飽和食塩水のメタファー

2005-04-30 (Sat)

遂に今日で4月は終わりですね。
毎日更新する!とか言いながら、更新率は90%(27÷30)止まりでした。
おおめに見てください。

やはし、毎日書くのはしんどかったです。
胸のなかでまだ言葉になっていないことを
無理矢理言葉にするのは
けっこう気持ち悪いのです。
自然にでた言葉ではないから、どうにも嘘くさい。


表現をするということは
結晶が析出するさまに似ている、と思う。
たとえば水を熱くして塩をじゃんじゃん溶かす。
気の済むまで溶かしたら冷やす。
そうすると、ある時溶けきれなくなった塩が結晶となってうわっとでてくる。
そんな風にあるとき自然にふわっと、ある形をしてでてくるものだと思う。
無理矢理ひねりだすものではない。
だから表現するためにできることは
ひたすら食塩水を濃くすることだと思う。

そう考えたら、表現することと理解することは似ているような気がしてきた。

本を読んだり話を聞いたりうんうんうなったりしながら
食塩水を濃くしていく。
その間はわからない苦しさに耐えるしかない。
それで、忘れた頃に「ああそうか」と
メチャクチャだったパズルが瞬時に解決するように、
あるいはずっと宙ぶらりんの状態だったのが
着地場所を見つけてストンと落ち着くみたいに
わからない状態がわかる状態に切り替わる。

理解するというのは
形はないけど頭のなかにもやもやと存在する“考え”に
それを表現する形を与えることなのかもしれない。

夏の陽気+ゴルデンウイク初日

2005-04-29 (Fri)

昨日は飲み会の後に
そこで知り合った人たちとさらに根津で飲んで、
ほとんど終電で帰った。
10時ごろ起きたけどまだ酒が残っている。
やばい遅刻だ!と思ったが今日は祝日だった。
なんだ、いつのまにゴールデンウィークなんかきたんだ?

夏の装いで街に出る。
街には楽しい雰囲気が充満していた。
夏の陽気+ゴルデンウイク初日。
浮かれないほうがおかしい。

秋葉原で買い物。
工具やらラジオ系の機材やら抵抗やダイオードやらを
途方もないバリエーションでうっている場所を歩く。
いままで実験室や工事現場でみかけたことはあるけど
こんなとこで売っていたのか!という驚きの連続。
犯罪をするときはここにくればいーんじゃないかなと思った。

その中のひとつで親父に頼まれた一個85円の豆電球を買う。
それだけ。

秋葉原から上野まで歩いた。
秋葉原は大きく変化している。
しばらく前までは見たことのなかったでかいビルが
でんでんでんと3本建っていた。
電気と性欲の街がにわかに現代的でおしゃれな感じを漂わせつつある。
一部だけだけど。

わざと一本裏の道を歩いて見たのだが、
こんなところにこんな店があったのか!という驚きが多々あった。
結構高そうな店が多い。
こんな変なところにあって儲かるのかしらと思ったが、
知る人ぞ知る、という感じなのかな。
何軒か入ってみたくなる感じを醸しだしているお店があった。

上野公園はやはりひとで溢れていた。
夏の日差しと子供たちはよく似合う。
暑かったけど、その暑さは「楽しいこと」そのもののような気がした。

上野公園に来たのは、昨日飲み会をやった場所を
もう一度見たくなったからだった。
昨日の飲み会は野外で酒を買ってきてやったのだった。
ここに内藤さんがいて、その周りを人が取り囲んでいて、
あっちのブランコに茂木さんがいて、
やっぱりそっちにも人がいっぱいいて・・・。
昨日のあの時間は奇跡のような時間だった。

今は子供たちとその親が占拠している。
彼らは昨日のことなんて知らない。
昨日帰るときは残っていた食べ散らかしたお菓子が、
いまはあとかたもなくなくなっていた。
昨日の痕跡はどこにもないようだった。
昨日のあの時間は奇跡のような時間だった。

上野公園から駅に戻り、山手線で馬場まで来る。
研究室に向かった。
祝日なのに思いのほか友達がいて、なんだかうれしかった。

繊細な人

2005-04-28 (Thu)

<またもや書き逃したのであとから書きました 4/29>

内藤礼さんの授業をうけた。
内藤礼さんは作品とそのひとの話す言葉にギャップがなくて、
それが驚きだったし、
ギャラリー小柳で感じたのと同じように癒された。
内藤さんの声や話し方はそれだけでとろけるように魅力的だった。

このひとはとてつもなく繊細で、限りなく優しい。
どうしてあんなに繊細でいられるのだろう。
あんなにいろんなことに気付いてしまっては
生きるのがとても苦しいのではないだろうか。
聞いてみたかったが場の雰囲気に呑まれて質問できなかった。

授業後に聞こうと思ったが他の人がずーっと話していて
やはり聞けなかった。
そして、その後の飲み会でやっと聞くことが出来た。

やはり辛い、と言っていた。
それでもこの人はしっかり立っていて、目に迷いがなかった。
きっと、想像を絶するような強さを
あの細くて小さな体に秘めているのだろう。

オレは“地上はどんなところだったか”の感想を
片っ端から語ってしまった。
自分が感じたことをうまく表現できるかわからなかったし、
表現できてもそれが相手に伝わるかわからなかったけれど、
内藤さんはわかってくれたようで、的確に応えてくれた。

オレ以外の人もばんばんいろんなことを内藤さんに質問していた。
そして、その度に内藤さんは的確に答えるのである。
それがすごいと思った。
ときどきオレには理解できない質問が出たりして、
でも内藤さんはきちんと理解していて応えていた。
そういうのは頭が良いとかそういうのではないと思う。
もっと根源的で絶対的な力だと思った。
だからあんなに繊細になれて、そして繊細でいられるのだろう。

やる気なーし

2005-04-27 (Wed)

とりあえず、体調はよくなった気がする。
ほとんどふらつかなくなったし、
頭の中が濁った感じもなくなった。

来週のゼミでの発表に向けて再び論文を読んでいる。
これから1年の間にやる研究の計画を発表するんだそーだ。
いままでに何がわかっていて、何がわかってなくて
この先どういうことをして、どんな結果が欲しいのか。
自分の中ではわかってるんだけど、
人に話すとなるとあまりてきとーなことは言えないので、
きちんと論文にあたっている。
論文を読んでいると知らないことがわらわら出てくるので、
まだ実験せずに論文読んでたほうがいいんじゃないかという気がしてくる。
自分がやってることを他の人が既にやってたらどーすんのさー。
まぁ、今のところそういう心配はないんけど。
それよりも無知ゆえに無駄なことををしてしまう可能性の方が高い。
そんなことやる前からわーかってたじゃーん、という。

なんだかんだいって、今日は一日の大半を健康診断に費やしたので、
あまり収穫はあがっていない。
まーいいか。
病み上がりだしさっさと帰ろう。といってももう8時か。

negative me versus positive me

2005-04-26 (Tue)

また・・・日記を書けなかった。
これで3回目です。
ぐむむ・・・。
改めて毎日書くことの難しさを実感する。

今月も残すところあとわずか。
4月が終わって、そしたら5月で、
ゴルデンウイク明けたら大学院の願書提出で、
梅雨の6月を経て、
7月には大学院の試験ですか。
ですかーーーーー?????
やばい。やばすぎる。十万石饅頭。
もとえ。

ひゃー、風邪でお休みとかしてる場合じゃなくって!?
やべーよやべーよ。
勉強しなくちゃ。しなくちゃーーーー!!!

それに、研究うまくいくかなー。
ちょっと前までは無知さにものをいわせて楽観的だったけど、
知見を得るにつれ敗色濃厚カナーなんて思ってみちゃったり?

なーに、だいじょぶさぁ。
まだたった2回実験やって2回失敗しただけじゃないかぁ。

だったらさっさと失敗した実験やりなおせー!

あの実験は丸一日かかるから日を選ばないとできないんさー。
それにあの実験は疲れるんさー。

だーもーこの根性なしがああああ!!!

ネガティブしんいちとポジティブしんいち
(というかただの夢見がちバカ)が
頭の中でぴーちくぱーちくさえずっている。

学校は風邪でお休みしたが、
仕事は休むわけにいかず、
松戸の病院で夕方6時から1時間仕事をしてきた。
帰りは車の中でぐったりしてた。
明日には体調が回復していることを切に願う。

地上はどんなところだったか・感想

2005-04-24 (Sun)

銀座を歩きギャラリー小柳を探す。
あった。
だけどエレベーターがない。
貼り紙があって、
 「ギャラリー小柳にいくにはビルの裏手に回って下さい」
とのこと。
テクテク歩く。
何の変哲もないビルのエントランスに入り、エレベーターで8階に行く。

エレベーターが開いた瞬間から展示場ははじまっていた。
悪く言えば殺風景な何もない空間である。
どの作品もとても小さい。
手のひらサイズ。
そういう作品が20点ぐらいあった。

はじめはそのささやかな作品群たちがなんなのか
意味がわからなかった。
でも会場をだいたい一周しおわる頃、わかった。
その展示のコンセプトがわかった。
「地上はどんなところだったか」
そのタイトルに託された意味がわかった。

わかったらもうやばかった。
乱暴な言い方をすればほとんど何もないに等しいこの空間に、
濃密な世界が充満しているのに気付いた。

雲の写真
土と糸のオブジェ
むこうを透かしてみるための作品

それぞれの作品が見る人に励起させるイメージが組み合わさることで、
ただの足し算を爆発的に凌ぐ圧倒的なイメージを与えていた。
イメージというか、生成された別の世界のようなリアリティがあった。

内藤礼というひとの持つ繊細さと優しさを、
あたかも耳もとで囁かれるように感じとった。
癒された。
「なににもならなくていいよ おいで」と書かれた
お土産をもらって帰った。



************

  内藤礼展−地上はどんなところだったか

  2005年5月14日(土)まで
  入場無料
  場所:ギャラリー小柳
  (銀座線銀座一丁目駅7番出口
   銀座1-7-5小柳ビル8F。ビルの裏手へ回る)
  11:00-19:00 日月祝休
  TEL.03-3561-1896

窒息している情報

2005-04-24 (Sun)

昨日からやばいなーと思っていたのだが、やはりそうだった。
風邪ひいた。
貴重な貴重な日曜日があー・・・。
一日ふせっていた。

原因はたぶん金曜日に毛布をかけないで寝たから。
酔っぱらって帰ってきて、さっさと寝たくて、
でも布団が乱れてて、面倒だったから掛け布団だけばさばさやって
それをかぶって寝た。
次の日は朝から鼻がぐしゅぐしゅしてて寒気がした。
そのままほっといたらさらに悪化して今日に至る。

金曜日は重役もびっくりの社長出勤。
研究室に着いたのは午後2時半とか。
着いたらすぐに授業にむかい、授業後は先生と40分話し込む。
研究室に戻ってきて、二日分のエサを作る。
6時には研究室を後にする。
研究室にきてエサつくっただけかよ!
罵声が聞こえてきそうである。

土曜日は車で学校に行く。
酸素2本、毎度あり。
車を学校に置き去りにして銀座へ行く。


  内藤礼展−地上はどんなところだったか
  2005年5月14日(土)まで
  ギャラリー小柳
  (銀座線銀座一丁目駅7番出口
   銀座1-7-5小柳ビル8F。ビルの裏手へ回る)
  11:00-19:00 日月祝休
  TEL.03-3561-1896
  http://www.tokyoartbeat.com/event/2005/3DE2.ja


もしもあんたがたまたま銀座や有楽町に行く機会があるなら、
絶対に行った方がいい。
そんな機会はなくても少しでも時間があるなら行った方がいい。
来週、芸大の美術解剖学という授業に内藤礼さんが来るそうだ。
オレは絶対にもぐりに行こうと思う。

「内藤礼」でググってみた。
その個展のウェブサイトがあると思ったから。
だけどそういうものはなかった。
それが軽くショックだった。
あんなにいいものをやっていながら、
主体的な宣伝活動をやってないのだ。
それらしいビラを配っているわけでもなさそうだし、
きっと告知のポスタ−なんかもないのだろう。
「ぴあ」みたいな雑誌には他の個展と同様に紹介されているが、
何も知らない人がそれだけで見に行こうと思うようには思えない。
オレは人づてに聞いて行ってみようと思ったわけだけど、
「内藤礼」を知っていて、
なおかつそのためにアンテナを張っていないと
見つけだすことはできないだろう。
そういう事実に震撼した。

テレビ、ラジオ、新聞、ネット、雑誌・・・
様々なメディアを通して情報が溢れている。
その中で窒息している情報がある。
自分にとって大事な情報はむしろその窒息してるほうだったりする。
畢竟、大事な情報は垂れ流されているもののなかではなく、
自分で見つけたものの中にある。
テレビをまともに観なくなって久しいが
それでいいのだと思う。

しこり

2005-04-23 (Sat)

なんだか右の乳首が痛い。
触ると5ミリぐらいのしこりがあって、押すと痛む。
でも見た目はいままでと変わりない、と思う。
(普段しげしげと見たりしないからわからない)

なんだ、これ。
もしや乳癌デスカ!?
え、でも男も乳癌になるの???

とりあえず原因はわからないけど痛いのは確かです。
う−む、癌なのかな−。
もうすぐ死ぬのかなー。

畏友

2005-04-22 (Fri)

お前には畏友はいるか?

そう聞かれて、いないと答えざるを得なかった。
畏れるに足る相手。
それは、いると思う。
でも即座には口に出せない。
もうすこし前だったら何人か挙げられたと思う。
鈍感なのだろうか。
というよりむしろ、畏れる人が多すぎて
感覚が擦り切れているような気がする。

どっちにしろ畏友はいない。

いや、今この瞬間に思い浮かんだけど、
その人を友と呼んでいいのかどうかわからない。

謙虚さのない奴はだめなのだと言われ、
それはその通りだと思う。

鈍感なのではなく
オレにもプライドやら見栄やら虚栄心やらみたいなものがあって
そういうのがオレの目にブラインドをしているのかもしれない。

あ、なんかそんな気がしてきた。

おちはありません

2005-04-21 (Thu)

忙しいとだめですね。
目の前のことを考えることに追われて、
それ以外のことは何も考えないし、感じない。

よって日記に書くことも特にない。

...というわけにもいかず、
とりあえず何か書こうと「でるお」の前で考えているわけです。



オレの実験テーマは
  「quorum sensingに着目した
     複合微生物系Cell-Cell communication機構の解明」
ですが、うまくいくかいかないか定かではありません。
うまくいかせるにはどうしよう。
うまくいかなかったらどうしよう。
不確実性てんこ盛りです。

卒業後の進路も大いに不確実であります。
この研究室に残ろうか。
それとも追い出されてしまうのか。
どこの大学院も受からなかったらどうするのか。
自分の意志もあいまいだし、可能性も未知数が多いです。

小さい子供は未知な物を求めます。
結果が不確実なものを選ぶのです。
でもそれには失敗してもフォローしてくれる“安全基地”が必要です。
安全基地がない子供は冒険ができません。
以上、茂木さんのウケウリ。

環境が不確実性に富んでいるのは今にはじまったことではない。
いつでもどこでも不確実性は潜んでいる。
そして、その不確実性に対処するためにできたのが感情である。

うん。
だからさ、だから。
いや、なんだろう。
えーと、だからなんだってわけじゃなくて、
ただそれだけです。

エヘ☆



Let me down

2005-04-20 (Wed)

また日記を休んでしまった。
まったくこの根性なしが!という感じですね。

今日は車で学校に行ったので、帰りも車である。
雨の夜道は危険だ。
光が路面で反射して、地面が見えない。
雨滴のせいでサイドミラーは役に立たない。

おまけに本日のオレの精神状態はなかなかに最悪で、
事故を起こさずにすんだのは奇跡かもしれない。
アクセルもプレーキも当社比3000倍の乱暴な踏み方だった。
なかばヤケクソ気味に運転していると、
まわりの車が憎らしくなってくる。
どんなことにも悪意を感じとれる気がした。
そしてオレは悪意の塊になった。

ブランキーのダイナマイトプッシーキャットの一節が思い浮かんだ。

 バンドのマネージャーは
 ちょびひげでとっても明るいデブ
 朝から晩まで
 ドラッグで目を回しっぱなし
 明日はオレのベッドで吐くだろう
 知っているさ
 みんなただのさみしがりや
 とっても退廃した感じのする今日この頃
 分厚いメロンの皮をはりつけた
 あんたのハート
 言いたいことなんて
 これっぽっちもありゃしない
 知っているさ
 みんなただのさみしがりや

どこからどこまでが自分のことなのだろうか
考えたくない

ad hoc

2005-04-18 (Mon)

2限と3限が授業だった。
実験しよーと思ってたけど、時間的な制約でつまづく。
今日はなんだか気分がロウで、何をやってもつまらなくて
珍しくさっさと帰ってきてしまった。
結局実験していない。
とりあえず、授業があると実験に集中できないのは確かだ。
授業メンドクセー。

ネガティブ思考状態が続いている。
自分は先のことを考えすぎているかなーと思う。
もっとアドホックでい−んじゃないのか?
でも環境がそうさせてくれないというかなんというか。
今でも十分行き当たりばったりで、
これくらいは先のことを考えてないと困ったことになるという
最低限のことしか考えていないつもりなのだが。
それとももっと根本的な部分でオレはわかってないのだろうか。

ああもう!

余り気味だった自信が今度はどんどん減りだしている。
誰か穴を塞いでください。

切迫

2005-04-17 (Sun)

日記をうっかり書き逃してしまった。
毎日更新ならず。
すみません。

きのうは朝から晩までゼミとディスカッションで、
しかも前日は徹夜だったので
帰ってきたらそのまま雪崩のように寝てしまったのだった。

今日は研究のことは忘れてのびのびとすごした。
明日からまた気合いを入れて実験である。
なにか面白いことがわかりますよーに。

すごく焦る。
怖くて怖くて堪まらない。
何もかも投げ出してしまいたい。
でも、一瞬でも目をそらしたら
あっというまに濁流に呑まれていまう。

なんとなくそんな気分がしていて、
落ち着かない。

一本の針の上に立っていて、
下手に動けば針から落ちるか、
さもなくば串刺しになってしまう。

いまはそんな危うい状態である。
ちょっとでも気を抜いたら、発狂してしまいそうだ。

きっと神様が
一分一秒でも時間を無駄にさせないように
見張っている。
あるいは死神が、てぐすねひいて待ち構えている?

自省

2005-04-15 (Fri)

ものすごい大きな振幅で感情が振れた。
へらへらしていたと思ったら、いきなり激昂して
  「触るんじゃねぇ!」
叫んでしまった。

相当、酒に酔っていたせいもあるけど、
もっと大きいのは不意に自分がアンビバレントな状態に陥ったからだ。
自分は駄目だと思う気持ちと、
オレはこんなもんじゃないのにという気持ち。
100Hzくらいで入れ替わる。
悲観ばかりしても仕方がないし、
強がってみても身の丈は変わらない。
バランスが大事だろう。
オレは、小者だ。

すこし調子に乗り過ぎた。
あるいは傲慢だった。
もっと謙虚に。
悲観に溺れることなく、楽観に甘んじることなく。

そんで、遠くばかり見すぎていたようだ。
筋トレしない格闘家というメタファーを思い出す。
ごたくはいくらでもならべられても、
そのこぶしは大したダメージを与えられない。

楽しい場所

2005-04-14 (Thu)

「どこか楽しいトコロに行きたいなぁ」と言った人がいた。
楽しい場所なんてあるだろうか、とまっさきに思ってしまった。
我ながらひねくれものだ。
ナイーブに、遊園地!とかディズニラーンド!とか思えばいいのに。
それかゲーセンとか雀荘とかボーリングとか?

その場所に行くだけで楽しい気分になれる。
そんな場所があったら素敵かもしれない。
でも、心当たりがないなぁ。
いや、ひとつあるか。
きれいな海があったら、あとは無条件で楽しくなるかもしれない。

そんなことを考えていたら、小林秀雄の言葉が思い浮かんだ。

 “花の美しさというものはない、美しい花があるだけだ”

それで思い付いたのが、

 “楽しい場所というものはない、楽しいと思う心があるだけだ”

思い付いた直後は「これは真理だ!」と思ったが、
でも、よく考えたらやっぱりどうなんだという気がしてきた。

肝心なのは、楽しい場所に行くことじゃなくて、
どんな場所でも楽しいと思えるようになることじゃないでしょーか。


液クロ職人の戯言

2005-04-13 (Wed)

お、お、お、終わった・・・・。
昼過ぎからクロマトグラフィーを打ち続けてもう午前2時。
日付が変わってしまいました。

とりあえず、この三日間で一つの実験が終わった。
わかったのは「この実験じゃだめじゃん」てことで、
ほとんど徒労に終わった感じが否めないでもない。
けど、まぁ次への足がかりができたということで
ヨシとしておくことにしよう。

今回はかなり要領が悪かったし、無駄も多かった。
それがオレのやり方だから仕方ない。
とりあえず気が済むまで自分が思ったようにやってみないと、
自分なりのペースがつかめない。
まだ何もかも自分ひとりでやるのは不安だが、
確実に自分がやってることを把握しつつある。
実験、と言われてもピンとこなかったけど、
以前よりも全然具体的にイメージすることができるようになってきた。

とはいえ、こんな頻繁に研究室に泊まるようじゃ困るから、
次からはもっと考えてやろう。
授業もはじまってるし、大学院入試の勉強もしなければならないし、
100%研究に没頭するわけにもいかない。
ああ、時間がないよう。

どうしても入試の勉強には時間を割かなきゃいけないので、
入試の勉強を始めるまでは
とりあえず研究をだいたいのあたりをつけるだけに留めておいて、
入試が終わったら、そのときは100%研究に没頭しよう。


さて、寝袋の支度でもするか。

つまらない日記でごめんなさい

2005-04-12 (Tue)

実験ばっかりやってて、やっと一段落したと思って机にかえってきた。
イスに座った途端、あることを思い出して時間割をみる。

しょーーーーっく

授業に行くの忘れてた・・・。
あーあーうわわー、今日授業あったんじゃん。
何時間前だよ?!その授業終わったの。

そもそも授業がどうのより、帰らなきゃ・・・。
終電なくなる。
もう一泊しちゃおうかなぁ・・・。
なんでこんな時間になってんだ!
今日はなんだか、激しく忙しいことで有名な
某有機系研究室なみにあれこれしてた気がする。(今日だけは)

つってもなんか、やってることは結構幼稚。

  サンプリング(ちょっとだけとる)
  ↓
  希釈(薄める)
  ↓
  クロマトグラフィー(便利な機械)にかける

これをひたすらくりかえす。
サンプリングも希釈もクロマトグラフィーも
その行為を一言で表現されるとちゃぶ台ひっくり返したくなるけど、
これ以上こまごま説明してもしょーがない。

バンバンバンっ

2005-04-11 (Mon)

今日の雨で桜はきっと台無しでしょうね。
なんか日記の話題が桜の話ばっかですが。
ほかに書くことないのかよって感じですね。

いやーオレだってねぇ、
恋の花のひとつやふたつ、咲かせてみたいっすよ!(バンッ←机を叩く音)
人生の“春”を謳歌したいよ!(バンバンッ)
暖かい日差しのもと、誰かと手を繋いでスキップでもしたいってば!
(バンバンバンッ)

****

えええーっと、・・・・。
酒飲んでしまったからまともに日記かけません!
でもこれから実験しなくちゃいけませんん!
今日は研究室に泊まりです!

お疲れ様!

チルサクラ

2005-04-10 (Sun)

日曜日。休日。
だけどエサ当番なので研究室にくる。

キャンパスの中庭には桜の木が一本だけ咲いている。
休日だから研究室にもキャンパスにも全然人がいない。
お昼ごはんはその桜の木の下でひとりで食べた。
桜を独り占めしての、ささやかな花見。

風が強くて、威勢よく桜が散る。
なんて贅沢な光景だろう。
コンビ二弁当の上に花弁が落ちた。
オレは「ヤァ、これは風流だなぁ」などとやる。
さびしかった。

コンビニ弁当を食べてることでも、
つまらない独り言を吐いていることでもなくて、
誰ともこの経験を共有できないことが
とてもさびしかった。

なんて嘘で、都合良く花弁は弁当の上に落ちてはくれなかった。

自然の体系

2005-04-09 (Sat)

土曜日。
ゼミがないので誰もいない研究室で
ビール片手に日記更新。

今日は東大の総合研究博物館に行ってきた。

「メディアとしての建築──ピラネージからEXPO'70まで」展
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/real/#exhibition

ピラネージの絵が見られるということで行ったのだが、
ピラネージの絵は少なかった。
この展示会のコンセプトがいまいち理解できなかったのと、
規模が小さかったのとであまり面白くなかったが、
同じ場所でやっていたもうひとつの展示は面白かった。

「『Systema naturae』〜標本は語る〜」展
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/real/#exhibition(上と同じアドレス)

簡単に言えば、生物の進化に沿った標本の展示会だ。
生物の進化といっても現代の科学の知見に沿ったものではなくて、
18世紀の博物学者・リンネの著した『自然の体系』をもとにしている。
面白いと思ったのが
「鉱物」を「植物」と「動物」と同時に扱っていることだ。
現代では植物と動物のことを書いた書物はあっても、
鉱物と植物・動物を書いた書物は皆無だろう。

そんなわけで、この展示会はまず鉱物の標本がずらりと並んで、
次に植物、その次に動物となる。
現在得られているサイエンスの知見からすれば
「自然の体系」と冠するにはかなりお粗末で幼稚な展示内容だ。
でも、なかなかおもしろかったなぁ。

もしかしたら、「石」をまじまじと見るという体験は
今日、生まれて初めてしたかもしれない。
少し前に「タングステンおじさん」という
化学に関する本を読んだのだけど、
そこには鉱物のことがいろいろ出てくる。
その本を読んだおかげでいままでとは違った視点で
石を眺めることができた。

人間は原始の海でできた最初の生命から進化をしてできあがったんだ!
というダーウィンの進化論はもはや誰でも知ってる常識だけど、
その進化の過程というものを
実物を見ながら体感する機会はあまりない。
今回の展示会でほんのわずかだけどその片鱗を覗けた気がする。

この間、ひょんなことから上野動物公園に行ったんだけど、
進化論を意識しながらみると楽しめるということを発見した。
生物の連続性と多様性に目がくらんだ。
進化論をコンセプトとした動物園があったらいいのにな。

Systema naturae展は展示の仕方が凝っていた。
展示をデザインした人は相当センスがいいと思った。
シンプルで直感的で機能的でダイナミックだった。
例え、人に胸を張って見せることができる作品をつくれなくとも、
そういう、作品を展示するためのレイアウトや見せ方を
考えることはできるようなきがする。
うーん、おもしろそうだなぁ。

小さな博物館だけどマイナーなので人が全然いなくて
落ち着いて見ることができた。
でも、遅い時間に行ったので十分に堪能することができなかった。
また行きたいなぁ。

桜を惜しんで

2005-04-08 (Fri)

誰か見ているでしょうか。
とりあえず一週間連続更新は昨日で達成されました。
やっぱり、ちょっとしんどいです。

****

戸山公園の桜がいくらか散り始めている。
昨日見た桜が満開だったのだろう。
あとはもう、1枚1枚花びらが落ちていくのを
指をくわえてながめるより他にない。
たかが1枚散るだけでも取り乱しそうになる。
一気に散りだしたらそれこそ動揺して気がふれてしまうかもしれない。

なんて、少しうそ臭いかしら。
いつからこんなに風流ぶるようになったのだろう。
桜が咲いたり散ったりするのを
こんなにハラハラしながら気に留めるようになったのは
いつからだろう。
昔は、桜が咲いたねキレイだね散ったね、で終わりだったと思う。

学校の古典の時間にならう和歌には
桜が咲いたり散ったりするのを詠うのが多いのは知っていたし、
和歌に限らず随筆や物語にもそういうテーマは頻繁に登場する。
桜はとくによく出てくるけれど、
古典の世界には
他にも現代では心に留めて置くのが難しいようなことを
ことごとく取り上げては愉しんだり悲しんだりしていた。

大昔のヒトタチはよっぽど暇だったのか、
あるいはやはりやんごとなき人々の思うことは
オレみたいな貧乏人には理解できないのか知らん、と
いまいちピンと来ないと思っていた。
一方でそんなことに心を囚われてしまってもいいんだ、ということが
この上なく新鮮だったようにも思う。

もはや、テレビドラマやハリウッド映画で心は動じない。
オナニーみたいなエンタテイメントが
まったく無意味だとは言わないけれど、
心のすべてをそれで満たすのは、きっと淋しいことだろう。

昔より、世界がよく見えるようになったと思う。
なんというか、解像度があがった。
だけど、さらに遠くまで見えるようにもなった。
世界が思っていたよりももっと広いものだったとわかった。
だから結局、全世界に対する自分の手の届く範囲の割合はあまり変わっていない。
それはでも、わくわくする。

いてもたっても

2005-04-07 (Thu)

戸山公園の桜がいまにもこぼれそうだった。
ハラハラ。

春は人が狂う季節。
それがよくわかる。
春のぼんやりとした空気のなかにいると
「ワァッ、ワァッ、ワァッ」と叫びだして
あたりかまわずのたうちまわりたくなる。
得体の知れない、けれど強烈な衝動がこみあげる。
結局理性が打ち消すけど。

4月に入って、にわかに実験をするようになった。
当初は、
 とにもかくにも広島大学に行かないことには
 実験ができない
と思われていたが
実際にやりだしてみると、
 行かなくてもできたじゃん!
という部分が多かった。
見通しが甘かった。
反省。

答えをだすために、
踏まなくてはならないステップはかなりある。
頭のなかでは
 「あれやってこれやってそ−なって
  そ−じゃなかったらど−して、
  そんでどうこうなって
  最終的にこういう結論を得ることができるだろう」
と、スパパパーンとコトは進むのに
実際にそうするためには何週間、何ヵ月という時間がかかる。
もどかしい。

このもどかしさは、
さっきの「ワァッ、ワァッ、ワァッ」と叫びたくなる気持ちと似ている。

急げ急げ
おもしろいこと
はじまっている

進め進め進め

2005-04-06 (Wed)

なかなか面白い場所に来たと思っている。
はじめはこれっぽっちも期待していなかったのに。
我ながら、失礼な話だな。
でもそれは、一つの虚勢で、自分を支えるためのポーズでもあった。

あーあ、どうすんの。
面白くなってきちゃったじゃん。
出ていくんじゃなかったの?
どーしましょー。

今日は暖かいというかぬるいというか暑い。
桜がきれいに咲いているのがいくつもあった。
青い空の下に冴えていた。
あんなふうに晴々と咲けたらいいとおもう。
そんで泣き叫ぶように散るのだ。

帰り道、戸山公園を歩くと
あちこちで花見の宴が繰り広げられていた。
うらやましく思う気持ちを、
必死にかなぐり捨てなければならなかった。

どてらの癒し

2005-04-05 (Tue)

きのうの風邪が悪化して、休んでしまった。
うー、寒気がひどい。

どてらを着ている。
これを着ていると、ひどく落ち着く。
どてらを着てぼーっとしていると、
世界から断絶したような気がしてくる。
世の中の雑事から一切、解放された気がしてほっとする。

やることは次から次へ湧いて出て、
動き続けることをアフォードする。
そのうち、動き続けなければ生命を維持できないような気がしてくる。
実際はそうでもない。
ちょっと止まったぐらいで死にはしない。
ただ、今日進めたはずの分が確実に進めなくなるだけである。

昨日の実験データを解析したり、
新しい実験系を組むためにどうしたらいいか考えたり、
研究室のメーリングリストとホームページを更新したり、
会社のホームページを更新したり、
その他イロイロ、やらなきゃならないことは溜まっている。
今日できたはずのことを今日はできなかった。

今日は天気がよくて暖かかったから、桜は咲いただろうか。
桜を眺めたかった。
桜の下を、太陽の陽を浴びながら歩きたかった。
惜しいことをした。
春の一日を無駄にしてしまった。

花冷え

2005-04-04 (Mon)

ああ。
あふう。
づがでだ。

9時間ぶっ通しで実験をやった。
昼飯10分。

疲れた。
疲れのせいでわけのわからないことを口走っている。
隣に座ってる先輩があきれている。
わはは。

昨日とは、うって変わって今日は寒かった。
お陰で鼻水がずるずるでる。
風邪っぽい。

もーいいや。
かえろ。

掃除日和

2005-04-03 (Sun)

日曜日。
天気がいい。
おそうじ日和。

ふとんを干して、掃除機をかける。
どちらも最後にしたのはいつだろう。
普段足を踏み入れないスペースはほこりをかぶって久しいようだった。
それから冬の名残りのこたつを片す。
今までこたつが占拠していたスペースが空いて、
広くなった。
iPodをスピーカにつなぎ音楽を流しながら
何ヶ月分の放置プレイかわからない部屋を片す。

そして、体を動かしているうちに興がのってきて、
大幅な模様替えを敢行してしまった。
ベッドの位置と机の位置を変えてしまった。
ベッドや机がもとあった場所にはやはり厚くほこりが積もっているので
そこの掃除もしなければならない。
せっせとはたらいた。

いつの間にか鼻歌が歌になっていた。
どんどん気分がハイになっていくのがわかる。
だんだん歌うことに気をとられるようになって、
あるとき掃除をやめてしまった。
ミイラとりがミイラになった感じ。
ひさしぶりに込み上げてきた衝動が押さえきれなくて、
遂に、ギターを弾き出してしまった。
掃除はもうそっちのけ。

阿呆の子みたく、ギターをかきむしりながら歌う。
記憶が薄れているせいでレパートリーが極めて少なく、
同じ曲の一部のフレーズだけを繰り返してばっかり。
傍から見たらなんで飽きないんだろうと疑問に思われそうなものだが、
本人はノリノリ。

ギターを弾く。
何か叫ぶ。
頭をふる。
はねる。
まわる。
ぶつける。
痛がる。
でも歌う。
我ながら阿呆すぎる。
でも、楽しい。

結局、歌い疲れて掃除をやる気力も体力もなくなり、
まるでお茶を濁すようにして掃除は終わりにしてしまった。


****


夕方、親父がお葬式に出席するというので、
車で送っていった。
板橋の葬儀場まで車を走らせた。
車を駐車場に入れ、親父が戻って来るまで
あたりをぶらつくことにした。

駅前をひとまわりしてから、手頃な公園を見つけたので
そこのベンチに腰掛けた。
浮浪者が5人ぐらいいる。
酒盛りしていて楽しそうだ。
向こうのベンチには高校生のカップルがいる。
やっぱり楽しそうだ。

上を見上げると、桜が花を咲かせていた。
あたりは薄暗い。
すこし、肌寒い。
なんだか空気がぼんやりしている。
春特有のぼんやり感が漂っている。
湿度のせいなのか、薄暗さのせいなのかよくわからない。
そのぼんやり感はなんとなく幸せが充満していたら
きっとこんな感じなんじゃないかと思わせる風だった。

何も考えずに桜を見上げていた。
何も考えていなかった。
気付いたら、桜を見ていなかった。
では何を見ていたのか。
それもよくわからない。
目は開いていたはずだ。
それでも何も見ていなかった気がする。

そういえば、去年は三四郎池で花見みたいなことをした。
あのときは太陽がよく照っていて、汗ばむくらい暑かった。
今年は、去年ほどあたたかくはないけど、
でも、じき暑くなるはずだ。
春がきて、そんで、夏が来るのか。
今までのことと、これからのことを同時に想った。
頭の中で、強烈な化学反応が起きた。

ふいに女の子の声が聞こえた。
補助輪付きの小さな自転車に乗った女の子が視界に入った。
補助輪付きの自転車なんて見るのはいつぶりだろう。
視界を遮っていた木の裏から父親らしき人がでてきた。
女の子はその父親に早く来てと急かしている。

父親は汚れた作業服を着ていた。
何か、肉体労働的な仕事をしていたのだろう。
父親の表情がとても印象的だった。
「今日も一仕事した」という感慨に満ちていた。
仕事の疲れと、仕事をし終えたことの充実感と、
その仕事を自分の誇りにしていることが、
絶妙にからみあってそういう表情をつくっているのだと思う。
とても、いい顔だった。


昨日、コンビニに入ろうとしたらオレの名前を呼ぶ人がいた。

 「オレだよオレ、わかる?」

わからなかった。
なんとなく小学校か中学校で一緒だったような気はする。
だけど、彼にまつわる記憶はちっとも思い出せなかった。

 「ごめん、わからない・・・」

そんな失礼なことを言っても、彼はちっとも嫌そうな顔をしなかった。
彼はヨシオカというらしい。
そういえば知っているような気がしないでもない。
でも、やはり彼にまつわる記憶を、呼び覚ますことはできなかった。
聞くと、幼稚園の頃一緒だったらしい。
小学校や中学校は一緒じゃないのだろうか。
そこまでは聞けずに、大した話もせずに別れてしまった。

ほんのつかの間だけど、そのヨシオカ君と話をして衝撃をうけた。
彼も、とても”いい顔”をしていたからだ。
同い年なのに、なぜあんなに優しそうに笑えるのだろう。
同い年なのに、なんて力強くみえるのだろう。
彼が現在どこでなにをやっている人なのか全然わからないが、
自分よりも1段も2段も格上の男にみえた。

そんな短時間でわかるものでもないだろうに、
コンビニからこぼれる蛍光灯の光の中で、
なんだかそう直感してしまった。

同い年なのにこんなにも開きがあるなんて。
衝撃だった。

なにやってんだか

2005-04-02 (Sat)

うっかり書き忘れるところだった。
一応きのうの宣言はほんとのつもりです。
4月は毎日更新。

土曜日はゼミの日。
普段は10時からはじまるのに
今日は9時半からだというメーリングリストが
きのうまわってきたので、
がんばって9時半にくる。
が、それはエイプリルフールの嘘だった。
ヤ・ラ・レ・タ−…

その時間変更のメールを見なおしてみる。
宛先がメーリングリストのアドレスではなく
オレ個人のメールアドレスになっている…。
こざかしいことに、メールのタイトルは
きちんとメーリングリストのフォーマットを踏襲している。
あきらかにオレ一人を標的にしている。
完敗だぁあぁぁぅぅぅ…。

いつもいつも、遅刻しかしないオレに対する罰みたいなもんだろう。
でも最近は1時間以上遅刻してないよ!
ぎゃぼ−!
て、だめですね。

ゼミは午前で終わり。
午後は研究以外のことをうだうだやっていたらいつのまにか9時になっていた。
なにやってんだ。
研究室に配属されて早二ヵ月。
いまだに何の実験もしていない。
本当に、なにをやっているんだ。

口の聞き方と態度のでかさは
修士も博士も飛び越えて
すでに助手並(当社比)なのに
ろくすっぽ研究は進んでいない。
なにをやってんだか。

もっと謙虚になりましょう。
オレは何物でも何様でもない。
そしてもっと時間の使い方を考えなくては。
遅刻がど−とかなんて幼稚すぎるよ。
オレはまだ自分で自分の人生をドライブできていないのか。

世界を引き受ける

2005-04-01 (Fri)

世界が誰のものでも構わない
どこかにいるその支配者の手は
確実に
オレのところに届いていない

世界がどんなに変わっていっても
そんなことは気にしない
どんな風でも楽しめるのさ

世界があまりに肥大して
自分があまりに矮小でも
その非力さを呪いはしまい
自分はまだ旅の途中

世界がどんなに苦痛に満ちても
目をそらすことはすまい
鈍感さを身につけたら
世界を引き受けることはできない

羞恥プレイ中

2005-04-01 (Fri)

研究室で日記かいてます。
恥ずかしいです。

今月は毎日更新します。
たぶんひどくクオリティが落ちると思います。

***

えーっと、今日は、なんだ、何かあったか。

えーと、えーと。

桜、は、咲いてないですね。
ちらりちらりと咲いてるやつも見ますけども。

えと、で、何でしょう。

あ、きのう、きのうですね、海に行ってきました。
江ノ島あたりに。
研究室の友達と5人で。
この時期に海ってなんなんですかね。
もちろんいいだしっぺはオレじゃないですヨ?!

砂浜を駆け回ってきました。
泳いだりはしませんでした。
水着は持っていったんですけどね。
30秒、全力で動いただけで息が苦しくて卒倒しそうになりました。

そゆわけで、今日は筋肉痛です。
この筋肉痛が“生きてる”って感じです。
幸福も快楽もそのアンチがあるからきっと深みが増すんです。
なんちゃって、陳腐ですね。

ごめんなさい。
今日はこの辺で。
明日はきっとこんなひよってない文章を書きます。

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