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カンデルを読む。あと少しーっていうにはまだ早いが、でもまあ、わりと読んだ。昔の自分に比べたら格段に読むスピードが上がった。昔は一行読むたびにため息をついたりして、一行一行が砂を噛むような感じだった。全訳を作ったりしているのだが、完璧な全訳はちょっと無理かなと思う。図のキャプションや囲み記事の部分は飛ばしてしまおうと思う。本気になれば間に合うと思うけど、そこまでやる情熱はわかない。
オレがやる回と次の回が終わると、カンデルは63章あってそのうちの48章は輪講で読んだことになる。 (そのうち2回ぐらいは輪講を休んだけど。)63章から「発生」に関する章を除くと63-7=56章。残っている8章(56-48)が、睡眠、自律神経系、本能、言語、気分障害、学習の分子機構、脳と行動、遺伝子と行動。これらの章は去年の夏の合宿でそれに相当するものを別の本で読んだり、別の機会で講義を受けたりして触れたことがある。そう考えると、カンデルの内容は一通り読んだということになるのだろうか?それってなかなかすごいことじゃないか!
カンデル輪講はオレがやる回を含めてあと2回で一応区切りがつく。その区切りがついた後に、輪講がどうなるかは決まっていない。区切りがついた後、どうしたらいいだろうか?
一年前の自分は、とにかくひたすらカンデルを読んで勉強するんだ!と思っていたが、一年経ってみると、こればっかり読んでいたんではダメだというのがよくわかった。もう少し、カンデルを読んでいた時間を論文を読んで研究のことを考える時間にできなかったのか?という反省がある。
輪講はM1に基礎的なことを教えるという大切な役割があるが、果たして基礎的なこととは何なのかという疑問がある。脳科学において、シナプスやイオンチャンネルの分子生物学的な挙動は基礎的なことであるが、一方であまりにも茂木研の研究からかけ離れすぎている。脳科学をやるのなら、いちおう押さえておいてしかるべきところではあるのだが、それだけ押さえてたって仕方がない。優先順位はかなり低い方なのである。
それに、自分があらかた読んでしまったから今更読みたくないっていう心情もある。とはいえ、昔読んだ章のことはだいぶ怪しい。読んでいた当時、理解できていないところが多かったし、理解できているいないに関わらず忘れてしまっていることが多い。そう考えると再び読むことは無駄ではないのかなとは思うが。
結局、何を読むのがいいのかよくわからない。ひとりひとり興味の対象が違うので、ある人が読みたいところは、別の人は読みたくなかったり、あるところばかりに偏ってばかりだと教育的によろしくないってことも起こる。もう一度輪講の目的をはっきりさせるのがいいかと思う。教育としてやるのか、探求としてやるのか。
芸大の授業だった。芸大で、ゲストを呼ばずに茂木さんが授業をするのを聞くのは初めてだったかも知れない。千利休がやったことは、豊臣秀吉に対する批評だった、という話が印象に残っている。
This web site names フェムトセカンド / femto second = 10-15 秒 .
Author: 野澤真一 / Nozawa Shinichi
since 2006/4/1