フェムトセカンド過去ログ

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■2007/7/6 金曜日

Aphasia on diary

実家からホットプレートが届いた。が、これをいったいどーつかえというのだー!ホットプレートを置いて調理する場所がない。

日記が書けない。まるで失語症にでもなったように。新たな文体を模索しているのだと思う。文体は内容を規定する。それはデザインと中身の関係と同じだ。

日記には何を書いてもいい。朝ご飯のこと、電車に乗ってとりとめもなく思ったこと、喫茶店で隣に座っている高校生が話していたこと、梅雨空のこと、来月の予定、いまがいかに忙しいか熱弁すること、将来の不安のこと、日記が書けない自分のことを日記として書くこと。だけど文体は膨大にある「書くこと」の中から何を書くかを制限している。そして、制限された題材を「どう書くか」に対してもやはり影響を与え、それは「何を書くか」よりもはるかに強い。

人は文体に規定された方法でしか文章は書けない。内部に無数にある「書くこと」は文体によって外部に出力される。その際に内部にはあったのに外部に出てくると消えてしまうものがある。それは単射ではないが全射ではある写像である。 

万能の文体は存在しない。あらゆることを表現できる文体は存在しない。それでも僕はあらゆることを表現することを希求してやまない。意識的にではなく無意識的に、表現できないことが存在することに気付いたのだと思う。それで日記における失語症になったのだと思う。文体は複雑なシステムであり、局所的な補修では本質的な変革は起こらないし、一貫性を失う恐れがある。一貫性を失った文体の表現能力はゼロだ。偽の命題から出発した論理のようなものだ。文体の変革には一度全てを解体し、全てを再点検し、0から再構築しなければならない。その間、人は失語症になるのだと思う。

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This web site names フェムトセカンド / femto second = 10-15 秒 .
Author: 野澤真一 / Nozawa Shinichi
since 2006/4/1