log 2008. February.

フェムトセカンド

トップページへ 過去ログの一覧へ

■2008// 曜日

メモ

読んだ本***
/ 「書名」著者

観た映画***
タイトル

■2008/2/29 金曜日

うたきへ

おはよう!昨日は打ち上げの飲み会で3時頃まで飲んでいて、寝たのは4時ですが、7時に起きました。

今日はレンタカーを借りて「せいふぁーうたき」に行ってきます!

■2008/2/28 木曜日

徒歩巡礼終了

きのう、ひめゆりの塔到達をもって徒歩巡礼は終了した。今日からはいつもより遅い起床で、移動手段も自由になった。あちこち軽い筋肉痛だが、体調は良好。

一日目は晴れてあったたかったが、二日目以降は結構さむかった。日差しは熱いが風がつめたい。今日は関東にいるのと変わらない恰好をしている。

今日と明日は自由時間がある。どう使おうか考え中。

■2008/2/27 水曜日

雨に降られた

おはよう。朝六時少し前。沖縄巡礼三日目。

昨日は午前中は良い天気だったのだけど、午後から雨になった。ゆっくりと強くなっていき、一時は土砂降りとなった。昨日購入しておいたセパレート式の雨具で体の大部分はガードできたが、靴はびしょ濡れになり、かばんの中も濡れてノートが台無しになった。まぁしょうがない。

昨日は識名四丁目の壕とナゲーラの壕をみてまわった。昔、野戦病院としてつかわれ、かつ戦場にもなったところである。想像を絶する生々しさがそこにある。いまは沖縄の南東の玉城(タマグスク)というところにいる。今日はさらに南下する。

雨に降られることも長距離をあるくこともボーイスカウトでなれているけども、飯が食えないのはなれていない。カロリーメイトはおどろくほど腹持ちがするので腹が減って力がでないということはないのだけど、ご飯を口にかきこみたいという衝動はむくむくとわいてくる。とんかつ、とんかつ食いたいなあ。

■2008/2/26 火曜日

食べ物はカロリーメイトのみ

おはよう。朝六時。携帯から書き込み。

昨日は浦添グスク(城)から首里城を経由して那覇にきた。沖縄知事の大田さんの戦争体験のお話がものすごく貴重なものだった。米軍基地問題、売春慰安婦問題、38度線の意味。この話を聞けただけでもここに来た甲斐があった。

この巡礼の旅は沖縄戦当時の状況を模しようと食べ物も制限されていて、一食につきカロリーメイト一箱とポカリスエット500ml一本、水500ml一本である。もっとひもじいかと思っていたけど存外平気である。

今回の沖縄戦跡巡礼ツアーは広島経済大学の岡本貞雄先生のお誘いである。岡本先生とは去年の広島酒祭りの際に、長沼先生にお引き合わせいただいた。それがご縁でこの巡礼の参加とあいなった。参加者は60人もいて、ほぼ岡本ゼミのメンバーだという。聞くと学部一年生から四年生までで院生はひとりもいない。一年生とは六歳も差がある!いろいろとカルチャーの違いがある。

沖縄といえどまだ暗い。出発。

■2008/2/25 月曜日

あんまり寝てない

いま午前5:30。横浜駅の京急線ホームにいる。羽田空港に向かう途中。いま出発した品川行きにはほとんど誰ものりこまなかったから、ホームにぞろぞろ並んでいる人たちは、オレと同じく次の羽田空港行き快特に乗るのだろう。

というわけで、今日から金曜日まで沖縄に行きます。四泊五日、沖縄戦地跡巡礼ツアーである。三日間かけて65kmの道のりを歩き、戦争の跡地をみてまわろうというものである。なぜそのようなものに参加することになったのかはまた後日。

菊名は6:30の飛行機に間に合ってしまうほど羽田に近い。実家からだと間に合わないかもしれない。そういう意味では菊名はわりと便利。成田空港も横浜駅からNEXで一本でいける。高いけど。あと新幹線が便利。ひと駅で新横浜から東海道新幹線にのれる。電車の広告をみてたら、サクっと新幹線に飛び乗って、南禅寺で桜を眺めて湯豆腐食べてきたくなった。桜はまだか。

準備は例のごとく出発前一時間でやったので、けっこう不安。沖縄は関東の5月くらいの気温だと踏んで服など持ってきたけどどうなりことやら。

というわけで沖縄に行ってきます。日記は書ける環境があり、かつ書く気力があれば書きます。

■2008/2/23 土曜日

Chief Hanami Officer

さしあたって「これしなきゃ!」ということがなくなって、気が弛みすぎている。昨日、今日と日差しが陽気なこともあり、さらに気分はゆるゆるに。なんだか春が無性に恋しいことであるよ。

今年オレは茂木研のCHOに任命されている。CHOとは、官能基のアルデヒドではなくて、チーフ・ハナミ・オフィサーのことである。要は花見の幹事だ。学会のアブストラクト提出は逃しても、季節の行事は逃さないことを信条とする我が研究室のボスは、そこらへんぬかりはない(前半は嘘です)。すでに開催日まで決まっている。桜(の下で飲む酒)が我々を呼んでいるぜ!

今日もバイトに赴く。バイト先は渋谷なんだけど、夕暮れ時のセンター街を帰るのは気持ちがよい。まるで渋谷がホームになったような感じである。

■2008/2/21 木曜日

いせやのシューマイ

ふあああ。今日はよく寝れてすっきり。昨日、おとといとどうも体調崩し気味で、鼻がグズグズで微熱がある感じで辛かった。日曜日に寒空の下ハイキングをしたことと、博士進学試験の会場が寒かったのが影響したかと。

試験の後は必要な書類を必死で書いて提出。なんでオレが書かなきゃあかんねん!(1000字要旨はオレが悪いが。)

その後、吉祥寺の「いせや」でシューマイをつついた。

昨日は渋谷で初バイト。MovableTypeのお勉強。が、しばらく続きそう。

バイト後、すずかけ台へ。大学から貸与されていたノートPCをまっさらな状態に戻して返却するために、リカバリ作業。が、どうも体調が思わしくなく、ソファで寝ていたらいつの間にか石川がオレのPCのリカバリを完了してくれたらしく、返却できる状態になっていた。ありがとう、石川くん!

ノートPCの返却に前後してPDF化した修士論文を専攻事務と審査をしてくれた先生方にメールで送る。先生方に送るメールには提出した論文から最終稿への変更点を簡潔に述べる必要があり、その文面を書くのに苦戦した。

そのPDFも送信完了して、今度こそ本当に修論の作業から解放されたハズ。進学試験の成績が著しく悪いとか、授業の単位が足りないとかそういうことがなければ、4月からは博士課程に進学である。オレの場合ありえなくもないのがコワイ。

そういう作業が一段落して、帰り際に中村研の青木さんのところによったら、ある話題で盛り上がり悪巧みをした。がんばらねば。

今日はゼミで、ゲストとしてサヴァンの異名をとる田森さんがいらしてくれた。しょっぱなは、25個足すと7千いくつになる魔法陣のはなしで、その尋常ならざる才能の持てあましっぷりが見ていて痛快だった。MEGを使った色の知覚とその神経表象の話は深くて面白かった。田森さんはすごく話がうまい!良いゼミでした。

■2008/2/19 火曜日

交流

ポスター発表終了!早く終われー、誰も来るなーと念じ続けた一時間半。その後、その場のポスターを片付けて卒業パーティー。卒業間際のこの時期になって、同じ専攻内に知り合いが増えた。異質な他者との交流は単純に好奇心をくすぐられて楽しい。

卒業パーティー後は、有志が集まって、部屋で二次会。適度な人口密度で騒ぐにはちょうどよい。酒は潤滑油だなあと改めて思った。ぎこちなさや遠慮や恥じらいの垣根が時間と共に取り払われていく。

今日は博士課程進学者のための試験。なんも準備してねーや。

■2008/2/17 日曜日

Days in tonic anhedonia

来週、沖縄の戦跡を巡礼するという行事に参加するので大慌てで飛行機のチケットをとった。前々からとらなきゃなーとは思っていたが、行事の終了後も沖縄に滞在してすこし羽を伸ばそうかと悩んでいてなかなかチケットをとれなかった。結局は、そろそろとらないと正規料金で買わされるという時間的切迫と、南の島でバカンスしたいという気分ではないことに気付いて、その行事だけ参加して帰ることにした。

修論が終わったらきっといろんなことを楽しむぞ!と思っていたはずなのに、なんかどうもそんな気分ではなくて、ぼんやりとしたつまらなさを感じながら過ごしている。収穫が終わったからさあ収穫祭だ、と意気込んでも、大した収穫もないのでいつもと変わらぬ晩餐だったりするかのように。真綿で首を絞められるような微かな息苦しさが、気のせいのようにまとわりつく。

今日はボーイスカウトのハイキングで、寒空のもと、東武野田線南桜井駅から松伏経由で愛宕駅まで歩く。ほんっとに寒かったな、今日は。最近、着々とボーイスカウト活動に対するコミットメントが増えてきている。今の自分を取り巻くものは、オレが気を緩めると手からこぼれ落ちてしまうものばかりだけど、この活動だけはほっといてもこぼれ落ちることはなくて、よほど積極的に投げ捨てない限り残り続けるのではないかと思う。それは、いい意味ではなくて。いろいろと疲れてしまって、保持することを諦めてしまったあと、地元でてきとーに就職して、することといったらボーイスカウト活動しかない、みたいな生活を送ることになるのかもしれない。そういう予感がときどき頭をかすめるのが、たまらない。

もう少し実家の方でやりたいことはあるのだが、明日は修論ポスター発表&卒業パーティ、あさっては博士課程の進学試験があるので戻らなければならない。昨日は会社のバーコード読み取り端末に乗っけてあるアプリケーションに修正を施す作業をしたのだけど、それを実際に端末に実装しての動作テストや会社の人との細部の詰めの話し合いをしたかったけど、できなそう。会社の仕事にしても他の何にしても、中途半端のまま止まってしまったり、他の人の手に渡ってしまったりすることが多くて、不甲斐なさに泣けてくる。身から出た錆が目に沁みてるだけなんだけど、やるせないなあ。達成感よりも無力感が優ってしまう。

■2008/2/16 土曜日

新種カンガルー、コンガラガルーは左利き

実家のネット環境はいつもの無線LANによるネット接続が一時的にできなくなっていて、今日は「でるお(DELLのノートPC)」から書き込んでいる。何故かでるおのLANケーブルを引っこ抜いてつるぺた(Mac PowerBookG4)に差してもつながらん。メールチェックもままならず不便なり。

いっこ前の日記で書いた、評価関数生成関数のあたりの話から派生して、人は意志決定の際にいくつかの種類にわけられるのではないかと思った。ひとつは自分の利得を最大にするように意志決定をするひと。もうひとつはその場の集団の利得が最大になるように行動するひと。他にはないかなあと考えて、例えば、その集団の個々の人の利得の分散が最小になるように意志決定する人もいそうだなあと思った。集団の利得が最大になるように行動する人はAltruism型で、分散が最小になるようにする人はFairness型かなあとか思ったり。自分の利得を最大にする戦略と集団の利得総和を最大にする戦略の混合戦略によるNash equilibriumが、実は分散最小戦略になってたりとかしないかなとか思った。

集団の利得が最大になることが、その個人の最大の報酬になる、ということは十分ありえて、利得じゃなくて効用を考えなくちゃ!ということになり、あっというまにコンガラガルー(新種カンガルー、左利き)。集団の利得総和が最大とか、分散最小とか、そういうことをするためには他者の評価関数を推定することが必要だ。それを推定することができる能力ができてしまったから、Altruismやfairnessという感情が生まれるようになったのか、それともそういう感情が生まれたからそういう推定をする能力を獲得したのか。他者の心を推定する能力は自分を他者のように推定する能力へと応用可能だろう。メタ認知を得た瞬間、メタメタ認知、メタメタメタ認知とめためたになってゆくみたいに。ゲーデルさんに相談か?!

昨日カラオケで誰かがラルクのSTAY AWAYを歌ってた時に、思い出してたのはこの動画、だということを思い出した。

■2008/2/16 土曜日

Resubmited

昨日の16:29に修正した修士論文をメールに添付して送信。to supervisor。そんで急いでシャワーを浴びて、放置してた食器を洗って脱兎の如く家を後にする。3時間遅れでゼミに到着。

何やら柳川さんがautonomyについて熱く語っていて、なかなか熱いゼミだった。autopoiesisやsensory-motor couplingの話などは、一度きちんと本を読まなきゃと思う。茂木さんが「もうそこらへんの概念セットは出尽くされている感があってさ、オレが学生だったころから状況は変わってないんだよなあ」と言っていた。そうなのか。でもそんな気もする。

ある先輩の「それって評価関数をどうやって生成するかっていうこと?」という発言がすごく印象に残った。評価関数生成関数。モーメント母関数を微分することでN次の統計量がもとまるみたく、評価関数母関数というのがあって、なんかの演算をある時刻tにおいて行うとその時刻tの評価関数が求まる、的な関数があったらいいのにな。

柳川さんが話してくれたことは大いに僕の自発性の研究と関係があって、そのような先人たちが議論し尽くしてもう煮詰まっちゃってる部分をきちんと押さえた上で修論を書けば、きっともっとプロっぽいものになったんだろうと思う。自己満足の範疇を越えられるかどうかは兎も角。博士過程では、すでに議論されていることをどっしり腰を据えて勉強しようと思う。Free Willに関する入門書を注文したけど、はやく届かないかな。

ゼミ後、飲み会。我らが文化遺産、五反田あさり。何回乾杯したかわからない。「乾杯の練習〜」「とりあえず、乾杯だ!」「全員揃ったところで乾杯と行きましょう」「後から来た人も入れて、もう一度かんぱーい」なんだかあさりがたまらなく居心地のいい場所に思えた。あさりでの注文の仕方やタイミング、酒の種類と肴のメニューはもう大分把握できていて、あさりでの「正しい振る舞い方」がわかってきたこの頃である。もっとも、注文は人任せにしてしまうことが多いが。

あさりは9時で切り上げて、その後カラオケへ。みなでせーだいに歌った。10人以上いたので、やはりしっちゃかめっちゃかな感じになる。

カラオケで誰もが楽しめる普遍的な方法というのはあるのだろうか。オレは、もうああいう場での開き直り方みたいなものは身につけているので(というかあの文脈では、そういうキャラとして認知されているので)半ばヤケクソ気味に楽しむ事ができるけど、それが果たして誰かの楽しさを犠牲にしていないかどうかはわからない。

要素間にインタラクションがある場合、要素の和が最大になることと、それぞれの要素が最大の値を保持することは同じことではない。

終電ギリギリまで歌って、帰った。今回は実家の方に帰ってきている。こっちで一仕事せにゃー。

■2008/2/11 月曜日

イカ大根

大根が1/2、デーンと冷蔵庫の中に鎮座していた。なかなか使う機会がなく、手をこまねいていたが、ガツーンと消費する献立を思い付いた。イカ大根である。というわけで、イカ大根に初挑戦。ダシをとって、その中に大根を入れてぐつぐつ煮る。そこにイカを入れてまたぐつぐつ煮る。さらに、みりん・醤油・酒をどかどか入れてまた煮る。で、火を止めて、冷まして味を染み込ませてできあがり。調味料の分量とか気にしなかったわりにおいしくできた。味がしっかり染み込んでて、冷めていてもおいしい!

次はぶり大根かしら。

昨日は作業しようとすずかけ台に行ったんだけど、ちっともはかどらなかった。エアコンがつかなくて寒かったせいと、単純にやる気不足。最近は、youTubeにはまる確率が高い。ちょっと前はラーメンズ中毒になり、一日一時間は見ないと気が済まなかった。(近日、DVD購入予定)また、実は告白すると、修論提出直前に、某非日常系ラノベ原作アニメにハマり、一晩で全話見るとかいう馬鹿なことをやった。そんで、昨日は、ファイナルファンタジーのボスとの戦いを録画したものをひたすら見ていた。



1/30の日記:ラスボスは他にいた!を書いたときに念頭に置いたのが、まさにこのファイナルファンタジー5のボス、エクスデスで、倒したらネオエクスデスとなるっていう展開の仕方だった。

そんでこれ見てたら無性にFF5をやりたくなっちゃったよ!

今日は渋谷で映画を見ます。ソクーロフ。

■2008/2/8 金曜日

外部ディスプレイと電気ケトル

午前中に歯医者に行って、部屋の整理を少しして、それからすずかけへ。

昨年度の予算で購入して、だけど誰も使っていない液晶ディスプレイがあったので、引っぱり出して使ってみた。Macのディスプレイと液晶のディスプレイがひとつのつながったディスプレイのように使える。液晶ディスプレイでみるとすっごく見やすい!色もきれいだし広いしとても良い。

それから電気ケトルを持ち込んだ。T-falのやつじゃないやつ。必要なだけの水を入れて、さっとお湯が沸く。良い感じである。

オレの城(すずかけD部屋)が着々と居心地のいい場所になってゆく。

■2008/2/7 木曜日

流れをもとどおりに

昨日は同じ専攻の学生が集まって、修論発表会お疲れ会だった。@町田。全体で70人ぐらいいるはずだけど、来たのは20人程度。ほんの数人を除けば知らない人ばっかりだけど、修論終わったぞ!という連帯感からか、ほとんど気後れすることなく、楽しい打ち上げだった。もっとこういうのに参加した方がよかったかもな、と今更ながら思った。そんな風に思うようになるなんて、オレには一体何が起こったのでしょう?(オレを知っている人ならそのギャップのでかさがわかるでしょう。)

すずかけ台のD部屋を、これからオレの居場所にしようと思う。いままでずっと、「居場所」をつくることを避け続けていた。自分の居場所はどこにもないと思っていたし、ない方が美しいと思っていた。それがどうした心境の変化かなあ。ほんと、自分は変わったと思う。たぶん、半年か、いやもっと長い時間をかけて変わったのかも知れない。

今日は久々に自炊した。修論目前は新横浜の24時間営業のガストか、菊名駅前のジョナサンがオレのエサ場兼作業場だった。ドリンクバーのコーヒーは何杯飲んだかわからないし、ファミレスの軽食は食べ飽きるほど食べた。これからは自分でおいしいものを作るのだ。かつおぶしをたっぷり使ってダシをとった味噌汁はとてもおいしかった。

冷蔵庫に2週間かそれ以上放置していた自家製大根の浅漬け(溶けかけ)とヨーグルト(賞味期限一ヶ月越え)をゴミに出した。気分を一新しようと髪を切った。明日は、治療の途中だった歯医者へ行く。その後は部屋の掃除もしよう。滞っていた諸々のことを片付けていく。水路の詰まりを取り除いて、水の流れがもとの姿にもどるように、日常がまた流れ出す。

今、すっごいワクワクしている。いろんな可能性を試したい。思う存分、力を奮ってみたい。

■2008/2/6 水曜日

無い袖は振れない

修論発表会が終了した。これでオレの修士課程の2年間はほぼ終わりといっていいだろう。発表会終了後に茂木さんと握手の図。

励ましのためか、慰労のためか、先輩達がお菓子をくれた。うれしかったので回覧用の修士論文と一緒に写真を撮った。

以下、修論発表日前の数日間の回想。

修論の発表会は、別日程で先にやっていた中原先生のときが山場だったように思う。論文はロジックが破綻していてストーリーは支離滅裂尻切れトンボな状態であり、それを無理矢理バラバラにならないようにワイヤーをがんじがらめに巻いてある感じ。もとからちょっとつつけば簡単にはじけてしまうのだけど、中原先生は北斗の拳のケンシロウが秘孔を打ち抜くような正確さで問題点を指摘してくださった。崩れないようギチギチに巻き付けてあったワイヤーがビンッ!ビンッ!という音を立てて見事にはずれていく。そしてオレは素っ裸になる。もう何も脱ぐものがありません!という感じで万事休すの状態だった。あと何を脱げというのかと。例えるならばそんな感じで。

自分の論文がよろしくないのはよくわかっていた。頭の中ではアラートがなりっぱなしでOKボタンを押しても押してもポップアップしてくるエラーメッセージのようにその問題の多さは自覚していた。だけど、何をどうしたらいいのか、わからずにいた。中原先生の指摘はいちいち適切で、むしろ自分の問題点をきれいに洗い出すこととなった。基本的にオレは人の言うことを聞けないタチなのだが、中原先生の言葉はすっと胸に入ってきた。そんなわけで、まさに中原先生に対する発表は自分にとってカタルシスだった。崩壊と、浄化と。

中原先生への発表の後、ゼミでラボメンバーの前で発表した。イントロの大脳基底核に関するレビューをなくして、t検定を片側から両側に変えて、ランダムな系列との比較を思いつきで図中に加えてみた。とりあえず話はすっきりしたが、相変わらず考察の部分がなくストーリーも強引なものだった。ゼミで議論して、考察にいくらか付け加えられそうな材料を得た。そんで、家に帰って、議論の部分のスライドを作ろうと思ってたら寝てしまって、起きたら朝六時で、議論のスライド3枚とFuture Work2枚をエイヤーで加えた。あまり自覚はしていなかったが、あの発表は「自発条件とギャンブル条件ていうのを考えて、そんでその違いについて考えてみました。」という話になっていたのだと思う。本来なら「これこれの理由で自発条件とギャンブル条件ていうのを考えてみました」という風にすべきなのだが、まあそれはもう考えちゃってあまつさえ実験までしてしまっているのでどうにもならん。比較のために図の中に入れたランダム系列との対比だが、今思えば、ランダム系列と自発行動系列を比べて、自発的行動はランダムではないというストーリーにすればよかったのかもしれない。そもそも、それが一番最初に考えていたことに近い。最初に自発的にボタンを押すという課題(ともよべない課題)を考えてそれがどういう系列になりどうやって生成されるのかということを知りたいと思った。だけど、どうやって調べればいいかわからなかった。で、ギャンブル条件というのを加えて対比させたら何とかなるかもと考えた。それから迷走が始まているのだろう。いまさら遅いけれど、ギャンブル条件はほっといて、自発条件とランダムな系列の比較をすることが、あの実験データを生かしconsistentなストーリーにまとめられる唯一の道だったのかもしれない。発表後、中村研の先輩たちと話をしていたらそこらへんを突っ込まれて、そんな風に思った。

そんなわけで修論発表会は迷いを心の中に抱きつつやったので、質疑応答の時間は出てくる質問に対してうまく反応することができなかった。心の中に複数の考えが錯綜していて、どの考えを基盤に思考を編んだらいいか決めあぐねている状態だったので、最終的にでてくる出力は「・・・」だった。ある先生の一体これは何なんなんだ?というような視線が印象に残った。

発表終了後は学生だけでてんてんに行った。朝、賞味期限を二日すぎた菓子パンを囓りながら、「発表が終わったらてんてんのてんぷらが食えるぞ」とわくわくしていたので、実際に食べられてうれしかった。

修論提出の少し前から昨日までずっと腹の調子がよくなかった。ストレスで胃に穴が・・・という話はよく聞くけれど、きっとあの状態が3ヶ月ぐらい続くとそうなるのだろうというのが実感できた。胃酸が出すぎている感じ。終始、胃のあたりが重たかった。でも、てんてんで日替わり定食を食べている頃には気にならなくなっていた。

終了後はD部屋の掃除をした。誰かが放置して、たぶんこれからも放置されるであろう紙の束や、既定の場所がないために中途半端に置かれているだけになっているものを片す。黙々とその作業をしながら、ふと、レクイエムという言葉が浮かんだ。

修論が終わるまでは、負の感情がうずまいていた。全世界はオレの敵なんだという被害妄想とヒロイックな自己陶酔。その感情が身体の一挙手一投足を支配していた。片付けをしているうちに、そういう感情はなりを潜めたようだ。でもきっと、消えてはいなくて。強烈な自尊心と強烈な劣等感が同居するオレの頭の中からその感情は生まれる。そのアンビバレントな両者が和解するか人並み程度に弱まるまでは、危機に際してまたやってくるのだろう。「いまは、引こう」そういうことなのだと思う。

今日は雪が盛大に降っている。まるで舞台の幕が降りるかのよう。

■2008/2/2 土曜日

two thirds

うがー、まだスライドの3分の2しかできてない!(2/2 AM 0:03)終わんのか?これ。終わったとして練習する時間あんのか?

先輩にメールで論文を送って添削してもらったら突っ込みだらけで返ってきた。そりゃそうだ。1回も見直しせずにテイシュツしてしまったんだから。論理的にもいろいろと破綻していて、まあわかっていたけど、厳しいなあ。もうここは気合いで乗り切るしかないっ!オレが諦めた瞬間に、論文は文字の寄せ集めへと瓦解する。もうなんか、ロジックを気合いでなんとかしようとしているあたり、もはや科学でもなんでもないものに変質しているのは間違いない。ともかく、最低でも一見破綻してなさそうなロジックを組まねば。(だめだろ)

オレは2年前の自分に謝らなければならないだろう。立派な修士論文を書いて胸を張って修士の学位をもらうつもりだったのんだから。

忖度というのは必要だし、それは美しい心情だと思う。だけど、どうせ、その人の気持ちなんてその人の立場に立たなければわかりはしない。それはたぶんみんなわかっていて、だからこそ、人は口をつぐむのかも知れない。忖度と称して。でもそれで全員が口をつぐんでしまっちゃダメだろうと思う。それじゃ、真にその人の為にならないとか、そんな理由じゃなくて、それ以外の別の理由で。オレは過去の自分にexcuseしたりしたくない。過去の自分を赦しはしても。

あと11時間30分後にはラスボスとの第一回会戦がはじまっているはずです。

2007へ
2007
 1月: 1-31
 2月: 1-29
 3月: 1-31
 4月: 1-30
 5月: 1-31
 6月: 1-30
 7月: 1-31
 8月: 1-31
 9月: 1-30
10月: 1-31
11月: 1-30
12月: 1-31
2009へ

トップページへ 過去ログの一覧へ

femto second = 10-15

フェムトセカンド
since 2006/4/1
野澤真一