蒸留塔

2004-10-01 (Fri)

四日間かかる予定の実験が一日で終わってしまった。
とれたデータが果たして信頼できるのか別にして、
そんなにも早く終わってしまったことが
とてつもなく嬉しかった。(蒸留塔の実験でした。)

今日は他にもとても嬉しいことがあって、
受けられないと思っていた授業が受けられた。
はじめあその授業は4限にあると思っていて
実験が終わったのが4限終了時刻だったので
もういっても意味がないと思いつつも教室に行った。
終わった授業に行っても無意味なのは分かっているけど、
終わった後の雰囲気だけでも味わいたかったのかも知れない。
先生がいたらすこししゃべれるかもしれない
という期待もあった。
教室に入ってみたら授業が終わったという雰囲気はしなかった。
だけど、教室にいる人たちは
確かにその授業でよく見た人たちで
授業が始まるのを待っているような感じだった。
これはもしやオレが時間を間違えていたのでは?と
淡い期待を抱きつつ、なるべく前の方の席に佇むこと数分、
本当に先生がきて、その授業が始まった。
嬉しい誤算。
応用物理学科の電磁気B。
栗原先生の授業はいつもわくわくさせてくれる。
授業を受けながら、オレは知的興奮でかなりうきうきしている。

栗原先生はセクシーであり、ラブリーだなぁと思う。
(一応断っときますが、男の先生です。)
立ち居振る舞いはセクシーであり、仕種はラブリ−なのだ。
白いワイシャツに茶色っぽいスラックスでノーネクタイという
何の変哲もないいでたちなのだが、オヤジくさいわけでもなく、
なんだかセクシーだなぁとオレは思う。
ワイシャツの下にランニングシャツが透けて見えるが、
そこらへんもまた何故かセクシーなのだ。
んで、なにか間違えた時の笑い方とか慌て方がラヴリー。
胸キュンだ。
めろめろだ。
(男のひと相手に男のオレがこんな表現すると
 怪しい趣味を持っていると誤解されそうだな・・・)
んで、物理のはなしで
オレをわくわくどきどきはらはらさせてしまうのだから、
オレが女だったら惚れてるね。
たぶん。きっと。
わかんないけど。
(どっちだ!)


きょうはまくすえるのよんほんのしきを
べくとるぽてんしゃるとすからーぽてんしゃるのしきで
ひょうげんしてさんぼんのしきをみちびきました。
すからーぽてんしゃるはべくとるぽてんしゃるの
だいよんばんめのようそとしてひとまとめになりました。
−□A=μJ
(□はだらんべるしあん)

授業後、新宿へ。
住友ビル48階。
「美」のはなし、「顔」のはなしを聞いた。

なんとなく、48階から階段で1階まで降りてみた。
疲れた。
足賀ガクガクになった。
お腹もすきすぎてふらふら。
鞄も重い。

途中で、着物姿の男性が携帯のカメラでライトアップされた
都庁を撮影しておられた。
着物と携帯。
異質な感じがするけど、その男性がそれを使う様子は
そんなに違和感がなかった。
操作の仕方にぎこちなさが感じられたかも知れない。
少し先でその人の妻らしい女性が、
撮影が終わるのを待っていた。
「カメラなんて何十年も使っていないのに
 これだと簡単にとれるよ」
「へえ、そうですか、わたしにはわかりませんが。
 これはなんです?」
「ああ、これはね・・・・」
という会話が聞こえた。
そのふたりの言葉遣いとか間とかが
なんとも独特で奥ゆかしいものがあった。
今の世の中では失われているやりとりだった。
あの二人は幸せなんだろうなどとむやみに思った。

帰り道。
ふらふらと電車代をけちって歩く。
月が少し欠けていた。
それでもじゅうぶん丸く、明るかった。
星が見えなくて、夜に穴が開いているように見えた。
雑踏の中、オレは孤独。
その光がオレの心に届く、唯一のものな気がした。

秋の長雨

2004-10-05 (Tue)

帰ってきたら、何もできずに寝てしまう日々が続いている。
そんなにヘビースケジュールというわけでもないのに。
着々とやらねばならないことが溜まっていっている。
部屋が汚くなってゆく。


今日も雨。
秋の長雨というやつか。
今、体調を崩すか崩さないかのぎりぎりにいる。
気をつけないと。

めも

2004-10-05 (Tue)

04後期時間割

つくづく

2004-10-06 (wed)

自分のキャパシティの小ささを呪う。
学校が始まった途端に
いろんなことに手がつかなくなった。
関係各位、ごめんなさい。

****

大学の生協の本屋では、組合員は本を1割引で買える。
なのでできる限り生協の本屋を利用する。
洋書を注文しようとしたら
洋書はアマゾンで買った方が安いのだと教えられた。
親切に教えてもらえてよかった。

****


研究室の第一回目の演習があった。
最初ということで先生が研究室での心構えなどを話した。
終わった後、気分が沈んだ。
入る学科を間違えたのか、
入る大学を間違えたのか、
人生を間違えたのか、
そんなことはいまさらどうでもよいのだけど、
ここは自分のいる場所ではないのだと感じ、
先が思いやられた。

最先端の研究をしているとか
21世紀COEに選ばれていて
予算をたくさんもらっているとか、
企業と共同研究しているとか、
プレゼンテーション能力が必要だとか、
その為に英語のブラッシュアップをしなければいけないとか
これからの研究者は修士号ではダメで
博士号まで持っていなくてはならないとか

まさにその通りだと思う。

グローバルスタンダードとか
ノーベル賞とか
特許競争とか
官学連係とか
どんんどんやったらいいと思う。

でも、自分はそういう流れに身を置きたくない。
その厳しい状況の中でやっていく自信がないのは確かだけど、
そういう流れの中でこぼれ落ちているものが
確かにあると思うからだ。
そのこぼれ落ちるものを失うのは
どうしても我慢できない。
自分の中に漠然としてあるなりたい姿とは
かけ離れている。


****

6限が終わって、ヘロヘロの頭が欲したのはビールだった。
金がないからどこかで飲む訳にはいかなくて、
コンビニで缶ビールを買う。
歩きながら飲んだ。
遠くの公園までいって、椅子に座った。
はたから見たら、孤独でみじめな人間に見えただろうか。
というか、オレはそういう人間なのだろうか。

放射化学は面白いと思うのだが、
きっと他の人はそうは思っていないのだろう。

寒い場所でのモノローグ

2004-10-08 (Fri)

駅のベンチで
電車から
吐き出されては
階段へ
流れていく人たちの 足を見てる

ローレンツ変換がでてくるさまを見ていた
ニュートンは間違っていた
そういう時が楽しい
オレはそれだけ
反対側に行きたい

いつのまにか
色んなコトが楽しめなくなっていた

雨のせいで寒い
ここは寒い
ずうっとここにいたら
風邪を引いてしまいそうだ
どこにいけば暖かいだろう

あのときオレを襲った不安と
喪失感を思い出してる
昼下がり

2004-10-12 (Tue)

曇天
どんてん

曇天が続いている
この間は台風の土砂降り
オレは風邪ひいた

この曇り空は何を象徴しているのだろう
もしや
オレの心を表現しているのかしら
なんて、馬鹿馬鹿しいね

今日は美術館へ行こう

1atm=1013hPa

2004-10-13 (水)

きょうはた


今日は1気圧の日です。
1気圧は何ヘクトパスカルか知っていますか?
1気圧=1013ヘクトパスカルです。
今日は10月13日なので1013にちなんでそう命名することにしました。
オレが。


<おまけ>
正確には
1atm=1013.25hPa
圧力の単位はいろいろあります。
1atm=1013mbar(ミリバール)
1kgf/cm2=0.098…MPa≒1atm
1atm=760mmHg

冷気

2004-10-14 (木)

家をでたら思ったより寒かった。
寒さは清潔さを感じさせる。
さらさら、さらさら

何もかもスムーズに滑り落ちる
その代わりに何もひっかからない

もっと寒くなれ
焦げ付きとぐろをまく感傷が
冷たく凍り付いてしまえ

無題

2004-10-15 (Fri)

いつまで経ってもオレの部屋は落ち着かない。
ホコリっぽいせいか、
最近雨が続いたせいか、
体調がすぐれない。

もうずいぶん堕落してしまった。
まあそれはオレにはよくあることだけど
今回は危機感が湧かないので、
ヨロシクナイ。

英語の授業で、
そこに座っているのが恥ずかしくなるほど問題が解けなかったり、
朝起きれなくて実験いけなかったり
レポートにいつまでも手を付けず、
結局そのまま期限が過ぎてしまったり。
危機感はなくとも罪悪感は感じているようでいて
それもどこかしらじらしい。
本心ではど−でもい−と思っているのかもしれない。

無題

2004-10-15 (Fri)

http://www.aip.org/history/einstein/

ひとりで餃子

2004-10-16 (Sat)

都庁

ひとりで餃子3人前とビールを2杯たいらげて帰宅。

昔より、食べなくなったな、と思う。
そのくせ、体重はどんどん増えていく。
体脂肪率もすごいことになってる。
がばがば食べてた頃、ここまで太らなかったのは、
それだけエネルギーを使っていたからだろうか。
少なくとも体は今より全然動かしていただろうな。
なんせオレより全然体力のある人と遊んでいたのだから。
でも、頭は前より回るようになった。
はず。

うなぎやら湯豆腐やらキムチ鍋やら餃子やら
ガツガツとうまいものをむさぼり食って、
時には締められ、時には投げられ、時には押さえ込まれ、
いつもいつも負かされた。
そういった楽しい記憶の回路に、
久しぶりに電流が流れた。
コップに入れた水を飲み干したとき、
暗い台所の前で当時と今の自分を比べていた。

住友ビル48階

痛み止め

2004-10-21 (Thu)

真綿にくるまれたような
微かな息苦しさは
痛み止めだった
とっくの昔にふさがった裂け目は
今もなおそのままで
痛み止めの切れた今、
再び猛威を振るう

本当の孤独をまた背負った
すでに音を上げそう

14ヶ月を台無しにした

喪失

2004-10-22 (Fri)

空白を打ち続けるような毎日を送っている。
自分は何ができて何がしたいのか
よくわからなくなった。
何もできないような感覚に襲われている。
なんだか身動きができなくなった。
ガソリンが切れたのかもしれない。
ガソリンは一体、なんだった?

約束

2004-10-22 (Fri)

誰かにCDを貸す約束をしたことを、
常磐線から山手線に乗り換える日暮里駅の階段のまえで
目の前に広がる人込みをやりすごしていたときに
思い出した。
何のCDを貸すかも思い出した。
しかし誰に貸すのか思い出せない。
誰だっけ?
その時の状況を思い浮べた。
やはりわからないが、ひとつはっとしたことがあった。
どうもその記憶は夢の中の出来事だった気がする。
うん、あれはたぶん夢だ。
たぶん今朝見たやつだ。

どうして夢の中の出来事を意識が覚醒しているときにふっと思い出したのだろう。
それがとてつもなく不思議だった。

それにしても
夢の中でした約束はどうやって果たせばいいのだろう。

CDの貸し借りなんて
最後にしたのはいつだろう。
あれは中学生や高校生の特権なのかしらん。
そんなわけでもあるまい。
そういうことをする友達がいないのだ。
本当に、友達が少なくなったあ。

教育学部の図書室

2004-10-22 (Fri)

5限が終わってから、教育学部の図書室まで行く。
月曜日までに仕上げなければいけないレポートのために
どうしても欠かせない本を借りに行った。
理工学部の図書館にもある本だけど、貸出中。

教育学部の図書室にはじめて入って、カルチャーショック。
なんじゃこりゃー
新しい、きれいすぎる、広々としたスペースがある、
机が10時間ぐらい勉強していたくなるほど広く、
椅子も座り心地よさそう。
しかもカバンをロッカーに預けなくても入室できる。
勉強や調べものをするにはなんて快適なところなんだ。
理工学部の図書室とのあまりの落差に、強い憤りを感じた。
あまりに不公平だ。
あんまりだ。
虐げられる理工学部生。
ちょっとぐらい根暗でオタクっぽいからってなんだこの仕打ちは。

大学当局に断固抗議する。
早急に教育学部と同水準の快適な図書室を作ることを要求する。

そういえば、文学部の図書室や大学の中央図書館は
教育学部の図書室と同じくらいの快適さをもち、
しかもそのスケールが何倍も大きい図書室だったっけ。
ああ、それを考えるとなんてお粗末な図書室なんだ、理工学部。

Zur Elektrodynamik bewegter Körper

2004-10-22 (Fri)

やっとこさ相対性理論が理解できた気がする。
走る電車の中央で光を前後に放つと、
電車に乗ってる人は
「前の壁と後ろの壁に光は同時に到着した」
と言い、
電車の外から眺めている人は
「同時ではなく、先に後ろの壁に光は到達した」と言う。
どちらの主張が正しいのかと問えば、
相反する主張のどちらも正しいのだと主張するのが
(特殊)相対性理論。
見る人によって見え方が違い、
どれが間違っているというわけではない。
だから「相対」なのだ。
だけど、絶対性理論とも言えるよなと思った。
誰がどう見ても光の速度は絶対に3×10の8乗m/sなのだから。

EinsteinとPicasoの類似性を論じた人がいるけど、
わかる気がする。
相対性とキュビズムは似ている。

「客観−主観」の対立から、
間主観への移行も相対論にすごく似ている。
客観などというものはない。
あっても、考えることはできない。
できるのは主観と主観との間を変換すること。
相対論ではその変換のための唯一で絶対の物差しが光速。

****

来年は国際物理年。
アインシュタインが
ブラウン運動の論文、光電効果の論文、特殊相対論の論文
の三つを発表した輝くべき年、1905年から100周年。

Bicoid

2004-10-24 (Sun)

発生生物学のレポートをなんとか形にすることができた。
3時間ぐらいかければ終わるかなと思っていたら、
結局10時間ぐらいかかってしまって、
今日一日が潰れてしまった。
これはやってもやらなくても単位にひびかないレポートで
終わらせなければ単位に響くレポートには
手をつけられなかった。

というかオレは今日は部屋の掃除をしたかったのに
できねーでやんの。
むうう。

発生生物学、むずかしすぎ。

純粋持続

2004-10-26 (Tue)

電子辞書がみつかんねえー
かなり本格的に部屋中家中探しても見つからないので
これはなくしたと考えなくてはならなそうだ。
くっそーオレのばかん。


今、ベルグソンの入門書を読んでる。
茂木さんと同じことを言っていてびっくりする。
つい最近まで全く接したことのなかった「クオリア」という
単語が、実はかなり前からあった言葉なのだと言うことを
実感した。
それとともに、茂木さんの言う
「デカルト以来の近代合理主義は死んだ」という言葉が
オレの中でますますリアリティーを持つようになった。
きっと科学はもう昔のような輝きを放たない。
ただのテクノロジーとして消費される。
テレビの科学番組とか健康番組とかで、
さも得意げにもっともらしくなされる説明にうんざりする。
そして「底が抜けている」ということに気付いている人が
少ないことに辟易する。


そういえば最近うなぎが食べたくてウズウズしている。
今はうなぎのうまい季節だよなぁ?(ちがうけ?)
まともなウナギを最後に食べてからもう2年。
うあー、うなぎたべたいいい。

陽子の閉殻構造

2004-10-27 (Wed)

電子辞書見つかりました。
大学の事務所に忘れ物として届けられていた。
よかった。

今日の放射化学では先生が何気にすごいことを
言っていた気がするのだが、そう思うのはオレだけ?
電子が閉殻構造をもつのはよく知っているけども、
陽子や中性子も似たような閉殻構造を持ってるって、
それはオレにとってすごく驚きだったんですけど。

帰りにやすべえでつけめん中盛りをを喰って帰る。

思考の言語依存性

2004-10-29 (Fri)

ついに後期はじめてのレポートを出す。
すでに2週間の遅延。
遅れた理由は特にない。
ただやりたくなかったからやらなかっただけだ。

何故かすべて英語で書かなくてはならなくて、
まともなものが書けなかったが、
まぁ、普段もまともじゃないし、いいや。
いきなり英語で書くなんて事をせず、
一旦日本語で仕上げてからそれを翻訳すれば
いちばんいいのができるかも知れないけど、
それは二度手間な感じがして、
結局行き当たりばったりでかいた。
書いたと言うか・・・(推して知るべし)。

オレは英語が書けない。
改めて痛感した。
読むだけなら、辞書があればなんとかなるけど
書くのは、辞書があってもまともにできない。
もともと英語はダメな方だけど、
読む訓練はしても、書いたリ話たりする訓練は
きちんとしなかったから、どうしようもない。
一度、徹底的に英語を発する方の訓練しないとダメだ。
必要になってからでいいけど。

英語で表現をすることを念頭においていると
まともに思考がすすまない。
この実験結果から何が言えるんだ?ということを
考えようとしてもすぐに頭がこんがらがってしまう。
何かを考えるという事は、言語にすごく依存するからだと思う。
考えた事をすぐさま言葉で表現できないと
次の瞬間には何を考えてたかわからなくなる。
貧しいメモリー。
言語は思考のかなりの部分を負っている。
おそらく、言語を骨組みとしてつかって、
思考を固定化する事で思考は前にすすめる事ができる。
骨組みがないと、積み上げていくのはすごく大変なのだ。

興福寺国宝展

2004-10-30 (Sat)

トラックで親父と板橋に行き、仕事をする。
帰りに赤羽で降ろしてもらった。
京浜東北線で上野に行く。

興福寺国宝展

来場者が多かった。
展示品の前にはびたーっと人が群がっていて
ほとんどスキがない。

主に、運慶・貞慶・康慶作の仏像を中心に見る。
無著、世親のあの生々しいリアリティーに満ちた
迫力はすごい。
運慶は書物の中に伝えられる僧を
想像し、自分の中に焼き直し、そのような像として表現した。
そしてオレはその像を見る事によって
昔いた偉いお坊さんの事を思う。
それは鎌倉時代の作品で、その作品のモデルは
さらにそれより昔の中国やインドへと繋がっている。
なんだかただただ途方もない思いがした。

康慶作の四天王も気に入った。
やはり圧倒ていな迫力をもつ。
一つ一つじっくりと4体みてまわった後、
今度は早足でその4つの周りをぐるぐる回る。
逆メリーゴーランド。
途中でその内の一体、多聞天と目があってしまい、
それからしばらくそこから身動きができなくなってしまった。
目も離せない。
ちょうどその位置が多聞天と目が合う絶妙の角度と距離のところ
だったようでしばらく多聞天とにらみ合ってしまった。

そもそもなんで興福寺国宝展に行ったかというと
茂木さんが「無著はいい」と言っていたからだ。
ただそれだけ。
近頃はずいぶん茂木さんにかぶれています。
この人の本を読み、この人のウェブ日記を読み、
この人の朝日カルチャーセンターでの講座を聞き、
公開されている講演の録音ファイルを聞き、
このひとが話題にした事を調べ(ベルクソンもそう)、
ほとんど「おっかけ」に近い状態である。
本当は毎週木曜日に茂木さんが芸大でやっている講義にも
もぐりにいきたいのだが、
語学の授業がかぶっていてそれは叶わず。
でも、来週は学校が休みなのでいってくるつもり。

「この人はすごい」と思ったらその人の思想とか価値観に
どっぷり浸かるのがオレのやり方だ。
(なんの為の「やり方」なのかは問わないで・・・
 自分でもよくわからないから)
その後で、その人の考え方を相対化していく。
この方法は危うさを抱えている。
どっぷり浸ってしまうと自分の価値観で判断できなくなる。
そうなるのとすごくあぶない。
オレはそれで、一度死んだ。