諦めに似た予感
絶望に似た希望

2004-07-04 (Sun)

それはほんとに何気ない気分だったところに
ぽっと明かりが灯るように
風呂場で体を洗いながら思ったこと。
何かがすっと消えて、
何かが破裂して、その中の何かが静かに、
全方位へ拡散していくのがわかった。

今は心が踊り出しそうな気分だ。

わがままに生きる。
いつかそう決めたんだった。
ずっと悩んでいたことがあった。
いつしか悩んでいる状態が当たり前になって
答えを出さなければならないという自覚を忘れていた。
やっと、答えが出た。

そうだ、オレはわがままに生きると決めたのだった。
また道を踏み外すところだった。
いまの学科に入ったことが間違いだったと気づいたことを
無駄にするところだった。

オレはしたいことをすればいいのだ。
将来のこととか周りの人の意見とか自分の能力とか、
それを妨げる要因はいろいろあるけど
肝心なのはやはり自分がどうしたいかなんだ。
したくないことを何かいろいろの理由があってすることは、
辛いから、人生やめたくなる原因だ。
そういう気持ちで人生を送ることは、
今までの経験上、よろしくない。
もちろん、やりたいことしかやらないっていうのは
現実的には無理のある考えだけど、
やる必要がないなら、やんなくていいのだ。
なんて当たり前のことに、いまさら気づいているんだろ。
でも、とにかく、そーなのだ。ぐおー!

オレが大学に来たのはなぜだったのか。
いい会社に就職するためでも、
刺激的な出会いをするためでも、
技術を学ぶためでも、
レポートに追われるためでも、
キャンパスライフをエンジョイするためでも、
どれでもない!
学問が、したかったのだ。
だから心いくまでそれを堪能しようじゃないか。
大学はあと1年半。
その気持ちに「けり」をつけよう。

十日間ぐらい、ふらふらしてた甲斐があった。
いまはものすごく速く走れる気がする。

平等なベンチ

2004-07-08 (Thu)

やっと6限が終わって教室をでてベンチに突っ伏した。
疲れた、というより何もかもがいやだった。
歩くのも重いカバンを持つのも座っているのも。
思考をストップさせたかった。
それでもろくでもない考えがグルグルと、止まらない。
死ぬことばかり考えていた。
遺書になんて書こうか考えて、
ごめんなさい以外何も書くことがない気がして
そしたら涙がでた。
辺りが暗くてよかった。

何をこんなに苦しむ必要があるのか。
オレの辛いなんて高が知れてるだろうに。
自分でもよくわからない。
何か嫌なことでもあったか?
そんな四六時中塞ぎ込むほど辛いことがあったのか?
たぶんそんなものない。ビョーキになってしまったのかも。

まともな思考ができなくなってる。
脳が考えることを拒絶している。
友達にいま脳みそがくさってるといったら
しんいちは心が腐ってると言われてしまった。
その通りだ。

ざれごと

2004-07-12 (Mon)

変化は劇的であってほしい

いつもそう思っているけど、
劇的な変化なんか全然起らない。
きっと何かを地道にやっていけるひとが勝つんだろうなと思う。
地道にコツコツ
できないな、そういうの。

暑くて容赦なく日が照って、憂鬱とは無縁な気候だ。
青い空が壮大に広がって、雲がもわもわ浮いて
みているだけでまったく気分がいい。
なにかとてつもなく楽しいことが
あちこちで弾け飛んでいるような気がする。
そういう場所に今すぐに駆け付けて、
自分も楽しい思いをしたい、しなければならない、と思う。
でも、どこにもいけない。
レポートと試験が控えてる。

「ケイカクテキ」にレポートを済ませ、試験勉強をしておけば
1日ぐらい時間をあけてどこかに行くことは可能だ。
だけど、なにもしない。
どこにも遊びにいかないどころか、レポートも勉強もしない。
自分でも意味が分からない。

1.計画的にすべきことを済ませ遊びに行く
2.計画的ではないがすべきことをする
ただし遊びにはいけない
3.すべきこともしないで遊びに行く

こういうときの人間の行動パターンとしては
1、2、3のどれかしかないと思う。
なのに、

4.すべきことも遊ぶこともしない、何もしない

という選択肢を選んでいる。
本当に、意味が分からない。

海に行きたいなと思う。
でも、きっとそれを実際に行動に移しても
「オレはすべきこともせずこんなところでなにをしているのか」
「自分で稼いだものではないお金をこんな風に使っていいはずがない」
という罪悪感はどこまでもついて回る。
だから、遊ぶこともしない。

これは実験だ。
どれだけ非生産的でいられるのか。

鎮火

2004-07-13 (TUE)

恋人に滔々と自分のダメさを並べ立てたが
暖簾に手押しだった。

茂木健一郎の講演を聞いたあたりからおかしくなりはじめて
ずぶずぶと深みにはまってゆき、
相当ひどくのたうち回った。
自分でもよくわからないけどひどく憂鬱だった。
何故なのかわからないからひたすら苦しかった。

それで昨日、ようやく思い当たったのは、
自信を失っているということ。
そういえば4月ごろはやたら自信に溢れていた気がする。
そうでなきゃあんなに授業を詰め込まない。
なんかあの頃はオレにしては近年稀に見るほど
自信に溢れている時期だった。
(いやほんとうに8年ぐらい自信を喪失していた)
最初の頃はすべての授業に出席して、
レポートもきちんとだして、
一人暮らしの真似事みたいなことをはじめて、
なんだか「充実」していた気がする。
でもまぁ段々と負けが込んできて、致命的だったのが
はじめてレポートが期限通りに出せなかった時で、
たぶんその時からおかしくなってたんだろうなって思う。
ありがちありがち。

昨日、「ブラザーフッド」という映画を見た。
韓国の戦争映画。
いままでで一番戦闘シーンがリアルだった、と思う。
砲撃で肉が切れ切れになったり、
圧倒的な衝撃でひとの体が吹っ飛んだり、
タコ殴りにされてふくれあがる顔とか、リアルだった。
戦争ものって好きなんだけどあまり見てない。
いつか系統的に見てみたいなと思う。
戦場で必死に生きる人の姿が、
ひたすら鬱に没する自分とハッキリと対照的だった。
危機感に呼応して最善の行動をする人たちと
危機感に背を向けてなにもしないオレ。

とりあえず、破って投げ飛ばしたレポートを
セロハンテープで補修する。

変分原理

2004-07-17 (Sat)

あーあーあーと叫びながら、
頭を抱えて走り出したい衝動に駆られる毎日。
そのまま海に飛び込んで海のもずくと消えてしまえたら。

わかんないな
何が良くて何が悪いか
何が美しくて何が醜いか
何が価値があって何がクズか

始点と終点があって、始点から終点に向かう経路の
最も効率的な解を探す場合、変分原理を適用すればよい。
削ったり膨らませたりしていろんな経路を試してみて、
微分が0になる経路を探す。
たぶんこんなムナクソ悪い言葉を書き並べてるより
もっと最適解に近い行いがあるはずだよ。
でもオレは、何がもっとも合理的な行動か、
考え出したら分からなくなって、パニックに陥ってしまう。

そもそも人生に変分原理は適用できるのか。
終点がわかんないじゃん。

東京の景色

2004-07-19 (MON)

東京は車で走ると面白いところだと思う。
少し走るだけでクルクル景色が変わる。
越谷から122号をずーっと南下して川口、赤羽、王子。
さらに池袋にでて、そこで人を降ろして、帰路についた。
そのまま明治通りを南下し目白を過ぎて神田川。
それから針路を東にとって早稲田、神楽坂、飯田橋、竹橋。
そして神田、秋葉原と北上して4号でまた越谷にもどった。
いつもは東京来てもそんな風に遠回りしないし
毎回夜で景色は見えないので、今日のドライブは新鮮だった。
テクテク歩いたことのある道を
ばびゅんと車で通り過ぎていくのは、なんかうれしい。

にしてもあの交通量であのスピードで走るのは危ないなぁと思う。
なんというか「東京気質」みたいのがあって、
みんな走り方が野性的だと思う。
するりするりと車線変更をして必要最小限の減速しかしない。
もたもたしようものなら容赦なくクラクション、
これ見よがしに追い抜いてゆく。
いまオレが使っている車は軽で小型のバンなんだけど、
小さいので操作性がよい。(スピードでないけど)
これが普通のサイズの乗用車だったら
ソツなく運転できるかわかんないな。

長い散歩のあと

2004-07-23 (Fri)

今日の分の試験が終わって学校をでた。
ぱっとしない。
試験のでき悪い。
まっすぐ帰る気がしないが、特にあてがない。
こういうとき、誰か誘って
飲みにでも行けばいいのかも知れないけど
最近オレは孤独になりたがる。
一人は精神衛生上よくないのかもしれないけど、
それでも一人がいい。

そういうわけで、なんとなく新大久保方面ヘ歩き出す。
いつもとは違う道が歩きたくて、
いつも曲がる場所で曲がらなかったり
曲がらない場所で曲がったり。
だけど結局、大久保通りにでてしまう。
このままでは駅に着いてしまう!と思い、
ひとまず本屋に入って立ち読みでもする。

「FEEL YOUNG]
小野塚カホリと宇仁田ゆみと内田春菊が3人同時にのってる。
何げにオレの為に存在するような雑誌である。
たぶん女性向けだけど。
アフタヌーンのほかにFEEL YOUNGも
購読するようになっちゃうかも。
あ、ちなみに月刊アフタンーンは明日発売(7/24)。
(講談社のマワシモノみたい・・・)

とりあえずその3人のを読んで店を出る。
やっぱり帰りたくない。
正確には駅へ向かう途中で段々と人口密度が増えてゆき、
最終的にぎゅうぎゅうではないけど
まず座ることのできない電車に乗ることがいやなのだ。
ひとがうじゃうじゃしてるのはいやだ。
そういうわけで、分子が濃度勾配によって
濃度の薄い方へと拡散していくがごとく(Fickの拡散の法則)
駅とは逆の方向へ大久保通りを歩き出した。
まぁいつものお散歩コースである。

お日様は照るのに精を出している。
空は青く高い。
暑いけど、歩くのは不快じゃなかった。
オレは歩くのが好きで、
昔はもっと気の向くまま、がつがつ歩いていたのに
最近はさっぱりだったナ。
忙しいせい?疲れているせい?年のせい?
歩く暇があったらレポート書くとか、
歩くと疲れが明日の授業に響くからとか、
ナサケナイ理由だったと思う。

歩くことで体が前に進んでいくのは気持ちいい。
ただ街を歩いているだけなのに、
何か真実のようなものに近付いているような錯覚がおこる。
錯覚なのは分かっていても、
この「真実のようなものに近付いている」感覚が好きだ。
オレにとって歩くことは、
追い求める理想の姿に近付いているというイメージを
もっとも直感的に想起できる営みだ。
そうしていると、「もっと速く、もっと力強く」
という気持ちが強くなって、ハイになる。

それは「歩く」だけではなくて
自分の力で前に進む行為ならいつも感じることだ。
自転車をこいでる時とか、車を運転している時とか。
「速さ」を追求するスポーツをしている人は、
競技をしているときそういうイメージを
いだいているんじゃないだろか。
そして、そういうイメージが自触媒作用をして
「もっとだ!」となってさらに上を目指す。
そういう風にモーティブされて
速さを追求しているんじゃないだろうか。
や、わかんないけどさ。
そういうことイメージするのってオレだけかしら。

途中で夏目坂を下って、下り切らないうちに曲がって、
小さくて細くて人気のない道をちょろちょろ歩いたら
見覚えのある道にでた。
牛込柳町。
あの人はどうしてるかしらとか思いながら新浪漫亭を通り過ぎる(笑
で、神楽坂に到達。
坂の両側にずらーっといろとりどりのお店が並ぶ。
華やかな街だと思う。
どうも今日は阿波踊り大会があるらしく、
まだ準備の途中だったが祭り特有の活気がにじんでいた。
阿波踊りを見物したい気もしたが結局通り過ぎてしまった。

坂を登ればあっという間に飯田橋。
新大久保から飯田橋まで直線距離で約3.6kmだが、
実はここらへんですでに顎がでていた。
疲れた。
なさけない。
昔はこれぐらいじゃ全然元気だったのに。
そもそも「昔は」なんて言っちゃうとこが年寄りくさい。

飯田橋駅の交差点は
池袋の六ツ又交差点よりはちょっと小さいかもだが
それでも十分でかくて複雑だ。
その近くの本屋にはいった。
わりと大きい本屋で3階まである。
1階:雑誌、2階:文庫、3階:マンガという構成。
旅行ガイドのコーナーと、
マンガのコーナーと新書のコーナーを物色。
「好きになっちゃった沖縄・離島編」という本を探しているのだが、
なかった。実はこの本、去年の夏に沖縄に持っていったがのだ
なくなってしまったのである。
アマゾンで注文しちゃおうかなー・・・

3階にあがっていきなり目に飛び込んできたの本に面喰らった。
ふんどし姿のマッチョなお兄さんがくんずほぐれつの絵・・・
そういう類いの本が一つの区画を占拠していた。
きっと需要があるからこうして幅を利かせているわけで。
どうなんだ、これは。日本は大丈夫なのか。
とか穿ったことを思わずにいられない。

が、しかし、自分も人のこと言えないかも知れない。
小野塚カホリの「僕は天使ぢゃないよ」を買う。
小野塚の最初の単行本で、
内容は男の子と男の子があんなことをするお話の短編集。
その中の「セルロイドパラダイス」というお話を
無性に読みたかった。
昔、人に借りて読み、それをずっと忘れてたのに最近思い出して、
話の始まりと結末は覚えているんだけど、
その途中が思い出せなくて、すごく気になってた。
で、買ってしまった。
うーむ、これじゃあまり「弁解」になってないな。

二ノ宮知子の「天才ファミリーカンパニー」を読みたいのだが、
なぜかいつも1巻が置いていない。なぜなんだ。

新書コーナーではいろいろココロヒカレル本があった。
が、お金ないしまだ試験が続くのであとでどっさり買おう。
近年活字離れが叫ばれているが、
新書はよく売れてるんじゃないだろうか。
新書といえば岩波新書とか講談社現代新書、
中公新書だと思っていたが、
最近はちくま新書、光文社新書が
多くなってきたように思う。
あと、NHKが出しているのもあったな。

この本屋はいろいろな本がコンパクトな範囲に揃っていて
浅く広く本を探す場合に便利だと思った。
理工書がないのはまぁしょうがない。

本屋をでて再び歩く。
もう、いい加減にどこかで休みたいのだが、手ごろな場所がない。
歩き出した頃はそば屋で冷や酒なんぞをやりたい気分だったが、
このときは俄然、ビールだった。ビールぐびぐび・・・・
左手に後楽園、右手に水道橋駅。
坂を登ってお茶の水。
店がない。
聖橋を右目に今度は下る。
湯島聖堂を過ぎてかなり秋葉原に近くなったところで喫茶店を発見。
喫茶店か、ビール飲めないなと通り過ぎたら
ギネスビールのポスター張ってあるし。
一寸、逡巡して入店を決意。
最初、お客が誰もいない上に店員の姿も見えないので
ほんとにお店なのか?とか思ったが、
ちゃんと店員さんはいたので安心。
とてもいい感じのお店ですぐに気に入ってしまった。
壁一面の窓から川越しにお茶の水駅と
川の上を走る丸の内線が見える。
ギネスビールを頼んでみた。
男の人が一人で店を切り盛りしている。
ビールをとても時間をかけて入れる。
一刻も速く飲みたい気分だったけど、
有無を言わさぬその丁寧さは全然嫌な感じがしなかった。
むしろ、「うまいビールが飲めそうだ」という期待が高まった。
さっき買ったマンガをめくりながらぼけっとしてると、来た。
飲んだ。

至福・・・・
おいしい。
疲れていて何でもうまく感じるのか、
丁寧なビールの入れ方に恐縮していたからか、
有名なギネスビールをうまいと思わなきゃ
味覚音痴だと思われるからか、
ほんとうにおいしかったからか、
わからないけど、
おいしかった。
そんな意味付けは野暮さ。
小一時間程その店にいたかも知れない。
じっくりギネスを味わって、店をでた。
ちなみに値段は高め。

あたりはもう薄暗い。
秋葉原に来て、ようやく針路を東から北へ。
秋葉原を過ぎて御徒町、そして上野。
上野に入ったあたりから浴衣の女性が目につくようになった。
なんでだ?と思っていると、不忍池に夜店がでていた。
今日二つ目の祭りに遭遇。
祭りの目的が何かはわからないが、
とりあえず夜店がだーっと連なっていた。
去年とか、その前とかと並んでる品物に大差はないなと思った。
雑然と並べられた古着や骨董品を眺めながら池沿いを歩く。
石段を登っていると、不意に石段の上を動く黒い何かを発見。
一瞬、ゴキブリだと思って歩みをとめる。
どうしたもんかとよく見ると、ゴキブリではなく、
蝉の幼虫だった、いや、幼虫じゃなくて、なんだろ、成虫?
あれ?ちが?
とにかく、蝉の抜け殻になる前の中身が入ってるやつ。
おおそおか、蝉の子どもかー、と喜ぶ。
そりゃそうだ、そこかしこでミンミン鳴いてるもん、
こいつもそろそろ脱皮してその仲間に入りたいのだろう。
しばらく、階段の途中に突っ立って蝉の子どもが動くのを見ていた。
でもそろそろ足腰痛いし、蝉の子はのろいし、人が脇を通るので、
脱皮シーンを見るのは諦めてまた歩きだした。

上野を過ぎて鴬谷。
さらに歩いて谷中へ。
回り道は面倒だから谷中霊園を突っ切る。
そのころにはとっぷり日も暮れて、夜だった。
実はちょっと怖かった。
途中、細くて鋪装されていない道を歩かなくてはならなくて
しかも、曲がりくねっててどこに通じているのか確信がもてない。
おばけとか幽霊とかは信じてないから怖くないんだけど、
素足にふれる枯れ草とかの感触が
何か得体の知れないものに触れられているような感触で、
そういうのが恐ろしかった。
変な虫に刺されて毒を注入されたらどうしようとか、
ここらで寝てるホームレスが発狂して殴り掛かってくるかもとか
そういうことを想像するとけっこういてもたってもいられなくて
さっさとでていきたかった。

あそこで肝試しやったらたぶんおもしろいとおもう。
不謹慎だろうか。そりゃそうだろな。
でも機会があったら人を集めてやってみたい気がする。
本格的な肝試し大会。

そんなことを考えてたら
日暮里駅とセブンイレブンの明かりが見えて
谷中霊園を脱出。
「もー歩くのはいいだろう、ここからは定期も使えるし」
ということでこれにて歩くのは終了。
長いお散歩でした。

電車に乗って明るい中で自分の足下をみたら
たくさんの霊に取り付かれて真っ黒になっていた、
と言うのは嘘で、土の上をあるいたので汚れていた。
ビーチサンダルを脱ぐと、白と黒のコントラストがはっきり。
白い部分はサンダルの鼻緒が触れていた部分。

7/31

2004-07-31 (Sat)

今日で7月おわり。
もう夏休みのはずだが、
8/2に提出を控えたレポートを抱えているので
まだ浮かれた気分になれない。
でもまぁ、前期は終わったのね。
あまり実感わかないなぁ。
最後の方はもうぐでんぐでんの
ダメダメだったからなぁ。。。。
それでも遅れに遅れてレポートを出して
試験も一応受けられた。
結局、どの科目も30分ぐらいしか勉強せずに試験を受けた。
以前より集中力が持たなくなったと思う。

もう勉強したくないなら学校やめちゃえばいいのに。
勉強したくないわけじゃないけど
勉強したいことを勉強できない。

なんか結局、単位の為に学校いってるよな?ああ?
愚だ。愚の骨頂。

研究室の希望調査表を提出した。
他学科の研究室に行く道を模索してみたけど、だめだった。
とりあえず、応用化学科内の研究室にいって、
学部を卒業したら大学院でどこか他のトコロに
行けばいいじゃないかということになった。
ここに来てはじめて、
二浪していたらどうなっていたかとか
あの大学の後期試験を受けていて
合格していたらどうなっていただろう
ということが頭をよぎった。
本当にはじめて、そんなことを思った。
今まで一度も今の選択に疑いを感じたことはなかったのに。
でも、そんなこと思うのは違う。
そもそもお前はなんで応用化学科に願書出したんだよ。
ばーか。

夢中になれることを見つけたら
絶対離しちゃいけないんだよ
それができないのなら
何かを求めるような生き方はできないんだよ

尤も、あのころは数学で
今は物理と意識の問題だけど。
ちなみにあの大学には茂木さんがいる。