迎春

2005-01-02 (Sun)

あけましておめでとございます

一日中家にいて、パソコンがすぐ近くにあるはずなのに、
日記を書こうという気が起きないのはなぜだろう。
家に帰ってくるのがほとんど寝るためだけになって、
全然家でゆっくりしている時間が少ない時ほど、
これを書きたくなる。
なんだか逆説的だ。

なんというか、オレにしては珍しいのだけど、
2004年12月31日と2005年1月1日の間には
厳然とした区切りがある。
何かが終わって、何かが始まる。そんな予感がある。
だから、何かしら明示的な形でそれを表現したいと思って、
日記をやめにしてしまおうと思ったり思わなかったりした。
で、結局、どっちにしようか決めかねるまま
こうしてだらだら書き始めてしまったので、
たぶん今年もツヅク・・・。
途中で気が変わる可能性もなきにしもあらずだけど、
よろしければ、お付き合いください。

早いものでこの日記も5年目を迎えます。
正確には今年の1月30日から。
昔の日記を見返すと、恥ずかしくてまともに読めない。
にも関わらず、それを公開いるオレは
一体どういう神経してるんでしょう。
理解不能ですね。
本人にわからないんだから、他のヒトがわかるはずがない。

でもまぁ、昔はそういう葛藤に悩まされもしましたが、
最近はあまり気にならなくなった。
神経がすり減って、麻痺してしまったんだろうか?
そうかもしれない。
そう思うなら思えばいいと思う。
オレは自意識過剰の勘違い野郎でケッコウ。

ひとつ思うのは、別に理由なんてなくていいじゃんということ。
オレはずっと機能主義的な見方に囚われていた。
存在するものには機能がある。
機能がないものは無駄である。
無駄なものは存在するな。
それはシンプルに世界を説明してくれると思っていた。
確かに、無駄なものがない世界は美しい。
無矛盾で整合性のある世界は美しい。
でもだんだん窮屈になった。
それになんだか気持ちが悪い気がしてきた。
んで、もっと自分に忠実になることにした。

したいからする。

それでいいじゃん。
理由なんかなくてもいいじゃん。
あればあったでいいし、なければ無理に探さなくてもいい。
そんな心境に至って、現在こうしてのうのうと駄文を垂れている。
なんの気兼ねなく。
だから、わりと他人から見たら醜いような
心情の吐露とかも書いてみたりしている。
「そういう私秘的なコトは書くべきではない」
「他のヒトがみても面白くない」
というのはわかるんだけど、
書きたいと思っちゃったから仕方ないんだよね、
としか言えない。

この日記で、オレは自分の内面を
思いっきり晒しているように見えるかもしれないけど、
実はあまり晒せてない。
自分の心の中のことで、言葉に出来て、
他人にもわかる形で表現できることはほんのわずかだと思う。
最近はむしろ、ありったけを晒せないかと思っている。
すっぱだかになって、腹をかっさばいて、頭蓋骨にも穴をあける。
それぐらいを表現できたらと思っている。

改革断行中

2005-01-04 (Tue)

冬休みに入ってから、
衣食住のうちの「住」の改革をいろいろやっている。
主に寒さ対策。
オレの部屋はとっても寒い。
がばがば厚着をしても手と足だけはどうしようもなくて
すごく冷たい。
暖房器具がエアコンと電気ヒーターしかなくて、
両方同時につけるとブレーカーが落ちる。
ので、常にどちらか片方だけつけている。
寒いのにはイロイロと理由がある。
ふたつある4畳半の部屋を間の襖を取っ払って使っているので、
部屋が9畳と広く、暖房器具の性能が追いついてない。
(エアコンは6畳用、ヒーターは足元用)
窓が多いので熱が逃げやすい。
押入れの襖もはずしてしまって、そこにいろいろ物を置いて
使っているのでそこから冷気が入ってくる。
家がボロなので、密閉性が低い。

と、まぁこんな感じで、ほんとに寒いんですよ。
特に冷えるときは、寝るとき布団から出てる部分、
頭とか肩とかが寒くて、
別の小さめの毛布を一枚持ってきて頭からかぶって寝たりとか。
部屋着はズボンは2枚履き、上は4枚重ねとかで
うっかり洗濯すると着るものがなくて困ったりとかで。

で、このままでは凍死しかねない(ウソ)、
殺られる前に殺れ、ということで
とりあえず二つある押入れのうち一つは襖を取り付けた。
これで少しはましになったような気がする。
しかも襖を取り付けることでいろいろ副次的にいいことがあって、
まず部屋が明るくなった。
襖が白いので反射光が増えた分明るい。
それから、襖を取り付けるためにいろいろと押入れの中の物を
整理しなければならなかったので、
そのおかげで部屋がずいぶん片付いた。

んで、襖を取り付けても家が歪んでて
ピシッとしまらないものだからやはりすきま風で寒い。
気がした。
ので、ガムテープで普段開けないほうは目張りしてしまった。
感覚的にはこの目張りはなかなか効果的な気がする。
それにしても、ガムテープで目張りですよ(笑)
うちのボロさ加減がわかりますね。

たまたまスーパーでとてもレトロで安価な暖房器具を
発見したので思わず買ってしまった。
それは、昔懐かしの「湯たんぽ」。
昔懐かしというかオレ湯たんぽ使ったことないし、
見たこともなかったんですが、これは使えそうだと思いまして。
湯わかし器から直接熱湯を入れて布団の中つっこんどくだけ。
手軽で良い。
何しろ使った事がないのでどんだけ効果があるのか半信半疑だったが、
これがかなりあったかい。
素晴らしき人類の智慧である。

それから冬になって肌がすごく荒れるようになったので
これは湿度が低いせいだろうと思って、
物置に眠ってた加湿器をおいてみた。
が、水を蒸発させて水蒸気を発生させるやつじゃなくて
ひたすら霧状の水を噴出すタイプの加湿器なので
部屋がとても寒くなった。
そもそも、温度が低いと
水が水蒸気として空気中に存在できる量が小さいため
オレの部屋のように寒いところだと
霧状の水は床を濡らすだけである。
そこで、今度はカセットコンロを持ち出してきて、
そこに鍋を置いて水を張って火にかけてみた。
カセットコンロの火がわずかでもオレの部屋の温度上昇に
貢献してくれればと思ったが、
その熱量があまりに微々たるものすぎて意味がなかった。
それでも加湿効果は前述した加湿器よりはある気がした。
ただ、だんだん馬鹿らしくなって、
というかどんどこ水を沸かせられるほどガスがもたないので、
今は、コーヒー入れてみたりお茶入れてみたりして使ってる。
でも、それだけのことで生活が豊かになった気がする。
お湯を沸かして茶を入れる、ただそれだけのことが
いい気分転換になったりする。

こうして、あまり寒さ対策としては意味のない改革を
やっていったわけだが、次にやった改革は大革命だった。
これがあれば真冬の寒さもなんのその!って感じの
暖房器具の登場です。

物置に眠っていた電気コタツをひっぱりだしてきたのだ!
こたつ!
コタツ!
KOTATSU!
こーたーつー!(聞こえるかい?60億の民の声が)
大革命だ。
1789年なんて目じゃない。
ゴルバチョフもびっくり。
コタツは日本が誇る世界的に追随をゆるさない暖房器具である!

というのはかなり言い過ぎですが、
ともかくコタツはあったかいです。
コタツLOVEです。

コタツを出したよと母に言ったら、
母はドテラをだしてきてくれました。
コタツ+ドテラでむかうとこ敵ナシ。
あれです。今風の言葉で言えば最強のコラボです。
(いえ、ただ「コラボ」って言ってみたかっただけです)
あと足らないのはみかんぐらいでしょうか。
コタツにドテラでみかん。
日本の古きよき伝統ですな。
大丈夫。
失われつつあるその伝統は僕が受け継いで見せます。

あと、これは寒さ対策ではないけど、
電灯を付け替えて部屋が明るくなった。
ベッドがある部屋の電灯は明るくて、
机がある部屋の電灯は暗いと言うちぐはぐな状態だったので
今日、えいやっと入れ替えてみた。
そしたら思いのほか机の置いてある部屋が
明るくなったのでびっくり。
今思うと、暗い方の電灯の時は
相当目に悪かったんじゃないかと思う。

まぁそんな風にこの冬休みに
オレの生活環境が改善されつつあるんですよ。
こうやって、ひとつひとつ「ここをこうしたらいいのに」
ということをやっていって、それが功を奏しいたりすると、
とてもうれしい。
自分で生活を作っていくという感覚が生まれて、楽しい。

あとそうだ、衣食住の住だけじゃなくて、
「衣」の方も改善された。
あぶく銭が手に入ったのでズボン2本と、コートを一着買った。
ああよかった。
これでまた一つ生活の質が向上する。
恥ずかしいのであまり大きな声じゃいえないが、
今履いてる2本のズボンはとっくに穴があいていた。
穴は目立たないところにあるので騙し騙し履いていたが、
やはり、ね。穴があいたら変えたいよね。(贅沢?)
コートもくたびれ感がいかんともしがたく、
いわゆる「しおぬけた」状態。

今日買ったコートはなんだか中国チックです。
まさしく文化大革命って感じです。

メモ

2005-01-05 (Wed)

http://www.eurospace.co.jp/detail.cgi?idreq=dtl1099561171

http://www.cqn.co.jp/NOW_ON/NOW_ON.html

あお、あか、おれんじ

2005-01-07 (Fri)

年が変わったので、日記のデザインもいくらか変えてみました。
オレにしては珍しく色がはねている。あお、あか、おれんじ。
でも基調はやっぱり灰色。
古いマッキントッシュだと、いくらか崩れて表示されるかもしれない。
近頃はすみこさん(初代iMac)を起動するのが億劫になってしまって、
確認してないからわからない。

気付けばもう7日。元旦から一週間。
うかうかしていると授業がはじまってしまう。
一日中家に籠もって本を読んだり、勉強したりしている。
読書も勉強も、何かの必要に駆られてやっているのでなくて、
ただそれ以外の事がやりたくないのでそれをやっている。
だって寒いし。他に用ないし。

間違いなく足腰は退化しているだろう。
運動どころかほとんど歩かないし立ち上がらない。
こたつか布団かイスの上。

しかも昼夜が逆転してしまった。
夕方5時に起きて、朝8時に寝るという感じだ。
それでも日常生活で困らないから困り物だ。
あまり家族とも顔をあわせないので、
まったく独り山篭りでもしているかのごとくである。

でも、そういう生活も悪くはない。
ひと月ぐらいだったら耐えられるような気がする。
どうもオレは、他人がいるとその人の視線が気になって
振る舞いがおかしくなるようだ。
他人の視線によって行動が制限されギクシャクしてしまう。

世界から隔絶して生きる。
果たしてそれは可能だろうか。原理的に可能だろうか。
世界から隔絶することと、生きる事は両立するのだろうか?
世界から隔絶しつつ、世界の誰かを想う。
そんな風にオレは今生きているのだと思う。
その生き方にはどんな意味があるんだろうか。
雄雄しいような気がするが、女々しいきもする。
寂しいのだろうか、でもそれを薙ぎ払うたくましさも感じられる


それはさておき、京都に行きたいです。
おいしいもの食べたいです。
それは独りじゃやだな。


準備体操終わり

2005-01-10 (Mon)

さて、長かった冬休みも今日で終わりです。

ん?長かったか?(約2週間半)
春休みや夏休みから比べたら短いけど、
それでも、感覚としては「長い休み」だったなと思う。
あまり仕事をせずに、ひたすら気のおもむくままにすごしたからだろう。
ほとんどの時間を自分のために費やすことができた。

***

水道の蛇口をひねり、バケツに水が溜まるのを待つ時間。
そのような時間の流れに象徴されるもの。
そういうものを大事にした。
それは間違いなく、IT社会だグローバル時代だみたいな言説からは
こぼれ落ちるものだ。
マウスをカチカチッと操作すれば、すぐに情報は手にはいる。
カチカチッ、カチカチッであっちに飛びこっちに飛び。
瞬間的に動作が完了する。
一方、蛇口をひねってもバケツいっぱいの水は溜まらない。
そして、バケツに水が溜まるか溜まらないかでもない。
2分目まで溜まり、半分まで溜まり、8分目まで溜まり、
やがていっぱいになる。
ともすれば溢れる。

水が頃合の水位まで満ちるまでの時間に久々に接したオレは戸惑った。
ずっとそういう時間を忘れていた。
もっと小さい頃の自分はどんな風に思っていただろうか。
何も思わなかったか、ひたすらもどかしかったかだろう。
ともかく、そのとき戸惑った。
何を考えればいいのだろう?
この時間は何の為に与えられたのだろう?
なんだか眩暈がした。
すこし官能的だった。
「水が溜まるまでの時間」がたまらなくいとしく思えた。

パソコンは便利だし、グローバル化というのも進むべき道なのだろう。
というか、そういうものは背後にある大きな流れの一側面に過ぎなくて、
氷河が川岸の壁を削りながらも力強く進んでいくように、
止めようのない絶対的な流れがきっとあるのだろう。
だからこそ、ますますいとしいのだと思う。

***

この休みの間に住環境はかなり改善された。
部屋にコタツは入ったし、
カセットコンロでお茶を淹れられるようになったし、
本棚はずいぶん整理されたし、
新しい服が手にはいったし、
肌荒れが治ってきたし、
その他にもイロイロと改善された。
早く走るための準備がだいぶ整ったように思う。
今までは生活の基盤となる部分がぐらぐらで
ずいぶん長い間騙し騙しやってきた。

今日は年が明ける前からやろうやろうと思って
先延ばしにしてきたことをやった。
エアコンのフィルター掃除。
半年ぐらいやってなかったかも・・・。
それから、食器棚の大掃除。
独りで使うには食器が多すぎるので必要な数だけ残して、
紙に包んでダンボール箱にしまった。
棚にたまったホコリをきれいにふいた。
さらに、シンクを磨いたりもした。
使わないのでガスコンロは取っ払ってしまった。

ふう。

一息ついていると、また一つ思い出した事があった。
すみこさん(iMac)に入っている音楽データをiPodに移そう!
ポータブルタイプのハードディスクを取り出し、
USBケーブルでつないで、音楽データをすみこさんからコピー。
(すみこ→ポータブルハードディスク)
それを、でるお(winXP)につなげてさらにコピーする。
(ポータブルハードディスク→でるお)
そして、でるおとiPodをつなげてiPodにコピー。
(でるお→iPod)
これで100曲に満たなかった曲数が700曲近くになった。
わーいわーい。
これでこそiPodも面目躍如というものだろう。

今日でこの、自由気儘な日々も終わりである。
そんなに肩肘張らずに、明日を迎えてみようと思う。

ベルリンフィルと子供達

2005-01-12 (Wed)

ベルリンフィルと子供達
http://www.eurospace.co.jp/detail.cgi?idreq=dtl1099561171


http://www.din.or.jp/~nino/easy_talk/et.html

「チケットを購入するさい「ぎゃぼん」と言うと、
相手がのだめ語で返してくれるそうです。
(どんなのだめ語になるかはお楽しみに…とのこと)
そして、一般(1700円)、大学生(1400円)が
200円の割り引きになります。」

という話を聞いて、実際に行ってきた。
ぶっちゃけていうと、映画自体に興味をひかれて行ったんじゃなくて、
ただ「ぎゃぼん」と言いたいがために行ってきました。
とても照れて恥ずかしいのを我慢しながらも

「ぎゃ、ぎゃぼん」

といったら、本当にのだめ語で返してくれて、
きちんと割引もしてくれました。
オレも受付のオネーサンもぎこちなさ丸出しで、始終、照笑いしてました。

さっきも書いたように、映画自体に惹かれて見に行ったのではなかったが、
そんななめた態度で観たオレは完璧にヤラレテしまった。


もしもまだ観ていないなら、観に行った方がいい。

無意識のマリオネット

2005-01-16 (Sun)

うーん、参ったなぁ・・・。

久しぶりに重度の鬱になってしまった。
冬だから?

 あれとこれとそれもやらなきゃ。
 ああ、でも・・・。
 まぁいいか、めんどくさ。

そんな風に
いろんなことがさらりと滑っていってしまう。
手に力が入らず、ものを掴む事ができない。

唯一の救いは
鬱になってしまった自分を困ったなぁと眺めるメタな視点を
同時に保持していることである。
それのお陰で、まぁなんとか日常生活では大した摩擦は起きていない。

絶対的な安静を得られる場所が欲しい。

こういう状態にもっと耐性があるつもりでいたが、
久しぶりなのでそれも退化してしまったようだ。
あるいは、心のよりどころをなくしたせいかもしれない。

1ミクロンも何か思いたくないのに、“それ"を思わずにはいられない。
意識が邪魔だ。
全部無意識に押し付けてやりたい。
どーせほとんどの事は無意識がやってるんだから、
しばらく預かってくれたっていいのに。

フィロソフィカルゾンビーになりたい。
無意識のマリオネットに休憩を。

無題

2005-01-18 (Tue)

http://www.cqn.co.jp/toukounoki/

さまよいびと

2005-01-19 (Wed)

一日中、さまよっていた
ここではない
ここではない
ここも嫌だ

イスが、空間が、床が、光が、
わたしを排除しようとするアフォーダンス
どこにいっても圧力は
消し去る事が出来ない

わおーん

2005-01-22 (Sat)

わーん、もう、なんなんだよー
勘弁してくれよー
頼むからこれ以上ぐらつかないでくれよー
もっとこうどっしり構えて、何事にも動じずに、
芯の太い男になってくれ
そう簡単に足元を覚束なくさせてどうする
一体、何回ぐらついたら気が済むんだー
センチメンタルに浸ってるだけじゃ何にも改善しないじゃないかー
わおーん

ぜえぜえはあはあ

八紫生のじいさん

2005-01-22 (Sat)

仕事で行ったとある病院の目と鼻の先にある定食屋で昼飯をくった。
おそろしく古い店でお世辞にも綺麗とは言えない。
その古さはオレが生まれる前の昭和50年とか
それぐらいのかおりを漂わせている。
店を切り盛りしているのは総白髪のじいさん一人きりである。
以前何度か来たことがあるが今日はいつになく混んでいた。
じいさんは一人でハンバーグ焼いたり飯盛ったりキャベツ切ったり
大忙しである。
幾分待たされて注文の品を持ってきたとき
御老体にむち打って
息でもきらしているかしらと思ったら
全然そんなことはない。
じいさんは

 「おりゃもう70だよ。
  正月っから休みなしで働きっぱなしだよ。
  わっはっはっ」

と大威張りである。
店はきたね−し、料理の盛り付けはおおざっぱだが

 「ああ忙しい忙しい。
  いきなり混んできておりゃびっくりしちまったよ。
  ありがてえありがてえ。
  (普段はどうなんですかと聞くと)
  いつもはおめえ、閑古鳥がないてるよ」

と独り言なんだかこっちに話し掛けてんだか
わかんない風にしゃべりながら
ががががーっと仕事をこなすのを見ていると
そんなことは些細なことに思えてくる。
オレは一発でこのじいさんがすきになってしまった。
こんな矍鑠(かくしゃく)としたじいさんははじめてだ。

この店はボリュームが満点すぎることで
そこいら辺じゃ有名である。
特にカツカレーが有名で、
大盛りごはんにでっかいとんかつがのって
カレーがかかって普通盛である。
とんかつがぎっしり厚い。
たぶん肉だけで2cmある。
面積も手の平ぐらいある。
普通のお店だったら特盛りとでも呼ぶんじゃなかろうか。
今日オレが頼んだのはポークソテーだが、
でっかい豚肉のソテーが2枚も皿にのっていた。
そしてご飯に味噌汁、お新香。
ちなみにカレーだろうがなんだろうが味噌汁とお新香はでてくる。
ていうか、今どきポークソテーを出す店もめずらしいよな。
神保町の「松栄亭」ぐらいでしかみたことない気がする。

その店は跡継ぎがいないから、
じいさんが死んだら終わりだそうだ。
だからじいさんは死ぬまであの店をやっていくつもりらしい。
と、親父に聞いた。
すごくいいと思う。
かっこいいぜ、じいさん。
じいさんがポックリいく前に、またあのお店にいこう。



http://www2.ocn.ne.jp/~tepo/index.5.htm


あ−しかし
今日の仕事は疲れたー

うっかりしすぎ

2005-01-26 (Wed)

相対性理論の試験。
思ったより難しくはなかったが、でも、全然出来てない気がする。
昨日とおとといに集中してどばーっと勉強したが、
やればやるほどわけがわからなくなってくる。
気付いたら、自分がある程度「掴んだ」と思っていたものが、
跡形もなく手の中から消え去っていた。
悔しい。
試験が終わってしまうと、もっと勉強したいと思っていても
これは自分の学科の事とは全然違うことだし、
他にも勉強しなきゃならないことは山ほどあるので、
また手をつける事は難しいだろう。
悔しい。

サクッと試験を受けて、さっさと帰る。
地元の駅まで戻ってきたとき、電話が鳴った。

 友達「今日学校来ないの?」
 オレ「何しに?」
 友達「何って試験。」
 オレ「え、さっき受けたけど今日はもう試験ないよ。」
 友達「いやいやいや、これから試験があるじゃないですか」
 オレ「何の?」
 友達「化学工学熱力学」
 オレ「え、それ明日じゃないの?間違えてんじゃないの?」
 友達「って言っても、周りに同じ学科のヒトいっぱいいるし」
 オレ「・・・・・・・・」

NOhhhhhhhhhhhhhhhu!!!!!!!!
今から戻っても間に合わない。
試験が受けられないのは決定的だ。
どうも、試験日程を誤ってチェックしていたようで・・・。
卒業には何の影響も与えない他学科の試験なんか受けている
場合ではなかったわけで・・・・。
うっかりしすぎ、オレ。
弱った。
進級が出来るぐらいは単位取れてる(と思う)けど、
この単位落とすと4年になったときにいろいろ面倒なことになりそう・・・。

あーうー・・・・・

長いお散歩 馬場to湯島

2005-01-28 (揚)

お散歩マップ2005.01.28

分子生物学の試験。
思ったより、簡単だった。
こんなことなら勉強しとけばヨカタ・・・。
わからなかったのは

γ complex, RecBCD, TATA box, gene conversion,
σ factor, General transcription factor, aminoacyl-tRNA,
P site, transversion, MutS, thymine dimer, AP site, etc....

うわー、多すぎ。問題はこれの倍以上あったけど。
単位もらえないかもな。ぎゃぶー。
(落としてもまったく問題はない授業なんですが。)
mismatch repairのところが弱い。
あとtranslationも理解不足。
transcriptionはかなり詳しく勉強したんだけど、
細かいところを思い出せなかった。
Homologous recombinationの理解度はなかなかだったのにな。
やっぱオレ勉強下手だわ。ムラがありすぎ。

帰り道、馬場駅前の芳林堂書店が入ってるビルの2階にある「チャイカ
でランチを食べる。
おいしいのかそうでないのかよくわからないが、また来たくなった。
なぜなんだろう。

食後、芳林堂書店で本を探したが見つからなかったので
池袋のジュンク堂にいく事にした。
天気がよくて、気分も良かったので馬場から歩くことにした。
散歩するのは久々だ。
一旦、早稲田通りを東に進んで、明治通りまで出て、明治通りを北上した。
右手に都電荒川線(路面電車)が見える。牧歌的だ。
緩やかな坂を登ればあっという間に池袋である。
ジュンク堂をしばらくうろうろする。
やはり欲しい本は見つからなかったが、違う本をいくつか買ってしまった。
今年はいくら本代にかかるだろうか。
去年の10月から、本を買ったときのレシートは全部とっておいて、
あとでいくらかかったか計算してみた。
そしたらかなりびっくりな数字になってしまった。
いつかこの借りはお返しします。>父上、母上
オレに対する投資だと思ってもらうしかない。

コーヒー一杯無料券を持っていたので、ジュンク堂内の喫茶店で一服。
その時、買った本のうちの一冊を読んでしまった。
ビートのディシプリン〈SIDE3〉電撃文庫
いい加減、この年になってこの類の本を読んでるのはどーなんだ、
という気がしますが、スキなんです、このシリーズ、この作者。
一冊がこんなにあっさり読めてしまうなんて、こういう小説はいいですね。
読むのが楽で。

ジュンク堂をでると、やはりというか案の定、歩き足りないのでさらに歩く。
池袋駅から南東方向にまっすぐに伸びるグリーン大通りをゆく。
この道の先は歩いた事がないのでわくわく。
気付けば左手に豊○岡女子学園。
最近、身近にここの出身のひとを発見したのを思い出して
何気なく眺める。
まぁ、なんだ、別に面白いもんじゃない。

ずんずん歩く。なんか見覚えがある。
昔、トラックでここら辺を迷いながら走った覚えがある・・・。
ああ、あの時はここを走っていたのか、と納得。
やがて見覚えのある道は過ぎ去って護国寺まで来た。
護国寺っておっきいんですね。こんなに大きいとは知らなかった。
ここは何のお寺なんでしょう?
お参りするような気分ではなかったので
あっさり護国寺を素通りして、大きな交差点を渡ると音羽だった。
右手に講談社。ちょっと先には光文社が見える。
そこから1キロほどまーっすぐな太い道が続いている。
なんだか落ち着いていて、現代的な通りだ。
なんとなくフランスっぽい(行った事ないけど)。
道路の両脇に立つビルがみんな高い。
どれもこれも平均7階建てぐらいじゃないだろうか?
そういうビルが1キロ近くずーっと並んでいる。
そのわりにごちゃごちゃした感じは受けない。
圧迫感もあまりない。
ビルに空は削られているのになんとなく開放感を感じた。
なぜだろう。
そうか、電信柱と電線がないんだ。
そのせいできっとすっきりして見えるんだろう。
なんだか歩いていて気持ちのいい通りだった。

優雅な通りを抜けると、川に出る。
神田川だ。
川沿いに高架の道路が並走している。
あれは高速道路なのか?大きい。
そんな大きな構造体の下を、ネズミのように歩く自分は
ちっぽけな存在だなぁと思う。
でも、そんなネズミのようなサイズの人間が
その構造体を作ったのだ。
ネズミも馬鹿にできない。

川から潮の香がかすかに流れてくる。
悪臭、という程ではない。
昔、東京湾で嗅いだ香だ。
潮の香りにいくらか腐臭がまじっている。
懐かしかった。
中学生だった頃の記憶だ。
それからしばらくは目に入る景色のせいで
昔の記憶がたくさん飛び出してきて大変だった。
景色は記憶の中の景色そのものではないが、
どこか、抽象的なレベルで似ているところがあって、
昔の記憶を励起させた。
励起された記憶はそのエネルギーで他の記憶をも励起して、
雪だるまのように膨らんでいく。
それが脳みその中のいろんな部分で起こって、
ちょっと大変だった。
切なくて、切なくて、切なかった。

感傷に浸りつつ、黙々と歩くと飯田橋についた。
今まで知らない道を適当に歩いていたわけで、
適当に夢の中を彷徨っていたら、
急に現実にストンと着地したような心地だった。
飯田橋はお散歩コースの中継地点として、
よく通るけど、その道から来たのは初めてだった。
新鮮な発見。

ここで再び本屋に入る。
何気に本屋巡りなお散歩である。
半分どーでもよくなってたのだが、
当初欲しかった本があったので購入。
本、というかマンガなんですけどね。
あは。
この本屋の新書コーナーがスキだ。
オレの知的好奇心をちょうどよい具合に刺激してくれる品揃えだ。
読む事に絶望したくなるほど圧倒的な本の量があるわけでもなければ、
書棚を見ていてつまらなくなるほどのラインナップでもない。
オレにとってちょうどいいだけの情報量を提示してくれているように思う。
心理的にはその書棚をよだれを垂らしながら眺めていた。
手当たり次第に買ってしまいたいが、
家には買ってあるのに読んでない本がまだあるので、
それを読むまでは我慢せねばなるまい。

本を読めば読むほど興味の対象がねずみ算式に膨らんでいくので、
興味の幅が昔に比べてものすごいことになってきてる。
一歩進むごとに、前の荷物の10倍の荷物を背負い直しながら
歩いているようなものかもしれない。
そんなことをやっていたら、あっという間に潰れてしまうだろう。
一歩進むごとに10倍の筋力が必要になるなんて。
去年の読書量は年間50冊だったが、
もはや年間100冊でも追いつかなくなりそうだ。
年間1000冊、だと一日に2,3冊。
それはさすがに無理ですヨ・・・。

というわけで、今年は目指せ100冊!です。
そんな冊数ばっかり増やしても・・・って感じもするけど。
まぁ、わかりやすい目標なので。

さて、飯田橋を後にして再び歩き出す。
ここから先はよく歩く径路だ。
だだっ広い道路と並走する歩道を歩く。
すぐに後楽園の観覧車やら東京ドームやらが見えてくる。
水道橋駅の交差点を渡って、そこから長めの上り坂。
この交差点付近には高校が3つ密集している。
坂を登りきると順天堂大学があり、ここら辺で左に曲がる。
これまでしばらく付き添ってくれた神田川とはお別れである。

そして、この道の先には・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・<割愛>・・・・・・・・・・・・

で、坂を下りつつ湯島天神に到着。
湯島天神の向かいにある中華料理屋「一片雲」に入る。
ジュンク堂でコーヒーを飲んで以来の休憩。
もーお腹が空き過ぎて体がガクガクだった。
炒飯とビールを注文。
この店は相変わらず換気能力が追いついていないようで、
否応なしに厨房からでる空気がテーブルまで流れ込んでくる。
そのため、この店のドアはいつも半開きである。
この店で食べるとき(特に混んでるとき)には
服に匂いがついてしまうのは我慢しなければならない。
一人でこの店に来るといつも頼んでしまうのが
「四川風ピリ辛鳥そば」である。
言っとくけど激ウマである。
今日は断腸の想いで食べたことのない炒飯を頼んでみた。
これまたヨシ、である。
ふんだんに入ったレタスと惜しみなく入ったサイコロ状の焼豚が
とてもよろしい。
頼んでみてわかったんだけど(メニューに載ってない)、
なんかボリュームが二人前から三人前ぐらいあって、
最近食が細くなっているオレはヒーヒーいいながら食べました。
(もちろん残したりなんかしてません。)
値段は1,200円也。

一片雲の炒飯
↑食べかけです。あまりオイシソにとれてないや。


一杯のビールで酔ったのか、
長いお散歩で疲れたのか、
食べ過ぎたからなのかは定かではないが、
若干、千鳥足気味で地下鉄に乗り、湯島を去る。

というわけで、本日のお散歩終了ー。





□□□おさらい

高田馬場→池袋→護国寺→音羽→飯田橋→御茶ノ水→本郷→湯島とお散歩。
最後に「一片雲」でチャーハンを食べる。




***************追記

しばらく日記が滞っていたのは
この日の日記が書き終わらなかったためです。
その間に書いた日記は徐々にアップしていきます。

この日記の投稿日:2月6日(日)

オレをスーパーサイズにしてくれ

2005-01-31 (万)

今日は卒論審査会。
4年生が卒論を発表する日だ。
3年生も来年の参考のためにと、
用がない場合は参加することになっていた。
その日は試験などの他の予定はなかったので
オレも参加するはずだったが、忘れていた。
卒論審査会は10時半からはじまるが、
オレが会場についたのは昼の1時であった。
なんせ、10時半の友達からのメールで起きたのだ。
こないだの試験日を間違えて試験を受け損なった事といい、
最近オレはうっかりしすぎているなぁと思う。
大幅に遅れたわけだが、特に咎められるような事はなかった。
絶対に何が何でも出席しなければならないわけではないのだ。
だからこそうっかり忘れたんだけど。
遅刻したら咎められるようなことなら忘れないさ(たぶん)。

その後、渋谷に行く。
スペイン坂の上にある、シネマライズという映画館に向かった。
が、しばらく迷った。
渋谷に来るのは一回や二回ではないが、
いまだに渋谷はよくわからない。
道路が駅から放射状に延びた構造をしていて、
しかも結構曲がりくねっているから、
道と言えばどうしても格子状のものを想像してしまう
オレとしてはとても把握しずらい。
加えて人がでたらめに多くて、ひどく歩きづらい。
かなり苛立ちが高まった頃、ようやくスペイン坂を見つけた。

シネマライズに来るのは久しぶりだ。
最後に見たのはソフィア・コッポラ監督の
「ロストイントランスレーション」を見たときだったろうか。
蒸し暑い中、長蛇の列に並んだのを覚えている。
今日は「スーパーサイズミー」をみる。

何気に今月4本目の映画である。
暇なのか?オレ。

この映画を端的に言うなら
一ヶ月間、マクドナルドのメニューだけを食べたらどうなるか、
ということを監督自らが実験台になって検証した
ドキュメンタリー映画である。
見終わってからジャンクフードがとても恐ろしくなった。

この監督はいいヒトだと思う。
作品の全篇を通じて暖かさが溢れていた。
そして、できるだけ客観的で中立な立場で
事実を表現していこうという態度が伺われる。
マクドナルドをコテンパンに非難したりはしない。
作品の最後で、「スーパーサイズはやめにしないか?」
という控えめな提案だけをしいている。
その謙虚さが、逆にこの作品の説得力を増していると思う。

それにしても、アメリカは子供だ。

帰り道、寝坊してエネルギーが余っていたので
渋谷から高田馬場まで歩いてしまった。
終電を逃すとまずいのでいつものように
周りの景色を楽しみながら歩いたりはせず、
脱兎のごとく歩いた。
気付けばすごいペースで歩いていた。
渋谷から馬場まで直線距離で8.1キロ。
それを1時間ほどで歩いてしまった。

お散歩マップ

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