log 2007. March.

フェムトセカンド

トップページへ 過去ログの一覧へ

下に降りるほど古くなります。

■2007/3/31 土曜日

メモ

読んだ本***
3/5 「人格障害かもしれない」磯部 潮
3/17 「オルフェの方舟―ブギーポップ・イントレランス」上遠野 浩平

観た映画***
なし

■2007/3/31 土曜日

カードがもらえた。

昨日はゼミでした。が、30分以上遅刻してしまった。論文紹介だったのだけど、途中から聞くと全然わからない。結局、その論文のことはほとんど理解できなかった。無念なり。次の論文もあまり理解できたとは言い難かった。一本目が理解できなかったせいで集中力をうまく高めることができなかったのだろう。

最近、全然英語を読んでいない。英語が出てくると「うっ」となる。とりあえず目をそらしたくなる。そうして心の準備をして、英語を読むぞ読むんだ読まなければと自分に言い聞かせてエイヤと視線を戻さないと英語が読めない。英語を読み始めるエネルギー障壁が高くなってしまっている。授業や輪読などが終わって、気が緩んでしまっているらしい。論文は全然読んでいないし、カンデルもやはり読んでいない。こんなことではダメだ!論文をもっと読まなければ!

実験をやったり、書類を書いたりしていると、それと平行して論文を読んで調べるということをやりずらい。そんなに器用に気持ちを切り替えられないのである。そろそろ文献や論文をあたって調べたいことは溜まっているのだが、ASSCのアブスト書かなきゃなーとか、目先の仕事があると格好の言い訳になるので「とりあえずこれが終わるまでは」という風になってしまう。これも時間割引の成せる技か?

今日は上野公園でお花見です。でもその前にすずかけ台に行って、それから菊名の家に行こうと思います。

■2007/3/30 金曜日

キャッチボール、ムキになって

わりと朝早く目が覚めて、窓の外で雨がすごい勢いで降っていて、あな恐ろしやと思ってまた寝た。次に起きたのは昼で、とてもいい天気だった。あの嵐の様な雨は夢だったのだろうか。

おとといあたりから体調を崩しつつあって、今日は本格的に風邪を引きそうだったので出かけなければならないギリギリの時間まで体を休めていた。喉や鼻の調子がおかしい。昨晩は寝ようとしてもしきりに鼻水が流れてくるので、その度にティッシュで拭かねばならった。おちおち寝られなかったので薬をガバッと飲んだ。多めに飲んだのでよく効いた。

昨日は親父が高圧ガスに関する講習の講師をやるので、その助手として働いて、一件荷物を配達して、家で大急ぎでASSCという学会の会員登録と学会参加登録をして上野に向かった。

上野で畏友のTと落ち合った。彼はめでたく卒業を果たした。それでひとつ会おうということになったのだった。上野から淡路町に移動しそば屋で酒を飲んだ。それから歩いて後楽園まで行って、アトラクションに乗った。たこ焼きも食べた。後楽園から本郷へ歩きハンバーガーを食べた。上野公園の桜の下を歩いた。よくしゃべった。 本当によく喋ったと思う。こんな風に喋れる友達はこいつしかいないなと思った。キャッチボールをしていて、こっちが戯れに強い球を投げると向こうもムキになってもっと強い球を投げかえしてくる感じ。で、そうやってるうちにグローブを放り投げて直にやりあってみたり別の遊びをはじめてみたり。へんな喩えだが他になんと喩えていいのやら。こっちの言うことに対してすごく張りのある反応が返ってくるので、コノヤローという感じになって楽しい。そういう反応が楽しみな友達は珍しい。

そんなわけでいい夜を過ごせた。帰ってきてメールをチェックしたら理研からメールが届いていた。サマープログラムの参加を認めるとのこと。胸が沸き立った。でも酔っていて、英語のメールをキチンと読めているか不安だったのでとりあえず寝た。今日起きて、改めて読んでみたらやっぱり参加者に選ばれたと書いてあった。おめでとう、オレ!

■2007/3/29 木曜日

戸山公園の桜

昨日も早稲田に行き後輩や同期や先輩に被験者になってもらった。二日間で10人分のデータがとれた。一応、目標達成。これであと茂木研のメンバーにもやってもらえばデータ量としては十分かと思う。

実験終了後、元同期のTと後輩のYくん,それから来年からポスドクのK. Nさんと今年修士を出て就職するK. Aさんと近くのお好み焼き屋さんに食べに行った。K. Aさんは山口県に行ってしまわれるらしく、今日会ったらもうしばらくは会えなくなってしまうかも知れない。K. Aさんは研究のテーマは全然違かったものの気があったし、交わした議論はオレの宝物になっている。研究の話を聞いてくれるときの態度が誠実そのもので、かなり突っ込んだ意見を言ってくれたりして、とても尊敬している先輩のひとりだった。早稲田を出てからK. Aさんと話したのはおそらく1年ぶりではないだろうか。ともかく、会えて良かった。

昨日は8時間ぐらいずーっと前の研究室にいたせいで、なんだかまたあの研究室に所属しているような錯覚がした。お好み焼き屋から駅に向かう夜道を、同期のTと歩いていると無性にあの研究室にいた頃が恋しくなった。学校からの帰り道はいつだって日がとっぷり暮れた夜だった。駅と学校の途中にある戸山公園には桜が咲く。何本かはもう咲いていて、桜の気配と春の暖かさが充満していて、昔の記憶が次々に蘇った。

今日はデータの解析などしたいが、そうも行かない。ASSC関係や、そのほか諸々ある。親の仕事もあるし。きっと、こうして慌ただしくしているうちに春は過ぎてしまうのだろうな。

■2007/3/27 火曜日

やすべえのつけめん

完成したプログラムを使って実験をやってもらうために、以前所属していた早稲田の研究室に行ってきた。部屋にいた同期に実験をやってもらった。一回15分の実験をひとり2回やってもらうので、ひとりあたり30分。前後にはさまる細々とした時間をいれると1時間でふたりはできない。今日は全部で4人の友達にやってもらうので精一杯だった。それでもまとまったデータがとれてよかった。明日も行って他のひとにやってもらうつもり。あまり面識のない後輩にも頼まなくちゃならないかも死れない。

問題はそんだけデータをとったところで、有用な解析方法があるかということだし、そもそもこの実験はどんだけ意味があるのかやってる本人も甚だ疑問な事である。それでも「ダメかどうかわからない」という状態では前に進めないので「やってみたけどダメだった」という明白な事実が欲しい。のだが、そもそもそんな明白にダメだったと言える保証はどこにもない。どうなるんだろうか。

帰り、早稲田に来たら食べようと思っていたものを食べた。「やすべえ」のつけめん。あの魚介系のスープはすきだ。明日はチャイカという高田馬場でお気に入りだったロシア料理の店でランチを食べようと思う。

従軍慰安婦の問題がかなり波紋を呼んでいるようだ。池田信夫さんのブログでそのことが書いてあり、かなり不安になる。日本という国は大丈夫なのだろうか。概して日本人は自国の歴史に対して無知だし、それと謙虚さや相手を疑わない態度も手伝って、相手が強く出てくるとすぐに謝ってしまったり自虐的になってしまったりする。そもそも従軍慰安婦の問題なんてなかったのに、韓国とか中国が騒ぐのでいつのまにかあることのようになっている。南京大虐殺が捏造されたのと同じように。日本人の無知さに輪をかけて致命的なのは国会議員とかなんとか大臣とかそういう類の、国の偉い人がやはり歴史に対して正しい認識を欠いていることだ。国と国の間で交渉をするような重要な仕事をする人があんなにバカでいいのだろうか。だからもはや総理大臣も国会議員も誰からも尊敬されないのだ。政治家というのは腐った大人の代名詞である。

今日は久々に茂木さんの出ているプロフェッショナルをみた。クローズアップされていたのは宮崎駿さんで、食い入るように見てしまった。宮崎駿さんは紅の豚の主人公のようだと思った。立ち居振る舞いが絵になる。それに言葉の発し方がすごい。いつも発する言葉は短く鋭く思い。言葉と言葉の沈黙は長いのだけど、その長さが気にならない心地よさがある。こういう人がああいう作品を作っているのかと思った。宮崎駿さんという人は寡黙で、不機嫌で、厳しくて、神経質と紙一重の繊細さを備えている。繊細さというか気むずかしさというか、鋭さというか、触れたら切れる感じ。あの気性の危うさをカメラは切り取れてはいなかったと思う。捉えてはいたし、今こうやってそのことをオレは書いているのだから表現できているが、しかしそれは完璧ではないと思った。そして、オレがカメラをまわしていたらもっと適切にあの人のことを映せるような気がした。傲慢にもそんなことを思ってしまうほど、彼のことがわかる気がした。アニメを作ったことはないけれど、ああやって作品をつくることをオレは識っているように思う。やっぱり、作品というものはあんな風につくるものなんだ、と思った。

番組を見ていて、宮崎さんが如何にあの仕事を楽しんでいるかわかった。すごく楽しそうだった。楽しいというのは始終笑っているという意味ではない。面白いと言ったほうが適切かも知れない。宮崎さんがあの仕事を面白くてたまらないと思っている感じが伝わってきた。それを見ていて、なんでオレは絵を描かなかったんだろうと、そんな気持ちがした。だって、あんなに面白そうに仕事をしている。絵を描いて、アニメを作るという仕事はそれほど面白い仕事に違いないと思った。オレは映画の監督になっている自分もあり得たのだ、いや今からでも遅くはないのではないか、そんなことに思いを馳せずにいられなかった。

■2007/3/26 月曜日

Button Tap Task 完成

プログラミングはXcodeというMacに標準でついている統合開発環境を使ってやっているのだけど、アップデートをインストールしたらこのあいだ完成したSpontaneous Tapping Taskのプログラムが正常に動作しなくなってしまた。しばらく放置していたが、二日かけて作り直した。ただ作り直しただけでなくていろいろと仕様を変更して、やろうとしている二つの実験の両方に対応できるようにした。

ここにも探索と知識利用のトレードオフ(あちらがたてばこちらがたたぬ)の関係がある。知っているコードだけを使っていると、プログラムを書くのは早いけど、新しいことはできない。一方、新しいコードを覚えようとするとなかなかプログラムが完成しない。ストレスが溜まる二日間だった。Objective-Cを使えないのでCocoa-Javaという枠組みでプログラムを書いているのだけど、困ったときにネットで検索してもあまりヒットしない。この枠組みでプログラムを書いている人が少ないのかもしれない。とはいえ、英語のリファレンスと想像力を駆使して新たなコードの書き方を習得した。またすこしスキルが上がった気がする。

これから二日ぐらいでババーっとデータ収集をしようと思う。が、自分でやってみたところ思ったような結果がでなさそうなので困ったものである。ASSCのアブストはどうやって書いたらいいだろうか・・・。

これから実家にもどります。

■2007/3/24 土曜日

大久保さんと恩蔵さんの最終講義

昨日はゼミでした。昨日のゼミはいつものJournal Club(論文を紹介する)やProgress Report(研究の進捗を話す)とは趣の異なるものだった。卒業後の行き先が確定している、大久保さんと恩蔵さんが「最終講義」という題で話をしてくれた。退官する教授が最後に「最終講義」と称して自由に話をする慣習が大学にはあって、それを模したものだ。二人ともその二人らしい印象的な話をしてくれた。真面目なゼミの合間にこういうお遊びみたなゼミがあるのはいい。ホッとする。

ゼミ後は茂木研の世界遺産「あさり」に移動。久々に茂木さんの近くに座った。そしたらゴッホの話をされた。
・・・自分が持って生まれた天分などというものは、いわば偶然の産物であって、普遍などとは関係ない。いかに自分の個性を克服し、普遍に至るかということが、芸術家としての本懐であると。・・・
・・・世の中に、個性が痛々しいほど出てしまって、その「クセ」のようなものが鼻についてなかなか普遍に至れない人というものは多いものである。・・・
クオリア日記 2007/03/24より
そう言われてなんと応えてよいかわからなかった。ゴッホは自分の個性が嫌いで、それと壮絶な格闘をしていたという。「個性を伸ばせ」という常套句が陳腐すぎるのはよくわかるが、茂木さんの言う事に安直に同意したところで、とってつけたみたいな返答になってしまうし、個性とどう向き合うかという事に関して明確なストラテジーを持っているわけでもない。結局、頭の中でひとり悶々としておもしろい切り返しはできなかった。もしかして、茂木さんは遠回しにオレにもっと個性をなくせといったのだろうか?と思い至ってちょっと青ざめた。そういえば、考え方にへんなクセがついてるんじゃないかとちょっと前に言われたっけ。

「あさり」のあと、カラオケへ。歌って、暴れた。暴れたと言っても飛んだり跳ねたりしたぐらいだけど、はずみでワインをこぼしたりもした。大声でがなり声をあげて歌った。酔って理性を失っても記憶は失わないタチなので、今日の朝目が覚めたら恥ずかしくなって思わず布団をすっぽりかぶってしまった。

■2007/3/23 金曜日

メモ

そうそう、わすれてた。この本を読み終わりました。3月17日。

■2007/3/23 金曜日

お湯のでがよくなった

朝早く、実家から菊名に戻る。お湯のでが悪いので、工事のひとがきてくれる。減圧弁を交換するだけの簡単な工事だったが、お湯のでは劇的によくなった。「こんなに勢いよくお湯が出るのはみたことありませんよ!」と言ったら、工事のおじさんはうれしそうに笑った。さっそくシャワーを浴びたが快適至極であった。もっと早くこうすればよかった。もっと寒い時期に直っていたらありがたみはもっと増したろうに。

ここに引っ越してきてもう1年経つ。日記を見返すと、引っ越ししたのは去年の3月26日だった。あの日は親父とふたりで軽トラを運転して実家から菊名まで来て、だーっと軽トラの詰み荷を運び込んであっさり引っ越しが完了したのだった。人を雇ったわけでもないし、車も自前のものなので、驚くほど引っ越しに費用はかからなかった。あれからあと三日で一年ですか。それらの日々を思い返すだけで小一時間つぶせそうだ。

和歌山のホテルに忘れてきたPowerBookのACアダプターが手元に戻ってきた。無事に戻ってきてよかった。あれは1個8000円もするのでおいそれと買い足すわけにはいかない。家に置く用と常に持ち歩くようでACアダプターは2つもっていたので、ここしばらくは家に置く用を持ち歩いて使っていたのだった。

暑さ寒さも彼岸まで。今日はだいぶ暖かい。もう寒さがぶり返すことはないだろう。だってあと一週間で4月なのだ。ここのところオレは元気だ。朝も起きれる。暖かいせいかもしれないし、旅をしている間に体内リズムが元に戻ったからかもしれない。あるいは、そういうのとは無関係に、体が本来の調子をとりもどしたのかもしれない。力がもりもり湧き上がるのがわかる。

会社で使うバーコードリーダーの発注、Spontaneous Tappingタスクのデータ収集、ASSCのアブストラクト、精神医学・薬理学・生理学周辺のリサーチ。いまならブルドーザーのようにそれらをこなせそうだ。

■2007/3/22 木曜日

ウェブ更新再び

ドキュメントスキャナについてリサーチ。想像以上に高くてビックリした。それからノートパソコンについてリサーチ。こっちは思ったより安かった。それから履歴書を一通書く。写真がなかったので、免許証を携帯のカメラで撮影してPCに取り込み、Photoshopで加工して送った。果たしてあれで良かったんだろうか。

その後はまた会社のウェブ更新をしてしまった。お陰でまた2ページ増えた。こんなページをつくってみた。みなさん笑ってください(笑)親父の運転する車の助手席でHTMLのコーディングをやっていたら頭がくらくらした。

帰り際にPCに詳しい社員の方と話していると懸案のバーコードシステム導入が、思いのほかラクに進みそうな気がしてきた。いっちょがんばろーと思う。

菊名の家のお湯の出が悪いので不動産屋さんに電話したら明日修理の業者の方が来てくれるとのこと。いまはまだ実家にいるので明日は朝早く菊名に向かわねば。明日はゼミがあるらしい。

■2007/3/21 水曜日

ウェブサイト更新

午前中は親父の手伝いで荷物運び。自分が生まれた病院へ行く。ずいぶん変わってしまった(といってもうまれた当時の記憶はないが)のに驚いた。ルーチンな仕事ではないので仕事の内容をうまく言えないが、返品になった品物を回収して、それを出来る限り仕入れたときの状態に近い状態になるように梱包作業をした。思ったより仕事ははやく進んだ。

午後はHTMLのコーディング作業。このページではなく会社のウェブサイトの更新。ウェブサイトをみて注文をしてくる割合は年に2,3件ぐらいかと思っていたが、月に数件入ってくるらしく、それで俄然やる気が出た。Web 2.0、ロングテール、そんな言葉がリアルにひびくのを実感する。オレの密やかな野望は、ウェブ経由での売り上げで学費と一人暮らしの生活費をまかなえるようにすることである。まあ実現はなかなか難しそうだが・・・。ウェブの強みはオレが寝てても勉強していても、情報を提供できるというとだ。そうして提供した情報が注文につながる。梅田望夫さん風に言うと、「あっちの世界」のエージェントなのである。

HTMLのコーディングは自分が満足するにはほど遠いできなのだが、これ以上頑張ってもコストパフォーマンスという観点からいうとあまり良くないのでとりあえず様子見をして、次はもう一つの仕事をしたいと思う。

■2007/3/20 火曜日

がっしゅく、ゆがわら、おおおかやま

いま実家にいます。またこっちで一仕事しなければなりません。いや、フタ仕事、ミ仕事せにゃ。やるぜ。がががっと。

茂木研の湯河原一泊温泉合宿はとにかく遊びまくりの二日間。オレのひたすら景色を眺めてぼんやりすごす一人旅とは違ってあっちだこっちだメシ食うぞ!で絶え間なく動き回り、笑い声は途絶えない。三ツ石海岸、駅前の定食屋さんでの夕飯、宿での飲み会、朝風呂、公園でみそ汁片手に朝ご飯、歩きながらコロッケ、海鮮丼のお店、そして何故か江ノ島に行き、エスカーというただのエレベーターに乗って江ノ島の反対側に行って、海辺で酒をあおって、ハワイアン料理たべて、ビリヤードとダーツやって、そんでやってお仕舞い。

ほんとうはこんな風に書くのは嫌で、じっくり時間をかけて文章にしたい。あんなかけがえのない時間は滅多にないよ。写真もいっぱいあるし、また機会をあらためて。

昨日は大岡山での講演を聴く。誰も来ないかと思ったら茂木研のメンバーが結構来ていて、みんなで懇親会に大挙したあと、まだ飲むぞってことで居酒屋で二次会。みんな上機嫌で話がはずみ、楽しかった。さらに最後はラーメンまで食べた。お腹いっぱいだったがつめこんだ。あんなに満腹でもおいしいと感じたんだから、あれはすごいおいしいラーメンだ!

大阪に行ったのがすごい遠い昔に思える。

■2007/3/16 金曜日

明日は温泉

ゼミだった。論文紹介にかこつけて、今自分が考えていることをみんなにぶちまけられたので、それはよかった。

自分でやろうとしてやったことではあるのだが、自分が何をしたのかよくわかっていない。オレは何をしたのだろうか?みんなの前で話した内容が、世界に対してどんな意味があるのか自分でもよくわからない。ほとんどが自分の妄想なのかもしれないし、コミュニティが違えば、「そんなのあったりまえじゃん!」と言われるようなことのような気がする。単なる妄想だとしたら意味ないし、あったりまえのことを言っているだけだったら、やっぱり意味がないので、オレは世界に対して何も言ってないのと同じ事になる。薄々そんな気はしているのだが、やはり、考えたことは笑われてもいいから言っておかないと気が済まないので、やってよかった。失笑を買っただけだとしても、とりあえず胸はすっきりした。

コミュニティが違えば、「そんなのあったりまえじゃん!」と言われるようなことといったのは、曲がりなりにも一年間、カンデルをある程度読んで、いくつか学会に出て、理研のチュートリアルに何度か出て、そうして時々自分の考えを支持してくれると思える話を聞いたからだ。いや、もしかしたら自分で考えついたのではなくて、そういうところで話を聞いてそれを自分のものにしてしまっただけなのかもしれない。もちろん、ちょっと聞きかじっただけの関連のある話を自分の強力な妄想力によって、勝手なことをでっちあげてしまった可能性は十分あるのだが。

それにしても先輩方のなんと博識なことだろう。3年とか4年とかそれぐらいの差を差し引いても到底追いつけそうもない。自分の知識のなんと浅はかで脆弱なこと。でも、もっと本質的で深刻な隔たりは、単純な知識の量ではなくて、思考の練り具合だろう。まったくの思慮不足。深みが足りない。オレの思考なんてたかだか1ステップか2ステップで、穴だらけで、吹けば飛ぶ。普段全然考えていないことがバレバレで、話をしていて恥ずかしかった。何もかも及ばない。

それでも先輩方のように議論できるようになるためには、3年や4年では追いつけそうもないが、その10倍ぐらい時間をかければなんとか追いつけそうな気がする。だけれども、茂木さんはなんだかもはや遙か彼方にいってしまったような感じがする。最近の茂木さんの日記を見ているとなんだかそんな気がする。ぞっとするほど遙か彼方を飛んでいる気がする。

そんな泣き言ばかりいっていても事態は何も改善しないのはわかっている。論文を読み、よく考え、実験をし、誰かと議論をする。きっとその積み重ねでしか向上はできない。でも、その向上のスピードがあまりにも遅すぎて、全ての人生を賭しても大した高さまでいけないのではないかという気がする。そう思ってしまうと、がんばるのが空しくなってしまう。そしてそこで挫けてしまうなら、それまでの器なのだというのもわかっている。わかっているならやれよ!と自分を叱咤するのだが、どうにもこうにも気落ちしてしまう。わかっているのだ。わかっているのだ。

明日は茂木研の合宿で湯河原に行きます。一泊温泉旅行ー。楽しめたらいいな。

■2007/3/14 水曜日

すずかけ、早稲田

朝早く、すずかけに行った。中村研の澤さんの博士論文公聴会だった。尊敬する兄貴の晴れの日とあっちゃあ駆けつけないわけにはいかねえ。というわけで駆けつけた。話自体はこないだの茂木研内のゼミで聞いていたので新鮮さはないのだが、いま行動経済学の本を読んでいて、そのお陰で以前より発表の内容がよくわかる。何の質問もできなかったのが悔やまれる。

それが終わるとダッシュで駅に向かい、1時間かけて早稲田へ。昨日と今日の二日間にわたって、「早稲田シンポジウム 生物理論進歩」というのがあって、演者の中には茂木さん、池上さん、郡司さんの3人が含まれている。一時間の遅刻で、茂木さんの話は最後の10分ぐらいしか聞けなかった。

昼はみんなをなまず丼の店に連れて行ってみた。なまず丼定食650円で、コストパフォーマンスが極めて良い。みんなその安さに驚いていた。

午後は池上さんの話がよかった。油を垂らして細胞みたいなものを作り、それが自律的に動く様子が面白かった。崩壊しながら再生しアイデンティティーを保つイメージ。それから、デイジーうんちゃらのカオスを膜の表面に適用し、そうすると勝手に動き出すというのが面白いと思った。自分の自発性というテーマにヒントになるんじゃないかとちょっと思った。

金曜日はゼミがあるらしい。その日はNC研究会に行きたかったのに・・・。是非とも聞きたい話があったのに・・・。よりによって論文紹介の担当なので、でないわけには行かない。NC研究会のために旅を早めに切り上げて来たのにー!明日は一日論文を読んで日が暮れそうです。

■2007/3/13 火曜日

帰ってきた

名古屋から帰ってきました。名古屋市美術館が期待以上に面白かった。なんと、マリーナ・アブラモビッチの映像作品があった。「いば昇」というお店でひつまぶしを食べたら感動的においしくて、かなり幸せな気持ちになれた。寒さや睡眠不足や疲れが吹き飛んで力が湧いた。東海道線を延々乗り続けた。途中、混んできて座れなくなったりしてつらかった。沼津駅で降りて寿司屋に入ったら、その寿司屋があたりだった。とても手頃な値段で”本物の”寿司を出してくれる。今日食べた寿司は人生の中で食べた寿司の中でも五本の指に入るうまさだった。

たくさん写真を撮ったし、書きたいこともいろいろあるのだが明日は朝早いのでもう寝る。明日からがんばろー。

■2007/3/12 月曜日

時刻表をなくしてしまったのがかなり痛い。たぶんスプリングスクールの宿に置き忘れてきたのだが、あれがないと何時にどれにのれば目的地につくのか把握できない。うかうか寄り道もできない。ああ!ふせんと蛍光ペンできっちり調べあげたのに!名古屋まで行けるだろうか。そして今晩はどこに泊まるだろうか。まだ今夜の宿は確保していない。

■2007/3/12 月曜日

興福寺、二月堂、和歌山

今、和歌山にいます。昨日は大阪から奈良まで友達が来るまで送ってくれて、一緒に奈良観光をしました。興福寺周辺を歩いた。興福寺、興福寺国宝館、東大寺、奈良国立博物館、奈良公園。鹿が当たり前のようにいる。ふとみると鹿が迷子のように人混みの中に立っている。そしてまわりを見渡すと鹿がわらわらいる。日常の中で動物を見る機会は、犬を散歩するような感じでたいていヒモにつながれているか、動物園みたいなところで見る側と見られる側がきっちりわかれているか、ほぼそのどちらかしかない。だけどそのどちらでもなくて、不思議な感じがした。人間の生活圏と鹿の生活圏が重なっているのだ。こないだ見たスターウォーズのなかの、宇宙中の宇宙人たちがわんさかいる酒場のシーンを思い出した。色んな姿形の宇宙人たちがそんな種の違いなんかまったく意に介さずにひしめきあっている風景。

夜、東大寺二月堂の「お水取り」というイベントを見物した。
東大寺お水取り
とにかく火のついた松明を持って坊さんたちが走り回る、という行事らしい。そんな行事があるなんて全然知らなかったが、二月堂はものすごい数の見物人で、警察が(歩く人の)交通整理をするぐらいで、結局間近でみることができなかった。遠くの方から燃えさかる炎がちろちろ光っているのを見て、おおーーという群衆の歓声が微かに聞こえてくるだけだった。もう一度、きちんとみてみたいなあ。

昨日からびっくりするほど寒くなって困っている。とりあえず3枚ぐらい重ね着して、タオルを首に巻いてしのいでいる。昨日の夜の二月堂は寒かったな・・・。

写真と今日の行程。

■2007/3/11 日曜日

スプリングスクール終了!

一日目 予習会
二日目
1.GABAergicニューロンtype1,2
クラゲの絵、外乱の入る位相によってタイムシフトが変わる
2.アクチン、フィロポディア、グロースコーン
蛍光画像、電子顕微鏡

三日目
1.Shootin1
2.嗅覚情報の時空間処理
3.Fluorescence corelation s?
細胞の極性はどうやって出来るか?
4.単分子画像化

四日目
1.臨界期のシナプス可塑性

この施設をホテルとよんでいいのかわからないが、並のビジネスホテルより遙かに待遇が良く、食事は3食用意されていて、部屋もとても快適。ちょっとした山の上にあるので、軽く外部から隔離されている感じで、講義に完全に没頭できる。勉強するにはとてもいい環境だと思う。

おとといの講義は昼からだったが、昨日は一日中だった。そしておとといも昨日も、夕食の後ポスターセッションで、それが終わったら、ひとつの部屋に集まって午前3時まで酒を飲む。3食きっちり食べる上に飲み会でも食べるので、これが終わったら3kgぐらい太ってるんじゃないかしら。

昨日はは居眠りをしちゃったりもするが、質問をしたりもしている。英語は相変わらずわからない部分が多いが、わからないわからないと思いすぎて感覚が鈍化してもはや気にならなくなっている。というかわかっているのかわかっていないのかすらわからない。

今日は最終日で、授業は1個だっけ。臨界期のシナプス可塑性の話だった。この授業はかなり面白かった。臨界期の後で、神経間結合の複雑性がまして高度な機能が実現されているのだと思っていたが、実はむしろ神経間結合の間引きが起こっているというのが意外だった。これはつまり、生まれたばかりの時はひたすらランダムに接続が出来ていて、それが学習が進むことでregularityが増す方向に行くということなのではないか。茂木さんのrandomとregularの間にあるsmall world networkの話を思い出した。

このスプリングスクールは参加して良かったと思う。たくさんいろいろなことを知れたし。奈良先端大の友達はできたし。

今日はこれから奈良に行きます。

■2007/3/9 金曜日

休憩中

今日は午後から講義が2つある。休憩中。やはり英語で苦戦している。異分野であることも手伝って、わからなさが増す。わからないと本当に悔しい。すこし英語を聞く能力はマシになっているような気が根拠もなくしていたのだが、その勘違いは脆くも霧散いたしました。

電子顕微鏡の写真を見て、ふとこれを作った人は偉いなあと思った。だって、ド・ブロイの物質波仮説により、電子だって波だ!っていうのはわかっていたわけだけど、それをより波長の短い光の代わりに利用して、光学顕微鏡では実現できない解像度を実現しよう!という発想は、思いつきはするかもしれないけど、オレには現実可能なような気がしない。ニューロン内の支持体であるMicrotubleが折り重なる繊維のように見える画像はなんだか圧倒的な説得力がある。電子顕微鏡の技術は自分が思っている以上にずいぶん進んでいるんだなと実感した。もはや細胞をサンプルにするのは当たり前で、イメージではなく本当の内部構造が得られるようになっている。こうなってくるともう身も蓋もないというかなんというか。

宿はだいぶ快適です。スプリングスクール後の予定を決めました。奈良によって法隆寺によって、和歌山に一泊。それから紀伊半島を一日かけて一周し、名古屋に一泊。最後は東海道線を延々乗り継いで帰る。というプランにした。直島は断念。

■2007/3/8 木曜日

神経生物学スプリングスクール

スプリングスクールはだいぶ楽しい。今日は有志による予習会で、明日から講演をしてくださる先生方の話をよりよく理解するために指定された論文を読んだ。奈良先端大の方たちが中心になって論文を紹介してくださった。午後三時から九時まで夕食をはさんで論文を読み、10本以上の論文を読んだ。普段、読まない系統の論文ばかりで、とても勉強になった。しかも、質問するとかなり満足の行くまで教えてくれるので、普段誰かに聞くことのできないことを聞けて、絶好の勉強の機会となった。

なによりも、そこに集まった人たちの人柄がよい。自分が理想としていたのに極めて近い形の活達な議論が思う存分できるのが楽しかった。予習会の後の飲み会も大いに盛り上がり楽しかった。話をしながら、新しい情報をどっさり掴めた。だけど何よりよかったことは、研究に対して持っていた不安を一掃できたことだ。

明るさに満ちており、悲観なんかしない。げらげら笑って、我が道を突き進む。そういう在り方を躊躇なく肯定できる気がした。このスプリングスクールが終る頃自分がどんな風になっているか楽しみである。

■2007/3/8 木曜日

つづき

前の日記の続きです。

途中下車するゆとりが生まれる。

そんなわけで直島行きをどうするか悩んでいる。でももし今回行かなかったら、いつ行けるだろうか?しばらくそのような機会には恵まれないような気がする。

新幹線は京都までで、そこからは在来線で茨木という駅まで行く。そこに阪大の友達が車で迎えに来てくれて、一緒に宿舎まで行く。その友達も脳科学をやっていて、一緒に参加する。

向こうに着いたら宿の予約などしなければ。果たしてインターネットはできるかしらん。

■2007/3/8 木曜日

新横浜発、大阪行き

新横浜駅から新幹線にとびのった。まだ家をでてから30分も経っていない。新幹線にすぐ乗れるっていいね。のぞみの自由席は少し不安だったがすぐ座れた。めでたし。

結局、準備を十分にすることができなかった。旅行に行くときは大抵、準備万端とは行かないが、今回はそれに輪をかけて不足しているように思う。服ばかりたくさん詰め込んで、安旅には必須の細々とした生活必需品、洗面用具とかが足りない気がする。

スプリングスクールの後の宿もまだとっていない。というか、旅のプラン自体まだ決めあぐねていることがある。とりあえず、紀井半島をぐるっと回って、名古屋から東海道線を使って、延々各駅停車の旅をすることは決まっている。問題は直島に行くかどうかだ。当初、直島に行くつもりでプランを作っていたが、紀井半島一周プランだけでも十分魅力的なことに気付いた。直島行きをやめると、お金と時間と体力の面でかなり楽になる。直島行きをやめると、旅の行程が二日短縮されて、シンポジウムの二日目には間に合わう。直島での二泊分の宿泊費と青春18切符ではまかなえない船代が浮き、その二日間にかかる食費なども浮く。そしてカツカツのスケジュールが緩み

■2007/3/6 火曜日

すずかけ、青春18切符、直島に行きたい

12時半にすずかけ台に行く。てんてんでお昼を食べた。それから11階の茂木研博士部屋で作業した。まだ作業の内容を具体的にかけないけれど、準備段階から製作段階に入り、いっきに完成が近づいたと思う。作業は楽しく、時間はあっという間に流れた。

菊名に戻ってきてから3/8(木)からはじまるスプリングスクールに行くためにいろいろと調べ物をする。最初は夜行の高速バスで往復しようと思ったが、欲が出てきてついでに旅行もしたくなった。それで青春18切符の使用も見当しだした。しかし、ムーンライトながら(あるいは大垣夜行)は指定席がとれないので行きは新幹線か夜行バスになると思う。ムーンライトながらは小田原から先は自由席になるので立ち乗りも可能なのではあるが、深夜に8時間も立っているのはしんどすぎるだろう。

サマースクールのあとは直島に行こうと思っている。直島は四国と岡山の間にある小さな島で、アートの街として有名である。茂木さんが何度か行っている地中美術館があるし、オレの好きな内藤礼さんの作品がある。残念ながら笑ってしまうくらい予約がぎっしりうまっているらしく、鑑賞はかなわないようだった。
ベネッセアートサイト直島

13,14日はシンポジウムがある。それに間に合うようにするには一泊した後、直島を脱兎の如く去らねばならないだろう。でも、それはなんだか惜しい。シンポジウム行かないでそのまま旅行を続けてしまおうかと迷っている。いま頭の中に渦巻いているプランは、紀伊半島の海岸線をローカル線でのんびり走りながら名古屋まで行き、そこからムーンライトながらで一気に上京するというものである。中上健治の枯木灘を思い出す。あれを読んでから、一度和歌山の海を見てみたいと思っていたのだ。シンポジウムをぶっちぎって、それ、やっちゃうかもしれない。

というか時刻表を買ってきてどんなタイムスケジュールで電車に乗ればいいだろうかとあれこれ考えている自分がいる(苦笑)青春18切符で旅をするのはたぶんこれで3回目になると思うけど、だいぶ慣れてきてかなりスムーズにプランを立てられるようになっていることに気付いた。本当に、「大阪ー直島ー枯木灘」プラン、やっちゃおうかな・・・。とかいいつつ、既に宿探しをはじめたりしている・・・。

■2007/3/5 月曜日

パスポート申請、人格障害の本

昨日は美容院から帰ってきて実家でご飯を食べて、部屋でごろっとなったらそのまま泥船が沈むみたいに眠気が襲ってきて、泥酔したみたいになった。見かねた妹が布団を敷いてくれて、そのまま着替えもせずに寝てしまった。サンクス・マイシスター。

そのお陰で、久々に深い眠りができて起きたら気持ちが良かった。パスポートの申請作業もとてもスムーズにいった。越谷市役所に住民票をとりに行ったら、パスポート申請にはもう住民票はいらなくなったのだと言われた。住基ネットとやらのお陰らしい。越谷市が住基ネットを導入していたなんて知らなかった。別の理由でも住民票が欲しかったので、一枚だけ発行してもらった。前回のパスポート申請の時の経験から、あんな紙切れ一枚出すのにも優に30分は待たされるのを知っていたので、待ち時間の間写真を撮りにいった。市役所から駅前まで歩きながら前回のパスポート申請のことを思い出していた。住民票を受け取るまでにものすごく待たされてイライラしたこと、住民票や戸籍抄本の取り方がよくわからなかったこと、書類に不備がないかどうか神経をとがらせて疲れたこと、そのパスポートをとったらタイに行く予定だったこと。古いパスポートの発行日の日付をみて、何故10年ではなく5年のパスポートを発行したのか理由がわかった。20歳未満は5年のパスポートしか申請できないのだけど、あの時はまだ20歳になっていなかったのだ。
埼玉県/パスポートの申請案内

春日部のパスポートセンターへ。最初、勘違いして春日部市役所に行って受付の人にパスポートの申請はどこですか?と聞いてしまった。思えばこのミスを前回もやったような気がする。パスポートは春日部、という考えしか頭になかったのだ。申請は極めてスムーズにいったが、写真のことで気になる点が発生した。眼鏡をかけたまま写真を撮ってしまったのだが、このような特徴的な眼鏡だと入国審査の際に眼鏡なしでは咎められるかもしれないとのこと。10年も眼鏡を変えないことは考えられないので、撮り直すことにした。その人は親切に近くの写真屋さんを紹介してくれた。

パスポートセンターからすぐ近くにあるその写真屋さんはおじさんと若いお兄さんがいた。たぶん親子なのだと思う。写真撮影は入店して1分以内に始まり、2分以内に終了した。デジカメの一眼レフで、撮影した画像はそのままMacに表示され、「二枚のうちどちらがいいですか?」と聞かれ左とこたえると、あとは顔の大きさがちょうどいいサイズになるように調節され、プリンタにデータが送られた。3分ほどおじさんと立ち話をしていると、事務机二台分ほどの大きさもあるプリンタが動き出しオレの顔写真がはき出された。驚くほどの滑らかさと素早さである。おじさんはとても気さくで「そうかい博士まで行くのかい。どっぷりやる気だな」とか「東工大は町田のほうにもキャンパスがあるのかい!」とか「どうだい、うちの写真はきれいだろう?」とかそういうことを話した。

春日部から戻る途中に会社に寄った。親父とホームページ更新のことや、新しいバーコードリーダーのこと、滅菌のことなどを話し、一緒に蕎麦屋で昼を食べた。こうして昼に親父と蕎麦屋に行くのは久しぶりだなあ。

そうして今日はわりと早い時間に菊名に戻ってきた。帰ってくる途中に渋谷に寄って本を買った。Book1stで「独習UNIX」と「プログラミングPerl 1」。半ば衝動的に買ってしまった。なんだかそろそろ必要であり手に入れるのが適切な時期だと思ったのだ。わりとお金が飛んだ。今月は大阪でスプリングスクールと茂木研の合宿もあるからかなり出費の多い月になりそうだ。

「人格障害かもしれない」という本を読み終わった。最近、精神的な病気について興味を持っていて、この間読んだうつ病の本の次に選んだのがこれだった。統合失調症に関する記述を期待して読んだのだけど、人格障害というのは統合失調症とは別の病気で、統合失調症についてはほとんど記述がなかった。いささか内容が薄い本だった。読後の印象としては本の厚みの半分程度しか読んでないような感じ。それでも、いくつか勉強になったことはあった。以前から気になっていた「DSM-IV」という言葉のことが少しわかった。論文を読んでいると頻繁に出てくるDSM-IVというのは精神疾患の基準になる公的に認められた本だぐらいの認識はあったが見たことも触れたこともなかった。「DSM」は「The Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders」の略で、このページ(はてなダイアリーのキーワード)に詳しい。「アメリカ精神医学会」で定義している精神疾患の分類と診断のマニュアルと基準。本の中でDSM-IVの分類や定義が載っていて参考になった。またSNRIという単語とかatypicalを非定型と訳しているところとか、治療に用いる薬は抗不安薬とか抗うつ薬などを使うということが発見だった。「向精神薬」でググったら精神科で使われる薬(向精神薬)の話というのが出てきた。これを見て初めて向精神薬の「向」という字に注意が向いた。「抗」ではなく「向」なのである。うつ病の時と違うのは薬による治療の手段がなくてカウンセリングが主な治療法になるということだ。つまりそれがどうして起こるのか全然わかっていないということだ。

■2007/3/4 日曜日

ひと仕事終えて

昨日の夜、実家に帰ってきた。今日は朝からいろいろやる。親父が風呂場の戸を修理しだしたので手伝う。戸のベニヤが長年の水による劣化でべろべろになってしまっているのを引っぺがし、代わりにプラスチックの板を張る。暖かい陽気で、こういう作業をするのは気分が良かった。

張り終わった後、居間でくつろいだ。家の中から縁側を通して庭を見る景色は風情があった。ハハが忙しそうに洗濯物を干していて、親父は日の当たる場所で腰掛けながら煙草をくゆらせていた。その日差しの感じやのんびりした雰囲気が、まさしく贅沢そのものだと思った。家はボロだし、親父が座っているのはビールケースをひっくり返したものだし、高級品の気配はどこにもないが、惜しげもなく降り注ぐ日差しが有無を言わさぬ豊かさをばらまいていた。

午後は車で水天宮までボンベの配送に行った。また映画の撮影で使うものを提供するためである。小さいボンベばかりだったので軽自動車で行った。道はすいている方で、カーナビのお陰ですんなり着いた。帰りは回収する場所を下見して帰る。

今日は車の中にいると暖かいどころか暑くて、汗をかいた。春というよりも初夏だ。ちょうど入学式の頃を思い出させる気温で、いろんな記憶が頭を通り過ぎた。帰りに通った本所のあたりも昔来たことがある場所で、記憶の想起に拍車がかかった。

配送の仕事終えてこれを書いている。ほどよい疲労感だ。このあと美容院に行って髪を切ってもらい、今日はあがりである。明日はパスポートの更新をするために奔走する予定である。暖かいといい。

■2007/3/2 金曜日

入來さん

今日のゼミは理研から入來さんがゲストでいらしてお話してくださった。無駄のない説明の仕方と鋭い質問の返し方が印象的だった。すこし遅刻してしまって、冒頭聞き逃してしまったのが残念。

「Enactive Self」「Perceptual Self 」あと・・・それからなんだっけ。忘れた。もうひとつのなんとかSelfがあって、それらの異なった自己のシステムという入來さんの独自の考え方が面白いと思った。記憶にも異なった独立なシステムがあり、皮質ー基底核ー視床とループになる回路は回路としては並列なのだが、機能は異なっている。それらのことに部分的に似ていてふといろいろとイマジネーションが刺激された。ただ、異なった自己のシステムが全て皮質上に表現されていて、訓練の結果、皮質間での結合が強まるという話があったんだけど、それを聞いて、皮質間の結合はいままで気にしたことがなかったと気付いた。自己について、皮質間のネットワークについて、すこし考えてみたいと思った。

最初は茂木さんの駒場の講義で知り合い、その後北海道のワークショップで仲良くなったshokou5さんが、オレが作っているページ「カンデル読んでる」をブログで紹介してくださったおかげで、今日のアクセス数は普段の2倍ぐらいになったので嬉しい。当該ページ 調子に乗って、どんどん脳科学のページを増やしていきたいと思う。

ここのところ研究らしいことをしていない。せっかくプログラムを作ったのに実験をやっていない。そもそもあの実験はどうなのだろうか。やって意味があるのだろうか。意味があるかというよりどうやって解析したらいいだろうか?今のところ、あの実験ともうひとつの実験を組み合わせないと意味がない気がする。あるいはうまい解析方法があれば意味があるかもしれない。今の方向でやっていっていいのだろうか。全然確信が持てない。そうやってむやみに時間が経っていってしまうのが嫌で堪らない。ともかく前に進むためにはうだうだ悩んでないでとにかく思い付いた実験をやってしまえ!と自分に強く言い聞かせる。

■2007/3/1 木曜日

抗ヒスタミン剤のvariation、パスポート

こないだ聞きに行ったシンポジウム(2/10の日記)で配られていた冊子をパラパラとめくって読んだ。 ここでPDFをダウンロードできる。最近、統合失調症の患者でtypicalな薬で治療を受けているグループととatypycalな薬でで治療を受けているグループに分けてタスクをしてもらったときの脳活動をfMRIで測定した論文を読んだのだけど、その統合失調症薬に関する記述があって、目を引いた。以下、抜粋。

Brain and Mind volume4 2006 08
吉川武男*瀬川茂子

薬にしても、50年以上前の原理がそのまま使われています。統合失調症の薬は、抗ヒスタミン剤に興奮を抑える作用があることから、抗ヒスタミン剤をいろいろ変形していって偶然、見つかったものです。あとで調べて、ドーパミンという神経伝達物質の遮断をする働きがあることがわかりました。うつ病の治療薬も偶然見つかり、その後、神経伝達物質のノルアドレナリンやセロトニンの働きを強めていることがわかりました。その後、副作用を減らした薬が開発され、使い勝手は良くなっていますが、薬が効く仕組みの原理は変わっていません。

その薬の効果を調べる研究などから、30年以上前に、統合失調症の原因として、3つの仮説が提唱されました。ドーパミン神経系の機能亢進、グルタミン酸神経系の機能低下、神経発達異常の3つです。いま、遺伝子解析で見つかってきている病気の原因候補となる遺伝子は、だいたいこの3つの仮説のどれかにあてはまります。

そうか、もともとは抗ヒスタミン薬だったのかとふむふむと思った。ちなみに統合失調症には陽性症状と陰性症状という異なる傾向の症状がある。現在の知見では、陽性症状に対してはドーパミン系の異常であることがかなり確かめられているが、陰性症状についてはまだわからないことが多く、typycalな薬はきかないということになっている。(オレの知識が正しければ)

冊子の中で「phenotype」という単語を見て気付いた。オレが行動と遺伝子を結びつけたいといっているとき、それはphenotypeとgenotypeを結びつけたいと言うことなのだ。うむうむ。

気付けばパスポートの期限が今月の3月11日だった。これはまずい。早急に手を打たねばならない。有効期間内なら戸籍謄本はいらないらしい。でも住民票はいるらしい。申請から受け取りまで1週間から10日かかるらしい。10年用は16,000円らしい。いろいろめんどくさいなあ。

パスポートの申請案内

ふとTOEFLを受けようかと思った。3月24日あたり。何点とれるだろう?ビクビク。

今日はだいぶ生産的に活動でき、郵便物を出したり、メールを5,6通出したり、喫茶コロラドでクラブハウスサンドを食べたり、電気と電話の料金を払ったりした。これから中村研の先輩、澤さんの送別会である。@青葉台。

2006へ
2007
 1月: 1-31
 2月: 1-28
 3月: 1-31
 4月: 1-30
 5月: 1-31
 6月: 1-30
 7月: 1-31
 8月: 1-31
 9月: 1-30
10月: 1-31
11月: 1-30
12月: 1-31

トップページへ 過去ログの一覧へ

femto second = 10-15

フェムトセカンド
since 2006/4/1
野澤真一