のコンセプトがわかった。 「地上はどんなところだったか」 そのタイトルに託された意味がわかった。
わかったらもうやばかった。 乱暴な言い方をすればほとんど何もないに等しいこの空間に、 濃密な世界が充満しているのに気付いた。
雲の写真
土と糸のオブジェ
むこうを透かしてみるための作品
それぞれの作品が見る人に励起させるイメージが組み合わさることで、 ただの足し算を爆発的に凌ぐ圧倒的なイメージを与えていた。 イメージというか、生成された別の世界のようなリアリティがあった。
内藤礼というひとの持つ繊細さと優しさを、 あたかも耳もとで囁かれるように感じとった。 癒された。 「なににもならなくていいよ おいで」と書かれた お土産をもらって帰った。

2005/4/28 繊細な人
内藤礼さんの授業をうけた。 内藤礼さんは作品とそのひとの話す言葉にギャップがなくて、 それが驚きだったし、 ギャラリー小柳で感じたのと同じように癒された。 内藤さんの声や話し方はそれだけでとろけるように魅力的だった。
このひとはとてつもなく繊細で、限りなく優しい。 どうしてあんなに繊細でいられるのだろう。 あんなにいろんなことに気付いてしまっては 生きるのがとても苦しいのではないだろうか。 聞いてみたかったが場の雰囲気に呑まれて質問できなかった。
授業後に聞こうと思ったが他の人がずーっと話していて やはり聞けなかった。 そして、その後の飲み会でやっと聞くことが出来た。
やはり辛い、と言っていた。 それでもこの人はしっかり立っていて、目に迷いがなかった。 きっと、想像を絶するような強さを あの細くて小さな体に秘めているのだろう。
オレは“地上はどんなところだったか”の感想を 片っ端から語ってしまった。 自分が感じたことをうまく表現できるかわからなかったし、 表現できてもそれが相手に伝わるかわからなかったけれど、 内藤さんはわかってくれたようで、的確に応えてくれた。
オレ以外の人もばんばんいろんなことを内藤さんに質問していた。 そして、その度に内藤さんは的確に答えるのである。 それがすごいと思った。 ときどきオレには理解できない質問が出たりして、 でも内藤さんはきちんと理解していて応えていた。 そういうのは頭が良いとかそういうのではないと思う。 もっと根源的で絶対的な力だと思った。 だからあんなに繊細になれて、そして繊細でいられるのだろう。


きんざは正式な作品名は「このことを(being given)」。受付のオバサンが作品のもつ繊細さ、神聖さを台無しにしていたが、 それでもこの作品を感じることができた。15分、建物の中にただいるだけ。最初は長いような気がしたが、最後は時間のことを忘れていた。最初の5分はなんのための空間かわからず戸惑う時間。次の5分は立ち上がってあたりを見渡し、細部をよく観察する時間。最後の5分はその世界に同化する時間。あるときはっと気付く。その空間には内藤礼さんの気配が充満していた。まるで内藤礼さんの抱擁されているかのように。むせかえるほど深く息を吸い込むようにぎっしりとその空間には何かが詰まっていた。。

9/25 「迷惑な進化」シャロン・モアレム

森山和道さんが発行している有料のメールマガジン「サイエンスメール」を購読している。
http://www.moriyama.com/sciencemail/
この購読者を対象にときどきプレゼント企画があり、応募したらこの本がもらえた。以前にもニコラ・テスラ 生誕150年記念イベントの参加チケットプレゼントに応募したら当たったことがあった。きっと応募者が少ないから当たる確率が高いのだと思う。

それはさておき、この本はかなり面白かった。ので、一気に読めた。文章が非常にうまいという理由もありそうだ。原文が良くできているし、日本語訳も非常に良くできていると思う。翻訳は読みづらいことが常だが、この本はかなり自然な日本語に翻訳できている。
以前からDNAメチル化でラマルクの獲得形質の遺伝に近いことが起こるのではないか?ということを考えていたが、それと関連する話が書いてあって、とても興味深かった。エピジェネティクスの話も詳しく、非常に勉強になった。また、トランスポゾンの話、これは単語は聞いたことはあるけど何のことなのかはしらなかった。そのことがきちんと書いてあるかなり衝撃だった。遺伝子変異と疾患と進化の話。どれもこれも旨みのぎっしり詰まった話題で、読めて本当に良かった。

11月のSfNまで約1ヶ月。間に合わない。間に合わせ。

■2007/9/23 日曜日

巣鴨の文化祭

今日は、母校の高校の文化祭に行ってきた。三年間担任だった先生と、部活の顧問で何かとお世話になった先生とお話してきた。お二人とも健在で懐かしかった。高校を卒業してもう7年目。高校生だった当時は「うちの文化祭はなんてしょぼいんだっ」と思っていたが、今見るとまた違った趣があった。なんというか見ていてホッとした。ほのぼのする風景だった。これくらいが高校生らしくていいんじゃないか。そんな気がした。

昔いた場所に来るとどうしても自分の来た道みたいなものを考えてしまう。今にして思えば、自分はあの頃(高校生の頃)もっともっといろいろできたような気がする。その一方であの場所で過ごした時間が今の自分を決定的に形作っている。卒業してしばらく経って、改めて母校を見てみると、実はすごくいい学校だったのではないかと思えてくる。自分の来歴、そして行く末、それらを考えてしんみりした。帰りに大塚駅に向かう途中、昔はなかった中華料理屋で遅い昼ご飯を食べた。餃子、ネギチャーシュー、担々麺。ビールの小を頼んで、ひとり乾杯した。まるで昔の自分を労う(ねぎらう)かのように。

明日(というか今日)から瀬戸内海の小さな島、直島に行く。直島に一泊し、香川県高松に一泊。アートとうどんの旅にでる。

■2007/9/22 土曜日

能動的知覚・アフォーダンス

9/21 TAXI DRIVER(DVD)
9/21 「アフォーダンスー新しい認知の理論」佐々木正人

この本は6月のラスベガス行きの飛行機の中で読んでいたのは確かなので、読了にずいぶん時間がかかった。7月、8月と本を読んでいる暇がなかったからな。これを読んで「アフォーダンス」というのが何か掴めた。それは能動的な知覚とも呼べるかもしれない。「イスは座ることをアフォードしている」という言い方をよくするけれど、これの本当に意味することを理解できてはいなかったようだ。アフォーダンスはイスの質感や形、色の単純な知覚ではなく、そのモノに対して知覚者がどのように作用できるかという情報を含めた知覚であり、それはすでに知覚という範疇からはみでるような感じがする。自分がどのように作用できるかということを知るためには自分の質量や形、動ける自由度などを把握していなければならない。そのような行為者の行動の可能性と切っても切れない知覚の様式である。この本は薄い本だが、さまざまなインスピレーションを湧き起こすに十分な内容だった。

今日は茂木研のゼミの日だったのだけど、東大でニューロエコノミクス研究会があったのでそっちを優先させてしまった。オレは茂木研の学生なので茂木研のゼミの方を優先すべきだったのだろう。かすかに罪悪感を感じる。

■2007/9/22 土曜日

octaveで自己相関

Matlabで自己相関関数を求める方法がわかった。というか、パワースペクトルとの関係がわかった。どうも自己相関関数を一発で求める関数はないらしい。で、以前、柳川さんの言ってたとおり、フーリエ変換を使えば良かったのだ。もとの関数をまずフーリエ変換。それからそれにそれの複素共役をかけて、つまり二乗してパワースペクトルを求める、そうしてそれを逆フーリエ変換する。これで自己相関関数のできあがり。Matlabで、と書いたが実際に使っているのはoctaveというフリーソフト。これはMatlabのフリー版とも言えるソフトでかなり高機能らしい。Matlabの本を見ながらこのoctaveというソフトの使い方を勉強している。図は、試しに作ったノイズ入り正弦波(上)とその自己相関関数(下)。

以下追記(2007/9/29):
上記のノイズ入り正弦波の自己相関関数計算のスクリプトは以下の通り。
N = 1024;
tmax = 0.5;
t = linspace(0,tmax,N);
y =sin(2*pi*100*t) + randn(1,N);
subplot(2,1,1); plot(t,y);axis([0,tmax/5,-2,2])

Y=fft(y);power=Y.*conj(Y);
auto_y=real(ifft(power)); auto_y=auto_y./max(auto_y);
subplot(2,1,2);plot(t,auto_y); axis([0,tmax/5,-2,2])

以下、フーリエ変換に関するコマンド。
フーリエ変換:Y=fft(X), Y=fft(X, n)
これはXをフーリエ変換しYに代入。X,nのnは配列数でnが2のべき乗(2^n)の場合は省略可能。
あとは同様に、
逆フーリエ変換:Y=ifft(X), Y=ifft(X, n)
二次元フーリエ変換:Y=fft2(X), Y=fft2(X, m, n)
二次元フーリエ逆変換:Y=ifft2(X), Y=ifft2(X, m, n)
ゼロ周波数位置の中心移動:Y=fftshift(X)

参考文献:「信号処理」「画像処理」のためのMATLAB入門【増補版】、高井信勝・著

octaveはなっかなか感じを掴めないでいたが、今日、すこしわかった。AとBという行列があって、普通の行列の積を計算したいときはA*Bと書けばよい。では、「A.*B」と書いたらどうなるか?そのピリオドは何を意味するか?正解は、対応する要素同士をかけ算する、ということ。これは行列のかけ算の算法とは違う。Matlabでは多次元配列を行列として扱うために、行列としての演算と、多次元配列としての演算を分ける必要がある。それで、ピリオドが必要になるのだ。また、y=sin(t)とやるだけで、各tに対するyの値を計算してくれるということに気づき、それがとても便利なことに(やっと)気付いた。もしC言語なりなんなりでやるんだとしたら、
for(t=0;t<T_MAX;t++){
 y[t]=sin(t)
}
みたいな風に書かなきゃならない。それが、y=sin(t)と書くだけで計算されるのはかなり簡便で、記述密度が高いと言える。Matlabではなんでも行列で表現し、一次元配列を使いたいときにも、一行N列の行列ということになる。これをちゃんと実感するまでにちょっと時間がかかった。明日からばりばりMatlab、もとへoctaveを使っていくぜい!

■2007/9/21 金曜日

陰性症状を拡張して

Negative symptoms: A review of schizophrenia, melancholic depression and Parkinson's diseaseという論文を読んだ。この論文のお陰で、自分の中で分裂していたものがひとつにつながった。ベンジャミン・リベットの実験に代表されるような自発性の問題に興味がある一方で、精神疾患に関しても興味があった。自分の直感としてはそのふたつは関係があるのだが、いままでそういうのを裏付けてくれるような文献はみあたらなかった。この論文は統合失調症の陰性症状という概念を拡張し、うつ病とパーキンソン病における抑鬱状態もあわせて考えてみようというレビュー論文である。統合失調症と主として運動障害であるパーキンソン病の関連性はずっと前から思っていたことで、こうして論文で指摘されて安心した。また、統合失調症の陰性症状とうつ病の状態は似ていると思っていたので、その点でも安心した。統合失調症陰性症状とそれらの疾患との関係がはっきりと明らかになったわけではなく、そういうのと絡めて考えると新しいことが見えるかも知れないという主張に過ぎないが、それだけでも自分にとっては興味深い論文である。さらに、論文中に準備電位の話もでてきていて(リベットの論文も参照されている)、それを読んだときに「つながった!」と思った。自分は統合失調症を基底核ー視床ー皮質ループで説明しようとしていたが、この論文では皮質ー基底核ー辺縁系との関係を述べている。どちらにしろ基底核が含まれているし、辺縁系は関係があると思っていたので、基底核ー視床ー皮質ループは無理でもそんなに根本的に違うとは思わない。

実験の視覚刺激提示のためにPythonのvision eggというのを使ってみようかと思っている。Pythonという言語は使ったことないけど、ちらちらっとみたらそれほど難しくはなさそうだった。OpenGLはうまく使えないのでvision eggとやらでなんとか簡単にできないかなとたくらんでいる。vision eggはOpenGLの命令を書いているらしいので、どっちみちOpenGLがわからないと無理かも知れない?まあやってみようと思う。

■2007/9/20 木曜日

バックアップ

とうとう9月も20日になってしまった。いよいよやばいですなあ。まだSfNにはひと月以上あるわけだけど、これまでの研究の進行速度を考えると非常にマズイ。さくっとプログラムをかけたら実験の解析ははかどり、あたらしい実験パラダイムでの実験もできるのだけど、そのプログラムには膨大な時間がかかる。まとまった時間を作らなければ。

ノートPCにコーヒーがこぼれてダメージを受けた。致命的なものにはならなかったものの、メモリーがやられてしまった。512Mから1Gに付け替えたメモリーだけど、うまく動作しなくなってしまったのでなくなくもとの512Mに付け直す。やはり以前よりは遅い。もういちど買い直そうか検討中。

これを機に、データのバックアップをとった。このパソコンを使い始めたのは2006年の3月からで、まだ1年半しか経っていないが、それまでに作った書類、自作プログラム類、実験データ、写真、DLした論文、ブックマーク、メールをDVDにコピーした。4.7GのDVD二枚分になったがそれでも完全なバックアップにはほど遠い。iTunesに入っている音楽データのバックアップは諦めた。一番簡単なバックアップは外付けHDDを買ってきてまるごとデータをコピーしてしまうことかもしれない。

今回、自分のHDDの中を整理していて驚いたのが、すでに55Gもの容量を使用済みだったことだ。そんなに使っているなんて全然予想していなかった。次にPCを買うときはもっとHDDを大きいのにした方がいいかもしれない。

9/14 小さな恋のメロディー(DVD)
9/15 エヴァンゲリオンテレビ版 24話, 25話(DVD)

■2007/9/15 土曜日

意志の必要条件

すこぶる体調が悪い。いま下の右側の親知らずがはえてきている。歯肉をしたから押し上げていて、突き破りそうな勢いだ。歯が生えてきたぐらいで体調崩してたまるかという感じだが、もう生え終わった上の二本の親知らずが生えてきているときも、確か体調を崩したので、そうなのかもしれない。

なんだか苦しい一週間だった。ボーイスカウトのこと、自分の研究のこと、ゼミの担当のこと、奨学金のこと、直島旅行のこと、広島行きのこと、そのほかいろいろとあって、ありすぎて、パソコンで言うとフリーズ寸前の状態になってる。ひとつひとつがしっかりとした強度を持って取り組むことを要求してくる。どれかに取り組んでそれで力尽きて他のことができなくなったら、と思うと身がすくみ身動きとれなくなる。それでもひとつずつ片付けていくしかないのはわかっている。シングルタスクでしか動けない。

意志というのは予測と覚悟の事だと思う。ある行為が自分の能力と照らし合わせてどうすれば実現可能か予測し、それを実現するために払う犠牲や被る苦痛をどこまで受け入れるかという覚悟。予測や覚悟を決めるとき、体の状態というのはダイレクトに効いてくる。

■2007/9/12 水曜日

書いておかないと

書いておかないと。
9/9 キュレーターズチョイス07「対話する美術館」@東京都写真美術館
9/9 ル・コルビジエ展@森美術館
9/10 「17歳のカルテ」(DVD)

17歳のカルテは原題を「Girl, Interrupted」という。Interruptedはつまずいてという意味。主人公は境界性人格障害と診断される。60年代の精神患者は閉じこめていたころの話。

昨日、とある奨学金の応募をした。これ通ったら、きっと人生変わる。が、まあそうは問屋は卸さないでしょう。3次試験まであって、2次ぐらいまで行って落とされるのが関の山かなと。

土砂降りの中、学校に行き証明書を発行してもらって、写真屋で証明写真をとり、郵便局で速達で出した。靴がずぶぬれになって帰ってきた。雨、よく降るなあ。

■2007/9/8 土曜日

「育ち直し」

「生きにくい子どもたち」
岩宮恵子

という本を読んだ。臨床心理士の方が心理療法の体験を語った本で、とても心が動かされた。二人の子どものクライアントの事例が克明に描かれていた。「育ち直し」という考え方がとても印象に残った。必要な育ち方を体験できなかった子どもにそれを提供する。読んでいて、さまざまなことが胸をよぎった。読んでいて心当たりのあることが多く、当時はわからなかったその意味に気づかされたような気がした。「育ち直し」は大人になってからも通用するのだと思う。ここ1、2年を通して自分は「育ち直し」をしているのではないかということを思った。無意識のうちにそれに誰かを付き合わせていたのだと思う。そのような人たちのことを想って、ひたすら感謝を感じた。

映画を二本みた。
9/5 マイケル・ムーア「SiCKO」
9/7 マイケル・ムーア「華氏911」
前者は映画館で、後者はDVDで。どちらもよい映画だった。日本にはこういうドキュメンタリーが生まれないのはなぜなんだろう。それから、今度の直島行きの時にイサムノグチ庭園美術館にも行く予定なので、それに備えてイサムノグチのDVDをみた。

■2007/9/6 木曜日

味覚の変化

バタバタした日々が過ぎやっと生活が落ち着いてきた模様。今日は玉子焼きをつくり、挽き肉と玉ねぎとレタスを炒めたやつをつくった。味はイマイチ。だけど食べ終ると不思議と満足感があった。

食後にヨーグルト。プレーンなヨーグルトにぶどうをどさどさいれて食べた。いつの間にやらヨーグルトはプレーンのものが好きになった。そこに果物やジャムを入れてたべるのもよし、そのままでもよし。

なんか味覚が変わったようで、甘いものがそれほどすきではなくなった。儚いぐらいの甘さが近頃はちょうどよい。

ウェブページをいくつか更新した。Pealのスクリプトを新たに書いた。なかなかPealを書くのも早くなってきた。実験結果を解析するのにoctaveというソフトを使い始めた。matlabのフリーソフト版のようなソフトらしい。まだ使い方がわからなくて、かなり苦戦しているが使えるようになれば便利そうなのは確か。

■2007/9/1 土曜日

8月が終わった

8月最後のイベント、読書部合宿から帰ってきて、そうして8月が終わった。読書部合宿は着いたら夜の7時半で、その日の輪講(全5章)はすべて終わっており、あとは夕飯を食べ、風呂に入り、宴会をするのみだった。次の日は朝9時から3つの章の輪講。うちひとつはオレの発表で、残りの二つのうちひとつは去年オレが担当した章だった。そういう意味ではあまり読んだことがない章に触れることができず物足りなさを感じたが、他の部分でいろいろと楽しめたので満足であった。

合宿に着いた日の夜の飲み会が楽しかった。日本酒や焼酎やワインの瓶が何本も空になった。ひとり寝てふたり寝て、最後まで残ったのがオレと石川と中村研の先輩・高橋さんと宮下研の後輩・高橋くんだった。石川とは現在の脳科学においてできることは何か、こういうタスクをするとどこが光ったということに何の意味があるのかということと、お互いの日頃の不平不満をぶつけ合えたのがよかった。宮下研の後輩・高橋くんは顔だけは知っていたもののまともに話すのは初めてだった。にもかかわらず、思いの外、馬が合い、急速に仲良くなった。修士一年なのに博士1年の青木さんを手玉にとって笑いをとるあたりは、見所があると思った。中村研の高橋さんは今年の夏に二つのサマースクールに行ったらしく、その話が聞けて良かった。オレが行くかどうか迷って、結局スケジュールの都合で行けなかったサマースクールに行ったらしく、来年はきっと行こうと思った。

本当は最後までみんなといたかったのだが、6時に東大で研究会があるので、駅まで送ってもらって一人先に帰った。しなの鉄道で軽井沢まで行き、軽井沢から高崎までの区間で新幹線に乗り、高崎からは高崎線で池袋まで出て、そこから丸の内線で本郷三丁目まで行った。各駅停車の電車に乗って長距離を移動するというのにもだいぶ慣れた。路線図と時刻表とにらめっこして経路を探索し、乗り継ぎのシミュレーションをする。都心に近い場所にいるときは時刻表なんてみないけれど、地方に行くと列車の発車時間は致命的に大事な情報になる。基本的にスケジュールを決めてあれこれするというのは嫌いなタチであるが、これは嫌いではないかも知れない。各駅停車の旅というのは独特の風情がある。のんびりした風景とか部活帰りの高校生とか、眺めていると時々ほくそ笑みたくなる。本を読む時間もたっぷりあるし、疲れたら目を閉じればいい。

東大では札幌でお会いした渡辺先生に呼んでいただいて、神経経済学に関するゼミにお邪魔した。7人という少人数で非常に議論がやりやすく、さまざまなインスピレーションを得た。参加者のうち3名は経済学部の研究室からの参加で、経済学部の学生が語る行動経済学にはかなりの迫力があった。ゲーム理論の復習のレクチャーを受け、さらに互恵性に関する一歩進んだ話を聞くことができた。効用関数に金銭的な報酬だけでなく、互恵性(reciprocity)に関する項も導入することで、最後通牒ゲームや独裁者ゲームにおいてNash均衡とはほど遠い実験結果をある程度説明できるようになる。本当に実りの多いゼミであった。

最初にも書いたが、8月が終わった。全身に染み渡っている疲労にやるべきことをやれたという達成感が作用して、体の組織が溶けていきそうな心地よさがする。これからは安心して眠ることができるだろう。

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