log 2006.December.

フェムトセカンド

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下に降りるほど古くなります。

■2006/12/31 日曜日

連雀町まつやで大晦日

藤原正彦さんの国家の品格を読んだ。最初の何ページか読んで、「なんてひどいナショナリズム!」と思って読むのを先延ばししていたんだけど、再び読みはじめた。結果的には読んでよかった。実はこれは笑いをとるためにこういう文体でこういう書き方をしたんじゃないかとうがった見方をしてしまうぐらい面白かった。ロジックには賛同できないが結論には賛同できることが多い。日本を極めて肯定的に賞賛しているあたりがベストセラーになった理由ではないか。読んでて嬉しくなってしまう。

午後は御茶ノ水で石川と待ち合わせて、街を歩いたりお茶をしたりしながらいろいろな議論をした。二人とも半月後には構想発表会をやるのでその話や、そのほか話題は方々に流転し、尽きることはなかった。

夕方になりいよいよ本丸に乗り込む。神田、連雀町にある老舗のそば屋に行く。行列が出来ている。去年は一人で来てこの列に並んだのだった。一時間並んだ。それでも退屈はしなかった。ずっとしゃべっていたから。寒かったけど。二人で日本酒を差しつ差されつしながらよくしゃべった。向かいのご夫婦がお銚子を一本おごってくれた。

そんな恵まれた大晦日でありました。

■2006/12/30 土曜日

Review my 2006

長文御免。一年の反省で思ったことをそのまま書いているのでつまんないかもです。

今年を振り返ると、なんだか印象がぼんやりしている。自分が熱くなって何かに取り組んでいたという記憶がない。去年は研究で、一昨年やその前は単位をとるために頑張っていた。今年はなにをやっていたんだろう。

確かに前期は授業と課題に忙殺されていた気がする。週四日授業があって、雨後の筍のように課題が湧いて出て、ヒーヒー言っていた記憶がある。初心者には荷が重すぎるプログラミングの課題を成し遂げた達成感はそれなりにある。でもそれも数学で言えば四則演算ができるようになった程度で微分や積分にはほど遠いようなスキルだと思う。8月は学会やキャンプであちこち飛び回っていて、9月以降はなんだか無為に過ごしてしまった。9月、10月、11月、12月、何をやっていた?10月に初めてアメリカに行ったことを除けばさしてこれをやった!という記憶がない。芸大と、ゼミと、カンデルとボーイスカウト。ほぼそれで説明できるような気がする。

苛立つのは研究がexplicitに進んでいないことだ。カンデルを半分ぐらい読んで神経科学の知識はかなりついた。皮質の領野の機能と場所、皮質下の構造とその経路、機能、そういったものがかなりクリアに記憶されている。でもだからなんだというのか。知識がつけば研究できるもんじゃないことの証左だと思う。「感情→情動→モチベーション→作為と無作為の間」という風に興味の対象をかなり絞り込めたものの一向に何の結果もなく、甚だ先行き不透明だ。

今年は慣れる年だったのだと思う。「生きること」に慣れていない幼少時代の記憶がおぼろげなように、今年も慣れないこと・知らないことの連続で印象がおぼろげなんだろう。茂木研に慣れた、東工大に慣れた、一人暮らしに慣れた、脳科学に慣れた。茂木研に慣れたというか馴染んだというか。こないだのX'masSPのときに馴染んだ、と感じた。茂木研は去年までいた研究室と全然違うのはもちろんだが、そもそも普通の大学の研究室とは全然異質な場所だと思う。去年までいた研究室の方が断然普通に近いと思う。それは実験系と理論系の違いなのかもしれないしオレは理論系を知らないから断言はできないのだけど。

茂木研に慣れて、今の脳科学の現状がまだまだおぼろげだけど掴めてきて、メンバーとどんな風にコミュニケートすればいいかわかってきて、この研究室でどんなことができるのか見えてきて、自分の中でいかに空っぽであるかがよくわかった一年だった。

今、何よりも戸惑っているのが「自分で考える」ということ。決して、いままで「自分で考える」という経験をしてこなかったつもりはないのだけど、今のこの局面に対しては稚戯に等しい。今までは例えまわりは荒野でもアスファルトで舗装されてて、あるいは道らしい道があってその上をフラフラ歩いていけたんだけど、今は空っぽの何もない真っ暗な宇宙空間に放り投げられて、上も下も右も左も前も後ろもなくて、ただ遠くのほうに名前も知らない無数の星が輝いていて、どれもこれも遙か遠くて、しかも一点を見続けているのさえ難しくて、決まった方向に進むなんて到底無理。そんな感じ。いままで、考えるという行為をそれなりの強度でしてきた自負があったのだが、ままごとにすらなっていなかったんじゃないか。

そんなことに気付かされた一年だった。気付いたのはここ最近で、はじめはその無力さすら感じていなかったのだと思う。だから来年は、なんとしてでもこのよちよち歩きから脱却し、どこかに向かってすっ飛んでいられるよう、何かを掴もうと思う。そのために精一杯努力をしようと思う。ちょっと昔の自分だったら「精一杯努力しよう」なんて日記に書かなかったと思う。こんな謙虚になれたのはいつぶりだろうか。この変化が今年の自分を表していると思う。

昨日、映画「ファイトクラブ」を借りて見た。たぶん見るのは3回目。何回も見る映画ってこのファイトクラブとアメリぐらいしかないかもしれない。何故か不意に見たくなる。この映画が自分にとってひとつのバイブルになっているということを自覚した。

■2006/12/27 水曜日

代官山を探訪した、モツ煮

代官山の辺りを歩いた。昔ならありえなかったことだが、引っ越したお陰で変える方角が変わり、帰る途中で渋谷から代官山に散歩する、ということが可能になった。代官山を歩いたのはほとんどはじめてだったけど、とてもいい印象を受ける街だった。街並みから何か高い精神性のようなものを感じた。

今日は茂木研のメーリングリストが賑わっていた。今日は恩蔵サン、小俣さん、柳川さんがD論(博士論文)を提出する期限日だった。朝、茂木さんから自分のデバッグ(修正作業)は終わったから他の人も見て意見があったら言ってくれという旨のメールがあり、それから何人かがコメントや修正点の指摘をするメールがあり、それからD論を提出する三人からそれぞれ提出完了のメールが届いた。今日の春のような陽気と共に、善意に満ちた空気を感じて暖かい気分になった。冬の次は春なのです。春遠からじ。

ほぼ丸ごと一個残っているキャベツを消費するためにもつ鍋を作った。スーパーでモツ肉を買おうと思ったが売ってなくて、代わりにキャベツとニラを入れて煮るだけのもつ鍋のもとを買ってきた。キャベツを四分の一に切って鍋に入れる。ニラを切っていれる。余っているニンニクとにんじんを入れる。後は中火ぐらいでぐつぐつ煮る。キャベツの芯がくにゃくにゃになるまで煮て完成。キャベツが甘い!元来キャベツというものはこれぐらい甘いのか、それともこのキャベツが特に甘いのか、今年のキャベツは甘いのか、よくわからないがとにかく甘かった。明日は雑炊にするのだ。

■2006/12/26 火曜日

象徴的な感じの掃除

昨日はだらだらと実家の自分の部屋の掃除をしていた。説明するのが大変なのだけど、オレの部屋は家族が住んでいる「家」と独立した「家」にあってオレが使わなくなると完全な空き家になる。だから三月に家をでてから布団すら敷きっぱなしで放置できたんだけどここに来て、その家に異変が起きてしまった。ネズミの巣窟になってしまったのである。

久々に帰ってきて部屋を見て卒倒しそうになった。部屋がネズミの糞だらけになっていた。長い間、そこで寝泊まりしていた部屋が気持の悪い空間に激変してしまった。心の柔らかくて大事に扱わなければいけない部分が汚い棒っきれでぐちゃぐちゃに掻き回された気持ちになった。

そんなわけで、もう一ミリも愛着の持てなくなった部屋を片付けることにした。いつか使うだろうと執行猶予を与えて結局五年も十年も経ってしまったもの達をどかとかすてていった。完全には片付かなかったがそれなりに一段落ついた。あと二回ぐらいかけてけりをつけるつもりである。最終的には本や資料の類だけを保管する場所にするつもりだ。

図らずも大掃除みたいになってしまった。いや、一年の締めくくりというより何か象徴的な感がある。

■2006/12/24 日曜日

X'masSP、団行事

22日は茂木研のクリスマススペシャルだった。
2006/12/23のクオリア日記
クリスマススペシャルではみんなが出し物をやる。そして、誰が一番よかったかを投票で決めて、一番よかった人に優勝賞品が渡される。今年の賞品はiPod Videoだった。ちゃんと「mogilab X'mas SP 2006」という刻印入りの世界に一つしかない奴である。ちなみに去年も賞品はこれだった。オレの出し物はこれ。
2006X'masSPの出し物(2.3M)
右クリックで保存して見た方が無難かな。Quick Timeで見られるはず。画面をクリックすると画が切り替わるはず。発表はKeynote(Appleが出しているPowerPointの様なソフト)でやった。

他の人の発表はこんなかんじ(タイトルだけ)
利きビール、めっちゃうまいやん、雀荘かぶり物VTR、卒業写真、感謝状、幸せアイテムもじゃ、すずかけダッシュ、2Dから疑似3D、羊たちの沈黙かものはしver.、カモウィルス、海の一日、クラシックギター演奏

結果的に、オレと柳川さんが同点で優勝してしまった。柳川さんは短い映像だけど、何か心地のよい後味を残す作品になっていて、よい味がでていた。それに比べて、オレの作品は優勝に値するのか疑問なところだった。発表していたときの自分の感触としては思ったより笑いがとれなかった。というか、はっきり言ってネタが滑っていた。どうも、最後に妹の画像を出したのがよかったらしい。あんなくだらない写真を撮るのにつきあってくれた妹への同情票ということらしい。一番笑った作品は関根さんのだった。笑いすぎて涙がでたほどだった。

出し物の後は品川某所にうつり飲み会。たくさんワインがあいた。ドンペリ飲んだ。キャビア食べた。いろんなチーズ食べた。その他いろいろ。ほとんどのメンバーが朝まで飲んだくれたのでありました。Cの事務のOさん、来年入学予定のTさん、TQさんの娘Rちゃん、芸大のUさんとU ちゃん、S社のKさん、TUのHさん、Iさん、がゲストで来てくれた。オレは石川とお粥の朝食を食べた。

今日はボーイスカウトの忘年会。イブなのに。一番年少のビーバー隊、カブ隊、ボーイ隊、ベンチャー隊がみんな参加の会である。幼稚園の学芸会に毛が生えたような感じだろうか。その後、リーダー達の団会議。1月から新年度なので今年度の締めについて会議。ローバー隊は今年何もできなかった。予算も決算もあったもんじゃないが、そういう書類を出さねばならない。ボーイスカウトの先行きはどうなんだろうか。暗いような気がするが、何だいじょうぶさという気もする。短期的にも長期的にも課題は山積みである。

団会議後、サイゼリヤで隊長のkoshi先輩とふたりで食事。イブにサイゼリヤで男二人で食事ってどーなのよって感じだが、でもいいのである。こういうクリスマスもいいのである。メロンソーダを何杯も飲み、話が弾んだ。

本当はもっとたくさん思っていること感じたことを書きたいのだが忘れてしまった。色んな感情が乱流で過ぎ去っていく。また、いろいろと頭の中ではアハが起こっている。そういうこと、全部書いておきたいのに、頭の中から過ぎ去っていってしまっている。次からはもっと急いで書くようにするのだ!

■2006/12/21 木曜日

出し物未定、為果

時間が、それに付随していろんなものが通り過ぎて行く。通り過ぎていく。通り過ぎていく。なんの断りもなしにやってきて、何の断りもなしに去っていく。あっけにとられてしまう。やってきたと思ったら、行ってしまって、何も残してはくれない。手から何もかもこぼれ落ちた感覚だけがべったりと心に張り付いている。過ぎ去る前も後も、変わっていない自分が悲しい。何も得ていないのに喪失感だけが増えていく。

まるでシフトチェンジしたかのように、急に寒くなった。その堅くこわばった空気で毎年の暮れの記憶が蘇ってくる。いよいよ暮れも押し迫ってきたという感じがする。12月は師走(しわす)というが、為果(しはつ)とも言う。師走はいかにも当て字という感じがするので、為果という言葉の方がすきだ。何もかも為し果てるのが12月である。その他、四季が果てるとの意味で四極(しはつ)とも言うとか。いま思うと学校の先生はすごく無責任にこの事を教えていたなーと思う。「12月はお坊さんも走るぐらい忙しいから師走というのです」と教わった気がするが、小さい頃からそれがウソくさくて信用できなかった。師走というのは当て字だけど、ともう少し正確に教えて欲しかったなと思う。
http://gogen-allguide.com/si/shiwasu.html
http://www.netricoh.com/contents/antenna/ojituu/data/0039.html

明日は研究室のクリスマススペシャルである。が、出し物が決まらない。

■2006/12/17 日曜日

超越意識、キムチ鍋、世界全体を引き受ける

昨日もふたたび色のワークショップに行った。この日は茂木さんがパネラーとして話す。
茂木さんのブログ
茂木さんのブログを読んであの時はそういうことを言っていたのか!と自分の間違いに気付く。ディスカッションは英語と日本語が入り交じって行われたので、わからないところ多数。イヤホンをつければ同時通訳が聞けたのだが、敢えてそれはしなかった。micro-consciousnessとかempirical consciousnessとかtranscendent consciousnessとか出てきてちょっとびっくりしたが、普段は聞けない意識の突っ込んだ部分の議論が聞けてためになった。オレもいつかあんな知の”空中戦”を繰り広げられるような人間になれるのだろうか。とはいえ英語律速でほとんど内容を掴めていないので、英語を鍛えねばと思う。

その後、急いで帰ってきて鍋パーティ。同期の石川と、中村研の同期ふたりと、オレを含めて4人でキムチ鍋をつつく会が開催された。こんないかにも大学生がやりそうな催しをやるのは自分らしくないなと思っていたが、結果的にはおいしかったし楽しい会となった。石川はわざわざ土鍋を家から持ってきてくれて、そして置いていってくれた。今日は残っている汁で雑炊を作る予定。

最近、茂木さんの言う「世界全体を引き受ける」「やれることは全部やる」ということがしんしんとオレの頭の上に降り積もってくる。段々とその重みが増し、その重みがオレの駆動力に変わりそうな気配がある。オレは昔から「俗っぽい」感じのことを見下していて、それゆえにテレビを見なかったり、流行の歌手やアイドルや芸能人を知らなかったり、現代の小説を読まなかったりするんだけど、それもどこか無理があって歪んだ態度なのではないかと思えてきた。「〜〜っていうドラマ見てる?」とか聞かれて「いや、テレビ見ないから」と答えると相手が「え!テレビみないの!」と驚愕するのを見て密かに優越感を抱いたりしたんだけど、そういう自分がなんてつまんないんだ!と思えてきた。

とりあえず俗っぽいかどうかでその情報に触れるかどうか取捨選択するという態度は間違っているんだ。俗っぽいという印象は作品の前にあるものではなくて、後にあるものだ。友達とキムチ鍋の会をやるなんてのは自分らしくないな、とかいうのもくっだらない邪推なのだ。

"To do everything you can" on Qualia Jounal

以下、2004.6.27.のクオリア日記から抜粋。

 アントワープ大学の学会会場。本のセクションで、意識関係の本を眺めていたら、デイヴィド・チャーマーズがばたん!と来た。

 「あれ、来てたんだ?」「来てたとは知らなかったよ。」とちょっと立ち話。

 Journal of Consciousness Studiesを発行しているKeith Sutherlandとも立ち話。

 「最近は雑誌の購読数はどうですか?」「そうですね。あなたも知っているように、一時期、意識に対する関心がわーっと盛り上がって、ニューエージ・タイプの人たちなどが入ってきたのですが、結局、彼らは、論文の内容が難しくて、さーっと潮が引くようにいなくなった。今は、専門家たちが地道に議論するメディアとして、フラットな水準を維持しています。」

 Keithの言うように、最近は、会議に来ても落ち着いた感じがある。意識を巡る、基本的な概念セット(クオリア、visual awareness、access consciousness, agency,neural correlate, philosophical zombie、etc.)はすでに確立していて、妙な誤解やミスコミュニケーションがない形で議論ができるようになっている。

 「意識の定義は何か?」などというしばしば無知と無感覚の鎧として使われる議論は ムダだし、やらないようになった。

 もっとも、意識のhard problemは未だに解かれる気配はないわけで、しかし、だからと言ってやることがないわけではなくて、やることは一杯あるわけで、なんだかいい感じである。

 ヨーロッパは、哲学的伝統がデカルト、カントに見られるように科学主義との密接な連関をもって(科学主義と同じような意味で、世界全体を引き受けることを志向して)発達してきたわけで、その点が、世界全体を引き受けることなく気の利いたことを言うことが哲学だと思っている日本とは違う。

 意識の科学とは、すなわち、今日において世界のあり方を統合的に引き受けるための試みなのであって、 一見ファッショナブルに流通している日本の思想界の言説は、全て、 その点から見れば、世界観自体には抵触しない部分問題に属するのである。

 というようなことをアントワープで思う。

もうひとつ。
うわあとかあかあ on クオリア日記

以下、抜粋。

・・・世界全体を引き受けるとは、明示的な知の体系を組み立てるということではなく、感情の技術なのである・・・

・・・「世界全体を引き受ける」とは、決して、いろいろなことを全てやろうとしたり、複数の場所に同時にいようとしたり、全てを覆う明示的な知の体系を実際に構築することを必要条件とすることではないからだ。・・・

なんか、オレの思う「世界全体を引き受ける」と、茂木さんの言う「世界全体を引き受ける」は違うことのような気がしてきたが、まあいいや。今日は会社の年賀状作りです。

■2006/12/15 金曜日

ミネストローネもどき、気の置けない仲、ゼキ

昨日はミネストローネもどきを作った。トマトが安かった(100円)ので買ってきて、余っているたまねぎとにんじんを切って煮ようと思った。一ヶ月ぶりぐらいにとりだしたにんじんは原型をとどめないほどに茶色くなり液状化してどろどろに腐っていたので、トマトとたまねぎだけのミネストローネになった。あとニンニクも二かけらいれた。味付けは塩と胡椒でしたがよくわからない味に仕上がった。やはり切って煮るだけではダメなのかっ。あ、ツナの缶詰もほおりこんだ。

おとといの水曜日は学部時代の友達と忘年クリスマス会を開催した。5人も集まっているのに名字の種類は二種類という、へんな分布を持った仲間である。実験の時の班が一緒だったとか近かったとかただそれだけの縁なのだけど、学部の時の友達でこれだけ気の置けない仲の友達もめずらしい。留年してて、名の通った商社に就職が決まったのにそれを蹴って東大に進学して将来は映画のプロデューサーになるんだと豪語する友達が、店探しをしてくれて実現した。楽しい時間でした。本当に、「気の置けない仲とはこういうものなんだな」と改めて再確認した。普段他の人と接しているときに、同じように楽しげに振る舞うことはあるけど、それでもどこかで相手の出方をうかがっていたり、他の人に対して遠慮したりとかするものだけど、この仲間の中ではそういう必要が本当になくて、あってもそうすることが自分にとって気持ちのいいことなので、一緒にいて楽である。

今日はゼミでした。最近やっと、この研究室になじめてきた気がする。脳科学の知識がついてきて、何がトリビアルで何がどうでないかの基準が自分の中でできてきたように思う。そのお陰で、疑問に思ったことを聞けるようになった。こうなる前は、疑問に思ったことがあってもあまりにもつまんないことなんじゃないかとか的はずれなんじゃないかとか自分で調べればわかるんじゃないかとか、いろいろと怖くなって質問できなくなったり、あるいは質問して答えを聞いてだけど要領を得なくてもそれ以上はやはり口をつぐんでしまったりしたものだった。ここに来て、やっと自分の言ってることに自信が持てるようになってきたし、あるいは単純に神経が図太くなっただけなのかもしれないが、ある程度の”張り”をもって発言をできるようになった。

ゼミ後、ロレアル賞連続ワークショップ2006 「色」―科学と芸術の出会いというのにいってきた。

12月15日(金) 18:30〜20:30「脳は美をいかに感じるか?」
セミール・ゼキ(ロンドン大学神経生物学教授)

美はどこに在るのか?その答えを知りたいすべての方へ。
「眼ではない。脳がものを見る」(ゼキ著『脳は美をいかに感じるか』より)。私た ちはなぜ芸術作品を見て美しいと感じるのかを、豊富な名画の事例を挙げながら、視覚脳の仕組みから解明します。 (日英同時通訳あり)

ゼキという人は脳科学の分野では大御所もいいところで、視覚の研究でものすごく有名な人である。ゼキの話はとてもよかったし、人柄もいいなと思った。が、日本の知的水準に大きく疑問を抱いてしまった。

その後、朝カルの打ち上げに石川と行った。打ち上げの後、一部の人たちはカラオケに言ったらしいがオレは足早にかえってきた。

■2006/12/13 水曜日

カンデル、チュートリアル、議論

昨日は午前にカンデルの授業のあって、夕方に和光市の理研に行った。理研が主催する脳科学のチュートリアル。参加自由の授業である。その日は変性神経疾患がテーマで、ハンチントン舞踏病とか狂牛病とかがでてきてためになった。

今日は就職進学ガイダンスがすずかけ台であって、その後、大岡山に移動して英語の授業をうけた。理解度三割とか。

最近、石川といろいろな議論していて楽しい。二人で色んなアイディアをだしあって批判しあい考えを深めていく。いよいよ水面が見えてきたような感じがする。やはり誰かに考えをぶつけるのは大事だ。年明けには水面に浮上しているかもしれない。

■2006/12/9 土曜日

あさり飲み、新しいコーヒー

昨日は茂木研でただ一人のOB(現時点で)の長島さんが来てくれての飲み会だった。茂木さんは来れなかったけど、メンバーで大いに盛り上がった。さりげなく写真を撮ったらみんないい表情で、よい画が撮れたなり。(大丈夫かな、こんな写真を公開してしまって?)

今日、コーヒーの粉が切れたので新しいのを買いに行った。開けたらすごくいい香りでしばしその香りで恍惚となった。最近はこうやってコーヒーの粉とコーヒーフィルターを使ってコーヒーを淹れている。こっちで飲むようにインスタントはまずくて飲めない。それでもすずかけの研究室にいるときは飲むけど。このフィルターを使って入れるやり方には何かコツがあるのだろうか?オレはただお湯をどぼどぼと注ぐだけなんだが。

■2006/12/8 金曜日

ゼミが楽しかった

昨日のゼミは楽しかった。石川はきっちりパワーポイントを作ってきて、説明もよくできていたのに対し、オレが準備してきたものはたった一枚の紙につらつらとこれまで考えたことを書いただけのとても頼りないもので、「お前は入学してから今まで何やってたんだ!」というゲキが飛びそうな気がしていたが、終わってみればいい議論ができた。とても楽しい時間だった。
ゼミのレジュメ

茂木さんをはじめ、先輩方がいっぱいアイディアをくれたのでこれからいろいろ考えることが楽しみである。実験パラダイムに落とす時もそう遠くない気がする。そう思ったんだけど、今日、起きて布団の中でもぞもぞしながら考えていたんだけど、「やっぱり難しいなー」と思った。

いままで決して何も考えてなかったわけではないけど、考えたことが断片的でほとんどが記憶のあちこちに散らばって消えてしまっているので、今回、レジュメを作りながら自分の思考の軌跡を追い、断片的なものを一つのストーリーに組み立てていく作業をしたことは意味があったと思う。昨日のゼミで言われたことも併せてもうすこしその断片化しているものを組み上げていく作業をした方がよさそうだ。

だけど、とりあえずカンデルを読みます。火曜日発表なのにまだこれっぽっちも読んでないー。

■2006/12/7 木曜日

留学フェア、松岡正剛、ニュークレア・フォビア

昨日は英語の授業をすっぽかして、フランス留学フェアなるものに行ってきた。英語のプレゼンテーションを6割ぐらいの理解力で聞いていたが、認知科学、心理学、神経科学あたりのコースは見あたらなかった。探せばあるのかもしれないけど。でも、フランスは留学生にとても厚い待遇をしてくれるらしく、留学生と現地の学生は同等の権利があって、留学生が1割をしめるらしい。フランスに留学するとなると言語の壁がネックになるな。最近、留学したい願望がかなり強くなっている。

その留学フェアの帰り道、キャンパスを出ようとすると看板が立っていて、「ニュークレア・フォビアの・・・」と書いてあってなんとなく「ん?」となって立ち止まった。ニュークレア・フォビアという単語の意味はすぐにはわからなかったがなにかにひっかかって看板を見直してみると、松岡正剛さんが講演をするということだった。おお、あの松岡さんか!と思って聞いてみたいと思った。松岡さんの名は茂木さんのクオリア日記にもたまにでてくるし、松岡さんの「千夜千冊」は時間のあるときにせっせと読んでいる。

この講演、聞きたいなと思っていると、講演の日付は今日で、「今日じゃん!」とびっくり。だけどその時はもう夕方の5時だったのでもう終わってるかなと思ったら6時半からで「これからじゃん!」と二度びっくり。そんなわけでちゃっかりもぐりこんできた。電子メールで予約してください、と書いてあったがもうこういう講演の類は出るのに慣れているので、どうせ飛び込み参加でも大丈夫だろうと思った。案の定、すんなりと入れてくれた。

感想を書きたいけど、ちょっと時間がない。だけど、話のスケールに圧倒された。茂木さんの話以上に訳がわからない部分が多かったが、すごく刺激が多かった。途中で、「私のアホの、若い友人で茂木というのがいてね・・・」と、茂木さんの名前も出てきた。

終了後の居酒屋での懇親会にもずうずうしくも参加した。まわりの人は松岡正剛ファンが多く、ほとんど神様のような崇拝ぶりだった。そこで、自分が思っている以上に松岡さんてすごいひとだったんだと思った。

今日は急遽ゼミをすることが決まって、M1のオレや石川が話すことになっている。が、まだ何をどう話すか考えついてない。むむむ。

■2006/12/5 火曜日

靴と加湿器

加湿器を買った。エアコンをつけっぱなしにしておくと、喉がカラカラになってすごいことになるので。3000円と手頃な値段で、小さくて気に入っている。それから、靴もかった。アディダスの青いやつ。膝を痛めて重いアイリッシュセッターは履くのをためらうようになってしまって、今はちょっと前に買ったパトリックコックスの靴しか普段履ける靴がなくなってしまった。あまり同じ靴ばかり毎日履いていると痛みが速いのでもう一足欲しかったのだ。靴屋に行ったら、ナイキの運動靴が安かったのでそれも一緒に買ってしまった。今日はナイキの靴を履いていたんだけど、足に吸い付くようにフィットして、なおかつ軽い。そして、地面を踏みしめる感触がとても柔らかなので気に入っている。

こっちの写真は茂木さんに連れられてプロフェッショナルの撮影を見学にいったときのもの。茂木さんが「野澤〜、こっち来いよ〜」といって撮ってくれた。浦沢直樹さんの対談はすばらしかった。是非、放映を見てください。
クオリア日記 2006/12/01

最近、酒を飲む機会が増えたんだけど、酒を飲んだ方が心の調子も体の調子もいいんじゃないかということに気付いた。 それに、なんかどうも飲む量を無意識のうちにセーブする習慣がついてしまっているのにも気付いた。

土曜日はある組織の忘年会だったんだけど、ひさしぶりに浴びるように飲んだ。 オレには珍しいことに、その組織内では自分の能力や役割をすごく認めてもらっていて、飲んでいてやたら楽しかった。

カラオケにも行ったんだけど、久しぶりすぎて歌い方を忘れていた。まったくうまく歌えなかったので、それを逆手にとって笑いをとった。 オレってこんなに歌が下手だったっけ?とちょっとへこんだが、実家の風呂に浸かりながら歌うと、ほれぼれするほどうまく歌えた。カラオケと風呂場の違いはなんなのだろうか。 風呂場で歌うと、うまい下手はともかくいくら歌ってものどが痛くならないのに、カラオケで歌うと、あっという間に声がガラガラになって、次の日はだみ声になる。

昨日は芸大の授業にでて、そのあと車屋での打ち上げにも参加した。そこで、オレは爆発してしまった。酒のせいで感情の振れ幅が大きくなっていたのだ。結局、飲み過ぎるのもどうか、という話だ。

2006
 4月: 1-30大阪記
 5月: 1-31
 6月: 1- 5 5-1011-2021-30
 7月:1-31
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11月:1-30
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野澤真一