過去ログ一覧 |
フェムトセカンドトップへ |
http://melonsode.fem.jp/
昨日、博士課程進学願書を出した。出してしまった。もともと博士課程に行くつもりで修士課程に進学したから、全然迷いはしなかったけれど、それでも考えてしまうのは本当に博士をとりたいからこうなったのかな、ということ。まわりはみんな就職した。就職活動を横目で見ていた。果たしてあの就活とやらを、自分はやろうとしたらできただろうか?就職とかしたくないから、という理由で、博士進学にしたんじゃないのか?何になりたいか決まってないから、だからもう少し学生を・・・、そんなモラトリアムの延長を望んだんじゃないか?普通の家庭は修士までは行かせてくれてもさすがに博士までは行かせる余裕がないのでそうしないだけで、オレはただ単に恵まれた家庭なものだから、モラトリアム3年(+α)追加してしまっただけじゃないのか?
ここ数日は少し感傷的な気分でそのことを思った。たかがかみ切れ一枚なのだが、博士の願書を提出するという行為は象徴的だった。修士にあがった時点では、いまひとつ覚悟が足りなかったように思う。覚悟、あるいは意志。いまでも「ほらこれ」と言って指し示せるようななりたい職業があるわけではない。研究者に何が何でもなりたい、とは思ってない。それはその時の状況が決めるのではないかと思う。さすがに無給の状態はさけたいけれど。
つい最近、わかったことがある。そして、これは修士にあがった時点ではわかってなくて、だからこそ、「モラトリアム」を疑ったりもしたのだと思う。わかったことは、修士課程で学ぶこと、博士課程で学ぶこととは何か?修士号をとるということはどうなることをいうのか?博士号をとるとはどうなることをいうのか?そのようなこと。要は「オレは博士をとるんだ」「研究者になるんだ」と言ってはいたものの、それがどういうものなのか知らなかったのだ。SfNに行ってからだろうか。それがわかるようになったのは。まだそれを言葉にするのはめんどくさくてできないけれど、なんか、わかったのだ。博士を取るということはどういうことか?
博士はこういうものか、というのがわかり、そしてそうなることを望んでいることがわかったので、もはやモラトリアムではないのである。オレは自信を持って自分のわがままを通すことができるようになった。それは何かになる過程で、迷う過程ではもうなくなった。
This web site names フェムトセカンド / femto second = 10-15 秒 .
Author: 野澤真一 / Nozawa Shinichi
since 2006/4/1