log 2008. Junuary.

フェムトセカンド

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■2008// 曜日

メモ

読んだ本***
/ 「書名」著者

観た映画***
タイトル

■2008/1/31 木曜日

ラスボスは他にいた!

ラスボスは倒した。しかし、それはラスボスではなかった。真のラスボスは別にいた!いまいちど奮起し、真のラスボスを倒し、世界に平和を取り戻すのだ!

というわけで、修論提出(ラスボス)は間に合い、修論発表会(真のラスボス)に向けて準備をしなければならない。が、なかなか体調が思わしくなく、今日はぐだぐだに終わった。

昨日は用があってスーツを着た。修論提出の締切期限16時半まで学校にいて、それからいろいろ片付けて、急いで電車で虎ノ門のホテルオークラへ。18時過ぎに到着。ところがその用事はすでに終わっていた!わざわざ待っていてくださったAW社の方々と名刺交換をして、お土産をいただいて、5分で終了。いろいろと読みを間違えた、というのが原因。

真のラスボスとの第一回会戦が2/2土にあり、つまりあさってであり、急がねばならない。第二回会戦にして最終決戦が2/5である。昨日は提出が間に合って、ビールの一杯でも飲みたい気分だったが、それで緊張が緩んでしまってはまずいので自粛した。2/5の最終決戦までお預け。きっとその後も敗戦処理で2/15(再提出期限)まで論文と格闘を続けるだろうが、ラスボスに比べれば赤子の手をひねるようなものでしょう(たぶん)。

2/2は直島での内藤礼さんと茂木さんのトークイベントに参加しようと考えていたんだけど、キャンセルして正解だった。いまのような精神状態でそのイベントに行っても心穏やかではないだろうし、何より発表会の準備が不十分に終わるだろう。オレにとって内藤礼さんは絶対服従してしまうような作品をつくる人で、自分のこの衝動に忠実になれないのは甚だ遺憾である。

大事なことはきちんと大事にしなければならない。そうしなければ生きている甲斐がない。大事なことは大事にできるように、もっと強くなりたい。

■2008/1/29 火曜日

明日が提出期限で発表は2/2と2/5の2回

修論提出、その後の発表会までのプロトコルで予想外のことがいくつかあって、今日は肝を冷やしたけど、とりあえず間に合うことは間に合いそう。ともかく体裁を整えることはできそうだが、到底自分で納得レベルでは仕上がりそうもない。だからrejectされても文句は言えない。冷笑されるぐらいですめばいいけど。M3のひとから軽蔑されそう。

追い込まれっぷりはSfN前に比べれば、全然大したことはない。慣れたのか鈍くなったのか、諦めたのか、どーれだ。

■2008/1/25 金曜日

Null Result

やる気をなくした。ふて寝してしまった。オレがSfNでやった発表は、やっぱり詐欺みたいなもんだったんだなあと。いよいよ追い詰められてきたので、日記は滞るかもしれません。なんとか形にしなくちゃ。卒論はNull Resultだったけど、修論もNull Resultになりそう。

■2008/1/23 水曜日

メモ

探索と知識利用のジレンマ
http://www.geocities.jp/shinokan99/reaearch_causal.html

Nature 441, 876-879 (15 June 2006)

ICPPも用いている気象予測モデルが大気圏の最下部となる対流圏の温度を実際よりも高く予想する傾向が強いことを突き止めた論文。
A comparison of tropical temperature trends with model predictions
関連記事

熱帯雨林が減少していると言えるかどうかは疑わしいという論文
Difficulties in tracking the long-term global trend in tropical forest area
関連記事

■2008/1/22 火曜日

肉じゃが

さむーい。今日は寒くて起きた。昨日飲んだミルクティーの影響もあってか朝から鼻水がよくでる。集中できん。まだ100%の確信は持てていないけれど80%くらいの確率で紅茶を飲むと調子が悪くなる。そして、紅茶、ウーロン茶、緑茶は発酵の度合いが違うだけで基本的には同じものだということに気付いて、そういえばウーロン茶や緑茶でもそういう症状がでるような気がする、ということに気がついた。ウーロン茶は確かに60%ぐらいの確率で調子が悪くなると思う。緑茶ははっきりいって盲点だったけど、そういえば、という気がしないでもない。そんなわけで、オレの嗜好品はコーヒーだけである。ミルクティー、大好きなんだけどなあ。

カビの生えてたジャガイモとたまねぎを使って肉じゃがを作った。牛肉は賞味期限を二日過ぎていた。ともかくよく煮た。今のところ腹は壊していない。牛肉の生臭さが消えなかった。

いよいよ修論提出まで1週間ほど。うーん、かけるかなー。はやく解放されたい。EEGをやりたいと思って早1年。なんで全然できなかったんだろう。時間ばかり過ぎていったことだよ。D1の1年間はいろいろやるぞーと思っている。なんか楽しいことになりそうだなーと思いつつ、修論を片付けないと前には進めない。

このボタン押し課題と、大脳基底核ループを結びつける話を修論で書こうと思っていたが、難しい。無理かも。GO-NO GOタスクの研究がが使える!とSfNの時は思ったのだけど、やはりその分野の話と結びつけるのも難しそう。ビヘイビアのデータだけではどうにもならんところがある。どうにかなるだろうか。

■2008/1/20 日曜日

正しい弥栄のやり方

今日は寒い一日だった。屋外でずーっと基本動作訓練。回れ右、縦列横列馬蹄形、気をつけ休め、正しい弥栄のやり方。

実家ではじめてピザを作った。うちの電子レンジのオーブン機能はオーブントースターより温度が低いようで焼き上がるまで時間がかかった。オーブントースターは温度が高いのはいいけど、置き場が小さいというデメリットがある。
うちから一番近いスーパーにはモッツァレラチーズが売ってなくて、何とかあったのがうまくなさそうなチェダーチーズとゴーダチーズだった。仕方なくそっちを買ってピザに乗せてみたがイマイチだった。
おとといお店で食べたピザにはほど遠い。どうやったらあのもちもちサクッとしたピザがやけるんだろうか。ピザ生地を練るときに、少し水の量を増やしたら伸ばすのが簡単だった。

ttp://swingybrain.blogspot.com/2007/12/blog-post_31.html
このブログに自由意志に関する考察がすこしのってる。
http://www.nature.com/nature/journal/v433/n7025/abs/nature03236.html

■2008/1/19 土曜日

野澤の認知神経科学(仮題)

実家に帰ってきた。明日はボーイスカウトの隊集会である。

自発的な行為を行う場合にキューとなる刺激がないから、内部状態を参照しているのだろう。という議論をしようと思っている。が、自発条件と対にして考えていたギャンブル条件もキューになる刺激はない。よって、キューのない条件では内部状態を参照するという議論は両方の条件で当てはまることになる。にもかかわらず隣接するトライアル間の反応の差が他方がランダムに近く、他方が一定に近いというのは内部状態が異なる、あるいは内部状態の参照の仕方が異なるということになる。そういう話になってしまうと、脳活動を測定せずには議論ができないじゃん。という、行き止まりにいる。

駅前の本屋をちょっと覗いたら、こういう本があった。「図解・なんとかがわかるシリーズ」的な本。パラパラとめくったら思いのほか良く出来ていた。脳の中の体性感覚ホムンクルス、幻視の話、言語のニューラルコリレイト、など認知神経科学では基本的な話から統合失調症の陽性症状や陰性症状や神経伝達物質とその大脳賦活系の話など精神医学のあたりまで話が及んでいて、プロ向けではないものの記述は一定の水準を満たしていた。テレビやメディアの情報で脳科学に興味はもったものの専門書を読むのは辛いという人におすすめだと思った。
日本人が日本語で書いた認知神経科学、あるいは脳科学の教科書はぜんぜんない。だいたいが英語で書かれた教科書の翻訳か、ある特定の話題に特化したものか、一般向けに書かれた毒にも薬にもならないものばかりだ。そういう現状は個人的にはうらめしく、それならばオレが書いてやるぜ!とか思ったりしている。
脳科学は今や広範な領域を包括していて、それぞれの分野で特化しているだけでは深みのある研究はできないと確信している。分子・細胞レベルでの神経細胞の挙動を理解していなければ、長期増強とよばれるシナプスの結合強度変化を理解できないし、それが理解できなければ記憶・学習のメカニズムを本当に理解できたことにはならないだろう。遺伝子発現制御の機構を理解していなければ、精神疾患を生んでしまう脳内ネットワークを理解できないだろう。ニューラルネットワークの数理を理解していなければ、理解できない認知的現象や錯覚あるだろう。分子レベルと行動レベル、遺伝子と精神症状、認知機能とネットワーク構造、そういう知見を縦横無尽に駆使することで脳を理解せねばならない。
あの話題やこの話題やその話題も、などと野澤の認知神経科学(仮題)の内容を夢想している。
日本語の教科書は直感的で簡素だが、英語の教科書は厳密で重厚だと思う。ヨーロッパのスタイルと日本のスタイルは違うのだと思う。それは発表時のスライドの作り方などにも現れているように思う。日本語の教科書は図を図を多用して、直感的な理解を促すようなつくりになっている気がする。直感的な理解を妨げないように細部にこだわった書き方をあまりしない。一方で、ヨーロッパの教科書はともかく言葉で全部記述しつくそうとし、しかも微妙な差異にも十分こだわって厳密さを損なわないようにしている。だから、図があってもとても具体的なもの(実験データ)を示し、概念図などを示すことは少ない。カンデルは図が多いと言われるし、実際におおいと思うけれども、やはり日本的なスタイルからすると物足りないところはある。逆に日本の教科書はともかく図(イラスト)が豊富なものが多い。が、逆に文字での記述は少ない。と、勝手に思っている。 さらにこれも勝手な考えだけど、そのスタイルの違いは日本語がほかの言語に比べて、かなり「視覚的」な言語だからではないかと思っている。あるいは「聴覚に対する依存度が低い」言語といってもいい。あんまり書くと叩かれそうだし、うまく書ける用意もないのでここらへんでやめとく。

実家に戻ってきて、ちょっと時間があったのでピザ作りをした。ピザ生地を練って寝かせて、明日焼く予定。

■2008/1/18 金曜日

すすまねー

修論がまったくすすんでない。正月以来まったく書いてない。二週間たってしまった。これは由々しき事態だー。

昨日は赤門の向かいあたりにある「こだわりや」というお店で新年会だった。あの面子で飲みに行くのは初めてだったけど、盛り上がって良かった。

それにしても、あったまくることが多い。できればそういうことはほっといて、自分ですべきことを粛々とすべきだと思うのだけど、ついつい愚痴をこぼしてしまう。

最近、自炊が楽しい。今日の朝ご飯はウィンナーとたまねぎとエリンギを炒めたやつとオムレツと炊き込みご飯。野菜の皮を剥いて、適当な大きさにカットしていると、自分の心が澄んでくる。水面が完璧な静寂の中でフラットになるかのように。
料理が楽しくなるのはいいのだけど、そうなると「食べられればいい」という味の基準がゆらぐ。やはりおいしくないとうれしくない。どうしたら上達するかしら。

■2008/1/17 木曜日

EPSPと活動電位

フェムトセカンド 2008.01.08
前の日記で書いた、脳は確率論的な写像をしてるんじゃないかという話とそっくりの話を最上さんが書いていた。
最上の日々 12月28日(金)
「そっくりな話を書いていた」、というよりは、以前最上さんの日記で読んだのをいつのまにか自分で考えたことかのように思ってしまったのかもしれない。
この件に関してコメントくれたIくんありがとうー。
脳は確率で計算している!ということは、オレはベイジアンだということになるのかな。スーパーバイザーをはじめ茂木研の人の多くは「確率なんかぶっつぶせ」なのでオレってば異端児だー。

金曜日に記憶研究会で発表するため「The Hippocampus Book」という本の10章:シナプス可塑性の章を読んでいる。正直、専門的な内容とばりばり電気生理学の内容なのとで、うんざりしながら読んでいた。というかちっとも内容が頭にはいってこない。だけど、すずかけ台からの帰りの電車の中で読んでいたら、やっと分かってきた。

EPSPというのは興奮性後シナプス電位のことで、神経科学の初歩の初歩だが、ぼんやりとしかこの単語の意味が分かっていなかった。だけど、やっとこの単語が持つイメージがわかった。EPSPが生じることとそのニューロンが発火することは別のことなのだ。という当たり前なことがやっと了解された。いままで、EPSPが活動電位を発生させるイメージが頭にあったのだけど、そうじゃなくて、たくさんのシナプス入力があって、その各シナプスでEPSPが生じ、その総和が閾値を超えたときに活動電位が発生するのだ。LTPによってEPSPが増強されるということは、それだけ、活動電位が発生しやすくなるということだ。

今日は豚の生姜焼きを作った。醤油につけすぎてしょっぱかった。

■2008/1/16 水曜日

朝の低血糖

タンパク質や脂質をとらないと腹持ちが悪く、深夜にお腹がすく。朝起きられないのは、朝になると低血糖状態になってるからじゃないだろうか?おそらく脂質を分解して糖新生を行うプロセスがオレはひとより発動するのが遅くて、それで朝は低血糖状態になってるんじゃなかろうか。「私、低血圧だから朝起きれないの」というのは「朝、低血糖だから」の誤解なのかもしれない。
コーヒーを飲むと目が覚めるというのも、カフェインがアドレナリンの分泌を促して覚醒を促す、ということだが、アドレナリンは血糖の上昇を促す。うーん。

メモ:
Anisomycin:タンパク合成阻害酵素
Picrotoxin : non-competitive antagonist of GABA A receptors Bicuculline:a light-sensitive competitive antagonist of GABA A receptors
Benzodiazepine : GABA A Rのagonist(厳密にはGABA A RとGABAの結合頻度を上げる)

LTP: long--term potentiation
LTPはタンパク合成を必要とするフェーズと必要としないフェーズがある。必要としないフェーズがEarly-LTP、必要とするフェーズがLate-LTP。タンパク合成阻害剤を投与していてもpotentiationは起こる。しかし、長時間経つ(60分)とpotentiationの効果は消えてしまう。これをSTP(Short-term potentiation)という。potentiationは増強と訳すのが妥当なのだろうか・・・。

LTPで有名なのは海馬だが、それ以外の場所でも見いだされている。小脳、扁桃体、感覚皮質、運動皮質、前頭前野皮質、側坐核。長期的なシナプス効率の変化は交感神経節、脊髄の痛み受容回路でも見られる。

本日の発見:
「エンドルフィンってエンケファリンと同じオピオイドだったのかー!」
{ endorphin , enkephalin ] ∈ opioid
脳内麻薬。

■2008/1/15 火曜日

立ち食い寿司

CSLでEEG研究会。Fm θ波(Front Midline Theta wave)の話。終了後、記憶研究会とEEG研究会の担当を決める。二日後の記憶の担当になってしまった。無理。

研究会後、駅前の立ち食い寿司を食べた。にぎり640円。味はこの値段にしたら十分だと思った。回転寿司で生臭いのを我慢しながら、倒したら簡単にネタとシャリが分離する寿司よりもこっちの方がよっぽどいいと思った。

PowerBookのバッテリーが届いた。リコールの対象だったバッテリー。ちょうど買い換えたいと思っていたので、タダで手に入ってラッキー。これでやっとまた安心してモバイルできる。バッテリーの寿命が2年もたなかったということだから、予備にもう1個かっとこうか思案中。そのまえにHDDがいっぱいになるか最悪飛ぶかもしれないが。

■2008/1/13 日曜日

文化的水準の高い生活

土、日と文化的水準の高い生活を送る。

01/12 「国宝 松林図」@国立博物館

土曜日:長谷川等伯の国宝・松林図を目当てに、国立博物館に行った。国宝展で、2008/1/2ー2008/1/14のあいだだけ松林図が見られる。右の画像はリンク先から勝手に拝借。

まず目をひいたのがその空白の多さだった。いや、余白だと思っている場所も微妙に彩色されているのかもしれないが、そこにはあからさまなモチーフは描かれていなくて、空白として扱われていた。あんなにも大胆に空白が”描かれて”いることに大きな衝撃をうけた。普通は、描くことで見る人を圧倒しようとするだろう。だけど、この作品は描かれていない空白の部分の方こそが見るものを圧倒させているように思う。濃い霧に包まれる松の林の圧倒的な存在感がその空白には"描かれている"。

水墨画というのは線画に近いと思っていたが、この作品はむしろ点描に近いようだった。淡さの表現が尋常ではない緻密さを持っている。どうやったらこんなに薄く色を付けられるのか、たまたま障子に長年の「スス」が染みついた結果こういう色がついたんではないかという感じの薄さだが、しかし、見事に均整のとれた配色で、それは確かに作為的に描かれたものだった。

すごい作品だった。茂木さんのように2時間ぐらいその前で佇んでいたかった。

この作品以外にも常設展で展示してある作品も見て回った。歴史の勉強にもなり、楽しめた。夢窓疎石の一行書があって、それがかなりぐっときた。書のことはわからないし、なんて描いてあるのかも分からなかったのだけど、よかった。国立博物館はもっと足繁く通うべきだなと思った。国宝級の作品がいろいろと展示されているんだ。東工大の学生は入場料タダだし。

その後、トッパンホールでニューイヤーコンサートを聞いた。ハイドンの「太鼓連打」とベートーベンの「英雄」。太鼓連打の第一楽章は好みのメロディーだった。

01/13 「SPACE FOR YOUR FUTURE」@東京都現代美術館

日曜日:MOT(東京都現代美術館)に長谷川祐子さんがキュレーションした美術展を見に行った。タダ券をもらっていたのに持って行くのを忘れた!タイ人のアーティストによる映像作品がよかった。タイ語で何を言ってるのかわからないし映像もエンタテイメントなものではないが、辛抱強く見ていると、映像と音から漂う優しさや暖かさのようなものが静かに伝わってくる。それから沢尻エリカの100パターンの写真を撮った作品は一枚一枚の完成度が高くておどろいた。

あと、オラファー・エリアソン(ずっとオルファーだと思ってた)の作品。オレンジと青の蛍光灯が光ってる作品。ほとんどの人が気付かずに通り過ぎていったけれど、あの作品は光っているオブジェが作品なのではない(たぶん)。あの作品は、あの光によって照らし出される光景が作品なのだと思う。あのオレンジと青という補色の色だけで構成された光の中で見ると、全てがモノクロームで見えるようになる。あれは、なかなか得難い光景だった。全てがセピア色に見えて、たまらなく切ない光景に見える。脳内では、光源の色が異なっても色は同じように見えるように調整されていて(昼に見ても夕焼けの中で見ても赤は赤にみえる)、それは「色の恒常性」と呼ばれているのだけど、それを支える機構が関わっているのだと思う。

サイトのデザインを少し変えてみた。松林図をモチーフにした背景。

■2008/1/11 金曜日

青葉台で朝まで

いま朝六時。青葉台からの帰宅途中。昨日、すずかけ台で作業していたら青木さんが現れて、飲みに誘われたのでノコノコついてった。青葉台の魚河岸でオレ、青木さん、Iさん、Mさん、高橋さんの五人で飲んだ。いいちこのボトルが一本あいた。店員さんがとてもやる気がなかった。

そのお店を出た後、青木さんと高橋さんに、半ば強制的に連行される。青葉台にある高橋さんの下宿で三人で飲んだ。終電はすぐになくなり、布団は二組しかないので朝まで飲んでいた。途中で青木さんが布団に潜りこむので何度も叩きだした。

研究の濃い話ができたのでとてもよかった。もしかしたら、こういう時間が最も大学院生らしい過ごし方なのかもしれない。高橋さんの研究がかなりすごくて、ともすればネイチャー級なので恐れいった。素直にすごいと思う。オレもやってやるぜい!

帰ったらまず寝て、そして今日はゼミ。せっかく睡眠のリズムが良くなってきたと思ったのに、徹夜してしまったから台無し。

■2008/1/10 木曜日

前頭眼窩野にエチルアルコールが及ぼす影響について

前頭眼窩野(Orbitofrontal cortex)というのは、大脳皮質の一部で、脳の前方にあって、前方部分でも特に「底」にあたる部分がそれである。画像はネットで適当に拾ってきたもの。(グーグルのキャッシュにあったもので出典がわからない。)画像の上の部分は脳を下から見たもの(transverse)で赤と緑に塗られてる部分が前頭眼窩野と呼ばれる部分である。赤が前頭眼窩野の内側部、緑が外側部と図中のキャプションには書いてある。

前頭眼窩野の機能はいろいろとあるが、その中のひとつが社会的規範に従って行動するというものである。(reference)エチルアルコールによってこの脳部位の活動が低下すると社会的規範から逸脱すると考えられる。

昨日はすずかけ台でゼミだった。SfNで発表した内容を話し、一緒に議論してもらった。正月に考えていた自発性を衝動性と自由意志性にわけるというアイディアを話した。ゼミはよい議論ができて収穫があって、とてもよかったのだけど、その後の飲み会で暴発。

途中まではすごく楽しい飲み会だった。6人で飲み始めて、後から2人合流し、2時間、3時間と時間が経ち、茂木さんが合流し、3本目のワインが投入され、途中でトイレに立ち、茂木さんにJournal of Theoretical Biologyに投稿するのがいいよと言われ、席に戻った。そこまでは楽しい飲み会だった。そのあとのどこかでノザワくんは暴発した。

エタノールのせいで海馬の機能が低下していたのか、何が引き金だったか思い出せない。ともかくなにかによって引き金が引かれ、海馬と同じくエタノールのせいで機能が低下していた前頭眼窩野はノザワくんが社会的規範から逸脱するのを抑制することに失敗し、暴発に至った。結局、終電までケンケンゴウゴウカンカンガクガクだった。(略して喧々諤々)

あの悪辣さはもともとの性格だからいいとして、何故あんなにも饒舌だったのか。それも脱抑制のなせるわざか。もともとは小さくて一つだった種火はあっさり飛び火して、周囲は炎上してしまった。売り言葉に買い言葉でオレは油を注いだ。消火活動に取り組んだりは全然しなかった。ああいう風にしか不満を言えないのは損だなと思う。何故もっとしらふのときに言えないのか。酔いに任せて言うのは卑怯だとはわかっている。今年の課題1に設定。

それにしても本当に、何が引き金だったのか。何がCueだったのか。それとももしかしてもしかして、あれは「自発的行動」だったのか。あれは外部からの明示的な刺激によらない衝動的自発性による行動だったのか。だとしたら根が深いなあ。

関連リンク:クオリア日記 2008/01/10

あ、前頭眼窩野うんぬんの話はあまり真に受けないように。

■2008/1/8 火曜日

確率的な写像

本日はすずかけ台で関根さんの博士論文審査会。ラボメンバーの半分ぐらいが駆けつけた。関根さんはよくやったと思います!終了後はてんてんで昼食。今回はとろろ刺身丼を頼んでみた。山芋のとろろと鯵のたたきが両方乗った丼で、鯵がすごくおいしかった!柳川さんがしきりにネットビジネスの話をしていた。

確率について考えた。ある系の時間発展を考える場合、微分方程式を立てて、それを解析的にしろ数値的にしろ解くことで初期状態から時間t経過した後の状態を計算することができる。だけども、そもそも微分方程式を立てられないほどわけわかんない場合はたくさんある。そこで確率。ある状態の時に時間t経過後に状態Aになってる確率がP(A)、状態Bになってる確率がP(B)、状態Cに・・・という具合に確率の表を作る。これだと厳密に未来を予測することは絶望的だけど、まあ何度もやってればその内当たりがでるよっていう考え方。
なんか、脳がやってるのもこれなんじゃないかと思った。ある状態に大して毎回違う方程式を立てて計算してたんじゃ時間もコストかかるし、メモリーも足りない。そうやって、複雑で状態ごとに全然ちがう微分方程式を脳内で作って予測しながら行動するより、ある状態の時はこの確率でこの行動をとるといいんじゃない?みたいなことしてるんじゃないか。脳内で方程式を作って計算するのはきっと大変なことだろうけど、状態Eのときは確率0.7で行動Aをとり0.3で行動Bをとるという風に確率的に決めてしまうと全然計算量が少なくてすむじゃないか。どんなに事象が複雑でも、あるのは一枚の表ですむのだから。つまり、状態から行動への変換を関数的な写像として記述するのではなく、確率的な写像として記述するとでも言おうか。(「確率的な写像」って写像の定義に反するような気もするが)ニューラルネットワークがシナプスにおける多数決制で動いているということと、この確率的写像の考え方はとっても相性がいい気がするんですけど。どうすかどうすか。
指導教官のひととかうちの研究室の人とかはきっとこういう考え方嫌いだろうけども。
クオリア日記 2006/11/11 ココロのタテカン

■2008/1/7 月曜日

ローマ人の物語1

01/07 「ローマ人の物語1」塩野七生

お正月にテレビでやっていたローマ時代に関する特番を見て、この本を手に取ってしまった。前から読んでみたいなとは思っていたけどなかなか手がでなかった。これは文庫版で単行本の第一巻が二冊にわかれたものの前半。副題は「ローマは一日にして成らず[上]」ローマの神話の時代から何人かの王を経て共和制に移行するまでが書かれている。地中海周辺の地図を見ながら、ここがシラクサ、ここがカルタゴ、ここがアテネ、ここがシラクサと読んでいったので、いままで名前だけしか知らず、場所もどこにあるかしらなかった地名が歴史の糸によって有機的につながれそれぞれの地名がある程度のリアリティーを持つようになった。本の後半はギリシャの説明に割かれていて、いままで漠然としてよく分かっていなかったギリシャとローマの関係がわかってきた。

岩明均の「ヘウレーカ」や「ヒストリエ」を読んでいるので、それで得た知識と合わさって、俄然、紀元前の数百年間のギリシャ・ローマが具体的にイメージできるようになってきた。やっぱ歴史って面白い。その他、いままで生きてきた中でいろいろと触れたことが実はローマやギリシャのこととつながっていて、頭の中に点在しているだけだった知識がパズルのピースがはまるみたいにつながって嬉しかった。

■2008/1/6 日曜日

祝電

やっと菊名の家に帰ってきた。一週間も留守にしていたということか。実家では何度もコーヒーをドリップした。うちではインスタントコーヒーしか飲まないので、ドリップしたコーヒーはとても好評を博した。普段は一日三食まともに食べてないので、実家ではだいぶ栄養補給ができたような。体の隅々までタンパク質が行き渡った感じ。

小学校中学校時代の友達(あだ名:青サン)から突然連絡があって、12日に飲み会やるから来るか、とのこと。一旦切ったあと、また電話があって、明日結婚式だから電報を打ってくれないか、とのこと。結婚するとは聞いていたが、明日だったとは。式は花嫁の出身地の函館で行うとのことで、出席は無理そうだった。電報の文面を考えて小一時間暮れた。ネットで電報の申し込み。文面は、結局以下のようになった。

ご結婚おめでとうございます。
古くからの友人として心から嬉しく思います。
お祝いに駆けつけることはできませんが、
お二人の門出が幸多きことを遠くからお祈りいたします。

ああ、先を越されてしまったな。おめでとう、青さん!

最近は同級生の慶事が急増している。つい先日、中学の同級生のHが結婚式を挙げ、大学受験で通っていた塾の友達が今年の10月に結婚するとの報を受け、そんで青さんが明日結婚するとの電話があり。2つ上のボーイスカウトの先輩も昨年結婚したし、オレの世代はもう結婚してもおかしくない年齢になったのだということが実感される。だけれども、まだ一度も結婚式には出たことはない。子供の頃、叔母さんの結婚式には出たことはあるけども。そうして、誰か呼んでくれそうな友も思い浮かばない。まあ、礼服ももってないし、呼ばれないならそれでもいっかとは思うが、誰からも呼ばれないのかと思うとやはりさみしい。

さて、明日からはもう世の中も正月から抜けて動き出す。オレはすっげー中途半端な感じ。

■2008/1/5 土曜日

ファウスト第一部

01/05 「ファウスト」ゲーテ(新潮文庫)

ゲーテのファウスト第一部を読んだ。Johann Wolfgang von Goethe、Faust [1]、新潮文庫、高橋義孝訳。初版は昭和42年。すんごい面白い、というわけではないけれどジワジワとした面白さがある。疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドランク Sturm und Drang)というのがどういうものかということがよくわかった。ファウストとメフィストーフェレスの所行は疾風怒濤というのがぴったりくる。ファウストの横柄さと傲慢さと貪欲さ、メフィストの何でもこなす悪魔の力と下心有りの忠誠心が車の両輪のように機能して、物語が激流のように進む。ところどころ喜劇みたいなところがあって、漱石の「猫」の中のくしゃみ先生と誰かのやりとりを思い出した。
それにしても、自分が読んでいるのは本当にゲーテのファウストだと思っていいのだろうか。訳は古いけれどもかなりいいとは思うが、原著とは全然別物のような気もする。

昨日は六本木ヒルズの森美術館でやっている「六本木クロッシング」という美術展に行ってきた。知らない作家の作品を色々見られてよかった。入場料1000円で36人ものアーティストの作品が見られるので、とてもお得感があった。
六本木クロッシング2007

今日は杉本博司展を見ようと銀座のギャラリー小柳に寄ったがあいにく休みだった。長谷川等伯を見に国立博物館に行きたいし、MOTにも行きたい。両親が風邪をひいた模様で、心配である。

■2008/1/3 木曜日

思い出のteacup

うちの家屋事情とネット事情は他の家の人には不可解なので説明しないけど、ともかく今日はネット回線Aに付いている無線LANルータをネット回線Bのモデムに移動しようと画策し、やってみたところ、全然うまくいかなかった。ルーターが何度フリーズし、何度初期化したことか。PPPoE接続機能をなくして、単なる無線ルーターとして動作させればいいのだと思うのだけど、どうもうまくいかずに諦めた。

ネット回線Bにはオレが学部時代に愛用していたDELLのPC「でるお」くんがつながっており、その無線ルータはwindowsからしか操作をうけつけないので、久々にでるおくんを使った。でるおのブックマークは当時のまんま残っていて、茂木さんのクオリア日記も、今のココログのURIではなく、teacupだった頃のURIのままだった。このころのクオリア日記はココログのクオリア日記とは趣が全然異なる。それは、あの頃と今で茂木さんを取り巻く環境が変わったことを反映しているんだろう。
teacupのクオリア日記

ふと思い出して、オレが茂木さんをはじめて目撃した日の日記を探した。それは学部3年の6月だった。その頃は、他学科の学生に混じって受けていた量子力学の授業の雑談で一度だけ茂木健一郎という名前を聞いただけで、心脳問題もクオリアも知らなかった。当然茂木さんのこともさっぱりしらなかった。その日、キャンパスに「茂木健一郎講演会:クオリアとはなにか」という立て看板が立っているのを発見して、それをみて「あ、授業で先生が言ってたひとだ」と思った。「クオリアとはなにか」という題目は、クオリアという単語を知らない人間にとってどんな話が聞けるのかまったく想像がつかなかった。かろうじて「クリオネに似ているけど、きっと全然関係ないんだろうな」という憶測だけできた。クオリティーだかアクエリアスだか知らないが(苦しいか・・・)、たぶん聞いても興味もてないだろう。そう思いはしたものの、茂木健一郎という人はきっと面白そうだ、と思って理工学部のキャンパスから文学部のキャンパスまでわざわざ聞きに行ったのだった。あれでオレの人生は変わったのだった。

パーティーなどで、 投稿者:孤独 投稿日:2004年 6月20日(日)05時42分50秒
私が黙っていると、「お疲れですか」とよく言われるのだけども、疲れているのではなくて、内面に沈潜するモードに入っている時が多い。そういつも、陽気に人と話すモードばかりでもいられない。
 午前中、一橋大の野中郁次郎さんが主催される「日本型独創経営を考える会」。第一回に私が喋って、第三回の今回は文芸評論家の福田和也さんがスピーカーだった。
 朱子学の受容と武士道の問題。
 終了後の懇親会で福田さんといろいろ話す。文芸誌en-taxiや、江藤淳さんのことなど。
 早稲田大学文学部に異動して、早稲田大学心理学会での講演をする。
 近代合理主義の概念セットでは意識の問題は扱えない、だからデカルト的転回をもう一度やる必要がある、という趣旨の話。
 終了後、これから物理をやろうという学生から、がーん、物理はダメなんだ、という質問を受ける。それは、きっと、ダメでしょ。だからと言って、勉強することがムダということではない。他の学問体系に比べて、やはり物理はそれなりのアドヴァンテージを持っている。客観的ふるまいを記述するという立場からの物理主義は死なず。
 夏目坂の「そうせき」で懇親会。早稲田OBで、今は築地で魚屋をしている、という中村さんという人がなかなかの人で、いろんなはかりごとをしている。懇親会を「そうせき」にしたのも、講演会の前になぜかワグナーがかかっていたのも、みな中村さんの差し金で私の嗜好を考慮してとのこと。うーむ。
 中村さんが、ぱあぱあいろいろなことを言ってくる。永六輔のようなクセのある方である。うーむ。 次第に、沈黙の時間が長くなっていく。
 ひょんなことで、アーティストの安達さんに誘われ、佐々木宴会部長とともに新宿御苑横の金美齢さんの事務所であったパーティーのようなものに行く。
 なんだか場の力学のようなものが読めず、沈黙する時間が長くなる。 資生堂のワード担当のヒトとか、NHKの古典芸能担当のヒトとか、そのあたりのヒトとお話して、あとはじっとその場を見ていた。
 ベランダから見た新宿御苑の森の黒々としたシルエットと、その向こうの六本木ヒルズ、新宿副都心のビルの光のコントラストが綺麗だった。
 わーっとヒトがたくさんいるのに、孤独に感じるというのはどういうことなのだろう。

講演の後の飲み会におそるおそる参加してみたら偶然茂木さんの隣になってしまったのをよく覚えている。今思えば、離れた席に茂木さんの関係者っぽく座っていたのは関根さんと恩蔵さんだったような気がする。必死で茂木さんと話をしようとしてトンチンカンなことを聞いたり喋ったりしてた。漱石にゆかりのお店だった。向かいに座ってた魚屋のおじさんがすっごくよく喋ってた。茂木さんは唸っていた。あの頃もMacで忙しくネットモバイルしていた。

なんだか、初心を思い出してしまった。初心を思い出したいときは、teacupのクオリア日記が効く。この頃に茂木研の学生をやれてたら、きっとすげえ楽しそうだ。

■2008/1/2 水曜日

いまここの碇

昨日の晩は親知らずが痛くてどうなることかと思ったが、気付いたら寝てて、起きたら痛みは収まってた。修論終るまでもつかな。

修論を少し書き進めた。小粒だけど実つまったものが書けそうな気がしてきた。

今日は何したどこいったという日記を書くのは簡単だけど、読む人にはつまらない日記になると思う。いい日記とは、その日の「いま、ここ」の切実さ碇として、普遍性の海を遥か遠くまでゆくような文章だと思う。

これから、中学の同級生と飲んできます。

■2008/1/1 火曜日

PX-A720

昨日もらったプリンタがもう壊れた。インクヘッドが可動域の限界を超えようと左右に激しく動き出した。自発性が芽生えてしまったのかもしれない。しかたないので新しいプリンタを買ってしまった。エプソンのPX-A720という機種。プリンタとスキャナの複合機で、近くの電気屋の初売りセールで約8000円で購入。Amazonだと13000円らしいので、それに比べたら半額。でも、別の電気屋では6000円だった。買いに行ったら売り切れだった。ぐすん。印刷品質とかはどうでもよくて、プリントが出来る上にスキャンができるので、それだけで満足。ちょっと使ってみたら自分のニーズをちょうど満たしていた。実家においとくのもったいなくて、菊名に持って行きかねない。SDカード、コンパクトフラッシュ、メモリースティックなどのメディアを差せば、そのメディア内の画像をPCを介さずに印刷できて、軽く感動する機能だった。この複合機、僕は満足です。

お雑煮食って家族で初詣行って、プリンタが壊れて、新しいのを使えるようにして、そんな元旦でした。左奥の親知らずが痛くなってきた!

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